【鬼火】4
「……ッ冥鬼!逃げろ!」
剣を持って踏み出した瞬間幼い姿に戻ってしまった冥鬼は、何が何だかわからない様子でキョトンとしていたが、勢い余って顔から転んでしまった。目と鼻の先には鬼火がいるのに、何だってこんな時に元の姿に戻ってしまうんだ……!
いや、僕がくだらないことで口を挟んで彼女の足を引っ張ったからだよな……。
慌てて、すぐに冥鬼を救うために御札を取り出そうとするが、それより先に甲高い声に遮られる。
「ま、待って待ってよお! 話を聞いておくれ! 後生だからあ!」
ぶんぶんと両手を振りながら叫んでいたのは、僕達に敵意を向けていたはずの鬼火だった。
心なしかさっきよりの火の勢いが弱い。
「な……なんだコイツ。命乞いかよ、ユーレイのくせに」
頭痛が止んだらしいゴウ先輩が訝しげに口を挟む。
「し、式神使いの陰陽師だなんて知らなかったんだよぉ! 退治しないでぇ!」
あたふたと炎を揺らめかせながら逃げようとする鬼火に歩み寄った僕は、御札をチラつかせながら問いかけた。
「じゃあどうして夕方、僕を襲ったんだ?それだけじゃない、ハク先輩まで──」
「ご、誤解だよお!」
鬼火は大きく炎を揺らめかせて叫ぶ。
そして、未だに気を失っているハク先輩と部長を見つめた。
「あの子たちのことは驚かせちゃって悪い事をしたと思ってるよ……でも、誰だって人が気持ちよく寝ているところに大勢で押しかけられたらびっくりするじゃないか!」
「まあ……たしかに」
鬼火の言うことも一理ある。
妖怪に限らず突然夜に押しかけられたらびっくりする……か。
僕は鬼火の意見を聞き入れると、御札をケースに仕舞った。もちろん、濡れた御札はさすがにケースには入れられない。……家に帰って清める必要がありそうだ。
「僕たちは学校の七不思議である焼却炉について調べてたんだ。それが結果的に、学校に貢献することにも繋がったらいいなって……って思ってた部分もあるかもしれない。驚かせてごめん」
「おいおい、鬼道……陰陽師が妖怪に謝るのかよ。つーか、そもそもの原因は馬鹿千穂だぜ」
ゴウ先輩がちょっと肩を竦めて、気を失ったままの部長を見ながら言う。
きっかけは確かに部長の一声だったかもしれないけど、自分の意思で学校に来たのは僕だ。そして、僕の技量が無いばかりにみんなを危険な目に遭わせてしまった。
「ゴウ先輩、危険な目に遭わせてすみませんでした」
そう言って頭を下げると、ゴウ先輩は少し困ったようにネコミミを伏せて唇を尖らせる。
「この焼却炉をハクや馬鹿千穂に教えちまったのはオレだぜ。こっちこそ……ごめん。それと、助けてくれて……ありがと、な」
そう言って、ゴウ先輩が小さな手を伸ばす。その手を遠慮がちに取ると、力強くぎゅっと握りしめられた。
やがてどちらかともなく安堵の笑みを浮かべる。
「その、ゴウ先輩……ハク先輩たちには僕や冥鬼のことは……」
「いーぜ、黙っとく。つーかそっちのチビは大丈夫か? だいぶ派手に転んでたろ」
ゴウ先輩は、顔面から転んでしまった冥鬼と同じ視線になるようにしゃがみこんで優しく頭を撫でた。
顔面が汚れてしまった冥鬼は、すんすんと鼻をすすりながらグズっていたけど、ゴウ先輩に慰められると顔を上げて泥だらけの顔で『痛くないもん』と強がる。
「このチビは妖怪……なんだよな?」
「冥鬼は──こことは違う世界から来ました。僕は彼女と契約を結んで、妖怪を倒してるんです。それが陰陽師の──鬼道家の収入源なので」
僕は簡単に説明をする。ゴウ先輩は難しそうに首を傾げると、僅かに表情を歪めて頭を押さえた。
「だ、大丈夫ですか? さっきも辛そうでしたけど」
「にゃ……気にすんな、ただの偏頭痛だ」
とても大丈夫そうには見えないけれど、ゴウ先輩は頭から手を離して鬼火へと向き直る。
「……で、こっちのユーレイはどうするんだ?」
「僕の役目は人に害を及ぼすモノを退治することです。しかし、この鬼火はもう戦う気はないみたいですよ」
僕はそこまで言うと深く息を吸い込んだ。倒されるとでも思ったのか、鬼火がぷるぷると震えている。
「みんなを驚かせた罪は不問にするよ。僕らも君を驚かせてしまったし」
僕の発言に、その場にいた誰もが目を点にしたことだろう。
鬼火は炎で出来た両手を合わせて僕を見上げた。
「ほ、ほんとかい?」
「ああ」
僕は深く頷きを返す。
鬼火はしばらく僕の心中を探るように炎を揺らめかせていた。
「アンタ、お人好しだね……普通は退治するだろ? アタシはアンタたちに危害を加えようとしたのに」
「陰陽師は無差別に妖怪を倒すわけじゃない。あくまでも、人に悪意を持って悪さをする妖怪を退治するんだ。君はちゃんと反省してる。だから退治する必要は無いと思った。……それじゃダメかな」
そう問いかけると、鬼火はぶんぶんとかぶりを振った。
「……そっか、陰陽師は悪い奴ばっかりじゃないんだね」
噛み締めるように呟いた鬼火が口を閉ざす。
しばらく黙っていた鬼火は、やにわに火の勢いを強めて僕に詰め寄った。
「じゃあさ、見逃してもらえたお礼にアタシが協力できることなら何でも聞いておくれよ! 答えられる範囲で答えるから!」
「助かる。早速変なことを聞くようだけど……何か学校に貢献出来そうなことって思いつかないか?」
僕は鬼火に敬意を払って膝をつく。
顔をごしごし擦っていた冥鬼も真似をして、その場にペタンと座り込んだ。
「うーん……無難かもしれないけど、奉仕活動とかどうだい? 人間は綺麗好きだから、学校が見違えるように綺麗になったらみんな喜ぶと思うなァ」
僕の質問を聞いて真面目に首を傾げていた鬼火は火の粉を散らせながら両手を叩いた。
そんな鬼火の提案に、僕とゴウ先輩は顔を見合わせる。
「奉仕活動って、校舎中を掃除するとか?」
「やーなこった。美化委員じゃあるまいし……」
ゴウ先輩はめんどくさそうに肩を竦めてみせる。
悩んでいる様子のぼくたちを見て、もう一度考える必要があると感じたのか鬼火が難しそうに腕を組んだ。その時だ。
「プール開きに備えて、プールの掃除──なんてどうかしら?」
鈴の鳴るような声で問いかけてきたのは、気を失ったまま倒れていたハク先輩だった。
ゴウ先輩が慌てた様子で駆け寄る。
「ハクッ!気がついたのか?」
「うん、たった今だけど……その子が焼却炉のユーレイさんなのね?」
ハク先輩は、妖怪を見ても特に驚いた様子は見せない。
怖がる様子もなく近づいてきたハク先輩に、逆に鬼火が身を縮こませていた。
「お、襲ってごめんよぉ……」
「いいの。あたしたちこそ驚かせてごめんなさい。怖かったでしょう?」
ハク先輩はすまなそうに小さくなっている鬼火に微笑みかける。そんなハク先輩の微笑みに心を打たれてなのか、鬼火はぷるぷると身を震わせていた。
先輩の優しさに鬼火が感謝を述べる傍ら、僕たちは再び学校への奉仕活動について考えこむ。
「プール掃除は確かに大事です。けどまだプール開きは先ですよ。今は四月ですし……」
「うーん……それじゃあゴミ拾いとか?」
「ふん、ちっちぇーな」
小さいのは先輩の背丈では? と思わず口にしてしまうと、ゴウ先輩は涙目でぷるぷるしながら僕を見つめる。
心の中で留めておくだけのつもりだったのに、えらいことを口にしてしまった。
「ゴウくんは何か思いつかない?」
男同士の友情に亀裂が入りかけたことなんて気にせずにハク先輩が尋ねる。
不意に話を振られたゴウ先輩は、小さな指を顎に当てながら眉を寄せた。
「にゃっ? す、捨て猫の保護……とか?」
「学校と関係ない、と日熊先生に一蹴されそうですね……」
「うっ、うるせーにゃ! オマエちょっと身長が高いからって結構ズバズバ言うじゃねーか! 喧嘩売ってんのかにゃ!」
ゴウ先輩がネコミミを逆立てて威嚇行動に出る。なぜだか分からないが完全に怒らせてしまった。
「ご、ゴウ先輩すみません、でも僕は平均より身長は低い方でちょっと気にしてて……」
何とかゴウ先輩の怒りをしずめようと試みるが、今のゴウ先輩はまるで拗ねた時の冥鬼みたいだ。身長が低いなんて謙遜通り越してイヤミだとか、どーせオマエは猫派じゃなくて犬派なんだろとかわけのわからないことを喚いている。
すると、今まで手持ち無沙汰だった冥鬼がふと口を開いた。
「おはなさん、げんきないね……」
そう言った冥鬼の前には花壇がある。花はいずれも小さくて、未だにつぼみのものも多かった。
「ここは昼間も日当たりが悪いから花が育たないんだよ。このままじゃつぼみのままで枯れちまうね」
鬼火がふわふわと冥鬼の傍に来ると、花壇を照らしながら親切に説明をしてくれる。
すると、僕に掴みかかって(というよりもしがみついて)いたゴウ先輩が鬼火と冥鬼の会話に気づいて花壇に目を向けた。
「そういえば……園芸部が廃部になっちまった、って校長が困ってたにゃあ……」
「園芸部って廃部になったの?」
ハク先輩が僕らのやりとりを軽くスルーしながら目を丸くするとゴウ先輩がこくんと頷いて僕の制服から手を離した。完全に皺になってるぞ、これ……。
「園芸部は三年が一人でやってたんだよ。去年は特に新しい部活が次々に出来て、新入部員が入らなかったんじゃねーか?」
「そうだったんだ……」
ハク先輩はゴウ先輩の話を聞きながら冥鬼の隣に屈むと、頭を下げてしまっている花を見つめて少し考え込んでから、おもむろに立ち上がった。
「わたしたちで、学校の花壇を綺麗にしない?」
「にゃ!?」
ハク先輩の提案に素っ頓狂な声を上げたのはゴウ先輩だった。
「お、オレたちは園芸部じゃねーんだぞ。花の手入れなんて、やりたい奴にやらせれば……」
「うーん、やっぱりダメよね……」
ハク先輩が困ったように肩を落とす。
いや、でも待てよ。園芸部不在の学校で花の手入れをして美化活動をする……これって学校に貢献出来るんじゃないのか?
「やってみませんか? いっそのこと、花壇を全部綺麗にして、校長先生を味方につけるんです」
僕の提案に、自分の意見が採用されて嬉しいのかハク先輩が嬉しそうに両手を合わせる。
「ゴウくんっ、どう?」
「うぐぅ……勝手にしたらいいにゃ。馬鹿千穂がやるって言うかはわかんねーけど」
彼はネコミミをピコピコと揺らしながら腕を組んで唇を尖らせる。
僕らのやりとりを楽しげに見ていた鬼火は、やがてピョンピョンとジャンプをしながら火のついていない焼却炉の中に飛び込んだ。
そして、ひょこっと豆粒のような頭をのぞかせる。
「そうだ。陰陽師の兄ちゃん。ひとつ誤解を解いておきたいんだけど」
「うん?」
小声で話しかけてきた鬼火に気づいて焼却炉に近づくと、彼女は炎を小さく揺らめかせながら言った。
「放課後、兄ちゃんを襲ったのはアタシじゃないぜ。陰陽師狩りの仕業だ」
「陰陽師……狩り? 何だよ、それ」
やけに声をひそめて言った鬼火は、もっと近くに寄るように僕を手招く。
僕は首を傾げた。
何だか、鬼火の様子が引っかかる。
「……どうした?」
「さ……最近、妖怪や陰陽師を襲う事件が多発してるみたいなんだよ。だからアタシも警戒しててさ……も、もっと詳しく聞かせてあげるから、こっちに来なよ」
鬼火はしどろもどろになりながら炎を揺らめかせている。
僕は自然に御札ケースに手を伸ばした。すると鬼火は、逃げるように焼却炉の中へと飛び込んでしまう。
「な、何だよ……一体」
鬼火の奇妙な行動に、僕は眉を寄せた。彼女は僕達に敵意は無くて、さっきも協力的だったじゃないか。
なのに今の行動は何というか──言葉は悪いが、騙されてるみたいでモヤモヤする。
僕は自然と、焼却炉の傍から離れた。
鬼火の言った陰陽師狩りについてでも考えてみるか。
陰陽師、狩り。
それは僕にとって初めて聞く話だった。妖怪ではなく陰陽師を狙うってことは、犯人はライバルを減らしたい同業者、ってことになるが……。
だけどそんなことはありえない。
人間に手を下したら日本の法律が黙ってない。当然ながら陰陽師の資格を剥奪される。法を犯してまで、陰陽師狩りなんてする意味が無いんだ。
何より、この話をした鬼火の様子も、どこか妙だった。この話を丸々信じていいのか、僕には分からない。
そして、放課後に襲ってきたあいつがもし鬼火(本人は否定してたが)だとしたら……どうして僕の命を奪わなかったんだろう?
命を狙うことが目的じゃなかった、とか?
「おにーちゃん?」
僕の袖を、ケロッとした顔の冥鬼が引っ張る。
「またメイがまもってあげる!」
屈託のない笑顔でそう言った冥鬼に和まされると共に、あのまま元に戻った冥鬼が鬼火に襲われていた時のことを考えてゾッとした。
僕がもっと強ければ、冥鬼のことをサポートするだけじゃない。みんなを危険な目に遭わせることもなく、一人で解決できたはずなんだ。
僕がもっと強ければ。
「ありがとう、また……頼むよ」
僕は、ぎこちない笑みを浮かべて冥鬼の頭を撫でると、誰にも聞こえないように静かなため息をついた。




