【小田原家】2
メモを頼りに住宅街を進んでいく。きぃちゃんの家まであと少しだ。会ったらまず何を話そうか。体は大丈夫? とか? それとも、きぃちゃんのメイド姿も見たかったよ、かな? あー、オレが口を挟むと話が脱線するかもしれない。
「オレ、やっぱりどこかで待ってた方が良くないです?」
「おまッ……自分抜きできぃちゃんに会うなって言ってたやんけ! 今更怖気付いたんか?」
ご主人は慌てたようにオレの肩をどつこうとするもんだから、オレはぴょんっとジャンプしてご主人の先を歩く。
「怖気付いてるのはご主人でしょ。さっきから足取りが重くなってますし」
「こ、これは……足音立てないようにしてんねん! ご近所迷惑やろ!」
とか何とか言いながらご主人の声はどんどん小さくなっていき、足取りもどんどん重くなる。
なんて言うか、まあ……。
「ご主人ってホンマ繊細ですよねぇ……」
「お前に言われたくないわ」
ご主人は、ぶつくさ言いながらも険しい顔でメモの通りに住宅街を進んでいく。
その時だった。
ふらふらとよろめくようにして子供がこちらに向かって歩いてくる。ぬいぐるみを抱きしめた幼い子供だ。靴も履いてない。
「な、何や……君、どうしたん?」
ご主人が声をかけると、子供は糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。腕や膝にはアザが出来ていて、痛々しい擦り傷もついている。彼の体には僅かだけど妖気が漂っていた。
次の瞬間、子供が抱きしめていたウサギのぬいぐるみがご主人に掴みかかってきた。そのふわふわの手にはキラッと光るものが見える。
「オオルリ!」
オレは腰の短刀を引き抜いてぬいぐるみの腕を切断する。血でも綿でもなく、ぬいぐるみの腕からはいっぱいの米粒と大量の髪の毛が噴き出した。
「うへぇっ、何やコイツ」
「わかんないですケド、この子、取り憑かれてるかもしれません。オレがやります」
オレは携帯しているちっちゃな瓢箪の蓋を開けて子供の口元に押し付けた。中の水を飲むように促すけれど、子供は衰弱してるせいか口を小さく動かして咳き込んでしまう。うーん、こうなったら……。
「……」
オレは瓢箪の中の水を一気に自分の口に含むと、子供に口移しをした。子供はびっくりしたように体を強ばらせたが、少しずつゆっくりと水を飲み干していく。
「えらいえらい、ちゃんと全部飲めた」
ご主人がしてくれるみたいに子供の頭を撫でる。これでこの子の処置はひとまず完了した。後はぬいぐるみをお清めの糸で縛り付ける。ぬいぐるみの体はしばらく小刻みに痙攣していたけれど、やがて妖気が消えて動かなくなった。
「久しぶりに見たで、このタイプ」
「へへっ、でもオレの敵じゃなかったですね〜ッ!」
オレはぐったりした子供を抱き上げて笑った。
その時、マンションから細身の女の子が現れる。制服姿が見慣れすぎてて一瞬誰だか分からなかったけど、きぃちゃんだ。
「あっ……」
どうやら目的地はここだったみたいだ。きぃちゃんは、何が起きたのかサッパリ分からないって顔をしてオレとご主人を見ている。
だけど気を失った子供を見てただ事じゃないと思ったのか、すぐに険しい顔をして『上がって』と言った。
きぃちゃんは、マンションの最上階に一人で暮らしているそうだ。奥様が入院する前は二人で暮らしていたらしいけど、今では式神がきぃちゃんと一緒に居てくれている。
「二度と会いたくなかった……」
「酷いなー。今日えらいかっこよかったよー? 仲良くしよ、さゆちゃん!」
「……」
ソファに座ってハート型のクッションをぎゅっと抱きしめているつらら女郎のさゆちゃんに声をかけるけど、返事は無視だった。このくらいでへこたれませんけどね、オレ!
「きぃちゃん、この子の家分かるか?」
「わからない。私、あまりご近所付き合いしてないし……と言うかこのままここに置いていいのかな……警察呼んだ方が……? うーん……」
きぃちゃんは広いリビングを行ったり来たりしながら一生懸命考えている。オレも何か助けてあげたいケド、妖怪に出来ることなんて限られてる。あ、子育ては得意ですよ!
「ここ、は……?」
「あ、起きた。おはよ〜、お名前言えるかな?」
顔を覗き込んでいると、子供がうっすらと目を開けた。色素の薄い琥珀色の瞳が綺麗だ。
子供は小さく口を動かしたけれど、怪訝そうな顔をして虚空を見上げた。
「覚えて、ない……」
「お父さんかお母さんのお名前は?」
「……わからない」
ふるふる、と子供がかぶりを振った。その体は小さく震えている。オレはその体を抱き上げて、ご主人がしてくれたように背中を優しく撫でた。
「そっか。オレは黒丸。クロって呼んで!」
「く、ろ……さっき、水を飲ませてくれた……?」
子供が遠慮がちに尋ねる。そうだよ、と答えると子供はちょっと恥ずかしそうに目を逸らした。
「き、キス……した?」
「きす? ああ、口移しか! ウン、した!」
そうでもしないと水飲めなかったでしょって笑う。子供は顔を赤くして唇をしきりに触っていた。
金髪に整った顔立ち。きっと大きくなったらイケメンさんになる。なぜかオレの脳裏に、金髪の男……九兵衛の姿がよぎった。
世間が広いのか、それとも狭いのか、子供の顔立ちはアイツによく似てる。
「あ、ありがと。クロはボクの命の恩人……なんだよね?」
子供は天使みたいな笑顔ではにかんだ。ウン、前言撤回。こんなかわいい子がアイツと似てるわけないし!
「かわいい〜! オレの弟にしてあげる!」
「アホ言うな、どつくぞ」
どつくぞと言う前にご主人がオレの頭をどついてる。オレは頭を押さえながらご主人に振り返った。
「とりま、やっぱ捜査ですよね? 妖怪絡みの案件やし!」
「いや、これは警察呼んだ方がええやろ。この子はしかるべきところで保護せなアカン」
ご主人はそう言って子供のシャツを軽く捲った。服の下には、いくつも青あざがついている。青紫色になって、徐々に腫れ上がっている。どこかに強く打ち付けられたような、痛々しい跡。これって妖怪が付けたのかな? オレには判断がつかなくてご主人ときぃちゃんの表情を窺う。
「覚えてないけど……誰も、ボクの心配なんかしてないんじゃないかな……」
子供が少し寂しそうに呟く。オレは咄嗟に、この子を放っておけないと思った。一人にしちゃダメだ。オレは子供の体をぎゅーっと抱きしめる。
「く、クロ……?」
どうにかしてこの子の助けになれないかな。人間の知り合いは少なくても、妖怪の知り合いなら多い。伊達に長生きしてないもんね。
「オレ、しばらくこっちに居ていいですか? この子の両親、探してあげたい」
「クロ、お前誰の式神や?」
ご主人がじろりとオレを睨んだ。
「式神は契約した陰陽師の命令に絶対服従や。コイツの両親を探すって……警察にでもなったつもりなんか?」
ご主人の言うことはもっともだった。
オレは警察じゃないし、彼の親でもない。
だけど……。
「だって、身体中キズだらけでほっとけないし……」
「そんなら児童相談所や。ますます俺らの仕事やないな」
いつにも増してご主人は厳しい。きっと今回ばかりは、ご主人の言うことに間違いはないのかもしれない。
ふと、子供と目が合った。彼は小さくかぶりを振って握ったままの手を離そうとする。
その時だった。
「俺は引き続き関東で過ごす! きぃちゃんとの話も終わってへんし……そのついでに、ガキの親を探してどつけばええんやろ。何か文句あるか?」
ご主人がいつもの不機嫌そうな声で言い放つと、きぃちゃんが少しだけ笑ったような気配がした。
えっと……。
オレは子供と顔を見合せて、ご主人に言われた言葉の意味を頭の中でぐるぐると考える。つまりこの子とさよならしないで助けてあげられるってこと?
「ご主人ありがとーっ!」
「わっ」
オレは、戸惑う子供をぎゅーっと抱きしめて足をバタつかせた。
やっぱりオレの相方はご主人しかおらん!




