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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
2部

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179/434

【すみれ】★

 十六夜と別れて間もなく、楓がやってきたのは彼の通う東妖高校だった。そこに植えられた立派な椿の木の根元で読書をしている少女が一人。東妖高校の制服を身にまとい、穏やかな陽気の中で静かにページを捲る。その傍には買ったばかりのパンが香ばしい匂いをさせてあたたかそうな紅茶と共にランチョンマットの上に置かれていた。古風で幼い顔立ちながら、どこか大人びた雰囲気の少女はつり目がちの赤い瞳で少年を一瞥する。


「読書の邪魔。乙女が優雅な休日を過ごしているのが見えないの? 絞め殺すわよ」

「相変わらず物騒だな……」


 楓はため息混じりに彼女の傍に近づくと、椿の木に背を預けるように隣に立った。


「ちょっと。何その香水。鼻がねじ曲がりそうなんだけど」


 服についた香水が風に乗って楓の鼻腔をくすぐった。本を見つめたままの椿女が顔を顰めている。


「さっきホストの人と会ってきたから……そのせいか?」


 袖の匂いを嗅ぎながら楓が答えると、椿女は不快そうに眉を寄せて睨んだ。


「あんた、変な奴とつるむなら人間だけにしておきなさいよ」

「変な奴って……僕が会ってたのは人間だ」


 椿女はため息をついて『どうでもいい』とそっけなく言い放ち、膝の上に本を伏せる。


「……何の用? つまんない用事なら──」

「母さんのことを」


 椿女の言葉を遮って楓が言った。椿女が楓を見上げると、楓は彼女が知っている友によく似た顔で椿女を見つめている。


「母さんのことを……鬼道すみれについて、もっと知りたいんだ。どんな人だったのか。僕のことを、家族のことをどう思っていたのか」


 眉間に皺を寄せて話す癖も、不器用なところも彼女によく似ていた。椿女は、まるでそこに彼女が居るような錯覚すら感じる。やはりこの少年は彼女の子なのだ。

 やがて、自然と椿女の表情も穏やかなものに変わっていく。


「……すみれは」


 椿女はふと大人びた顔で言った。


「あんたのことを心から愛してた。柊みたいに、人間にも妖怪に愛される子に育って欲しいってよく言ってたから」


 椿女は楓に見せたことがないほど優しそうな顔で目を細める。それだけで、彼女とすみれがただの顔見知りでないことがわかった。


「母さんは、どうして……」


 楓が問いかける。母の死の真相を、彼女なら知っているのではないかと思ったからだ。

 椿女は、妙な間の後にぽつりと呟く。


「──あたしに言えるのは」


 秋の冷たい風が二人の間をすり抜けて、椿女の開いた本のページをぱらぱらと捲っていく。


「あんたが古御門泰親の孫ってことだけ」


 楓は小さく喉を鳴らした。それは母であるすみれが古御門家の人間であるということ。そして、楓にはもうひとつ確信できることがある。

 自分は母の死の間際そこに居た。記憶を包む闇が少しずつ剥がれかけていくような感覚はあるのに、それを思い出すことが出来ない。


(何だ……?)


 太陽の匂い。優しい声。自分を呼ぶ子供の声と、冷たい眼差し。そして……。

 強い耳鳴りがして、気が遠くなる。呼吸を忘れ、ただ硬直する楓の目の前で椿のかんざしが揺れた。


「楓!」


 椿女の小さな手が、倒れ込みそうになった楓を抱きしめる。袖から伸びた無数の枝が、楓の体に絡みついた。その枝に触れられていると、冷えた体がじんわりとあたたかくなって心まで落ち着いてくる。

 ようやく呼吸することを思い出して激しく肩を上下させる楓を、椿女は優しく抱きしめた。まるで幼子をあやすように。


「い、今の……お前がやったのか?」

「そんなわけないでしょ、殺すわよ」


 椿女はそっけない声で言いながら、おもむろに体を離した。どこか寂しそうな眼差しで、小さな手が楓の頬を撫でる。その手が頬から離れた。


挿絵(By みてみん)


「思い出さなくて良いこともあるの。だから、あんたたちは……」


 椿女が何かを呟いた時、校門の辺りが騒がしいことに気づいた。バレーの試合を終えた葵たちが帰ってきたのだ。しかし、どうも様子がおかしい。


「葵……!?」


 騒動の中心は葵だ。暴れる葵を日熊が羽交い締めにしている。


「ぐおおお……ッ、いいか、お前たち離れてろ!」


 部員たちを下がらせて日熊が叫ぶ。人並みにではあるが、力に自信のある日熊ですら、暴れる葵を押さえ込むのが精一杯だった。


「日熊先生!」


 騒ぎを聞きつけた楓たちが駆けつけると、そこには異様な形相で呻いている葵の姿があった。椿女は眉をひそめて日熊を睨む。


「これは一体どういうこと?」

「し、知らん! 学校(ここ)に戻ってきた途端急に暴れだして……ぐぬうううッ!」


 日熊は押さえつけているだけで精一杯といった様子だ。葵はまるで獣のような呻き声を上げている。


「そのまま押さえててください」

「じゅうぶん押さえてるぞーッ!」


 日熊は顔を真っ赤にさせて叫ぶ。楓はすぐに、肌身離さず持ち歩いている御札ケースをポケットから取り出そうとした。その瞬間。


「わあああッ!」


 日熊の手を振り切った葵が叫びながら飛びかかってくる。葵の口から細長いものが飛び出してきて、楓の手の中からケースを咥えて噛みちぎった。


「なッ……!?」


 見覚えのある札の破片が目の前で舞う。それは楓が大切にしている柊の札。彼自身にそれを生み出すことはできず、また作り方も分からない鬼符の破片だ。ズタズタに破かれ、楓の目の前で舞う。


「馬鹿、下がってなさい!」


 椿女が楓の体を蹴って地面に倒す。他の生徒たちには見られないように、葵の口を片手で押さえ込んだ椿女は袖の下から無数の枝を管狐に突き刺した。管狐が椿女の手の中で煙となって消えていく。

 楓はボロボロになった鬼符をぼんやりと見下ろすばかりだった。


「そんな……」


 楓が膝をつく。強い風が校庭の砂埃を巻き上げて、楓の長い髪を大きく揺らした。その強い風に乗って空に舞い上がる和紙をぼんやりと見上げる。


「か、楓……」


 楓を気遣って日熊が近づいてくる。彼の足元でバラバラになっているケースを拾い上げると、無事な札を探し始めた。全てが食い破られたわけではなく、ケースの中には何枚かの札が残されている。しかし鬼符が使えなくなったショックは大きい。


「良いじゃない、また作れば」

「か、簡単に言うな! あれは親父が作ったもので、僕には作れな──」


 軽い調子の椿女に、楓がひっくり返った声で反論する。楓が何度鬼符に救われてきたか椿女には分からないのだ。それだけ、楓は鬼符に頼ってきた。今後鬼符が使えなくなってしまうとなると、楓の力は大幅にダウンする。

 その時、タクシーが勢いよく校門から入ってきた。


「こ、今度は何だあッ!?」


 すっかりパニック状態の日熊の前で、運転席の窓がゆっくりと下ろされた。その運転席に座る人物を見て日熊はもちろん、楓も目を丸くする。


「雨福さん……!?」


 タクシーの運転手はカエルラの店主、青野雨福だった。


「お、おま……青野!? どうしてこんなところに居る!?」


 日熊の問いかけに、後部座席のドアが開いた。雨福の子であるハルが乗っていたのだ。


「古御門家にカチコミかけるアル。お前も来るがヨロシ」

「ま、待て。話が見えんぞ。カチコミ?」


 動揺する日熊だったが、ハルの隣に刀を抱いて俯いている子供に気づいた。その子供の顔立ちは誰かに似ている気がする。


「この子は人間か?」


 日熊が尋ねると、雨福の代わりにハルが答えた。


「名前は小田原清純(おだわらきよすみ)。さっき拾った」

「小田原って……」


 聞き覚えのあるその苗字を聞いて楓が戸惑いがちに後部座席の奥に腰掛けた少年を注視する。どこかで見たことがある古めかしい刀を抱きしめて目に涙を溜めている清純という少年の顔は誰かに似ていた。


「尾崎、先生……?」


 楓が小さな声で呟くと、日熊も納得したように両手をポンと叩いた。十六夜同様に清純からも嫌な気配はない。清純は、おずおずとタクシーから降りると刀を抱いたまま近づいてきた。


「清純の依頼。妈妈 、手伝って欲しい」

「依頼? 手伝うって……何を?」


 楓が戸惑いながらハルと清純を交互に見つめる。ハルは、不安そうな清純に楓を紹介した。


「鬼道楓。お前を助けてくれる陰陽師。すごく強い」


 ずいぶんざっくりとした紹介ではあるが、清純は理解を示したようだ。しゃくりあげながら楓に訴えてくる。


「お父さんとクロをっ、助けて! 殺されちゃうっ……お姉ちゃんもっ、さゆちゃんもっ……ボクのせいでっ!」


 清純はせきをきったように溢れる涙を拭うことなく楓に縋る。思わず日熊が清純をなだめに入った。


「クロというのは烏天狗の黒丸のことか? 一体何があったのか説明してくれ」


 おろおろしながら日熊が清純をなだめる。清純は涙を拭いながら答えた。妖に襲われ、小田原牛蒡と式神の黒丸は清純と彼の姉を逃がしたこと。しかし清純が気づいた時には既に、一緒に逃げたはずの姉たちが消えていたこと。


「ボクのせいなんだ。ボクなんかを家族に迎えてくれたから、あの人たちまで不幸になっちゃった」


 清純はそう言って刀を抱きしめる。その琥珀色の瞳にはすぐに涙が浮かんで清純の頬を濡らした。


「ボクなんかあの時死んじゃえば良かったんだ。あの女の人も言ってた。あんたなんか死んじゃえばいいのにって! 全部ボクのせいだ!」


 清純は泣きながら叫ぶ。幼い子供にここまで言わせた原因は楓たちには分からない。


「死んでいい奴なんて居ない」


 日熊がそう言って清純の頭を撫でる。清純と同じ目線になるように屈んだ日熊は、ムスッとした顔で清純の顔をのぞき込む。


「お前は幸せになっていいんだ」


 くしゃくしゃと蜂蜜色の髪を撫でて噛み締めるように告げる。遠い昔にも同じ言葉を誰かに口にした気がするな、と日熊は思った。その相手が誰だったのか、今では思い出せない。


「もう大丈夫だ」


 そう言って笑った日熊に、涙で顔をぐちゃぐちゃにした清純が泣きながら抱きついてくる。


「妈妈」


 ハルが楓の返事を待っている。楓は泣きじゃくる清純を見つめたまま黙っていたが、やがて口を開いた。


「雨福さん、清純くんを僕の家へ送ってください。それから、葵を病院へ」

「俺も付き添う」


 日熊はそう言って体を起こした。葵のことが心配な気持ちは楓と同じだからだ。


「あんたたちはどうするの?」


 椿女の問いかけに、ハルはおもむろに楓の傍に近づいて服の端を掴む。楓はボロボロになった御札を手に取ってポケットの中へと押し込んだ。


「小田原さんと……師匠を助ける」

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