【お憑かれ様】3★
「急急如律令──煉獄炎狗!」
突如、牛蒡に飛びかかった炎の狗が居た。炎狗を纏う赤い火は外殻が青い火に覆われており、以前とは大きさも違っている。
炎狗を自分の元に戻らせた楓を睨みつけて、牛蒡がニヤーッと笑う。ひどく狂気じみた笑顔だった。
「何や──役立たずの陰陽師か」
楓は僅かに怯んだように表情を曇らせたが、以前の弱々しいものとは違う口調でハッキリと告げる。
「僕は、いつまでも最弱じゃない」
札を手にしてそう言った楓に呼応するように、ハルが長槍を狗神に向ける。狗神はしっぽを揺らしながらわざとらしく肩を竦めるのだった。
「やれやれ……困ります。私は戦えませんから。……ねぇ?」
そう言って眼鏡のブリッジに添えられた手の下で狗神の唇が弧を描く。
「お願いします、牛蒡様」
その言葉と共に、ハル目掛けて氷で出来た無数の刃が地面から噴き出してくる。
「カエルの串焼きにしたるわ……瀑夜氷結!」
その威力はすさまじいものだったが、華麗な槍さばきで氷の刃を弾き飛ばしたハルは槍を地面に突き立ててそれを避ける。
牛蒡の氷結から逃れ、黒丸を抱えて高く跳ねた。
「はッ、偉そうなこと言って逃げ回るだけか!」
牛蒡が挑発し、氷の刃が地面から湧き出るようにハルを追尾する。ハルは我関せずと言った顔で地面に着地するたび、器用に攻撃を避けては槍で氷の刃を打ち壊して楓の元へと戻った。
「黒丸!」
楓が想像していたよりも、黒丸はずっと重傷だった。胸からの出血が酷く、翼も折れている。黒丸の手を握ると、明らかに体温が下がっているのが分かった。楓はすぐにハンカチで止血をしようとするが、それを牛蒡の術が遮る。
「噛み殺せ、雪うさぎ」
すかさず牛蒡が命じると、白く凶暴なうさぎたちが楓たちに襲いかかった。
「炎狗!」
すぐに炎を纏った狗が応戦するが炎狗は雪うさぎに触れた途端、炎の勢いを弱めてしまう。楓の炎では牛蒡の氷には敵わないのだ。
「くそ、やっぱり鬼符がないと……」
楓が小さく呟いた。その声で意識を取り戻したのか、黒丸が僅かに身動ぎする。
「黒丸、大丈夫か!?」
血まみれの手が、楓の袖を掴む。息も絶え絶えに黒丸が何かを伝えようとするが呻き声だけで声になっていない。黒丸は、胸に抱いたものを楓に差し出そうとしていた。
「僕に使えっていうのか?」
それは黒く煤けたオオルリだった。柔らかな風がオオルリを纏っている。
楓がそれを手に取ると、身体中にチカラが満ち溢れていくような感覚があった。鬼符を使った時によく似ていたが、鬼符のように爆発的にパワーアップする感じはない。そよ風のようにゆるやかに、オオルリを纏う風が体内から溢れる氣をコントロールしてくれているようだ。
これを使えば勝てると、楓に自信を与えてくれた。
「行くぞ、ハル」
「承知」
楓の合図と共に、ハルの一振が雪うさぎたちの群れを一掃する。楓は御札を口に咥えてオオルリで斬りかかった。強く集中した楓の人差し指に小さな炎がともる。それは全ての指に燃え移ると、楓の手の中で煌々と輝いた。
「……ッ!」
炎に包まれた手でオオルリを握りしめることによって、オオルリは炎の力を付与されて大きく燃え盛る。その力によって雪うさぎたちは溶けるように薙ぎ払われた。牛蒡を守るようにそびえ立つ氷の壁も、炎と風を纏ったオオルリを使って斬り捨てていく。
「見えた!」
呪いを込めて霊力で編まれた牛蒡の体を縛る赤い糸が楓の視界に入った。行く手を阻む雪うさぎと、次々に出現する氷の壁をハルがなぎ倒して援護をする。そのまま直進する楓の目の前に、小田原牛蒡が待ち構えていた。
「──黒丸の風と、僕の炎であなたを祓う! 火烏鳯月ッ!」
楓と黒丸のチカラが込められた一閃が牛蒡を捕らえていた呪いの糸を叩き斬る。虚ろだった牛蒡の目に光が宿った。
「ク、ロ……?」
焦点の合わない牛蒡の目が傷ついた黒丸を映した。事態を把握した牛蒡が黒丸の名前を呼びかける。
その無惨な姿を見て牛蒡が狼狽えた時、吐血した。
「ごほッ、ごほ……がはッ……はあ、はあッ……」
「小田原さん、大丈夫ですか!?」
術を連発した反動か、牛蒡の口からは尋常ではない量の血が溢れている。発作を起こしてしまった牛蒡を慌てて介抱しようとするが……。
「ぐあっ!」
楓の体は管狐によって弾き飛ばされた。すぐにハルに受け止められたため、無傷のまま楓が体を起こす。
彼らの目の前には、銀色のしっぽを揺らしながら微笑んでいる狗神が居た。
「おやおや、大変ですねぇ。すぐ治療しなければ牛蒡様の命に関わります。そして、牛蒡様ほどの陰陽師を見殺しにするのは大変惜しい──」
狗神はそう言って牛蒡の肩に手を置き、何かを囁く。それは呪言だった。返事も出来ないほど激しく咳き込んで苦しそうな喘鳴を繰り返す牛蒡は、身を守る術もないままその耳に呪いの言葉を受け取ってしまう。牛蒡の瞳から光が消え、まるで人形のように大人しくなった。
「私に、協力してくださいますね?」
狗神はニヤリと笑って牛蒡の肩に手を置く。魂の抜けたような顔をして牛蒡がゆっくりと頷いた。
その時、彼らの前に満身創痍の烏天狗が立ちはだかる。
「おや、しつこい。生きていたんですか」
彼の足元には血溜まりが広がっており、翼からも鮮血が溢れている。立っているのが不思議なほどだった。あるいは既に意識を失っているのかもしれない。黒い鳥の面に隠された素顔は誰の目にも映らない。しかしその立ち姿は、薄ら笑いを浮かべる狗神ですら、凍りつくような緊張感と底知れない怒りが伝わってきてしっぽが逆立つほどだった。
「……その執念、狂気すら感じます」
黒丸を傷つけたのは他ならぬ牛蒡だ。しかし今の牛蒡には何も届かない。何も見えない。大切な相棒の傷ついた姿さえも。
「そんなに彼が大事なら、古御門邸に来ると良いでしょう。彼の娘も、今頃九兵衛が捕らえたでしょうから……」
狗神は楽しそうに肩を震わせると、牛蒡と共に影となって消えた。
黒丸の体がぐらりと揺らぐ。慌てて抱きとめた楓の腕の中で、それはやせ細ったカラスに変わっていた。
「古御門邸って……」
牛蒡たちの消えた場所を見て楓が呟く。彼らを襲ったのは古御門泰親の命令なのか。それを口にしたところで、楓の疑問に答えは出ない。既に腕の中の体温は失われつつあり、呼吸も小さくなっている。
楓はすぐに考えることを諦め、ハルと共に鬼道家へと向かうのだった。




