【美化活動】1
今日は祝日。家で眠っていたいようなのどかな陽気だ。そんな天気のいい日に、僕達東妖オカルト研究部一同は軍手を嵌めて土いじりをしているのである。
「はにゃ……めんどくせえよぅ……」
情けない鳴き声を上げて花の植え替えをしているのはゴウ先輩だ。ぶかぶかのジャージ姿で、ハク先輩に指示されるまま花を日当たりのいい花壇に植え替えている。
「ゴウくん、もっとスピードアップしないと日が暮れちゃう」
「こ、これでも十分急いでんだにゃ!」
僕はと言えば、古い柵を取り外して使い捨ての濡れ布巾で綺麗に拭いてから、植え替えられた花を囲むように設置している。ちなみに部長はと言うと……植物のプランターをテキパキと見栄えが良いように並べていた。
高千穂財閥のお嬢様だし、周りに指図するだけの人かと思っていたけど、誰よりも熱心に動き回っている。……部長のこと、ちょっと誤解してたかもしれない。
先日の焼却炉事件の後、全てが終わってから目覚めた部長はありがたいことに鬼火の一件を覚えていなかった。
と言うか、彼女は鬼火が目撃されるよりも前に前方不注意で転び、それで気を失っていたらしい。怪我が無かったようで何よりだ。
妖怪も怪異も見られなかったと僕らは適当な嘘をついて、しぶとく調査をしたがっていた部長をなだめながら帰りの車の中で奉仕活動のことを提案した。
部長はノリよく受け入れてくれて、翌日に学校へ集合しようという流れになったんだ。
それに今日はなんと、珍しい部員もいる。
「楓にゃ〜んっ、この植木鉢はどこに置いたらいいでしょうかあ〜っ!」
やたら大きな声に不自然なほど分厚い牛乳瓶底のグルグルメガネをかけた細身の先輩。僕と顔を合わせるのはこれで二度目にも関わらず、僕を『楓にゃん』と呼ぶ彼女は……。
「えーっと……部長が置いてるプランターの傍でいいと思いますよ、小鳥遊先輩」
「ああ、確かに! にゃははは! カトリーヌってば園芸に関してはちんぷんかんぷんなんですにゃ!」
底抜けに明るい彼女、小鳥遊香取先輩はケラケラと笑いながら植木鉢を部長の元へと運ぶ。
初めて会った時とはだいぶ、相当……いやかなり印象が違うんだが……本当に僕の知っている小鳥遊先輩なんだろうか。
「ハク先輩……本当にあれが小鳥遊先輩なんですか?」
僕は思わず、作業の手を止めてこっそり話しかける。すると、ハク先輩が僕に気づいて優しく微笑んだ。
「ええ、もちろん。どうしたの、楓くん……香取ちゃんと会ったことあるんじゃなかったっけ?」
首筋に流れる汗を拭いながら微笑むハク先輩の姿はすごく綺麗だ。僕は慌てて視線を逸らした。
「は、はい……でも、その時とはだいぶ印象が違ってて……」
視線を逸らした僕は、改めて小鳥遊先輩の様子を観察する。彼女は肩にかかる黒髪を靡かせながら僕らと同じジャージ姿で植木鉢や花の苗を手に行ったり来たりしていた。
そのたびにゴウ先輩のネコミミにちょっかいを出してはニャーニャー怒られている。
「うにゃー!人が作業してる時に髪を触るんじゃねえにゃ!」
「にゃは〜♡ 今日もゴウにゃんのネコミミは元気いっぱいの絶好調ですにゃ! 頬擦りしていいかにゃ〜?」
「だーれがゴウにゃんだ! んもーっ! 離せこの鳥女っ!」
二人のやりとりを見て、ハク先輩がくすくすと笑う。先輩二人は以前からあんな感じらしい。
機嫌良さそうに軽いノリでゴウ先輩の癖毛を弄んだ小鳥遊先輩は、焼却炉の傍で座り込んでいる幼女に声をかけた。
「お姫様、何を探してるんですかにゃ?」
「うーんとね、このこはどこにつれていけばいいの?」
小鳥遊先輩の声で顔を上げたのは文字通り常夜の国のお姫様、冥鬼だった。彼女も、自分を姫だと言う冥鬼の常識的に考えればトンチンカンな自己紹介を聞き入れた一人だ。
冥鬼は泥だらけの小さな掌に極太のミミズを乗せている。
「フトミミズだな。僕もさっき見つけたよ」
冥鬼の手元をチラリと見た僕は、思いのほか大きなミミズに驚いてさりげなく距離を取りながら答える。
すると、冥鬼は嬉しそうに目を輝かせて身を乗り出した。
「ほんとっ? どこどこぉ?」
「み、ミミズを持ったまま近づくなよ!?」
情けない悲鳴を上げる僕とは反対に、小鳥遊先輩が冥鬼の手の中をのぞき込む。
「お姫様、これはぜひ花壇の土の上にエスコートですにゃっ! ミミズは土をフカフカにしてくれるし薄い本でも有能触手先輩として大活躍だにゃん♡」
小鳥遊先輩は冥鬼の体を抱き上げると、そのまま自分の設置したプランターへと案内する。道中でミミズを見せられたハク先輩が悲鳴を上げていたが二人はお構いなしだった。
日中はいつも家の中で修行をさせているせいか、今日の冥鬼はすごく楽しそうに見える。やっぱり女の子として、同性と混じって何かをするのは新鮮で楽しいんだろう。
男である僕には絶対に冥鬼にあんな顔はさせられないからな……。
「オマエ、嫉妬してる男の顔になってるぞ」
「うっ!? ご、ゴウ先輩!?」
楽しそうにはしゃいでいる冥鬼を目で追っていた僕に、いつの間にか近くに来ていたゴウ先輩がイタズラに声をかけてくる。何とハク先輩も一緒だった。僕はなるべく平静さを装って見せる。
「別に嫉妬なんかしてません。冥鬼は子供だし」
「あら、楓くん。子供だって立派な女の子よ?」
何だか楽しげにそう言ったのはハク先輩だった。
「女の子はあっという間に大きくなるんだから。結婚だって女の子のほうが先にできるでしょう? 精神面だって女の子のほうが男の子よりずっと早く大人になるのよ」
まるで先生のような口振りでハク先輩が告げる。タヌキがプリントされたかわいらしいタオルで汗を拭く姿がとっても綺麗だ。
「そういう、ものなんですか? 僕の家は男家族なんで──女の子っていうのが、あんまりよく分からないんですけど」
「男家族? 楓くんのお母さんは?」
作業を止めて考え込む僕に、ハク先輩が不思議そうに聞き返す。
僕は一度口を開きかけたが、なるべく話が重くならないようにと考えてわざと軽い口振りで応えた。
「母は僕が小さい頃に亡くなってるんで物心ついた時から親父と二人で暮らしてるんです。あの人朝から遅くまでパチンコ三昧なんですよ。もっぱら遊ぶのはスロットらしいんですけどね、最近もディアブル風魔法少女ネージュたんの新台が出たって喜んでて──」
わざと明るい口調で言ったんだが、ハク先輩は心を痛めたように悲しそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい……そんなこと知らなくて──私、軽々しく入部を勧めちゃった……。お家、大変なの?」
「い、いえ! いいんです! 結構楽しんでるんで、部活」
もちろん理由はそれだけじゃない。部活を辞めてしまったらハク先輩と一緒に居られなくなるじゃないか。この部活があったからハク先輩と接点ができたっていうのに。
「本当に?何か手伝えることがあったら言って。お夕飯とか作りに行くから」
「ほ、本当ですか!?」
思わず裏返った声を上げてしまう。ハク先輩の手料理、だと……? そんなの、毎日でも作りに来て欲しいに決まってる。いや、毎日と言わず……一生……。
「ゴウくんから聞いたけど、バイトもしてるんでしょう? それに加えて親戚のメイちゃんのお世話なんて大変じゃない……友達として少しでも手伝わせて」
ハク先輩は両手を合わせて天使のような提案をしてくれる。僕は思わず、脳内でエプロンを着たハク先輩の姿が浮かんだ。
ハク先輩は制服にエプロンを着ており、料理をしている。僕に気付いたハク先輩は、はにかむように笑ってくれるのだ。
『楓くん、今だけは私のこと……お母さんだと思っていいからね♡』
そう言って微笑むハク先輩の優しい眼差しに、僕はきゅーっと胸が締め付けられる。
ああ、このまま死んでもいい……。
「いや、そこはごはんにする? お風呂にする?じゃねーの?」
「や! カトリーヌとしてはネコミミメイド服も捨て難いですにゃあ……」
何故か人の妄想に口を出すゴウ先輩と、いつの間にか戻ってきた小鳥遊先輩によって僕は現実に引き戻される。
「な、何なんですか先輩方! 人の妄想に入ってくるなんて非常識ですよ」
狼狽える僕を見てにやにや笑うゴウ先輩と小鳥遊先輩。そしてキョトンとしているハク先輩。
冥鬼だけが無邪気に飛び跳ねながら僕に泥だらけの両手を見せていた。
「みてみて! ばっちい♡」
「本当だ……爪の中まで汚れてるじゃないか」
全部終わったらいっぱい手を洗わなきゃな、なんて話していると小鳥遊先輩が冥鬼を後ろから抱きしめて言った。
「お姫様はとっても頑張っていましたにゃ〜、たっくさん褒めてあげてくださいにゃ♡」
「ほめてにゃー♡」
冥鬼は嬉しそうにきゃあきゃあとはしゃぐ。僕は苦笑して軍手を外すと、彼女たちのノリに合わせて片膝をついた。
「お疲れ様です、姫。どのような褒美がよろしいですか?」
僕がそう問いかけると、冥鬼は真っ赤な顔をしてもじもじし始めた。お姫様扱いされて喜んでいるんだろうか?
「うーんと……なでなで」
「仰せのままに。失礼致します」
言われるままに頭を撫でてやると、冥鬼はふにゃふにゃ言いながら嬉しそうに身をくねらせた。
その姿を見て微笑ましそうにハク先輩が笑う。
「あとねあとね、メイ……もういっこ、してほしいことがあるの」
「何でしょうか?」
僕が問いかけると、冥鬼は恥ずかしそうに汚れた指を弄りながら、遠慮がちに視線を向ける。
「えっとね……ちゅーって、して?」
そう告げた幼女の眼差しは、本気だ。
さっきハク先輩が女の子は男の子よりも精神的に大人になるのが早いと言っていたが、こんなに早く気付かされるとは思わなかった。
恐る恐る視線を彷徨わせると、何だか期待を込めた眼差しで見つめるハク先輩と、だらしなく口元をゆるませている牛乳瓶底メガネがいる。
まさかこれは、ハク先輩の前で、冥鬼にキスをする流れなのか? 待ってくれよ、正気か?
「鬼道、どうすんだよ。お姫様が待ってるぞ」
ゴウ先輩までもからかうような眼差しを向けている。
僕は少し迷ってから冥鬼の手を両手で包むと、その小さな手の甲に口付ける。僕の初めてのハンドキスは……土の味がした。
「姫、貴女はまだ幼いですから、今は……此方でお許しください」
そう告げると、冥鬼は吸い込まれるような緋色の瞳でじっと僕を見つめていた。
「メイがおっきくなったら、くちにちゅーしてくれるの?」
「えー……そ、その時が来たら──」
曖昧にそう告げた時、冥鬼はやにわに僕の右手をガシッと掴む。
「わかった」
「へっ?」
意味がわからずに聞き返す僕の目の前で、冥鬼の体が一瞬で火の粉に包まれる。
ぽかんとしている一同の前であっさりと本来の姿になった常夜の国の姫君は、ドヤ顔で僕を見下ろしていた。
「大きくなればご褒美くれんだろ? 主サマ」
そう言った少女は自信満々と言った顔で僕を下ろしていた。




