【お憑かれ様】2★
「お憑かれ様でした」
牛蒡が術中にハマったのは、黒丸が目を離した一瞬のことだった。仙北屋の呪詛の言葉を聞き終える前に、狗神のかけた術により牛蒡の意識は閉ざされ、黒丸を敵と見なしている。
(オレの馬鹿野郎! こんな失態、あってたまるか。こんなことでご主人が……!)
鳥の面の下で黒丸が奥歯を噛み締めながら胸を押さえる。牛蒡にかけられた呪いは術者を殺さなければ解けない。
(ご主人がッ──)
黒丸は焦っていた。これ以上牛蒡に術を使わせないためにも勝負をすぐに決めなければならないと。煤けたオオルリを拾って狗神に向かって跳んだ。
「狗神鏡也ッ!」
黒丸が吼えて、オオルリを振りかぶる。
殺すのは一瞬だ。不安も恐れもない。彼にとっての一番は、彼の大切な人たちだから。
「うっ……」
割れた鳥の面から赤い瞳が狗神を捕らえた時、黒丸は神通力を使って彼の体から自由を奪った。狗神の表情が僅かに焦りで歪む。
「風に還れぇッ──!」
黒丸が叫んで、狗神の首目掛けてオオルリを振りかぶる。
「……ッ!?」
狗神を庇うように立ち塞がったのは、小田原牛蒡だった。全力で振りかぶったオオルリの刃は牛蒡の頭上ギリギリで留まった。
「ご、しゅじ……」
牛蒡の目は仙北屋に操られたまま、虚ろに黒丸を見つめている。まるでその目が黒丸に人を殺すなと言っているように思えて、黒丸は思考が停止してしまう。その隙を牛蒡は見逃さなかった。
戦意喪失してしまった黒丸に、無数の氷の刃が降り注ぐ。
「これが烏天狗様の弱点……ですか。ふふ、面白い」
黒丸の両手、両足、そして両の翼には、氷で出来た釘が打ち付けられていた。それは寒気と共に痛みが広がり、暴れれば暴れるほど指先から妖気が奪われていく特別製の雪釘。その威力は、黒丸自身が一番知っている。
「まるで天狗の標本ですね。物好きが見たがると思いますよ、最強の烏天狗が生きた標本になったのですから。博物館に飾りましょうか?」
楽しげに語りかける狗神の後ろから、牛蒡が近づいてくる。黒丸は妖気を奪われる苦しみよりも強い怒りだけで意識を保ち、狗神を睨みつけた。
「ご主人を、これ以上穢すな……クソ犬野郎」
虚ろな目をした牛蒡が傷ついた黒丸の姿を映す。しかし、すぐに無数の氷の刃が黒い翼を貫くのだ。
牛蒡が氷の刃を引き抜くと、ブチブチと嫌な音が聞こえて羽根が引きちぎられる。
(ご主人、どうか……)
泣き虫の彼から涙を拭ってくれる優しい手は、今や凶器となった。氷の刃は何度も彼の小さな体を撃ち抜く。
この世に生を受けた意味が分からなかった。人間を困らせるために悪事を働いたこともあった。自分がこの世界で一番強くて、一番偉い。ずっと一人で生きていけると思っていた。
(どうか、生きて)
そんな彼が初めて心を許した人間。それが小田原牛蒡だったのだ。牛蒡が無事で居てさえくれたら自分がどうなろうと構わない。幼い天狗は、最期までそう願っていた。




