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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
2部

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211/435

【獣が鳴く村】2★

 その村は5年に一度、村の守り神──オオカミの怒りを鎮める祭りがある。今年は村を守護する4家のひとつ、猫屋敷(ねこやしき)家の息子が祭りの中心だった。

 夜も更け、街灯もない真っ暗のあぜ道を一人の少年が駆け上がる。あまり日に焼けていないその白い肌と銀色のしっぽが闇夜に映える。彼は懸命に少年の手を引いていた。


『早くっ──立ち止まったらダメだ、八宵(やよい)!』


 八宵と呼ばれたのは猫の耳としっぽを生やしたどうぶつの少年だった。後ろが気になるのか時折立ち止まろうとするが、すぐに腕を引っ張られて少しだけ顔を顰める。

 徐々に足取りの重くなっていった八宵は、やがてアザだらけの腕を押さえて俯きがちに呟いた。


『ねえ──やっぱり、戻ろうよ。ケモノミコは、オオカミ様の受けた苦しみを受け入れなきゃいけないんだって……みんな言ってるよ』


 暗がりの中で見える八宵の瞳はぼんやりと赤く光っている。少年は聞こえないふりをした。

 ただ強く、強く手を引いて駆けていく。そんな鏡也(きょうや)のすぐ後ろで、八宵はぼそっと呟いた。


『逃げられるわけないのに』


 その呟きはとても小さかったが、彼には聞こえていた。けれど、聞こえないふりをしたのだ。

 獣鳴村(ししなきむら)の長である狗神(いぬがみ)家。その跡取りである狗神鏡也が猫屋敷八宵と出会ったのは、今よりもずっと幼い頃。鏡也にとって、年下の八宵は小さい太陽のような存在だ。彼に向ける感情が恋心に変化するまで時間は掛からなかった。

 ケモノミコに選ばれてから、八宵の様子はすっかり変わってしまった。八宵が体にアザを作るようになったのも、心が壊れたのも、全てオオカミ祭りが原因だ。これ以上村に居たら彼は殺されてしまう。そう思えるほどに、八宵の受けた傷は痛ましいものだった。


(例えこの先、どんな困難があっても……僕がこの子を護るんだ)


 鏡也は、このまま手を繋いでどこまでも逃げられる気がした。出たことの無い村の外で、人間の暮らす世界で生きることだって、それこそ常夜(とこよ)の国にだって行ける。今の鏡也には、恐ろしいものなど何もなかった。


『鏡也──』

 

 彼の後ろで黒い影が動く。八宵が何かを言うよりも前に鏡也の頭は鈍器で殴りつけられた。

 淡い夢はあっけなく打ち砕かれ、鏡也は地面に倒れ込む。


『鏡也坊っちゃん、いけませんよ。祭りの邪魔をしたら。オオカミ様がおゆるしにならないじゃないですか』


 農夫はそう言うと八宵の細腕を掴んだ。八宵は鏡也に手を伸ばそうとするが、それは一瞬のことだった。

 八宵は分かっていたのだ。獣鳴村から逃げられないと。ケモノミコとなった自分の運命から目を背けることはできないことを。

 どこからともなく、村の者たちが集まってくる。その手には農具や松明が握られていた。


『う、ぐ……』


 鏡也は意識朦朧とした状態で体を起こそうとする。その瞬間、農具が思い切り八宵の頭を殴った。八宵の体は鏡也の目の前で膝をつき、地面に倒れて動かなくなる。


『オオカミ様をこちらへ!』


 農夫は、八宵の足を引きずって群衆の中に連れて行く。鏡也と目が合った八宵は、彼を見てうっすらと笑った。血にまみれながら、鏡也に心配させまいと笑っていたのだ。


『迷惑──かけて、ごめん、ね──』


 八宵が微笑む。その瞬間、全身の毛が逆立つのが分かった。


『やめろ──!』


 鏡也が叫んで体を起こそうとする。しかし、その体は背後から押さえつけられた。彼の父親だった。


『よく見ておけ、鏡也。これが我々の犯した罪。獣鳴村の罪がゆるされる瞬間を、しっかりと目に焼き付けるんだ!』


 そう言った父親の顔は見えなかった。鏡也は信じられないものを見るような目で父親を凝視するが、すぐに引きずられていく八宵へと手を伸ばす。


挿絵(By みてみん)

『やめっ……八宵っ──その子を離せっ! 八宵はまだ子供なんだぞっ! やめてくれぇええっ!!』


 半狂乱で泣き叫びながらもがく鏡也の前で、八宵が群衆の中へと消えていく。その中でどんな凄惨なことが行われているのかは、彼らが振り上げる農具についた血を見れば明らかだ。何度も何度もそれは振り上げられて、幼い子供に向かって叩き込まれる。

 鏡也は地面に爪を立てて人とも獣ともつかない声で鳴いた。

 獣が鳴く村。それがここで5年ごとに行われる悲劇であることは、村の者しか知らない。


 目の前で繰り広げられるその惨い光景に、牛蒡(ごぼう)王牙(おうが)少年も絶句する。王牙少年はその場にへたりこむと、言葉にならない恐怖で体を震わせた。


「こんな、こと……想定外だ。ありえない。警察は何故、こんな奇祭を野放しにして……っうぐ」


 王牙少年が口元を覆って顔を背ける。振り上げた農具についた長い髪の毛が、肉の潰れる音が、離れない。王牙少年はとうとう本殿から飛び出すと、つんのめって地面に倒れ込んでしまった。


「お、おい! 何やっとんねん御花畑(おはなばたけ)!」


 王牙の後を追ってのろのろと本殿から出た牛蒡は、倒れた王牙少年の前にシロツメクサの花束を持った一人の少女が立っていることに気づく。それは狗神鏡也にそっくりな銀色の犬耳としっぽを持つ、儚げな少女。彼女も彼らと同じ光景を見たのか、顔が悲しげに歪んでいる。


「どうぶつに、人間の法律は適用されません。オオカミ祭りで人間に危害を加えたことはありませんから」


 その声に、蹲っていた王牙少年が顔を上げる。声の主は、彼にとって忘れもしない命の恩人。

 以前よりもずっと大人びた顔をしてそこに立っていたのは、狗神織姫(いぬがみおりひめ)──彼の婚約者だった。白いワンピースの似合う、どうぶつの少女だ。


獣鳴村(ししなきむら)のこと……嫌いになりましたか? 王牙様」


 織姫の問いかけに、王牙少年は顔を顰める。彼女の言葉は、よく聞こえない。思わず何かを言おうとするけれど声が出なかった。凄惨な状況を目の当たりにしたショックと、彼女の前で強がろうとする気持ちが追いつかず、やがてむせるような呼吸を繰り返してしまう。


「はあ、はあっ……織、姫……げほっ……」


 見かねた牛蒡が大きな手のひらで王牙少年の背中を強めに何回か叩き、それからゆっくりと撫でる。


「落ち着け。息吸って……ゆっくり吐くんや」


 王牙少年は言われるままにひきつったような呼吸を繰り返す。やがて、王牙少年を心配そうに見つめていた織姫が静かに語り始めた。


「お兄様──狗神鏡也は、八宵様が亡くなってすぐ家を飛び出して……獣鳴村に帰ることはありませんでした。それがつい先日、ここへやってきたのです。あなたを、連れて」


 織姫が牛蒡をまっすぐに見つめている。狗神鏡也と同じ銀色のしっぽをゆっくりと振りながら。


「ま、待て待て待て! 何でお嬢ちゃんには俺らが見えとるん? これはあの箱の幻術やろ?」


 牛蒡の問いかけに、織姫は胸元に下げた勾玉のペンダントを大切そうに握りしめる。


「そうですね。これは幻──私にとっては夢の中の出来事です。けれど、あなた方にとっては違うのでしょう?」


 織姫はそう言って微笑むと、王牙少年の傍へと近づいて再び問いかけた。


「王牙様……これでも、私を妻に迎えたいですか? あなたは、御花畑王牙として幸せになる道もありますもの──」


 彼女の声にノイズが混ざって上手く聞き取れないのは、呼吸が落ち着いたとは言え、まだショックが抜けきれていないせいだろう。王牙少年は眼鏡を外して袖でごしごしと涙を拭った。裸眼では全く見えない少女の顔が、少しだけ泣きそうに見える。

 やがて彼は、再び眼鏡をかけて強がる声とも怯えたような声とも違う、静かな声で答えた。


「御花畑王牙に……二言などない」


 そう言って、よろめきながら体を起こす。眼鏡のブリッジを押し上げて、不安そうな顔をしている織姫へ歩み寄りながら言った。


「獣鳴村の人たちも織姫も、この御花畑王牙が護ってみせる!」


 凄惨な光景を目にして顔を背けてしまった少年はもう居ない。ボリュームのあるしっぽを穏やかに振りながら、織姫が静かに瞼を伏せる。


「王牙様、それはあなたに大変苦しい選択をさせるかもしれません。私はあなたを突き放すべきなのでしょう。けれど──」


 やがて織姫は花束の中からクローバーを抜き取って王牙へと差し出した。


「私は、王牙様と夫婦になりたい」


 王牙の手に、優しくクローバーが握りこまれる。

 結婚をするまで会わないと決めていた王牙にとっては想定外の再会となったが、目の前に居るのは間違いなく初恋の少女だ。


「──」


 しかし、なぜか王牙には彼らの声が途切れ途切れに聞こえる。それは本殿の扉が開け放たれてからずっと起きている現象だったが、時間を経つごとに酷くなっているようだ。

 徐々に、彼らの声は遠ざかっていく。王牙は強烈な目眩を覚えてその場に膝を着いた。そんな王牙を心配してか、肩に誰かの手が触れた。恐らく牛蒡の手だろうと王牙は思った。


「想定……内だ、問題ない──」


 呼吸を整えてゆっくりと顔を上げた王牙の視界が一変し、濃霧に包まれた管狐の顔が飛び込んでくる。


「──なっ!?」


 何が起きたのか分からずに目を見張る王牙を嘲笑うように、管狐の体当たりによって床に転がされた。


「ぐあっ!」


 倒れ込んだ王牙は、床を手探りで触りながら吹き飛ばされた眼鏡を探す。眼鏡がないせいで余計に視界がボヤけた。


「ちっ……一体何が、起きた……」


 眼鏡を探す王牙の指に、植物の葉が触れる。顔の前に近づけて確認すると、それは織姫に渡された四つ葉のクローバーだった。

 瞬時に、先程見たものは夢でも幻でもないと確信する。


「小田原っ……無事か!?」


 周囲を見渡すが返事はない。どうやら牛蒡は近くに居ないようだ。あるいはまだ()()()に居るのかもしれない。王牙は舌打ちをして眼鏡を探すのを中断し、拳銃を取り出した。


「……この御花畑王牙を、なめるなよ」


 拳銃を向けられた管狐はケタケタと笑いながら王牙を威嚇するように口を開ける。注意深く狙いを定め、拳銃の引き金を引こうとしたその時。王牙の目の前で大鎌が唸り、管狐の体は真っ二つに引き裂かれた。


「王牙様、襲われる時は一声ください」


 涼しい声でそう言ったのは彼の使用人、カトシキだった。相変わらずの毒舌に王牙は言葉を失ってしまうが、すぐに我に返る。


「──遅いぞ、カトシキ」

「無断でホテルから飛び出した王牙様に言われたくありません。御花畑の男子が朝食を抜くなんて馬鹿の極みです」


 悪びれもしないどころか言いたい放題口にするカトシキに、王牙は思わず閉口してしまう。しかし、濃霧の先から次々と管狐がわいてくるとカトシキの大鎌が王牙を視界を塞いだ。


「王牙様、何か仰りたいことは?」


 カトシキが王牙を見ずに問いかける。大鎌に反射する自分の顔を見つめた王牙は、その顔を見て思わず笑ってしまった。


(これが織姫を護ると言った男の顔か?)


 大鎌に映る怯えたその顔は、まるで子供そのものだ。自嘲気味に笑った王牙は、片手で顔を押えて前髪を払った。


「全て想定内だ。邪魔者を排除し、俺のために道を開けろ」


 その命令を聞いたカトシキは、管狐を一瞥した後やがて自分の唇をぺろりと舐める。


jawohl(かしこまりました)


 彼が短く答えた瞬間、その身は黒い翼に包まれ、巨大な異形の化け物へと変貌するのだった。

 異様に伸びた角に、大きな翼。バフォメットとも呼ばれる西洋の悪魔、カトシキ・ユヴェーレン。御花畑家の使用人にしては些か凶悪な存在だが、その仕事ぶりは丁寧で正確だ。そんなところを、王牙も彼の父も信頼している。

 そして、悪魔は怪異への対処もその大鎌でそつなくこなす。


「どうぞ、王牙様」


 山羊が眼鏡を拾い上げて王牙に差し出す。彼の命令通り邪魔者は取り除けられ、道は開かれた。王牙はそれを受け取ると、キズがないことを確認して装着する。


「すぐに狗神鏡也を探して逮捕する。俺に続け」


 彼が例え織姫の兄だとしても、彼のしていることは犯罪に他ならない。王牙は拳銃を手にしたまま廊下を進もうとした。


「申し訳ありませんが──王牙様」


 その瞬間、背後からカトシキの声が聞こえて王牙の体は軽々と担ぎ上げられる。


「チェックアウトの時間です。一度ホテルへ戻って荷物を引取りにいかないと」

「な……馬鹿なのかお前は!?」

「馬でも鹿でもありません。山羊です」


 サラッと言い放った悪魔は、王牙が暴れるのも構わずに身を翻す。廊下の先で渦を巻くような濃霧を一瞥して。


「……それに──間もなく死ぬでしょう、あれは」


 体の上で文句を言っている王牙の言葉を聞き流しながら、カトシキの視線が濃霧の先に向けられる。しかし敵意を向けることなく身を翻したカトシキは、もがく王牙を担ぎ直して古御門家を後にした。


 彼らが去ったその場を、濃霧から生まれた無数の管狐がぐるぐると巡回する。ケタケタと笑った管狐たちは脅威が去ったことを互いに報告し合うように集まると、我先に濃霧の中へ舞い戻る。

 管狐たちが向かった先には、ずっ、ずっ、と引きずるような音を立てて濃霧の中を移動する人影があった。それは近づいてきた管狐たちを、まるで羽虫を追い払うように──あるいは煙草の煙を払うように片手でかき消す。

 人影の進んだ跡には長い長い血溜まりと、床を引きずった時に抜けたであろう金色の体毛が残っていた。

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