【最弱陰陽師の決意】2★
「おにーちゃん、ごはんー」
頭上から呑気な子供の声が聞こえてくる。楓にはそれが冥鬼だと分かっていた。分かっていたが、体が動かない。どうやら、冥鬼が楓の腰にまたがっている。
「ごーはーんー!」
「く、苦しい……」
遠慮なく体を揺さぶられて、楓はしぶしぶ目を開けた。
冥鬼と共に楓の顔を覗き込んでいるのは黒猫の魔鬼だ。先刻までの気迫はどこにもない。首を傾げる冥鬼の傍で魔鬼が呆れたように目を細めた。
「これだから最弱なのだ、おぬしは」
「さ、最弱関係あるか?」
楓はじゃれつく冥鬼に頬を引っ張られながら胸が押しつぶされる苦しさに耐えていたが、やがて大きなため息をついてようやく冥鬼を体の上から退けた。
「……お前、結局何が言いたかったんだ?」
「別に? ただむしゃくしゃしていただけだ。おかげでスッキリしたぞ」
魔鬼はペロッと舌を出してイタズラっぽく片目を伏せるとその舌で毛繕いを始めた。
もちろん魔鬼がそんな理由で自分をからかったのではないと楓は分かっている。
「僕を試したのか?」
魔鬼は後ろ足を上げて器用に舐めながらそっぽを向いた。
「今のおぬしに妖を祓う力はない。言っただろう、最弱だと」
「う……」
「そして、そうなるようにしたのは我々だ」
魔鬼はそう言うとしっぽをピンと立てて楓に歩み寄ってくる。
「おぬしには特別な血が流れている。それが吉と出るか凶と出るかは分からんが……おぬしならその力に呑まれず、姫と共に戦えると信じている」
「えへへ」
目が合った冥鬼が無邪気に笑った。話の流れをほとんど理解していない様子だが、今はその屈託のない笑顔に救われる。
「なあ、母さんのこと……お前はどこまで知ってるんだ?」
楓が尋ねると、魔鬼はほんの少し目を細めた。
「僕だけじゃない。豆狸も覚えてないって言ってた。ずっと疑問だったんだ。生前の母さんを知っていたはずの豆狸が、母さんが亡くなった経緯を覚えてないなんて」
楓の話を黙って聞いていた魔鬼は、微動だにせずに目の前に佇んでいる。沈黙に耐えかねて声をかけようとした時、魔鬼が口を開いた。
「そんなに知りたければ──」
魔鬼が言いかけた時だった。チャイムの音と共に襖が開かれる。
そこに立っていたのは、一足早く秋の装いをしたゴウが居た。
「ご、ゴウ先輩……!?」
「よう。湿っぽくしてんじゃねーかと思ってさ」
ゴウが悪戯っぽく笑う。玄関から『ゴウくん、勝手に入っちゃダメよ』とたしなめる声が聞こえた。目を丸くしている楓よりも先に冥鬼がゴウに抱きつく。
「おとーさん!」
「にゃッ!? おとーさんじゃねーよ! いや、確かに魂はオマエの親父かもしれないけど……」
「きゃー♡」
冥鬼は楽しそうにはしゃいだ声を上げながらゴウにしがみついている。呆気に取られている楓の元に、八重花に連れられたハクがやってきた。
「おじゃまします、楓くん大丈夫?」
「は、ハク先輩……!」
長いマーメイドスカートを靡かせながらハクが微笑む。長いサイドの髪を頭の後ろで纏めていて普段よりもずっと大人びていた。スタイルの良さを強調するような縦ラインの入ったニットは年頃の少年を刺激するには充分だ。楓はハクを直視出来ずにあさっての方向を見ながら挨拶をする。
「お、おはようござい、ますッ……」
「もうお昼だけどね……楓くん、良かったら私たちとお出かけしない?」
ハクの問いかけに、楓は思わず『へえッ!?』と間抜けな返事をしてしまう。ゴウは全身ではしゃいでいる冥鬼を押しのけながら言った。
「オレたちに陰陽師のことは分かんねーけど、霊力って筋肉みたいに鍛えたら応えてくれるものらしい。……だよな?」
「さ、さよう」
先程まですっかり寛いでいたのに姿勢を正して答えたのは魔鬼だった。心なしか彼も緊張しているようだ。きっと、ゴウのなかにあるもうひとつの魂を感じ取ったせいだろうと楓は思った。
魔鬼の返事を聞いて不敵に笑ったゴウは、ぽかんとしていたまま座り込んでいる楓を見下ろすと小さく咳払いをする。
「これからオレたちと課外活動だ! 早く支度しろよ」
それは完全に予想外の誘いだった。




