【ハロウィンの裏側で】1★
『明日、上結駅の前で逢いましょう』
深い眠りから目覚め、ぼんやりと天井を見つめて瞬きをした楓の胸元には和紙が被せてある。そこには手書きのメッセージが置かれていて、差出人はあの傷ついたカラスで間違いないと楓は思った。
オオルリとヒスイの姿もない。楓は慌てたように体を起こして両指の痛みに顔をしかめる。血が固まったとは言え、確かにオオルリの言う通り酷い状態だ。
両手の指に包帯を巻いた楓は、朝飯も食べずに家を飛び出すのだった。
「いッ……居ないじゃないか! アイツ……!」
人がごった返す上結駅前で、あの特徴的な鳥の面は全く見つからない。それどころか、仮装した人達のせいで余計見つかりにくくなっている。その理由が今日のハロウィンだと気づいた時、こんな日にコスプレもせず学生服で外出している自分が場違いなのだと楓は思った。
「く、くそ……まだ絶対安静なのに何を考えてるんだよ」
行き場もない上に人酔いしてしまい、駅の隅で休んでいた楓は、ふと人混みの隙間から小学生くらいの子供が近づいてきたことに気づいた。
それは快活そうにぴょんぴょんと跳ねながら人を避け、楽しそうに近づいてくる。背中につけた黒い羽根をひらひらと揺らしていて、恐らくコスプレだろうかと思っていた楓の目の前で、その子供が突然立ち止まった。
「お待たせーっ、いやぁすっごい人やねー。さすが都会のハロウィン!」
人懐っこそうな子供はきょろきょろと辺りを見て楽しそうに笑うと、楓に手を差し伸べてくる。
「はぐれんように手ぇ繋ごっか!」
子供は何事もなかったように笑いかけてくるが、楓にはその子供が誰なのかサッパリ検討もつかない。
「えっと……迷子、かな?」
「ええ!?」
楓の返事を聞いた子供は驚いたように両手を広げた。背中で黒い羽根がパサパサと揺れる。
「いや、オレオレ! オレだしっ!」
そう言って自分を指す子供に見覚えはない。楓は壁に寄りかかってため息をついた。
「悪いけど僕は人を待ってるんだ。君の遊び相手にはなれない。他を当たってくれ」
「うー……これでも分からへん?」
子供は肩掛けバッグから見覚えのあるボロボロの鳥の面を取り出して顔につける真似をした。
「か、烏天狗の……黒丸?」
「楓クン気づくの遅すぎーっ!」
子供はケラケラと笑いながら鳥の面を仕舞うが、すぐに青い顔をして腹を押さえてしまう。
「おい、はしゃぐからキズが開いて……」
慌てて楓が気遣うが、黒丸は少しの間を置いてから『嘘だよっ!』と言って無邪気に笑った。
「トリックオアトリート! オレにもお菓子ちょーだいっ! これなあにー?」
黒丸は楽しそうに仮装した人々の群れに飛び込む。その振る舞いは完全に子供だ。
楓は慌てて黒丸の後を追うが、黒丸は尾羽を犬のようにぶんぶん振りながらハロウィンを楽しんでいる。周りの人々も黒丸の姿を怪しむ様子は無く、共に盛り上がっているようだ。
「おい、無茶するなよ。お前はまだ……」
そう言って黒丸のはしゃぎっぷりを咎める。昨夜死にかけていた天狗の姿とは思えない。黒丸は楽しそうに手を振った。
「だってこれから戦いやん? 重いシリアスムードの前には休息が必要ってコトで、楓クンもハネ伸ばさなアカンよー? オレみたいにっ!」
文字通り翼を広げて黒丸が笑う。拍子抜けしてしまうほど底抜けな笑顔で楽しそうなそぶりをしているが、黒丸の声は心から楽しんでいるわけではないと楓には分かっていた。
「お前、死ぬ気じゃないだろうな」
楓は黒丸の小さい手を取って言った。案の定氷のように冷たい手のひらだ。少しでも妖気が回復するように、楓は強く握り込む。
「あはっ! そんなこと〜……」
黒丸は変わらずにケラケラと笑うが楓が笑っていないことに気づくと、先程までの空元気はどこにいったのか徐々に困ったような顔になってしまった。
「ごめん。やっぱ今までのナシ。カッコ悪すぎ。最初からやり直させて」
黒丸はあははと苦笑する。その笑顔はぎこちない。背を向けた黒丸はバッグから鳥の面を取り出して顔を隠そうとする。しかし、少し迷ってから手を下ろした。
おずおずと振り返った子供は、先程とは違うトーンで口を開く。それはまるで、親に叱られる寸前の子供のような顔だった。
「オレ、楓クンのお師匠様なのに、弱いとこばっかり晒して、迷惑かけて……ごめんなさい……」
そう言った黒丸は、絆創膏の貼られた楓の指先を泣きそうな顔で見つめている。
「お前は強いよ」
楓は小さい手を軽く握ってかぶりを振ると、人混みへと視線を移す。
「自慢の師匠だ」
黒丸は楓をまじまじと見上げると大きな赤い目を瞬いた。やがて、視界の端ですんと鼻をすする音が聞こえた。
「……楓クン、妖怪タラシって言われたことない?」
「ないけど」
黒丸は袖でごしごしと目元を拭った。それを見て、わざとそっけなく返した楓が少し笑う。あれほど不気味に思えた鳥の面の下には、泣き虫な子供がいた。
いつか黒丸が、楓と自分は似ていると言っていた。その意味がようやく楓にもわかった気がする。
「……あり、がとっ……」
涙混じりの小さな感謝の声が聞こえる。彼の親もきっと、こうして陰陽師に仕えたのだろう。
楓は『うん』と小さく返事をすると、黒丸の手を引くようにしてバス停へと向かった。古御門家に行くためにはバスに乗る必要があるからだ。しかし楓の手はバス停とは反対方向へと引っ張られた。
「ねえねえ楓クン、あっちでいい匂いするよ! 食べていこ? オレお腹ぺこぺこ!」
黒丸がパンケーキ屋を指しながらねだるように楓の手を引っ張る。さっきまで泣いていたのに元気な奴だと呆れながら楓はかぶりを振るが、返事を聞く前に黒丸が楓の手を掴んで駆け出した。
「寄り道はしな……って走るな、跳ねるな! 安静にしてろ!」
楓は黒丸に振り回されながら彼の後に続く。朝食を食べていない彼にとっても食欲をそそる匂いだったが、朝から外食が出来るような財力は彼にはない。しかもショーケースに見本として飾られているパンケーキの値段はどれも千円以上の高額なものだ。
「オレの奢りだよ? 助けてくれたお礼もしたいし……楓クンがお洒落なお店知ってたら、ハクちゃんも喜ぶんじゃない?」
肩掛けバッグから小さな財布を見せて黒丸が笑う。楓は思わず喉を鳴らしてしまうのだった。
「美味しかったー! 塩キャラメルのパンケーキ、初めて食べたケドあんなにふわふわで柔らかいんやねー!」
パンケーキで腹を満たしてようやく大人しくなった黒丸の手を引きながら、楓は今度こそバス停へと向かう。黒丸の言う通り、パンケーキは非常に美味しかった。分厚いパンケーキではあるが、見た目ほど重くはなくペロッと食べられてしまう。もしもハクと上結駅に来ることがあるのならぜひ誘って食べたいくらいだと楓は思った。
「ねえねえ、空飛んでいこーよー! 食後の運動もしたいし!」
黒丸がねだるように楓の袖を引いて翼をはためかせる。彼が楓を抱えて空を飛べることは知っている。しかし、楓は黒丸を小脇に抱えるようにその動きを封じた。
「ダメだ。キズが開いたらどうする。バスの方がゆっくり休めるだろ」
「ええ? 楓クンってば心配性〜……ふああ」
あくびをしながら告げる黒丸に、楓は大きなため息をついてバス停に並んだ。よく古御門家に行く時は幼い冥鬼を連れてバス停に並んだものだ。毎月胃をヒリヒリさせながら重苦しい気持ちで古御門家に向かっていたが、今とはだいぶ心境が違う。
「楓クンはオレが守るよ」
自然と顔が強ばっていた楓を、黒丸が心配そうに見上げている。以前、山で修行した時とは違い、ずいぶん小さくなってしまったように見える師匠の姿に楓は痛ましい気持ちになった。恐らく妖気がほとんど無くなってしまったことも影響しているのだろう。楓は『無理するな』と呟いて黒丸の小さな手をしっかりと握った。
「小田原さんは必ず僕が助ける」
その返事を聞いて、黒丸は小さく頷いた。
やがて、目の前にバスが停車する。楓が黒丸を連れてバスに乗り込んだ時、黒丸が『あっ』と声を上げた。つられて顔を上げた楓の目に入ったのは、既にバスに乗っていた男の背中だ。見覚えのあるその背中がゆっくり振り返った時、楓は黒丸と同じように声を上げてしまうのだった。




