【小田原家の文化祭】2
「おじさまも……楓くんと同じで陰陽師なんですか?」
「あんな小賢しいアホと一緒にすんな、こちとらプロやぞ。いいからとっとと……」
ご主人が言いかけた時、鉄製の扉が嫌な音を立てて剥がれ落ちた。プールの水が勢いよくハクちゃん目掛けて襲いかかってくる。
「遮壁簾風!」
ご主人が白紙の御札を翳すと、風で出来たすだれがハクちゃんの身を守った。地面に飛び散った水がゼリー状に固まって生き物みたいに蠢いている。
「邪魔が入りましたか」
丁寧な言葉遣いと共に、壊れかけの扉の向こうから学生服の少年が現れた。集められた水は、少年の周囲で重力に反するようにぷかぷかとシャボン玉みたいに浮かんでいる。
「つ、水流紗雪ちゃん!?」
ハクちゃんが驚いたような声を上げた。男の後ろには銀髪の小柄な女の子が倒れている。プールの水が巻き上げられ、水で出来た塔の先端にはオレたちにとって大事な家族が捕らわれていた。
「清音!」
ご主人が声を上げると、水の塔に捕らわれた少女がオレたちを見て表情を曇らせる。
「お、とうさん……クロ……」
何となく事情は察したよ、鳥頭のオレでもさ。この胡散臭い笑顔の男がプールの妖怪を使ってオレの家族を傷つけた。オレの推測が当たってるなら、やることはひとつだ。
「クロ!」
「わかってますよー、ご主人!」
オレは背中から黒い翼を出現させて体を包む。お面はバッチリ、早着替えも完璧だ。
「ヒスイ、オオルリ──出番や」
腰に差した二本の短刀を引き抜いたオレは大きく翼を広げて舞い上がる。滝のように流れ込んでくる水が銀髪の少女に襲いかかるのを二本の刀で押さえ込んだ。
この子たちはただの刀じゃない。天狗の刀を甘く見てもらっちゃ困るんですから。
オレは襲いかかる水の鞭を斬り捨てると、倒れている少女を抱えあげて後退する。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
「う……」
声をかけると、女の子は小さな呻き声を上げて身動ぎした。怪我はしているけどどうやら息はあるみたいだ。
「き、清音は……私が、助ける……の」
うわ言のように少女が呟いた。なるほど、良い相棒が居るんやね……きぃちゃん。
オレは腰の麻袋から丸薬を手に取って少女の口に押し込む。
「それ飲んだら力貸して。きぃちゃんはオレたちの家族だから」
「……!」
丸薬を口にして目を丸くしている少女に声をかけた時、水がうねりながらオレたちに襲いかかってくる。
「私に……触らない……で……!」
少女が手を差し伸べると、オレたちに襲いかかろうとした水は巨大なつららへ変わった。なるほど、氷の妖怪。水流って苗字から察するに、水流山のつらら女郎さんかな? 確か娘が居たはずだ。
「むぐぅ……何これ、甘い」
「効くでしょ〜、天狗の丸薬! さゆちゃんはもっと甘いほうが好き?」
ハクちゃんがそう呼んでいたからオレもそれにならってさゆちゃんと呼んでみる。顔を覗き込むと、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまった。
「さゆちゃん……」
そんなさゆちゃんに、ハクちゃんが遠慮がちに歩み寄る。
「あのね、また会えて嬉しいわ。楓くんもさゆちゃんのこと、すごく気にしてて……」
「……っ!」
さゆちゃんは、ハクちゃんに気づいた途端バツが悪そうに俯いてオレの後ろに隠れようとした。けれど次の瞬間、ハッとした顔でハクちゃんへ手を伸ばす。
彼女の手から現れた氷柱がハクちゃんの体の前に打ち立てられたと同時に水の鞭が襲いかかった。まさに間一髪ってところだ。
「邪魔しないでください、雑魚ならなおさら、自分の立場を弁えるべきだ」
そう言ったのはさっきの男。笑顔のわざとらしい子供だ。
「清音もあなたも、揃いも揃って報連相という言葉を知らないらしい」
神経質そうな男が言う。ハクちゃんは小声でオレに教えてくれた。奴の名前は仙北屋黒夢。とても金持ちさんで、生徒会長をしているそうだ。はて仙北屋……どっかで聞いたことあるなあ。
「報告、連絡、相談です。かんなぎが鬼原ハクだと何故報告しなかったんですか?」
仙北屋が睨みつけたのはきぃちゃんだ。きぃちゃんは苦しそうに身動ぎした。口を開きかけるきぃちゃんを、つらら女郎が庇うように進み出る。
「清音は……悪くない。悪いのは……あんたたち……きゃっ!」
「今喋ったのは──人間に使役されるだけしか能のないゴミでしょうか」
仙北屋はそう言ってさゆちゃんの頬を叩く。さゆちゃんの白い頬は仙北屋にぶたれて赤くなってしまった。女の子に手ぇ上げるなんてサイテーな奴だ。
「さゆちゃん、オレの後ろに隠れててええよ」
良かれと思ってさゆちゃんに声をかけるけど余計なお世話だったらしく、泣きそうな顔で睨まれてしまった。
「陰陽師の小田原牛蒡さんですよね。知っていますよ。奥さんと子供に逃げられたご立派な陰陽師だ」
わざとらしい挑発の言葉に、ご主人が乗るわけがない。オレは人間に手が出せないけど、きぃちゃんを捕まえてる妖怪を仕留めることだったらできる。
なるべく、ご主人が術を使わなくて済むようにしないと……。
「知っていますか? 清音が陰陽師になった理由」
仙北屋が続けた。水の塔に捕らわれているきぃちゃんが小さな声で『やめて』と呟こうとするけど、水圧で締め付けられて苦しそうな悲鳴に変わる。
「あなたの奥さん、病気で寝たきりになってしまったそうですよ。知ってました?」
その言葉を聞いて、ご主人の顔色が変わる。
きぃちゃんの両親、つまりご主人と奥様は恋愛結婚だった。没落した東方家の一人娘に一目惚れしたご主人の猛烈なアタックでようやく二人は結ばれてさ。
家族が欲しかったご主人にとって、奥様ときぃちゃんは目に入れても痛くないほど大切な存在。もちろんオレにとってもそうだ。けれど、人間って時間と共にどんどん不器用になっていくんだ。ご主人と奥様は、子育てのことや仕事のことでたびたび言い合うことが増えた。ご主人は口が上手くないから、誤解されがちだしよく敵を作る。奥様は、そんなご主人の数少ない理解者の一人だった。
離婚した後もきぃちゃんにはちょくちょく会ってたけど……きぃちゃんが高校に上がる頃、もう会いにこないで欲しいって言われてしまった。ちょうど思春期真っ盛りだし、きぃちゃんにもそういう気分の時があるんやと思ってたケド……仙北屋の口振りから察するに、事情はもっと複雑みたい。
「清音は母親のために、陰陽師狩りになったんです」
芝居がかった口調でそう言った仙北屋は、性格の悪さを隠しきれない顔でニヤッと笑った。




