【芥十六夜】2★
尾崎家は呪われている、と八雲は言った。十六夜の周りに起こった不幸は全てオサキの仕業であるという。
八雲曰く、尾崎家の先祖は古御門家に仕えていたが、そこで禁忌に触れた。古御門に祀られていたオサキの御神体を、彼らの先祖が盗んだからだと八雲が淡々と告げる。
彼らの先祖は妖怪に魅入られ、気が狂って殺された。そして残された彼の家族も、子孫すらもオサキに呪われてしまったと言う。
妖怪とは無縁の世界で生きてきた十六夜には難しくて、非現実的で一度に受け止められない。こんなことは、きっと育ての両親だって知らない事実だ。
『オサキを甦らせるためには、九つの心臓が必要だという。そして……先日、俺たちの生母が殺された。母は尾崎の血筋を引いているからな』
ごくっと十六夜が喉を鳴らす。まさかお前が……と冗談で言いかけると、無言で銃口が向けられた。
『俺たちは七人兄弟だ。残りの二人は尾崎の血縁者であればいい。全員の心臓を捧げた時、オサキはこの世に姿を現すだろう』
『きゅ、九人も殺したら懲役何年!? いや、そうじゃなくて……そうじゃなくてさ』
十六夜は必死に頭の中を整理しながら言葉を探した。
ノイン──九兵衛は、自分たちを殺して、オサキという妖怪を復活させようとしている。にわかには信じ難い話だ。
『何でそんなに尾崎家の事情に詳しいわけ? お前も養子だろ?』
頭を抱えたまま十六夜が問いかけると、八雲は少しだけ表情を曇らせた。しかしすぐに銃口を額に押し当て、お前に選択肢はないと告げる。
どこの世界に兄に銃口を向ける弟が居るんだと突っ込みたくなる十六夜だが、その台詞は何とか飲み込む。
(かわいい顔して言うことかよ……)
十六夜と八雲は生きてきた世界があまりにも違うのだ。これは頼んでいるのではない、脅しだ。やがて、十六夜は喉を小さく鳴らして承諾する。
『懸命だな。俺に協力すればお前の安全は守られる』
八雲はそう言うと十六夜からスマホを引ったくって連絡先を(強引に)交換した。
それから何度か住居を変えることはあったが、十六夜は何とか無事に暮らせている。ストーカーに襲われることもなくなったし、職場で待ち伏せをされることも減ってきた。
しかしあの九兵衛が自分を殺そうとしているとは未だに信じられない。仮にも自分は兄で、九兵衛は弟。共に育ったことはないが、自分たちは血の繋がった兄弟だ。
(身内を殺すとか……悲しすぎるだろ)
古御門家と通じている九兵衛は、古御門家を内部から腐らせるためにゆりと関係を結んだのだと八雲は言う。古御門家のことは十六夜には分からない。
自分を慕ってくれた九兵衛が家族を殺そうとするはずなどないと信じたかった十六夜だが、庭師の四郎が行方不明になり五百里、七月海が立て続けに不審な死を遂げ、その陰には全て九兵衛が絡んでいると八雲は言う。十六夜に分かるのは、九兵衛が危険なことに巻き込まれていることだけ。
そんな矢先、鬼道柊が重傷を負った一件で十六夜は八雲とキイチを自宅マンションに匿うようになった。八雲は酷く塞ぎ込んでいる様子だったがそれも僅かな間で、すぐに古御門泰親を殺すための計画を立て始める。自分は未だに九兵衛のことを受け入れられていないのに、切り替えの早い奴だと十六夜は密かに感心した。
「いいか、絶対に尾崎九兵衛と二人きりで会おうと思うな。連絡が来ても無視をしろ」
「それってヤキモチ?」
空が白み始めた明け方、十六夜の言葉を遮った八雲は静かに言った。手には血に汚れたスーツをさげている。だから十六夜はわざとらしく尋ねた。殺すぞ、といつもの調子で言ってくれたらすぐ謝るつもりだった。しかし八雲は黙ったまま、十六夜に背中を向けている。やがて気の遠くなるような沈黙の後、八雲は憮然とした声で言ったのだ。
「お前に何かあれば、キイチが悲しむ」
そう言って振り返った八雲の目は、初めて会った時とは見違えるほど人間らしくなっている。彼が冷たいだけの人間ではないと、キイチだけではなく十六夜も分かるようになっていた。そんなところに、十六夜は惹かれていたのだから。
「分かっているのか? 相手は殺人鬼だ。お前の知っている仕事仲間じゃない。それを忘れるな」
八雲は念を押すように言った。それはまるで自分にも言い聞かせているようにも聞こえる。
「会おうと思って会えるものじゃないよ」
十六夜はボヤく。仕事を辞めた九兵衛のほうから十六夜に距離を置いたのだ。連絡先だって変わっている可能性がある。
「それにオレはフツーの人間なんだから、自分から危険に飛び込んだりするわけないでしょ」
キイチのことにしか興味がないような発言をする割に、見かけによらず心配性な弟を安心させるように十六夜が笑った。八雲が僅かに目を丸くする。
「それも……そうだ。お前は怖がりだし」
やがて、つられたように少しだけ微笑む八雲を見た時、十六夜は自分の気持ちを痛いほど自覚した。
「キミ笑うと超かわいいじゃん! 彼氏居る? この中だと誰がタイプ? オレとかどう?」
わざとらしく仕事のノリで八雲の肩に手をかける十六夜の額に、普段ならすぐに軽蔑の眼差しと共に冷たい銃口が押し付けられる。しかし、八雲は十六夜から目を逸らしたまま抵抗しなかった。その目は、呆れたような眼差しでも、怒ったようなものでもない。
動物が目をそらすのは、相手に敵意がないことを伝えるためだと八雲はテレビで見たことがある。今の八雲は怒っているわけではないんじゃないかと、淡い期待が胸をくすぐった。
「八雲」
十六夜が耳元でその名を呼ぶ。先程よりもずっと湿り気を帯びた声色で。肩に乗せた手をゆっくりと下ろして腰へと伸ばした。このまま抱き寄せたら、多分元の関係には戻れない。それどころか、二度と口をきいてもらえないかもしれない。
それでも、一度は拒否された唇の熱が知りたくて顔を寄せる。涼しい顔で人を殺し、考えていることの半分も理解できないこの男のことを、今は理解したいと思ったから。しかし、それを実行に移す前に八雲の体は離れていた。
「趣味が悪いぞ」
それだけ言って背中を向けた八雲を見た時、十六夜は目を丸くした。見間違いでなけれは、八雲の耳が赤く染まっている。その意味を考えていると十六夜まで恥ずかしくなってしまって、まるで初恋をしたばかりの子供のように慌てて脱衣所から離れた。
買ったばかりのベッドですやすやと眠るキイチに布団を掛け直してから硬い床に横になる。遠くでシャワーの音を聞きながら、絶対に八雲が戻ってくるまで起きていてやろうと思っていた十六夜だったが、仕事の疲れもあっていつの間にか眠りに落ちてしまう。
その翌日、奇妙な同居人たちは『古御門家に帰る』と一筆残して姿を消した。
そんな時、九兵衛を街中で見かけたのは本当に偶然だった。以前よりもどこか幼く見える挙動に拍子抜けはしたが、九兵衛は何も変わっていない。
やはり、九兵衛が人殺しなんてするはずがないのだと十六夜は思った。
「十六夜さんすみません、僕用事を思い出して……」
楓がすまなそうな表情を浮かべて十六夜を見上げている。十六夜は自分のスマホを見つめて難しそうな顔をしていた。
「オレもお呼びが掛かったみたい」
十六夜は苦笑した。スマホに表示されていたのは一件のメッセージ。それは仕事先からだった。すぐに休む後輩のせいでタウゼントは人手が足りない。どうせ家に居てもすることはないから、十六夜は二つ返事で承諾した。
いつものように仕事を終えて車に乗り込んだ時、コツコツと窓を叩かれる。尾崎九兵衛だった。
「久しぶり」
暗がりの中で九兵衛は人懐っこく笑っている。
「オレは久しぶりじゃないけど」
「へえ、まだこの車乗ってんだ」
九兵衛は十六夜の突っ込みに被せるように、十六夜の車を見つめて懐かしんだ。店を辞めた九兵衛と会うのは二度目だ。
二人きりで会ってはいけない、と八雲は言った。けれど十六夜は知っている。九兵衛が人を殺すような人間ではないと。
十六夜はすぐに車から降りて、よく休憩中に煙草をふかした汚い裏路地へと九兵衛を連れていった。退勤後ということもあって、店にはもちろん辺りにも誰もいない。十六夜は九兵衛とゆっくり話せるのが嬉しくて煙草に火をつける。
「ほら、お前も」
そう言って十六夜がライターを出すと、九兵衛は肩を竦めて煙草を咥える。
「店は、どお?」
「人が足んねえ。入れ替わり激しいし後輩はすぐ休むし。あ、公務員ってバイトできんの? 土日とか働かねえ?」
「ムリっしょ」
九兵衛がアハハと笑うと、口から濃い煙が立ち上った。ようやく笑った九兵衛に十六夜の表情も綻ぶ。
「束縛激しいお義父さんとはどう?」
「順調だよ。怖いくらい」
九兵衛は目を細めて笑う。その表情は暗くてよく見えなかったが、暗闇の中でぼんやりと光る煙草の火が強くなった。
「にーちゃんこそ、恋人できた?」
「恋人っつーか、まあ……好きな子は居る」
九兵衛が『ふぅん』と返事をする。
他愛もない話をしながら、十六夜は久しぶりに九兵衛との時間を過ごした。やがて煙草を吸い終え、どちらかとも無く会話が止んだことで何となくお開きの空気が流れる。十六夜は背筋を伸ばして欠伸をした。
「んーっ、よく眠れそう」
「そりゃよかった」
聞きたいことは山ほどあったが、十六夜は九兵衛を問いただすことはしなかった。何だか胸が軽くなったような気持ちだ。
「ごちそうさま、にーちゃん」
九兵衛はそう言っておもむろに身を翻した。その意味深な言葉に、十六夜は自分のライターと九兵衛の後ろ姿を交互に見て小さく首を傾げる。車に戻り、音楽を流しながら清々しい気分で運転を再開した。
秋の夜風で体が冷えてしまったため、車の暖房をつけてハンドルを握る。
「何か急に冷えてきたなぁ……もしかして風邪引いた? ぜってぇ嫌なんだけど」
十六夜は一人で笑って指先を握ったり開いたりしながら寒さを紛らわせようとする。しかし時間が経てば経つほど、車内の空気は冷たくなっていくようだ。
「何か極寒ー。風邪引きたくねえし」
十六夜は強烈な眠気を感じながら浅い呼吸を繰り返していた。
「ふー」
吐き出す呼吸はどんどん細く、浅くなっていき、抗いがたい睡魔が十六夜を襲う。雪山で遭難するとこんな感じなのだろうかと思いながら、耐えきれなくなった十六夜は車道の端に車を停めた。
「はっ……」
額にハンドルを押し付けて呼吸を整える。胸ポケットから眠気覚ましのガムを取り出そうとするが、その手は妙な水気によって赤く染まった。
「……あ?」
十六夜の胸にはぽっかりと不自然な穴があいている。ダラダラと流れる赤い血が足元で水溜まりを作っていた。
「あ、はは……」
ああそうか、九兵衛が『ごちそうさま』と言った意味は。十六夜がそれに気づいた時、今度こそ抗えない眠気が襲ってくる。十六夜の脳裏に浮かんだのは、不器用に生き急ぐ青年のことだった。
彼の忠告通り、九兵衛と会わなければこんな結末を迎えることはなかったのかもしれない。まだ返事のない彼と、故郷の地を共に踏んでゆっくりと過ごすことが出来たかもしれない。彼のことだから『キイチも一緒だ』と言うだろうな、と考えて十六夜は笑った。あれだけ理解できなかった男のことなのに、聞こえないはずの返事が聞こえるようだ。
「はは、やっぱあの時……抱いておけばよかった……」
そう呟いて、十六夜が座席に凭れる。琥珀色の瞳からゆっくりと光が消えていった。やがて朝日が十六夜の顔を照らし始めたが、既に彼は何の反応も示さない。しばらくして、大きく開いた胸の傷口から一本の管狐が姿を見せた。まるで笑うように管狐が目を細めた時、突然勢いよくアクセルが踏み込まれる。その車は、真っ直ぐに古御門邸へと向かっていった……。




