【文化祭】11
ハク先輩が牛尾にさらわれたのは僕の妄想でも白昼夢でもなかった。僕は牛尾の──猿神の術中にハマってしまったのだ。
僕は猿神に攫われたハク先輩を一刻も早く助けなければいけない。混乱することばかりだったが、さらにもっと僕を混乱させたのは……僕を部室に呼び出したゴウ先輩の発言だ。
彼は、自分を豪鬼という常夜の王だと名乗った。
「まさかこんなにも早く正体を明かすことになるとは思わなかった。てっきり冥鬼が口を滑らせると思っていたからな」
こんな大変な時にこの人は何を言ってるんだろう。メイドごっこの延長か、それとも単なる悪ふざけなのか──そう思ったけれど、どうやら違う。ゴウ先輩の纏う雰囲気がいつもと違っていたから。
「我が娘が世話になっている」
自らを豪鬼と名乗った彼が、小さな手を僕に差し出す。王……と言う割に、とてもフレンドリーな人だ。だけど、今の僕はその手を取る気分になれない。
「……ハク先輩のこと、聞かせてくれませんか」
冥鬼の父親がゴウ先輩の体を使っているなら、もしやという気持ちはあった。猿神が彼女をさらった理由にも納得がいく。だけど確信はなかったし、できれば無関係であって欲しい。
怖々と、だけど性急に尋ねる僕を見て豪鬼が差し出した手を下ろす。やがて言葉を選ぶように唇を結んだ豪鬼は、おもむろに自分とハク先輩との関係について話し始めた。それは、にわかには信じがたいけれど……彼にはその話を信じ込ませるチカラがあったのだ。
豪鬼曰く、鬼原家はとても古い一族で、その先祖は天女だと言う。
天女には三人の子供が居た。その内の二人は鬼原家の血を引く本家と分家の者。それがハク先輩とゴウ先輩の先祖。そして三人目の子供が、常夜の国の王だった。
冥鬼の両親は、常夜の王の遠い血縁者である鬼原家と魂で繋がっていると言う。そして必要な時に鬼原家の体を借りることがあるのだと言った。
「ゴウ先輩は知っているんですか?」
「知らないフリをしている。気づいていないフリをしている。この子はそうやって生きてきたからな」
豪鬼は、どこか憐れむような顔で自分の体を見下ろした。
冥鬼の父である豪鬼の魂はゴウ先輩と、冥鬼の母である白夜の魂はハク先輩と繋がっている。豪鬼は癒しのチカラを、そして白夜は不死のチカラを持つという。なるほど……だからゴウ先輩は何の修行もしていないのに僕の傷を癒せたわけだ。
「白夜に宿る不死のチカラは人間には有り余るものだ。悪用されるわけにはいかない」
「だ、だったら早く……」
一刻も早くハク先輩を助けに行きましょう、と言おうとする僕を豪鬼が制した。赤い目がジッと僕を見つめている。
豪鬼はおもむろに僕に近づくと、顔をのぞき込むように背伸びをした。
「鬼道楓、貴様のことは鬼原ゴウを通してずっと見ていた。だからこそ問おう」
つり目がちの赤い瞳が一度、静かに瞬く。
「貴様は鬼原ハクを愛しているか? 私が白夜を愛するように」
その問いかけに、僕の顔は一気に熱くなる。い、いきなり何を言い出すんだこの人は……。けれど、その問いかけがとても重要ものだってことは彼の眼差しを見れば分かる。
だから僕も正直に答えよう。
「僕は……ハク先輩が心から大切で、守りたいと思っています。だから、その質問には答えられません」
豪鬼が目を丸くして首を傾げた。僕は、深く息を吸い込んで瞼を伏せる。脳裏に浮かぶのは、ハク先輩の笑顔。ハク先輩はいつも優しくて、時々悪戯っぽいところもあるけど、そんな先輩のことを想うだけで胸が苦しくなる。
合宿で見せた悪戯な先輩の顔、二人きりの祭りで見せた、眩しい笑顔。今日の文化祭で花占いをしてくれた時のこと……。全部大切で……だから僕は。
「……この気持ちを一番最初に伝えるのは、ハク先輩って決めてるんです」
僕の返答を聞いた豪鬼が目を丸くした。けれどすぐに納得がいったように深く頷きを返し、僕に小さな手を差し出してくる。
「ならば行こうか、鬼道楓。我が友よ」
今度こそ僕は、迷いなく豪鬼の手を取った。




