【最弱陰陽師のスマホ】2
新規契約の手続きを済ませてショップを出た楓は、ハクによって駅ビルの中のメンズ服売り場へと連れ出される。機能性を重視する楓はあまりファッションに関心がなかったが、楽しそうに服を選んでは楓の元に持ってくるハクに根負けする形で新品のコートに袖を通した。
「とっても似合ってる! ねえ、これ買う?」
「そ、そうですね……あったかいし、素材も好きです」
楓はまごまごしながら財布を取り出そうとした。そんな楓を遮るようにハクが手を添える。
「プレゼントさせて」
「えっ、でも……」
「誕生日なんだから遠慮しないの♡」
ハクは狼狽えている楓からコートを脱がすと、止める間もなくレジに持って行ってしまった。
「誕生日……」
揺れる栗色の髪を見つめながらぽつりと楓が呟いた。正確には昨日の土曜日で楓は十六歳の誕生日を迎えた。
陰陽師になってから一年。自分は変わることが出来ただろうか。
買い物を終えた頃には、既に陽が傾き始めていた。紙袋を手に提げて駅ビルのエスカレーターに乗った楓は、少し疲れた自分の顔が窓に映っているのを見て苦笑する。よほど緊張していたのだろう。けれど、心地よい疲れに満たされている。ハクはそんな楓の前で、自分のスマホを操作していた。
「スマホデビューおめでと。まずはRAIINをダウンロードしなくちゃ。RAIINって言うのは──」
「無料のメッセージアプリ……ですよね」
聞き覚えのあるアプリの名前を聞いて楓が尋ねる。ハクは嬉しそうに微笑んだ。
「そう! こんな時間だし、夕飯でも食べながら話さない? 解散にはまだ早いもの」
ハクはそう言ってショートブーツのヒールを鳴らしてエスカレーターから降りた。ちょうど、駅ビルの中には夕飯に最適な店がいくつも入っている。ふとハクの視界に飲食店のポスターが入った。ひとつは安価だが本格イタリアンの店。そしてもうひとつは落ち着いた雰囲気のある和食の店だ。当然、後者のほうが値段は高い。そう言えば、ハクはずいぶん買い物をしていたようだが……。
「楓くんは和食の方が好きよね?」
ひとつのポスターを見つめていたハクが、楓の表情を窺うように振り返る。楓はハクの視線と店のポスターを交互に見ると、ちょっとだけ笑って『イタリアンの気分です』と答えた。
どこか安心したようなハクと共に安いイタリアンの店に入った楓は、紙袋を座席に置いてメニューを開いた。
「ここの間違い探し、いつも見つけられないのよね……」
ハクはメニュー表とは別に用意された間違い探しを眺めながら苦笑する。
「私、ドリンク持ってくるから楓くんは休んでて。何にする?」
「す、すみません……緑茶で」
ハクはにっこりと笑うと席を立ってドリンクバーへと向かった。何から何まで気を遣ってくれるハクに、楓は申し訳ない気持ちになりながら縮こまる。
何となくテーブルの上に乗せた右手首が視界に入った。鈍く煌めく赤い数珠。
(……)
楓は、数珠ごと手首を握りしめた。冥鬼が戦えない状態のまま、月日だけが過ぎていく──。
ぼんやりとした顔をして俯いている楓の元に、ドリンクを二つ持ったハクが戻ってきた。
「お待たせ楓くん……どうしたの? 具合が悪い?」
「いえ……」
「いっぱい歩かせて疲れちゃったかしら……ごめんね」
ハクは心配そうに楓の頬を両手で包んだ。あたたかなハクの手が心地良い。
「だっ、大丈夫です……本当に」
「そう? ならいいけど。食べたいものは決まった?」
「えっと……シーザーサラダと、ルーベル風チーズドリア……」
「じゃあ私も同じものにする。注文するわね」
ハクはそう言って店員を呼ぶと、二人分の注文を口にした。全ての注文を聞いた店員が立ち去った後、ハクがおもむろにスマホを取り出す。
「さっきの話、覚えてる? RAIINのダウンロードしちゃいましょ。部活のRAIINグループに入れてあげる」
「は、はい……ええと」
楓は慣れない手つきでスマホを操作しながら、アプリのダウンロード画面まで辿り着く。ハクに教えてもらいながら、何とかRAIINの初期設定を済ませることが出来た。たびたび柊に頼まれてゲームのダウンロードと削除、リセマラとレベル上げは出来るが、スマートフォンとしての基本的な使い方はまるで出来ない。
「これでいつでも楓くんと連絡が取れるわね」
「そ、そうですね……やっぱり家の電話でもいい気はしますけど」
少し疲れた様子の楓を見て、ハクが微笑んだ。
「恋人なんだからいつでも声が聞きたいの」
恋人。まだ夢を見ているような心地だ。あの日から、楓とハクの距離は縮まった。
「楓くんは──陰陽師としてこの街を守るっていう夢があるのよね?」
「ゆ、夢ってわけじゃないですけど……そう、ですね。ちゃんと家族を養えるような陰陽師になりたいって意味では、夢なのかもしれません」
楓は数珠を手で押さえながらぽつぽつと答えた。ハクは『そっか』と笑ってストロベリーティーのカップに口をつける。言うべきか迷うように、両手でカップを包み込んだり離したりしながら黙っていたハクは、やがて穏やかに話し始めた。
「私ね、高校を卒業したらフランスに留学するの」
その言葉は、まるで日常会話の延長のようで実感がわかない。
しかし、じわじわとその意味を理解した楓は思わず聞き返した。
「留、学……?」
「うん。見て、これが私の夢」
そう言ってハクが見せたのは、今朝食べたパンケーキの画像。ハクの指が画像をスライドすると、今度は美味しそうなチョコレートケーキの画像、ショートケーキの画像が次々に表示された。店で売られていそうな完成度だが、楓には分かる。これはハクが作ったものだと。
「私、パティシエになるのが夢なの」
楓はすぐに納得した。ハクは家庭部に入っているし、料理が上手い。
「フランスに行ったら二年間は帰ってこられない。だからスマホがあればいつでもお話できるなって思ったのよ」
そう話すハクを見て、楓は何とか笑顔を作る。
「そ、そうだったんですね。ハク先輩なら……できますよ」
「ありがと、嬉しい」
ハクが礼を言うタイミングで料理が運ばれてきたが、楓は料理の味をほとんど覚えていない。来年でハクとしばらく会えなくなる。そのことで頭がいっぱいになった。心に穴が空いたような気持ちのまま、イタリアンの店を後にするのだった。
「……」
商業施設から離れる足取りが重い。明らかに元気を無くしてしまった楓を心配したハクが肩を寄せる。普段なら照れて慌てふためく楓だったが、それに気づけないほどどんよりと落ち込んでいた。
「もう……分かりやすすぎ。何で楓くんが落ち込んじゃうの」
「す、すみません。応援してます。してますけど……」
「そんなに想われてるのは光栄だけどね」
ハクは困ったように笑うと、おもむろに楓から離れて軽く数歩前に出た。
「私が日本に帰ってきた時、楓くんはとってもかっこよくなってるのかな。今だって素敵な人だし」
イルミネーションに照らされて、ハクの髪がキラキラと光っているのをぼんやりと見ながら、楓は晴れない表情できゅっと唇を噛んだ。
「今よりもっと強くなって……背も伸びて、優しいから後輩にも好かれそう。きっと女の子にモテモテね」
そう言って振り向いたハクが悪戯っぽく笑う。楓は咄嗟に一歩踏み出した。
「ぜ……絶対にありえないです!」
通行人の目も構わずに、突然大きな声を上げる楓をハクが少し驚いた眼差しで見つめている。
「せ、背が伸びるかはともかくとして……いや、伸びて欲しいですけど。僕が好きなのはあなただけだ。何があったって、ハク先輩以外の人を好きになったりしません! 二年が何だ。その間に僕は、もっとあなたに相応しい男になってやる!」
楓が叫ぶと同時に、噴水が勢いよく噴き出した。寂しげな音楽を奏でながら、力強くライトアップされた水が踊っている。
顔を赤く染めているハクを前に、楓の口からは溢れてくる感情が止まらなかった。




