【ハロウィンの裏側で】2★
絹糸のような白い髪を揺らしながら、少年は膝を立てて日に焼けたことのない足先を伸ばしたり丸めたりを繰り返す。
目の前では、スーツを身にまとった黒髪の男が外出の支度をしている。古御門キイチは緋色の瞳を丸くして尋ねた。
「八雲、どこかに行くの?」
「野暮用だ」
八雲は背を向けたまま言った。感情の起伏の少ない八雲が冷淡な態度を取るのはいつものことだったから、キイチも慣れている。しかし今日の八雲は、普段よりもずっと険しい表情をしていた。普段使わないような銃まで持ち出して傍に置いているし、何より黙々と台所に篭っておにぎりを握っている。ピクニックにしてはずいぶん物騒だ。
「兄さんのところ?」
その言葉を聞いて、僅かに八雲の手が止まる。キイチは期待を込めた眼差しで八雲の顔を見上げた。八雲の返事はないが、きっと間違いないと思ったから。
「ボクも行きたい」
「違う、ダメだ。むやみに外出するのは奥様に禁止されてる」
八雲はキイチの目を見て、制するように冷たく告げる。キイチは少しだけ残念そうにうなだれ、上目がちに八雲を見上げた。
「八雲はいつもお母様の顔色ばかり見てるんだから」
少し非難するように言うが、八雲は普段通りのトーンで答えるだけだった。
「当たり前だろう。俺は奥様からお前の世話係を命じられてる」
「お母様が好き? ボクより?」
「キイチ」
八雲がキイチを咎める。キイチは悪戯っぽく微笑んで膝を抱えた。雪のような白い脚が八雲の視界に入る。八雲の気を引きたくてわざと見せているのだと彼には分かっていた。
「俺以外の前でこんなことをするな。そういうことも言うな」
八雲はため息混じりにキイチの膝に手をかけて肌を見せないように諭す。長きに渡りキイチの身の回りを世話してきた八雲ならではの手馴れた所作で、すぐにキイチの身なりは整えられた。
「これからは、一人でこういったことも出来るようにならないといけない。お前は古御門家の当主になるんだから」
「何で? 八雲が何でもしてくれるのに」
キイチはそう言って小首を傾げた。世間知らずで危うくて、八雲を信じて疑わない眼差し。幼い頃からずっとそうだった。
古御門家の跡取りとして養子に迎えられた八雲は、次期当主としての作法を学び、古御門家の力になるよう教育されてきた。そんな時に生まれたのがゆりの息子、キイチだ。ゆりは不特定多数の男性と関係を持っており、キイチの父親については未だに不明。名乗り出る者すら居ない。
そんなキイチを守るためにも、八雲には行くべきところがある。精算しなければいけない気持ちがあるのだ。
「俺は、俺の全てをお前に捧げる。この身も心も、キイチだけのものだ」
八雲はそう言うと、キイチの頬を優しく撫でる。その瞳に嘘や偽りがないとキイチには分かっていた。八雲はいつだってキイチのことを大切に想ってくれている。
「イサヨにも捧げるよね?」
キイチが悪戯に尋ねると、今度こそ八雲は少し焦った声でキイチの名を呼んだ。感情的になった八雲がおかしいのか、キイチが小さく噴き出す。
「あはっ……ははは! 八雲、かわいい」
八雲は、感情を表に出せるようになったキイチを喜ばしく思う反面、想定外の発言も多く飛ぶようになって少々肝を冷やしている。八雲は何とか平静さを取り戻して深くため息をついた。
「そういう冗談は止めてくれ。心臓に悪い」
どこか気まずそうな八雲を見て、キイチはニコッと笑った。
「……ふふ、仕方ないね。行っても良いよ」
キイチは頬を撫でる優しい手に自分の手を重ねて瞼を伏せる。そのぬくもりだけでキイチは満たされていた。
「八雲のこと、兄さんと同じくらい好き」
「それは光栄だ。もうしばらく寝ていろ」
八雲はキイチしか見せない笑みを見せ、その口に小さく丸めたおにぎりを押し込む。キイチは嬉しそうにおにぎりを頬張ると、離れの廊下を歩いて自分の部屋へ向かった。キイチのことしか見ていなかった八雲が、他の者に興味を示すのは良いことだとキイチは思う。
「ボクと兄さん、イサヨと八雲で恋バナとか……出来たりして」
人差し指と中指をそれぞれ立てて、ゆっくりと合わせていく。八雲には叱られてしまいそうだったが、イサヨには喜んでもらえそうだ。彼なら八雲を大切にしてくれると、キイチにはわかる。
「……?」
自室の布団に潜った時だった。微かだったが、キイチ以外に子供が居ないはずの家の中から声が聞こえる。キイチは意識を集中させながら枕に耳を当てた。
「……冥鬼ちゃん、大丈夫?」
「……ああ」
今度こそ、人の声が聞こえる。それは少女の話し声だった。
おもむろに体を起こしたキイチは、おもむろに廊下へ出ると、辺りをきょろきょろと見回す。声がするのは、この部屋よりずっと下からだ。
キイチは古御門家の限られた者しか入ることを許されていない地下室の存在を思い出す。そこはかつて、罪人を閉じ込めておくための牢だと聞いたことがあった。キイチはそっと、『外』に続く襖を開けて周囲に誰も居ないことを確認する。辺りは霧が濃くて、自分の家なのに他人の家のようだ。八雲には口を酸っぱくして、『外』には出るなと言われていた。
「……ちょっとだけだから、いいよね」
キイチは小さく喉を鳴らすと、おもむろに体を起こして離れを出ていくのだった。




