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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
2部

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204/437

【呪いの木箱】★

「長旅お疲れ様でした、牛蒡様。お加減は如何です?」


 狗神が尋ねると、牛蒡は手に持ったミネラルウォーターのボトルを傾けて口に含んだ。戦いの後に吐血していた牛蒡だが、今はずいぶん落ち着いているようだ。


「鳥飼の薬は良く効くでしょう? わざわざ遠出をした甲斐がありましたね」


 そう言って笑った狗神は、少し間を置いてから眼鏡のブリッジに指を当てる。

 賑やかな玄関を避けるように裏口で停められた車の中から体を起こした彼は、助手席に近づいてドアを開ける。そこには、虚ろな目をした小田原牛蒡が乗っていた。


「私はこれから古御門先生の元に行かなくてはなりません。牛蒡様もぜひご一緒に」


 にこやかに話しかける狗神の言葉に反応した牛蒡は、まるで機械のようにゆっくりと車を降りる。裏口から古御門家へ上がった狗神の足元に濃霧が広がる。それは九兵衛によるものだと狗神はすぐに分かった。濃霧に混じって、彼特有の煙草の匂いがする。


「やれやれ、あの子は──楽しんでいるようですね」


 低く笑って、狗神が舌なめずりをした。

 尾崎九兵衛──彼はオサキの器として、期待以上の活躍をしてくれている。呪われた尾崎家の子供を養子に引き取り、大切に育ててきた狗神にとって子供の成長は喜ばしいものだ。

 尾崎七月海を殺した時、多少なりとも非難されるものだと思っていた。九兵衛が小学生の時まで共に育った姉の命を奪ったのだから。彼女の死が悲しくないのか尋ねると、九兵衛は笑って事切れた姉の髪にキスをした。


 今、九兵衛の中には複数の命が集められている。それは彼の母であり、兄や姉たちの命だ。九つの魂を得ることで九兵衛はオサキとなり、狗神の理想を叶える。

 濃霧の漂う廊下を進もうとした時、彼らの背後で足音が聞こえた。


「やはり、俺の推理は想定内だった」


 強ばったその声と共に、拳銃を構えた少年が近づいてくる。狗神は、わざとらしくやれやれとため息をついて振り返った。成人にはまだ数年遠い少年が、狗神の背後に立っている。拳銃を所持してはいるが、どうやら相手は人間の子供。傍に仲間がいる様子もない。つまり、問題なく始末出来るというわけだ。


挿絵(By みてみん)

「貴様が小田原牛蒡を洗脳し、誘拐した犯人だな」


 その言葉に、氷のように無反応だった牛蒡の瞳が僅かに揺れた。狗神は拳銃を構えた少年を見つめても動揺することなく穏やかにほくそ笑む。


「正義感が強いのは良いことですが……ごっこ遊びは程々になさい。それから──」


 彼の背後で揺れる銀色のしっぽを見て少年の注意が逸れた瞬間、狗神がパチンと指を鳴らした。


「歯向かう相手は選びましょう」


 狗神の懐から管狐が飛び出してくる。少年を噛み殺すべく大きな口を開けた管狐に拳銃を向けた少年は躊躇わず発砲した。管狐の動きは素早いものだったが、少年は即座に管狐を撃ち抜く。


「……ほう?」

「この御花畑王牙を舐めるなよ」


 少年はそう言って狗神に拳銃を向ける。拳銃を握った手が震えていた。拳銃の扱いに慣れていないのだろう。どうやら反動で手を痛めたようだ。煙となって消滅した管狐を見つめて、狗神が楽しげに目を細める。

 この少年、強がっているが脅威ではない──そう理解した狗神はわざとらしい拍手を送る。


「素晴らしい。では……こういうのはどうでしょう」


 狗神の言葉と共に、少年の足元から管狐が飛び出す。足首に巻きついた管狐を撃ち抜くが、連続発砲で手を痛めたのか少年の表情が歪んだ。拳銃を握る手を庇うように押さえ込んだ瞬間、もう一本の管狐が彼の手に巻きついてくる。


「なッ……」


 攻撃を防がれ、少年が焦る。狗神は、あえて管狐をそのままにさせて楽しそうに近づいてきた。少年の視界で、どこかで見たことがある銀色のしっぽが揺れている。


「怖がらなくて大丈夫ですよ。痛みを感じる前に、あなたは堕ちる」


 その猫撫で声はとても優しく穏やかなのに、冷たくて冷酷だ。すぐに管狐を振り払わなくてはいけないのに、少年の腕に強く巻きついて食いこんだそれは簡単に離れない。その腕を狗神が掴むと、強気だった少年の表情に僅かな恐怖が見えた。


「この御花畑王牙に恐怖などない」


 けれどすぐに狗神を睨みつけるその眼差しは、正義感が強くて眩しいほどだ。彼のたった一声で、この無力な人間の命はどうにでも出来る。今すぐその心臓を喰い破ることも、彼の意のままに操ることも……。

 それでも、敵わないと分かっている大きな存在にも少年は自分の正義を示そうとする。かつての狗神自身がそうだった。世の穢れをまだ知らない少年に過去の自分を重ねて、狗神の心にさざ波が立つ。


「──おや」


 そんな少年から懐かしい匂いを感じた。その匂いの正体を口にするよりも前に、少年が身を捩る。


「くッ、カト──」

氷刃風舞(ひょうじんふうぶ)!」


 少年の口が誰かを呼ぼうとしたその瞬間。氷の刃が風に乗って少年の腕を拘束する管狐を切断した。目の前で散る氷の結晶に、少年はもちろん狗神さえも驚きを隠せない。

 狗神が振り返ると、そこには彼が操っていたはずの小田原牛蒡の姿があった。


「お前、正気に戻ったのか」


 少なからず怯んでいた少年が拳銃を構えたまま戸惑ったように牛蒡を見つめる。狗神はわざとらしいため息をついた。どうやら術が解けてしまったようだ。


「ふん……今の状況、ちんぷんかんぷんやけど調子ええわ。今ならお前をコテンパンにするくらいコイツを連発してもへっちゃらやで、狗神」


 牛蒡が札を取り出して狗神に向かって構える。前と後ろで二人に挟まれた狗神は、眼鏡のブリッジに指を添えた。


「仕方がありません……先にあなた方で試すとしましょうか」

「何?」


牛蒡が聞き返したその時。狗神の懐から小さな木箱が取り出された。ゆっくりと木箱の蓋が開けられ、それは解き放たれる。


「現世に恨みを残して封じられた、守り神の呪いを──その身でたっぷり味わってください」


 狗神の声と共に、彼らは木箱から溢れる強い光を浴びた。それは妖気にも似ていたが、狗神の言うような恨みや悪意とは違っている。優しく眠気を誘ってくるそれに抗えず、強い目眩を感じて立ちくらんでいる少年の頭を掴んだ牛蒡は、彼を庇うように地面に伏せた。


「ぐッ……何が呪いや! 氷刃──」


 牛蒡の手の中でくしゃくしゃになった札が術式を描こうとするが、それを小さな手に掴まれたような感覚に襲われる。小さな手は、牛蒡と少年の頭をそれぞれ優しく撫でた。


「う……」


 それは幼かった娘が優しく頭を撫でてくれた時の感覚にも似ている。やがて牛蒡自身も、抗えない力を前にして瞼を伏せた。牛蒡たちを見下ろす狗神の姿が、闇に溶けて消えていく。

 眠るようにして堕ちた二人を確認した狗神は、そっと木箱に蓋をする。木箱の中に眠る確かな呪いを確認したその目は、悦びと狂気、そして深い憎しみに満ちていた。

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