【怪異を探せ】4
どこか遠くから僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、失われていた意識が呼び起こされる。
気がつくと、僕は焼却炉の目の前で倒れ込んでいた。そんな僕を覗き込んで戸惑ったように見つめているのはゴウ先輩だ。
「どーしたんだよ、突然倒れるからビックリしたぜ……」
「え……? ゴウ、先輩……? ひ、火に包まれた女の子、は……?」
僕は霞む視界の中でゴウ先輩に問いかけると、ゴウ先輩は首を傾げながらズボンのポケットからハンカチを取り出す。
「何言ってんだよ、とりあえずこれで拭け。すごい汗だぞ」
僕はゴウ先輩に渡されたハンカチを言われるままに頬に当てた。水で濡らしてくれたらしく、ハンカチはひんやりと冷たい。特別暑い日でもないのに、僕は自分でも驚いてしまうくらい汗をかいていた。
「女の子が……目の前で炎に包まれたんです……それで、僕……助けようとしたんですけど……首を、絞められて……」
記憶の中の光景を、断片的に思い出しながら、僕は少女が炎に包まれたことを途切れ途切れに説明する。
ゴウ先輩は、僕を見つめたまま笑わずに話を聞いていたが、やがて口を開いて話してくれた。
「……東妖の七不思議に、鬼火の焼却炉ってのがあってよ。昔一人の女子生徒が焼却炉の中に入れられて殺されたっていう事件があったそうだ」
もちろん噂だぜ、と付け足してゴウ先輩が続ける。
「そのせいもあって、滅多にこの焼却炉を使う奴なんて居ねえ。さっきのオマエが言ったように、焼却炉から出る煙は環境に良くねえから近いうちに撤去しようぜって生徒会も話してた。近所の苦情もあったらしくてな」
そう言ったゴウ先輩は、ゆっくりと体を起こして焼却炉を睨むように見つめた。
「話はそれだけじゃない。この焼却炉の前を通ると……鬼火を見るらしい。女の子の声で、何で殺したの……って迫ってくる、って言うんだ」
ゴウ先輩は両手首をぶらんと下げるようにして幽霊を真似た素振りをする。まさに僕が聞いた台詞と同じだ。思わず僕が息を呑むと、ゴウ先輩も僕が見たものに合点がいったらしくて頷きを返す。
「オレはさっき、焼却炉の前に不審な女子が居たからオマエに声をかけたんだぜ。その女、焼却炉で火遊びをしようとしてたからすぐに怒鳴って追い払ったんだが──そしたらオマエが急に倒れ込んできてさ……もしかして鬼道、オマエってオカルトに興味ないように見えて、実はめちゃくちゃ霊感あるのか?」
ゴウ先輩はそう言って、どこか羨ましそうな眼差しで僕を見つめた。ネコミミ(髪だが)が、ピコピコと跳ねている。僕からしてみれば、先輩のそのネコミミのほうがよっぽどオカルトだが……。
「鬼火の焼却炉の噂が本物なら……七不思議は本当ってことになるよなあ……」
ゴウ先輩が僕の袖から手を離して神妙そうに腕を組んでいた。
炎の熱も、焦げ臭い臭いも、首を絞められた時の痛みも、あまりにもリアルすぎたせいか、まだ頭がぼうっとしている。
僕が見た少女が本当に幽霊──鬼火だというのなら、冥鬼の力を借りて退治することが出来るはずだ。もちろん、仕掛けるなら人のいない夜中ってことになるが……。
「……なあ。マジでだいじょぶか?」
黙りこくったままの僕を心配してか、ゴウ先輩がもう一度しゃがみこんで尋ねる。
僕は慌てて、借りたままのハンカチを軽く握るとその場から立ち上がった。
「す、すみません……びっくりしちゃって。もう大丈夫です」
「……なら帰ろーぜ。あんまりここに居たらまた変なモン見ちまうかもしんねえだろ」
ゴウ先輩は僕を気遣うようにして軽く背中を押すと、またさっきと同じように大股で校門へと向かう。僕は例の焼却炉を改めてもう少し見ておきたかったのだが、ゴウ先輩に急かされる形でその場を後にした。
やがて僕たちは学校からさほど時間のかからない駅へと向かい、二人揃って電車へと乗りこむ。同じ路線ってことに驚いたが……彼はハク先輩と同じ家に住んでるんだから当たり前か。
「あの、先輩」
「ふにゃあぁ〜ふ……」
ゴウ先輩は相変わらず眠そうに変な欠伸をしていた。
「さっきの焼却炉……このままにしていいんでしょうか」
「そー、だな……馬鹿千穂も喜びそうな案件だし……」
僕は貸してもらったままのハンカチを握ったまま俯く。ゴウ先輩も思うところがあるのか、何となく落ち着かなげに視線を遠くに向けていた。
「……あの焼却炉の謎を調べることで学校に貢献できたら、色んな問題が解決するんですけどね……」
僕の呟きに、ゴウ先輩は答えない。
ちらりと横目で見ると、眠いのかしきりに目を擦っていた。やがて空いた座席に腰掛けたゴウ先輩がうとうとした様子で瞼を伏せる。心無しか、ネコミミもゴウ先輩の眠気に合わせて力なく下がっていた。
しばらく寝かせたほうがいいのかもしれない。
自然と無言になった僕の視線の先で、景色が変わっていく。
先輩の最寄り駅までもうすぐだし、その時には起こさないとな。
(けど……僕もちょっと疲れた……)
僕は車内アナウンスに気をつけながらゆっくりと瞼を伏せた。
ほんの少しだけうたたねをしようかと、そう思っていた時だった。
停車駅のアナウンスを耳にした途端、傍らで眠りこけていたゴウ先輩が慌てたように飛び起きる。
「やっべ! 鬼ヶ島じゃねーか!?」
鬼ヶ島というのは駅の名前だ。ハク先輩、そしてゴウ先輩の最寄り駅でもある。
「鬼道! さっきの話の続きだけどっ、帰ったら連絡すっから! ハンカチは洗って返せよ! いいな!」
「え、あ……」
僕が何かを言う前に、ゴウ先輩は口元をゴシゴシと擦りながら(おそらくよだれを垂らして寝ていたんだろう)立ち上がると、捲し立てるようにして電車から飛び出してしまった。
間一髪で電車のドアが閉まる。
「……いや、連絡先交換してませんよ……」
僕は先輩から借りたままのハンカチを握ってぽつりと呟いた。