【強さと弱さ】3★
「終わった、のか……」
静まり返った血なまぐさい部屋で恐る恐る口にしたのは楓だった。力なくその場に座り込んだ八雲を心配して歩み寄る。八雲は、呼吸することも忘れたかのように黙りこくっていた。
「俺だけが、生き残ってしまった」
ぽつりと八雲の唇から呟きが漏れる。怪訝そうに眉を寄せる楓の脳裏に、オサキが口にした言葉が過ぎった。もちろん、多くを語らない八雲の心中は楓には分からない。
しかし、自らのこめかみに銃を押し付けた八雲を見た瞬間、疑惑は確信へ変わった。
「今、俺も──」
「ダメだ、八雲さん!」
楓が止めに入るより先に、冥鬼の足が八雲目掛けて大剣の鞘を放り投げた。発砲音と共に、鞘が直撃した嫌な音が聞こえて八雲が倒れ込む。楓は慌ててその体を受け止めた。
「め、冥鬼ッ……お前なぁ!?」
「悪い悪い、でも死んでねーだろ」
冥鬼は茶目っ気たっぷりに笑って舌を出す。打ちどころが悪ければ大怪我だぞ、と冷や汗をかきながら毒づく楓の腕の中で、八雲はぐったりとうなだれていた。大剣の鞘を顔面に受けて気を失ってしまったのかと心配するが、かろうじてまだ意識がある。額からゆっくりと鮮血が垂れていた。
「死なせて、くれ。尾崎の血を……ここで終わらせるには──」
そう言った瞬間、八雲の体が楓を突き飛ばす。すぐに拳銃を拾おうとする八雲の背中に、楓は全力でしがみついた。
「だッ……ダメです──終わらせる、なんて!」
楓は全身を使って八雲の体を押さえつける。拳銃を握る八雲の手を強く掴んだ楓の手から解けかけた包帯が揺れた。
「離せ!」
「嫌ですよ! 十六夜さんだって、あなたに死んで欲しくないはずです!」
「君に何がわかる!」
八雲は声を荒らげると、楓の体を床に倒した。その剣幕に怯んでしまう楓だったが、何故か今度は冥鬼も手を出さない。
「……あの男には、家族がいた」
楓は、銃を握った八雲の手を強く掴みながら黙って話を聞いていた。長い前髪の奥で、血に濡れた琥珀色の瞳が細められる。
「俺が代わりに死ぬべきだった」
楓は小さくかぶりを振る。十六夜を失い、無念に思う気持ちは楓も同じだ。それでも、これ以上誰かを失うのは嫌だった。
「僕は、そう思いません。それに──」
八雲が死んで悲しむのは自分だけではないことを楓は知っている。彼が居ないと一番困るその存在を。
ひたひたと素足で廊下を歩く音が聞こえ、八雲が音の方へ顔を向ける。そこには、部屋の入口で目を丸くしている白髪の美少年が佇んでいた。雪のような白い肌に、血を流し込んだような赤い瞳を持つ古御門家次期当主。
「八雲?」
キイチはゆっくりと瞬きをして部屋の中の惨状を見つめていたが、そっと畳を踏みしめて近づいてきた。
「どこかに、行っちゃうの? ずっとボクの傍に居てくれるんでしょ」
子供が親にすがるように、キイチが八雲の袖を掴む。八雲はその手を振り払えない。
「八雲、どこにも行かないで」
「キイチ……俺は、お前の祖父を……おじいさまを──」
八雲が何かを言いかけるが、キイチは首を傾げた。現状を理解できないはずはないだろう。部屋は荒れ、死体が転がっている。そんな状況にも関わらず、キイチは無垢な瞳で八雲を見つめていた。
「八雲が居なくなったら、誰がボクを着替えさせてくれるの?」
キイチはそう言って、戸惑う八雲の頬に触れる。キイチと目が合った楓が少しだけ唇の端を上げた。
「僕はしないぞ」
「うん、ちょっと残念だけど」
キイチは淡々とした、少しだけ柔らかな声色で返事をする。キイチにとっての八雲は、いつだって大切な家族だ。たとえ血が繋がっていなくても、キイチにとって八雲はいつも傍に居てくれた優しい兄なのだから。
「八雲さんが尾崎家の人間でも古御門家の人間でも関係ありませんよ。八雲さんは僕たちに力を貸してくれた……良い人だ」
「うん、それ。ボクもそれが言いたかった」
キイチは楓に同調して言った。なおも否定しようとする八雲の頬を、キイチの白い手が優しく撫でる。
「八雲は一生ボクに着替えをさせて、一生ボクを護って。これは、命令なんだよ」
それは拙いけれど優しい呪いの言葉だ。やがて、八雲の瞳から零れた熱い雫が頬を伝った。
「着替えくらい……一人でしろ」
くしゃくしゃになった顔で八雲が笑う。優しく抱き寄せたキイチの肩に顔を埋めて、静かに肩を震わせる。そんな八雲に寄り添うキイチの表情は、楓には今までで一番嬉しそうに見えた。
「一件落着、ってか?」
既に事切れた泰親の胴体の傍で冥鬼が佇んでいる。楓と目が合った彼女は、八重歯を見せて無邪気に笑った。既に冥鬼が斬り裂いた空間は元に戻っており、古御門泰親の首は跡形もなく消えている。
やがて落ち着きを取り戻した八雲は、楓の体の上から退いて狗神鏡也と尾崎九兵衛の死体を一瞥した。その表情には、怒りだけではない複雑な感情が含まれている。
「……すまなかった、鬼道楓」
「いいえ、僕こそ偉そうに……すみません」
「……」
「……」
互いに口下手なせいか、妙な間が空いてしまう。二人の様子を見て気をつかったのか、キイチが八雲の袖を小さく引っ張る。八雲はそんなキイチの頭を優しく撫でて、やがて真剣な眼差しで口を開いた。
「時間はかかるが……君には恩を返したい。俺一人では、奴らを殺せなかった」
「そ、そんな……ことは」
楓が照れ隠しのように視線を泳がせる。惑った視線の先で冥鬼と目が合った。冥鬼は次の言葉を待っている。卑屈でネガティブな主の言葉を。
「僕には……最高の相棒が居たから」
そう言った楓は、どこか晴れやかな顔をしていた。以前の彼とは違う成長を感じて、冥鬼が満足そうに笑みを浮かべる。
「けほっ……」
不意にキイチが小さく咳き込んだ。室内にほのかに残った妖気のせいだろう。八雲はキイチを抱き寄せて楓に目配せをすると、凄惨な室内を背にして廊下に出た。
「冥鬼、僕らも行くぞ」
八雲たちに続いて部屋を出ようとした楓は、ふといつまでも距離を置いて立っている少女に振り返る。首を傾げてもう一度『冥鬼』と呼んだ。
しぶしぶ楓に歩み寄ろうとした冥鬼だったが、畳のふちに足を引っ掛けたのか膝から転んでしまう。
「何やってるんだよ……大丈夫か?」
鬼王ともあろう冥鬼が畳の上で転ぶなんて珍しい。楓は引き返して冥鬼へと手を伸ばした。冥鬼は困ったように笑うと、楓の手を遠慮がちに握る。
「あはは……気が抜けちまったかな」
そう言って笑った冥鬼の手はいつもよりひんやりしていた。先日感じた、あの冷たさとよく似ていた。楓は迷わず冥鬼の体を抱き上げる。
「きゃっ! ちょ、楓!? お、下ろせよ馬鹿! 自分で歩けるからっ……」
「暴れるな、落とすぞ。ちゃんと掴まってろ」
足を上下に揺らして暴れようとする冥鬼の体を、楓がしっかりと抱き寄せる。思いのほか近くで楓の顔を見上げることになり、冥鬼の頬はすっかり桜色になっていた。
「うう、馬鹿ぁ……オレさまより貧弱な体してるくせに……」
冥鬼が何かを言っていたが、楓は聞こえていないフリをして今度こそしっかりと冥鬼の体を抱き寄せた。触れ合った体から自分の鼓動の音が聞こえてしまいそうで、冥鬼はキュッと目を瞑る。
「ずっと傍に居るから。お前の妖気が回復するまで」
体のことを心配して告げられたその言葉にさえ、冥鬼は顔を赤らめて身を縮こませている。彼の腕の中にいるのは既に恐ろしい鬼王ではなく、一人の少女だった。
「じ、じゃあ……メイが、ご飯食べさせてって言ったら……」
「食べさせてやる。当たり前だろ」
どこか甘えた声で尋ねる冥鬼に対して、楓の答えはシンプルだった。冥鬼は恥ずかしそうに楓の制服のボタンを弄りながらさらに問いかける。
「寝る前に、お話して欲しいって言ったら……?」
「お前が寝るまで話してやるよ」
その返答に、冥鬼がもじもじと膝頭を擦り合わせる。やがて楓の肩に頭を凭れて、小さく尋ねた。
「メイと、ずっと一緒にいてくれる?」
微睡みながら尋ねる少女を見つめ、楓は何の躊躇いもなく頷いた。
「ずっと一緒にいる」
その返事を聞いて、冥鬼の心はポカポカとあたたかくなった。恥ずかしそうに首筋へと顔を埋める。
「鬼道楓、君は……」
廊下を歩きながら、八雲が何とも言えない顔でそのやりとりを見ていた。
「何ですか」
「いや……俺には真似が出来ない」
八雲は言葉を濁していたが、不思議そうな顔で自分を見つめているキイチと目を合わせて笑う。それは今までで一番優しく、晴れやかな笑顔だった。




