【鬼火】3
「ゴウ先輩……」
僕は目を丸くして、暗がりでもハッキリと分かるその特徴的なネコミミを見つめていた。
「き……鬼道、もう少し小便しててもよかったんだぜ……」
「いや、僕にも掛かってます……水」
息を切らしたゴウ先輩は、カラになったバケツを蹴り飛ばしながら強気に笑う。だがその小さな体は震えていて、虚勢であることは明らかだった。
僕と共に水をかけられた鬼火は多少体に纏った火を弱めたが、すぐに全身の毛を逆立てるようにして炎の勢いを強める。
「人間の分際でッ……よくもやってくれたね!」
ヒステリックに叫んだ鬼火は、逆立てた火のトゲを勢いよくゴウ先輩に向けて降りまく。
僕は考えるよりも先に、慌ててズボンのポケットの中から御札ケースを取り出すと、その中に仕舞われた一枚の御札(もちろん未使用のやつだ)を投げた。
「き……急急如律令──煉獄炎護ッ!」
僕がそう叫んで御札に込められた氣を解放すると同時に、御札から噴き出した炎の壁が網目のように広がってゴウ先輩の体を守る。
さすが、総連から支給されている御札は強力だ。僕みたいな凡人ですらこの御札のおかげで、多少は陰陽師らしいことができている。
「き、鬼道……今、何を……にゃッ……」
慌てて目を瞑っていたゴウ先輩だったが、自分の体が無事であることに気づくと不思議そうな顔を向ける。
しかしすぐに、ゴウ先輩は頭を押さえてうずくまってしまった。
「先輩……!? 大丈夫ですか?」
すぐに先輩の体を支えて容態を確認する。
先輩は、頭を押さえて表情を歪めながらも強気に口を開いた。
「うにゃあ……平気だ。それより……ハクたちを守らなきゃ」
そう言いながら、ゴウ先輩がよたよたと立ち上がろうとする。僕達の後ろには、気を失っているハク先輩と、部長が居る。おそらく、鬼火が現れた時に驚いて気絶してしまったんだろう。
ハク先輩を、身内を守らなきゃならないからこそ、ゴウ先輩は倒れるわけにはいかないんだ。
(なら、僕も……)
平穏な学生生活を送りたかったが、今は僕の役目や冥鬼の正体を隠している場合じゃない。緊急事態なのだから守秘義務もへったくれもないし、何より今、ハク先輩を守れるのは……。
「先輩は下がっていてください。頼む、冥鬼!」
「はーいっ!」
僕は、よたついているゴウ先輩を下がらせて冥鬼を呼ぶ。すぐさま軽い足取りでぴょんっとジャンプをした冥鬼は元気のいい返事をした。僕は冥鬼の頭に右手を添えて、例の言葉を口にする。
「鬼道の名において命じる……式神冥鬼よ、顕現せよ──!」
僕の言葉と同時に、右手の数珠が赤く光り輝く。幼女の体は爆炎に包まれて姿を変えた。
彼女の体を身に纏うのは、小さな冥鬼と同じ桃色のワンピース、そして髪には僕が結んだリボンがみつあみの先で揺れている。
炎の中から現れた年頃の少女は、つり目がちの緋色の瞳で鬼火を見据えるとニヤリと口の端を上げて笑った。
「よお炎使い……次はオレさまと遊ぼうぜ」
「ひッ!? あんた……し、式神なのかいッ!? じゃ、じゃあその人間は……」
先程の威勢の良さはどこへいったのか、鬼火は狼狽えながら炎の勢いを弱める。
冥鬼は勝ちを確信したと言わんばかりに鼻で笑うと、手のひらから炎を出現させてそこから長い刀身を引き抜くなり怯えている鬼火に向かって高らかに宣言した。
「こいつは最強の陰陽師、鬼道楓。そしてオレさまは、楓の頼れる最強の相棒──冥鬼サマだぜ」
「僕は最強じゃないけどな」
冷静にツッコミを入れると……どうやら聞こえていたらしく、冥鬼がチッと舌打ちして振り返った。
「楓ぇ、何でオマエはそう後ろ向きなんだよ。オレさまの楓は最強──」
「べ、別に、今はそういうのいいから……」
言い合いになることを危惧しながらさりげなく話を逸らそうとする僕に、冥鬼は大きなため息をつくと刀身に赤く揺らめく炎を纏わせ始める。
「ったく……なら楓、オレさまの獲物にオマエの力を貸せ。あの目障りな火を消し飛ばして一気にキメてやるぜ」
「えっ……でも、お前一人で何とかなるだろ? いつもみたいに刀でバサッと……」
僕が口を挟もうとすると、今度こそ噛みつきそうな勢いの冥鬼が僕を睨んだ。
「うっせえ! 陰陽師の力が必要だっつってんの! ほらっ!」
冥鬼が視線だけで僕を急かす。突然怒り出した彼女の真意は全く分からない。分からないけど、さらに反論すると僕のほうこそ真っ二つにされそうだ。
「わ、わかったよ……急急如律令──」
僕は力なく答えると、クシャクシャになった御札を翳した。
──急急如律令、聖天鬼雷。
クシャクシャの御札から放たれた光が雷のように冥鬼の刀身へ落ちる。悪しき者を天へと還し、鬼の雷を与える力を纏わせた。
「んにゃッ!? こ、これって、さっきの……」
冥鬼が恥ずかしそうな顔をして振り返る。僕は手に持ったままの御札を見て固まった。
未だに水分を蓄えたその御札は、冥鬼が用を足した後の……いわゆる使用済みの御札だ。
「ご、ごめん! 悪気があったわけじゃないんだ! 本当に!」
慌てて御札を後ろ手に隠す僕を、冥鬼が文字通り般若のような顔で見つめている。
冥鬼は、ぷるぷると震えながら切っ先を僕に向けた。
「絶対わざとだッ! 楓のエッチスケッチワンタッチ! オマエからぶった斬ってやろーかッ!?」
「ご、ごめん……! って冥鬼、今はふざけてる場合じゃない!」
真っ赤な顔でぎゃあぎゃあ喚いている冥鬼に平謝りしていた僕は、すっかり呆れ顔のゴウ先輩と鬼火に気づいて慌てて冥鬼を急かした。
「こほん……待たせたな」
「いや、待ってないしアタシは別にアンタたちを襲うつもりじゃないってゆーか……」
鬼火がごにょごにょ言いながら後ずさる。しかし、そんな鬼火を逃がすまいとするように冥鬼が踏み出した。
「問答無用! ぶった斬ッ──!」
冥鬼は聖なる雷を纏った刀を構えると、すぐさま大きく振りかぶる。
しかし、その威勢のいい声が突然止んだ。
なんてこった、まさかこんな時にタイムリミットだなんて。
冥鬼の体は切っ先から火の粉となって風のように消え、代わりに幼い冥鬼が姿を現したのだった。




