【最弱陰陽師の決意】1
「それで、柊をやったのは古御門泰親だと?」
黒猫が静かに語りかける。柊が好んで座っていた座布団の上に腰を落としてゆらりゆらりと尻尾を振っていた。
「その尾崎八雲という男、本当はその者が柊を殺そうとしたのではないか?」
ぺろぺろと前足を舐めながら問いかける黒猫に、楓は僅かに口を噤んでから『わからない』と答える。正直な答えだった。
「でも、親父が怪我をしたのは事実だ。今は八雲さんを信じるしかない」
楓はそう言って数珠の嵌められた右手首をギュッと握りしめる。
古御門家によって、呪われた一族だと広められた尾崎家。彼らを憎む八雲の気持ちがどれほどなのか、楓には想像も出来ない。
「この機に──陰陽師を辞めるというのはどうだ?」
目の前の黒猫は背中を座布団に擦り付けながら身をくねらせる。予想外の返事を聞いて楓は思わず声を上げた。
「お前、親父の式神だろ。なのに、そんな言い方……」
「それは柊の失態だ。我には関係ない」
まるで突き放すような冷たい声色だった。しかし魔鬼が冷酷な妖怪でないことは、彼に育てられた楓が一番よく知っている。そして、魔鬼が柊を信頼していることも。
「僕が陰陽師を辞めたら、冥鬼はどうなる? お前、あいつの教育係なんだよな?」
座布団に背中を擦り付けていた魔鬼が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「お前の知恵を貸して欲しいんだ」
じっと魔鬼の瞳を見つめて楓が問いかける。魔鬼は黙ってガラス玉のような目を細めていたが、やがて体を起こした。
「……我を脅すとは、一体誰に似たのやら」
楓に背を向けた魔鬼がため息混じりに呟く。畳に映った黒猫の影がゆっくりと大きく伸びていった。
その影は楓の足元にまで広がっていき、辺り一面を闇に染めていく。突然地面を失った感覚でその場に崩れ落ちそうになった楓は、それが巨大な影であると気づいた。
「……ッ!?」
楓の頭上から、黒く巨大な妖が唸りを上げている。それが魔鬼だと気づくのと、彼の口元から青い炎が漏れたのは同時だった。
咄嗟に背を向けようとするが、巨大な足が楓の目の前に下ろされる。すぐさま方向転換しようにも、熱い炎が楓の進路を阻んだ。
「な、何す……」
「普通の子供として生きればどれほど幸せになれるか、おぬしが一番分かっているだろう?」
動揺する楓の頭上から魔鬼が語りかける。楓の脳裏に、学校で知り合った友達の顔が浮かんだ。部活仲間との楽しい日々も、学校の行事も、全て一生の内のほんの僅かしか味わえないものだ。それがどんなに尊いことなのか、楓にも分かる。
「おぬしはあまりにも、弱すぎるのだ」
いくら修行を積んで、鍛錬に励み、妖怪を退治したところで、幼い頃から鍛錬を積んできた陰陽師には敵わない。楓と彼らには大きな経験の差があると、魔鬼の目が言っている。
彼が辞めたところで、後任の陰陽師が妖怪を倒していくだけだ。冥鬼にとっても、弱い自分と行動するよりも強い陰陽師に仕えた方が良いのかもしれない。
「それでも……」
楓が脳裏に思い浮かべたのははにかむような少女の微笑みだった。あの微笑みがあったから、前を向こうと思えた。今後、彼女に災厄が降り掛かった時、強敵が襲ってきた時、彼女を護るのは。
「……僕だ」
いつの間にか強く握っていた拳をおもむろに魔鬼へと向けて、楓は息を吸った。
「一生護るって、決めた……!」
その決意を口にした時、楓の視界を青い炎が覆ったのだった。




