【最弱陰陽師のスマホ】3
「僕はかっこよくなんてない。札も無駄にするし、一人じゃまともに妖怪を倒すことも出来やしない。ハク先輩に助けてもらってばかりの、弱虫だ」
暗がりの中で、ハクからは楓の顔がよく見えない。しかしその声が震えていることに気づくと、慈しむように微笑んだ。
「冥鬼の体のことだってそうです。ハク先輩のおかげで、冥鬼はこれ以上悪くならずに済んだ……」
堰を切ったように感情を吐露する楓を落ち着かせるべく、ハクは彼の手をきゅっと握る。
「それは私じゃなくて豪鬼さんのおかげよ」
「僕の隣には!」
なだめるようなハクの言葉を遮って楓が声を上げる。
「僕の隣には……これからもハク先輩が居なきゃダメだ。あなたが良いんだ。だから──」
「日本に帰ってきたら僕と結婚しましょうっ!」
楓の声であって楓のものではない声が、彼の背後から聞こえた。ハクが目を丸くして楓の背後にいる人物を見つめていたが、楓には振り返らなくてもその声の主が分かる。人の声帯をそっくりそのまま真似ることが出来る者の正体──。
「あれぇ、今のって求婚する流れだったでしょ? 違った?」
彼の背後で白いしっぽを揺らした人喰い妖怪、猿神がニヤニヤと笑っている。
「ボクに声かけてくれたら、ファミレスなんかじゃなくてもっと良い店を用意してあげたのに」
「猿神、お前何しに来たんだ……こんな、こんな大事な場面で……」
空気を読めと言わんばかりに楓がわなわなと震えながら叱責するが、猿神はケラケラと笑っている。どうやら邪魔をするタイミングをうかがっていたようだ。
「ボクだって自由に休日を謳歌するんですけど。名前だってあるんだヨ? 牛尾日吉──そろそろ覚えて欲しいナァ〜」
猿神は眉根を寄せて歪んだように笑う。猿神の背後では、美少女たちが紙袋を提げて待っていた。
「日吉くん早くぅ」
「ケケッ、良い子だからちょっと待っててネ」
ヒラヒラと手を振ってキザったらしく投げキッスをした猿神は、遠慮なく楓とハクの間に割って入ってくる。
「デート楽しかったァ? ボクともRAIIN交換して」
「絶対に嫌だ」
「楓サンじゃなくてハクちゃんに言ったんだヨ」
「余計ダメだろ!」
過剰に拒絶する楓の反応が面白いのか、猿神は賑やかに笑って楓の肩に腕を回した。
「さっきまで泣きそうだったくせに生意気〜」
「うるさいな……。お前はどこ行ってたんだ? 連絡も取れないし、そもそも連絡先を知らないんだが……」
「そうだっけ? RAIIN交換する?」
猿神はケロッと言い放つなり楓のスマートフォンを奪うと、勝手に操作をして自分の連絡先を登録した。
「ほら。泣いて感謝してよ」
高圧的な態度で言った猿神は、スマートフォンを楓に押し返して舌を出した。楓に命を救われたにも関わらず、主を主とも思わないその態度。
(でも、僕は猿神に命を救われてる……)
楓はRAIINの連絡先に追加された猿神のアイコンを見つめながら口を噤む。古御門泰親との戦いで尾崎九兵衛に殺されそうになった時、彼の一声が楓を救った。
人を襲い、心臓を喰らう凶悪な妖怪、猿神。信頼し合うにはまだまだ時間がかかりそうだが、それはこれから歩み寄っていけばいい。
「ほらぁ、感謝の言葉は? 神様仏様日吉様、アリガトーゴザイマスって言いなよ」
「……ありがとう、感謝してる。あの時、お前には助けられ──」
挑発的な態度につられるのを堪えて感謝を述べたその瞬間、猿神の赤い瞳が鈍く光った。楓の体は一瞬で身動きが取れなくなり、猿神から目が離せなくなる。
「……ッ」
「ケケッ、動けなくなっちゃった? 鬼道家の心臓は美味しいだろーね。でも楓サンは最弱だから味に期待は出来ないかも。心臓の味にはランクがあるんだ」
猿神の手が楓の首の横をトントンとつつく。
「甘い心臓、辛い心臓。しょっぱい心臓に渋い心臓。最初は分からなかったけど、たくさん食べていくうちに顔を見ただけで分かるようになってきた。楓サンの心臓は、きっと薄くて霞を食べてるようなつまんない味──」
楓の首筋を汗が伝った。人間の命など何とも思っていない楽しげな目。その瞳の奥で見え隠れしている感情はまるで読めない。
「腹の足しにもならない最弱陰陽師の心臓、やっぱりムカつくから食べちゃおっかな」
ニヤ、と猿神が八重歯を覗かせたその時、楓を庇うようにハクが進み出た。
「──楓くんに酷いことしちゃダメよ」
穏やかではあるが毅然とした物言いに、猿神が少し怯んだ。すぐに赤い瞳が睨みつけるが、ハクは躊躇いなく猿神の手を掴んで両手で握りしめる。
「あなただって楓くんに助けてもらったのよ。それを忘れたらいけないわ」
諭すようにハクが言う。面食らっていた様子の猿神は、徐々に眉を顰めて歪に笑った。
「……っは」
楓は全身の血が冷えるのを感じる。二人とも猿神の射程距離だ。ハクが危害を加えられた場合、今の楓では助けることが出来ない。最悪の状況が脳裏に浮かぶ。何とか金縛りを解こうと、動かない指先に力を込めた時だった。
「いーよ。ハクちゃんが言うならもうちょっとだけ助けてあげても」
その一言と共に、猿神から掛けられた金縛りが解かれる。足元をふらつかせた楓をハクが支えた。
「ハクちゃんに感謝しなよ。柊への恨みも込みで楓サンみたいなよわよわ陰陽師に協力してあげるんだからサ。せいぜいボク以外に殺されないでよねぇ!」
猿神は小馬鹿にしたように高笑いすると、振り返ることもなく美少女たちの元へ戻っていく。この場で緊張感を纏っていたのは楓だけだ。立ち去る猿神の後ろ姿を放心状態で見つめていた楓は、首筋を押さえながら力が抜けたようにため息をつく。
「お前と話してたら命がいくつあっても足りないんだよ……」
小さく呟いた楓の声に、ハクは『そうかしら』と言って首を傾げた。
「あの子、楓くんと友達になれて楽しそうよ」
悪戯っぽい笑顔に毒気が抜けていく。普段ならいつもの調子で見とれてしまうところだが、楓の表情は眉を寄せたまま晴れない。
「ハク先輩……師匠や椿女みたいに人間に好意的な妖怪ばかりじゃない。アイツの射程距離に、不用意に近づかないでください」
「でも、あの子は楓くんの式神になったんでしょう?」
「完全に従わせたとは言えません。人を殺さないっていう僕との契約も、あの様子じゃ恐らく効いてない。今だって、猿神のお情けで生かされたようなもんです」
楓は、手首で鈍く光る赤い数珠を見つめて言った。強い力の込められたそれは、妖怪を従えることが出来る宝珠。けれど、猿神を従えることは出来ていない。彼が宝珠の力に影響されないほど強力な妖怪なのか、それとも別のチカラが働いているのか──猿神に関しては謎が多すぎる。楓は数珠を見下ろしたまま、ぶすっとした顔で沈黙した。
「……」
そんな楓に声をかけようとしたハクの耳に、再び物悲しいメロディが聞こえた。再びライトアップされた噴水がキラキラと輝いて乱反射しているのだ。ハクは遠慮がちに楓の手を取った。
「ここね、おじさまが楓くんと同い年の時に、奥さんとデートした場所なんですって」
「えっ?」
「すごく思い出深い場所だって言ってた」
そう言って噴水を見つめるハクの視線を楓が追う。猿神を従えることばかり考えていた楓は、ハクから語られる意外な話を聞いて驚いた顔で瞬きをした。
「聞いた事、ないです。親父と母さんの昔の話なんて」
ぼそぼそと返事をする楓に視線を合わせたハクは、『そうなの?』と首を傾げて微笑んだ。
「じゃあ、この噴水の前でキスした話も聞いてないんだ」
悪戯っぽく細められた瞳に楓が釘付けになった時、唇が触れ合う。びく、と震えた指をハクが握った。
「これで、私たちにとっても思い出の場所──ね?」
くす、と悪戯っぽくハクが微笑む。楓は口を半開きにしたままその笑顔を見つめていた。その顔がみるみるうちに赤くなっていく。
リップが付着してほんのりとピンク色に彩られた唇に人差し指を当ててハクが笑った。
「楓くんには、もっと楽しい顔して欲しいな」
「──すみません。この顰めっ面は生まれつきで。身長も低いし、ハク先輩を楽しませてあげられないし……ヘタレだし」
再び楓はマイナスの思考に嵌っている。ハクは目を丸くすると、その頬を両手で包んだ。
「もう。次、私の好きな人を悪く言ったらこうだからね?」
ハクの手が楓の頬を寄せて口角を引き上げる。
「うっ、ハク先輩、ちょっ……」
「うん? 反省した?」
「しっ、しました!」
「よろしい」
楽しそうに微笑みながら、ハクの手が楓の頬を優しく撫でた。その笑顔を見ていると、自然と楓の頑なな心も解けていく。自分にないあたたかさを持った彼女に、どうしようもなく惹かれている。
「僕、もっとハク先輩に相応しくなります。ハク先輩が安心して卒業出来るように……もう、泣き言は言わない」
そう言った楓のまつ毛が震えている。まだまだ幼い顔立ちではあるが、初めて出会った時よりもずっと力強い眼差しをしていた。彼女の大好きな眼差し。
ハクは眩しそうに笑って頷きを返すのだった。




