【文化祭】5
「おにーちゃーんっ!」
突然、耳馴染みのある舌足らずな声が聞こえる。客足もまばらになった店内で、夏用のワンピースを着た冥鬼が手を振っている。八重花も一緒だ。
それからもう一人、見慣れない子供が席に座っている。チャイナ服を着たその子は、涼しげな顔で手作りのメニュー表を見ていた。
「な、何でお前たちがここに……」
「主様、お邪魔しております」
八重花は上品に笑って会釈をする。冥鬼はすぐに席を立つと、僕に駆け寄って抱きついてきた。
「おにーちゃん! メイ、あそびにきたよ! うれしい?」
冥鬼は目をキラキラさせながら僕を見上げる。彼女は僕のメイド服を見るなり細かいアドバイスをしてくれた。
髪は下ろしたままがかわいいとか、女の子らしい仕草はこうだとか身振り手振りで教えてくれる。さすが幼くても女子だ……細かいところまでチェックしてくれる。
「ああ、お前が来てくれて心強いよ。ところで……あの子は?」
僕は冥鬼の髪を撫でながら問いかける。すると冥鬼は、不思議そうに首を傾げてから少年を指した。
「ハルくんだよ!」
「そうか、ハルくんって言うのか──って、ハル!?」
ナチュラルに頷きを返しかけた僕は、慌ててチャイナ服の少年に振り返る。
彼は僕の視線に気づくとおもむろに近づいてきた。
「妈妈」
そう言った少年の声には聞き覚えがある。確か合宿でこの声を聞いたような……。
「ハルくんはおにーちゃんがだいすきだもんね!」
お姉さんぶる冥鬼に、少年が言葉少なに頷きを返す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ハルって……あのハルか? 雨福さんの息子で、神様で……今は僕の家で暮らしてて……カエルの……」
話についていけずに僕は狼狽えながらハルと呼ばれた少年を見つめる。
僕の知っているハルは、もっとこう……手のひらよりも小さくて足は三本生えてて、丸くて、何よりカエルで……。
「ハルくんね、おそとにいきたいっていってたよ。でもカエルさんのままじゃダメだよっていったら、ヘンタイしたの!」
「変態……ああ、まあ……カエルはオタマジャクシからカエルに変わるのを変態って言うよな……」
僕は冥鬼の説明に狼狽えながら答える。
し、しかし、この少年がハルだなんて……全然父親に似てないぞ!
「妈妈 ?」
ハルがじっと僕を見上げている。何となく寂しそうだ。僕はおずおずとハルの頭を撫でた。
「は……ハル、後でお父さんのところに行ってみようか。きっと喜ぶから」
「承知した」
し、喋れるのか……。何か急に成長されて寂しい気持ちもあるけど。
「ところで、ハル……僕はママじゃなくて楓なんだが」
「妈妈」
ハルはじっと僕を見上げている。
くっ……きっと雨福さんが家に来る度に僕をハルの母親にしたいとか何とか言ったせいだな……。
僕はハルの頭を撫でて言った。
「母上じゃなくて……楓だ。冥鬼も呼んでるだろ? 真似してごらん。かえでおにいちゃん」
幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと呼びかける僕を、ハルが不思議そうに僕を見上げている。
「かえ、で……」
「そう、楓だ」
よくできたな、と頭を撫でるとハルは真顔で頷いた。
「楓……妈妈」
「いや……」
全然分かってない……。
ともかく、絶対にハルを雨福さんのような体型にさせちゃいけないぞ。そう思いながら、僕はハルの髪を撫でた。ハルは気持ちよさそうに瞼を伏せて僕にもたれてくる。
「ハルくんあまえんぼさんだぁ」
冥鬼もハルの頭を撫でながら嬉しそうに笑う。二人でハルの愛くるしさに癒されている(母呼びは止めて欲しいが)と、八重花が適度な距離を取りつつ微笑ましそうに僕たちを見つめていた。
僕はハルを席に座らせてから注文をとるためにご主人様一同をぐるっと見やる。
「──ご主人様、お嬢様、ご注文を」
「メイね、オレンジジュース!」
「儂は、抹茶のわらびもちを」
手を挙げて嬉しそうに答える冥鬼と、遠慮がちな八重花の注文を聞いた僕は新しいご主人様の視線と同じになるように屈んだ。
「小さなご主人様は、何にいたしますか?」
そう尋ねると、ハルは僕の顔を眠そうな顔で見てから少し考えるようなそぶりをして立ち上がった。止める間もなく教室を出たハルが窓際へと向かう。
ハルの視線の先には、例のプールがあった。
「プールは立ち入り禁止で遊べないんだ。ごめんな」
なだめるように声をかける僕の後ろから近づいてきたのは八重花だ。どこか難しい顔をしている。
「プールだけでなく……校門をくぐってからというもの、嫌な氣が漂っております。ハル様もそれに気づいておられるのではありませんか?」
八重花の言葉に、ハルが小さく頷きを返す。
「妖怪、か?」
「そうかもしれませんし、陰陽師の手によるものかもしれません」
難しそうに呟いた八重花は、怨憎符のことを思い出したのか小さく身体を震わせた。
怨憎符をプールに貼り付けた奴のことも、陰陽師狩りのこともまだ全然解決していないんだよな……。
「魔鬼様も椿姫も、主様の命を狙う陰陽師狩りには注意せよと仰っておりました。儂にどこまで手助けが出来るのかは分かりませんが……」
「頼りにしてるよ」
僕がそう言うと、遅れて教室の外に出てきた冥鬼が抱きついてきた。
「メイドさんっ! オレンジジュースまだあ?」
「あ、ああ……すぐお持ちします、お嬢様」
僕は冥鬼の頭を軽くポンポンと撫でると、八重花に目配せをして教室へと戻って行った。




