【強さと弱さ】1★
「古御門先生……正直まだ、信じられません。どうして……何で、親父を」
楓が震えた声で尋ねる。聞きたいことはたくさんあるはずだった。しかし、それを言葉にしようとしても目の前の泰親の姿があまりにも変わり果てていて、言葉を失ってしまう。だから今、楓の頭の中にある疑問だけを口にした。
土気色の肌に窪んだ眼窩。異様に伸びた長く黒い爪。今の泰親の姿はまるで妖怪そのものだ。無防備に歩み寄ろうとする楓を冥鬼と八雲が庇うように、それぞれ巨大な大剣と銃を構える。
泰親は肩を震わせて笑った。
「どうして? くくく……邪魔だったからに決まっているだろう。鬼道澄真の子孫を身内に迎えたことは、古御門家にとって非常に喜ばしいことだった。あの日、すみれが命を落とすまではな」
無感情な声でそう言った泰親は、落ちくぼんだ眼窩の奥で目を細めた。
楓の母、鬼道すみれ。戸惑う楓の脳裏に逆光に照らされた女性の姿が一瞬映る。しかしそれは煙を吹き消すように記憶は朧げになり、また思い出せなくなってしまう。
「考えるな。来るぞ!」
八雲の声と共に泰親の足元から影が伸びてくる。冥鬼はすぐに大剣──鬼斬丸を構えた。
「オレさまに任せとけッ!」
「冥鬼……!」
冥鬼が好戦的に吠えて泰親へと飛びかかった。思わず楓が声を上げるが、冥鬼は泰親を傷つけるつもりはない。何よりそれは楓が望まないことだ。
(ホント、面倒くせー主サマだぜ……でも、そんなとこが)
冥鬼の体がくるりと宙を舞い、大剣が畳を斬り裂く。襲いかかろうとしていた影たちは、呆気なく冥鬼によって打ち払われた。泰親の手が後方の姿見へと触れていることに気づいた八雲は舌打ちをした。これはただの時間稼ぎだ。自分たちの注意を、姿見から逸らすための。
「ちッ──如月!」
八雲が叫ぶと、姿見から無数の蛇が飛び出して冥鬼に襲いかかった。その瞬間、八雲の号令と共に風が冥鬼の体を包み、移動させる。
「じゃ、邪魔すんじゃねえ! 気づいてたっつーの!」
冥鬼は少し上擦った声で反論すると、風から飛び出して蛇へと斬りかかった。鬼斬丸が蛇の首を斬り落としていくが、すぐにまた別の蛇が冥鬼に絡みつこうとして首を伸ばす。
「鬱陶しいぜ……オレさまを誰だと思ってやがる!」
まるで鈍器を振り回すかのように、冥鬼は大剣を使って蛇を切り落としていく。
「さすがだ、鬼王。この首ひとつひとつが我が国を震撼させるほどのチカラがあるというのに」
「はッ、雑魚の寄せ集めなんか全然怖くねえなァ?」
冥鬼は、べっと舌を出して大剣を振り払った。しかし、常夜に現界している冥鬼も無敵というわけではない。通常、式神の妖気を賄っているのは陰陽師だ。陰陽師の霊力を喰って式神は姿を保っていられる。式神が強ければ強いほど、陰陽師としての素質も高くなければならない。
「そんなに力を使っていいのか?」
古御門泰親がニヤッと笑う。彼女には時間制限があることを、当然泰親も知っている。力を使い果たせば、冥鬼の体は幼い姿へと戻ってしまう。それは楓の基礎能力が低いため。冥鬼に負担をかけているのだ。
(僕が弱いせい。そんなこと、自分が一番分かってる……)
冥鬼はそんな楓の心配をよそに、先程よりも妖気を高めて蛇の首を次々に焼き切っている。鬼斬丸には炎まで宿らせていた。
「これ以上戦いが長引けば鬼王は──使い物にならなくなるぞ」
ニタリと笑う泰親のその言葉が楓の動揺を誘うためのものなのか、それとも真実なのかは分からない。楓にも分かっていることは、冥鬼は既に限界をこえているということ。
「もう黙っとけよ、死に損ない。ジジイの言うことに耳貸してんじゃねーぞ、楓」
冥鬼は口から吐息と共に炎を吐きながら、楓が直視できないほどの熱を高めていく。
「けど、お前……昨日からずっとその姿のまま現界してるんだろ? それ以上力を使ったら本当に……」
「ああ?」
冥鬼が楓を睨みつけた。彼女が人の話を聞かず、短気なのはいつものことだ。それは楓もよく知っている。しかしその眼差しに、いつもの余裕はない。
「やっぱりお前……」
「あーうるせーうるせー! 他人の心配よりオマエは──」
冥鬼が言いかけた時、突然地面が揺れ始めた。振動の原因は姿見だ。カタカタと揺れながら、黒い鏡の中からゆっくりと黒い蛇の頭が覗く。それは先程よりも何倍も大きな頭の蛇だった。
「退け、オレさまがやってやる」
楓を庇うその指先からは白い煙が上がっている。本来の姿でいられる時間がきたのだ。しかし冥鬼はそれを誤魔化すように体に赤い熱を纏う。
「鬼王は、売られた喧嘩はぜってー買う。だから貴様も根性見せろ、楓」
その言葉に、呆然としていた楓はいつの間にか自分が傍観者でいることに気づいた。これまでの戦いで、彼は一人で戦える自信がついた。最弱だと悲観していた自分の力は、きっと冥鬼の力になれる。
(僕は……お前が羨ましかったんだ)
自信に満ち溢れ、それ以上の力を持った鬼王冥鬼。それを従える自分は、ずっと彼女の後ろにいるべきだと思っていた。自分には何の力もないから。そう思い込むことで自分の中で成長を止め、努力しているふりをしていた。
やがて震えた手のひらを開いた楓は、深く深呼吸をしてポケットから無地の札を取り出す。
「八雲さん……古御門先生を頼めますか」
「君はどうする」
八雲の問いかけに、楓の赤い瞳が黒い蛇を映した。握りこんだ無地の札に赤い文字が浮かぶ。
「急急如律令──写染、遮壁守護!」
展開した結界は、楓たちの身を守るように広がった。
「あの大蛇を仕留めます。どこまで出来るか、分からないですけど」
「はは、弱気じゃねーか」
ケラケラと冥鬼が笑った。しかし、彼女はそんな楓だから傍に居るのだ。自分の弱さを知っている彼を、冥鬼は尊敬している。戦うことを決めた彼の一番近くに居られるのは、式神である自分だけの特権だ。
(でも……最高にカッコイイぜ、楓)
冥鬼は楽しげに一度伏せた瞼をゆっくりと開く。その鋭い眼差しは、既に鬼王のものに戻っている。
その時、どこからともなく乾いた拍手が聞こえた。楓が振り返る間もなく八雲が発砲する。
「どこ見てんの、人殺し」
八雲の耳元に、ねっとりとした楽しげな呟きが聞こえた。彼が気づくよりも先に、その手は心臓をもぎ取ろうと伸びてくる。楓の助けも間に合わない。
胸板を引きちぎろうとするその手首を間一髪で斬り落としたのは冥鬼だった。
「よォ、残念だったなクソ教師」
目の前で、ゆらりと七本のしっぽが揺れる。それは変わり果てた姿の尾崎九兵衛だった。体は黒丸との戦いで傷ついていたが、狂気を孕んだ目は焦点が定まっていない。物言わぬ鏡也を一瞥した獣は、ニヤッと笑った。
「お前……本当に尾崎九兵衛か?」
手首を斬り落とされたにも関わらず、獣はニタニタと笑いながら八雲を見つめている。その瞳は赤く染まっていた。
「どうだろうね……もうわかんなくなった」
他人事のように言ってのけた獣は、ぼたぼたとおびただしい量の血を手首から流しながら八雲をうっとりと見つめる。
「あとはアンタだけだよ。ねーちゃんも、十六夜も、みんな殺した。後は古御門八雲、アンタを殺すだけ」
獣の体を纏うような煙と共に管狐が出現した。耳障りな笑い声を上げながら。楓たちを食いちぎろうと飛びかかってくる。冥鬼が大剣で斬り捨てていくが、その内の一匹が冥鬼の攻撃をすり抜けた。
「ちィッ!」
冥鬼の肩を、管狐が激突するように噛みちぎってくる。
「冥鬼、大丈夫か!?」
「大袈裟だ。かすり傷だっつーの」
冥鬼はそう言って肩を押さえたが、管狐に噛み付かれた部分はパックリと裂け、赤い血を流している。
「癒せ、水無月」
すぐに八雲が式神を使って冥鬼の傷口を治そうと試みた。
「鬼道楓、いつでも攻撃できる準備をしろ」
八雲は懐からもうひとつの拳銃を取り出した。それは、彼が鬼道柊に託された力。
「古御門泰親は──俺が殺す」
迷いを振り切るように、優しさを断ち切るように冷たい声で言った琥珀色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。




