【文化祭】7
「先に花びらを取るのはどちらか、じゃんけんで決めましょうね♡」
ハク先輩はそう言うと、おもむろに掌を見せて言った。
「私はパーを出します。勝つのも負けるのもご主人様次第です♡」
しなやかな指が僕の目の前で揺れる。
勝つのも負けるのも僕次第、ってことは……ハク先輩とキスをしたいかどうかは僕が決められるってことだ。
花弁の数は五枚。僕が先行なら間違いなく最後の花弁は『スキ』になる。
どうする? 僕──!
「じゃんけん、ぽん♡」
ハク先輩が、宣言通りにパーを出す。僕は……。
「ご主人様の勝ちです♡」
チョキを出していた。
仕方ないだろ、ハク先輩とキスできるなんて言われたらやるしかないだろ!
「では、先にご主人様からどうぞ♡ あ、ちゃんとスキって声に出して言ってくださいね♡」
ハク先輩が花を差し出す。僕は震える指で花弁をつまんだ。作り物の花びらは、ゆっくりと僕の指によって引き抜かれる。
「す、好き……」
僕は小さな声で呟いた。何だかハク先輩に好きだと伝えているみたいで照れくさいというか、恥ずかしい。
「キ、ラ、イ♡」
ハク先輩がそう言って花弁を引き抜く。僕は思わずビクッと肩を揺らした。
「どうしました? ご主人様の番ですよ」
「は、はい……」
ハク先輩が何事もなかったように笑いかける。
まさかハク先輩の口から、そんな嬉しそうな『キライ』なんて言葉を聞くハメになるなんて。ゲームとは言え、胸が抉られるようだ。
このゲーム、思った以上に厳しいぞ……。
「す、好き……」
「キライ♡」
花弁を取るたび、僕の心は折れそうになる。まさか本当にハク先輩が僕のことを嫌いなんじゃないかと思ってしまうほどに。
最後の一枚の花弁を抜いて、またキライと言われたら僕の心は今度こそ粉々に散ってしまうだろう。
「……」
ハク先輩は黙って僕の手元を見つめている。最後の花弁を抜きとる僕の行動を待っているかのように。
僕は震える手を伸ばすと、花弁を指でつまむ。
「……す」
ゆっくりと花弁が抜き取られていく。
言わなきゃ。あの言葉を口にするんだ。たとえこれがゲームだとしても、ハッキリと口にしなければ。
僕はハク先輩のことがッ……。
「……っき……」
絞り出すようにその言葉を口にした時、ハク先輩がゆっくりと僕に顔を寄せた。
はにかむように微笑んだハク先輩が僕の頬に口付ける。
「私も大好きです、ご主人様♡」
掠めるように口付けたハク先輩は、両手でハートを作った。
僕は頬に触れた柔らかい感触の存在が信じられなくて、まるで夢を見ているかのようで……。た、魂が……浄化される……。
「ゲームはおしまい♡ お食事を楽しんでくださいね♡」
ハク先輩はそう言って微笑むと、テーブルの上の花びらを手で集めてから席を立った。
僕はハク先輩に口付けられた頬を撫でながら彼女の唇の感触を思い出している。
これが……幸せ、ってヤツか……。
「おにーちゃんへんなかおー」
僕の隣で冥鬼が唇をへの字にして頬杖をついている。ちょっと呆れたような顔だ。
「そ、そうか?」
「ぶー、メイたいくつ」
何やら機嫌の悪くなってしまった冥鬼をあやしながら待っていると、トレイにパフェグラスを乗せたルナがやってきた。
「お待たせしましたにゃ、ご主人様♡ こちらが当店自慢のニャンニャンパフェ、そしてお先にお飲み物を失礼しますにゃ。オレンジジュースとミルク、抹茶フラペチーノですにゃ♡」
小学生にしか見えない小さなメイドはそう言って大きなパフェグラスを難なく持ち上げて僕の目の前に置く。オレンジジュースとミルクと抹茶フラペチーノは冥鬼たちの目の前に置かれた。
間もなく揚げたてのコロッケが到着すると、ハルは箸を使って器用に食べ始める。八重花は上品な仕草で抹茶フラペチーノをちびちびと飲み始めた。冥鬼は時々ハルにコロッケをねだりながらオレンジジュースを飲んでいるようだ。
「美味いか? 二人とも」
「非常好吃」
「おいしい!」
小さく頷くハルに対して冥鬼は元気いっぱいの笑顔で答えた。どうやら冥鬼の機嫌は戻ったらしい。
ほっとしている僕の隣に腰掛けたルナは、ネコのスプーンを手に取って生クリームをすくいあげた。
「ご主人様♡ ボクがとびっきりおいしくなる魔法をかけたパフェ、いっぱい食べて欲しいにゃ♡」
ルナは無邪気に八重歯を見せて笑った。
その無邪気な笑顔はどこかで見たことがあるような、ないような……。もしかして、テレビとか雑誌か何かで見たんだろうか? こんなにかわいいメイドなんだから、一般人じゃないだろう。
立ち振る舞いも完璧だし、何より幼い外見にメイド服というギャップは……僕じゃなくても男心をイタズラにくすぐるはずだ。そりゃ長蛇の列も出来るよな……。
「いただきます……」
僕は大人しくこの状況を受け入れようと、ルナの差し出す生クリームを口に含んだ。さっぱりとした生クリームが口の中で溶けていく。このジメジメとした暑さにパフェの甘さはしつこいかもしれないと思ったけど……そんなことはなかった。
「ご主人様、おいしいにゃ?」
「ええ、おいしいですよ……サッパリしてて」
頷きながら答えると、ルナは嬉しそうに鈴を鳴らしながら僕の腕にしがみついた。
「本当にゃ? えへへ……ボクを撫でながら食べるともっと美味しくなるにゃ♡」
僕は言われるまま、メイドの頭に手を添える。ふわふわしたくせっ毛の髪が気持ちよかった。
何というか……癒される。まるで本物の猫カフェに来たかのような癒しの空間だ。
僕はねだられるままメイドの頭を撫でながら、時にパフェを口に運んで。和やかな時間を過ごしていた。
そんな中、僕はふとゴウ先輩の行方が気になって口を開く。
「僕、鬼原ゴウ先輩に招待されて来たんです。ゴウ先輩がどこにいるか知りませんか?」
僕の問いかけに、ルナは優しく微笑んだ。
「この店は、外の世界から来たご主人様たちの疲れや悩みを、ボクたち捨てネコが癒してあげるための喫茶店。ご主人様が望むなら、いつまでもボクたちがご奉仕するにゃ」
ルナがネコミミを揺らして僕を見上げる。
質問の答えになってない……けど、ハク先輩とは違った癒しのオーラにすっかり毒気を抜かれてしまった僕は、反論する気持ちもなくなってルナの髪を撫でた。
「ありがとう……ルナ。でも僕は疲れてなんかない。君の方こそ疲れてるんじゃないか?」
そう尋ねると、ルナはかぶりを振って席から立ち上がると、僕の頭をぎゅう、と優しく抱きしめた。
「ルナは平気だにゃ。心配してくれてありがとにゃ、ご主人様」
ルナの胸に抱き寄せられた僕は、記憶のどこで嗅いだことがあるコロンの香りに目を丸くした。
この香りは、ハク先輩のコロン?
もしかして……もしかしてだけど、この完璧すぎるメイドの正体は……。
「ご、ゴウ、せんぱい……?」
おずおずと問いかけると、ルナは僕の膝の上に腰掛けてかわいらしく小首を傾げて見せた。あの人が普段絶対見せない表情だけど、でも確かに、ゴウ先輩の面影がある。
いつも眠たそうにしている目をぱっちりさせて、かわいらしく化粧をした目の前の小さなネコミミメイドはニコッと屈託のない笑顔を見せた。
「ボクはルナですにゃ♡」
ゴウ先輩……いや、ルナは完璧にメイドを演じている。
油断するとうっかり素に戻ってしまう僕とは違い、彼は本当に完璧なメイドだった。
「へえ~、あのゴーくんがこんなかわいいメイドにねぇ」
いつから店内に居たのか、聞きなれたチャラついた声が僕の背後から聞こえる。
……尾崎先生だ。
「ごしゅじんさま! お店に入りたいならちゃんと並ぶにゃー!」
メイドたちがにゃーにゃーと声を上げて抗議をしているが、尾崎先生は気にしないふりでルナの頭をくしゃくしゃと撫でる。
ルナは怯えるように小さな鳴き声を上げて僕にしがみついた。僕は反射的にルナを抱きとめてしまう。
「おじちゃん! わりこみはダメだよ!」
「……あ?」
冥鬼に気づいた尾崎先生が今までにないくらい冷え切った眼差しを向ける。けれど、すぐにその眼差しが意味深に細められた。
「この人かわいいっスねー。楓クンのカノジョ?」
尾崎先生が冥鬼を無視して八重花を見ながら尋ねる。無視された冥鬼は不満そうに頬を膨らませていた。
「こ、この人は親戚の……お姉さんです」
「親戚? ふーん……」
尾崎先生は琥珀色の目を細めて僕と八重花を交互に見ると唇を尖らせて言った。
「嘘はダメよ~……って言いたいところだけど、嘘は言ってないみたいっスね」
そう言って、尾崎先生が八重花に向き直る。冥鬼とハルには目もくれなかった。
「どうも、楓クンの部活で顧問をしている尾崎九兵衛と申します」
尾崎先生は胡散臭さたっぷりの笑顔で八重花に微笑みかける。
突然声を掛けられた八重花は慌てたように畏まると、僕をチラチラ見ながら答えた。
「こ、これはご丁寧に……。儂は、楓の父親の兄の嫁の弟の娘で……き、鬼道……八重花、と申します。いつも、か……楓がお世話になって……」
八重花は僕ですら分かるくらいバレバレすぎる嘘を口にすると、ペコペコと頭を下げた。
尾崎先生に嘘は通じないっていうのに……。
「へえ、鬼道八重花さんですか。今後ともよろしくお願いします。ちなみに彼氏居ます? オレ、彼女募集中なんですけど」
「あ、えと……その、文通からで……」
八重花は尾崎先生の勢いについていけずにオロオロと答える。
尾崎先生は目を細めて笑うと、勝手に冥鬼のオレンジジュースを手に取るなり飲み干す。
「メイのー!」
「これでおじちゃんって言ったのはチャラにしてあげるよ、おチビちゃん。オレ、高千穂ちゃんに呼ばれてるんでもう行くね」
「部長に……?」
尾崎先生の口から部長の名前が出てくるのは意外だ。
「そうそう、顧問って色々大変なのよ。都合よくパシられるし」
尾崎先生はそれだけ言うと、八重花の腰に腕を回す。
「オレ、眼鏡の似合う女性ってスゲー好きです。今度は二人きりの時に見せてください」
突然腰を抱き寄せられた八重花はオロオロした様子で僕と尾崎先生を交互に見やる。
「んじゃ、またね〜」
尾崎先生はそう言うと、あっさり八重花を解放するなり振り返ることなく店を出て行った。
「……か、変わった教師、ですね」
「そうだろ……」
終始圧倒されっぱなしだった八重花がようやく口を開く。
「ご主人様、苦しいにゃ……」
腕の中から小さな声が聞こえて視線を落とすとルナが不安げに見上げていた。どうやら強く抱きしめてしまっていたらしい。
僕は苦笑しながら謝罪すると、冥鬼のためにオレンジジュースをもう一度注文したのだった。




