【文化祭】3
「ご主人様、たこ焼きでございます。五個中、一個が激辛たこ焼きになってるんですよぉ」
ようやく日熊先生の元にたこ焼きが届く。
日熊先生はさっそく割り箸でたこ焼きを食べようとした。しかし、その手を葵がすかさず止めに入る。
「ご主人様、ゲームしましょう!」
「げ、ゲームだと?」
若干引き気味な日熊先生に、メイド姿の葵が無邪気に提案する。
「みんなでひとつずつたこ焼きを食べて、見事激辛たこ焼きに当たった人は罰ゲームっ! どうですか? 面白そうでしょ!」
そう言って、葵がたこ焼きを僕達の目の前に差し出した。
どのたこ焼きは普通に見えるが、焼き目の加減で激辛……のようにも見える。
「へーっ、おもしろそーじゃん」
「お、俺はたこ焼きが食えればそれで……」
ゴウ先輩は珍しくやる気だ。日熊先生はたこ焼きを見つめたまま早く食べたそうに喉を鳴らしていたけど。
「じゃっ、一番手はそちらのお嬢様で♡」
葵がハク先輩の前に皿を置いた。ハク先輩は不安そうな眼差しを僕へ向ける。うっ……か、可憐だ……。
「ひ、表面がほんのり赤いものは避けた方がいいと思います。目視ですけど……」
僕はハク先輩に小声でアドバイスをした。反則かもしれないが、ハク先輩に激辛たこ焼きを食べさせるくらいなら僕が犠牲になるぞ。
ハク先輩は困惑した表情でたこ焼きを見つめていたけど、やがて一番焼き目のついたたこ焼きを頬張った。
「んぅ……!?」
ハク先輩の顔がみるみるうちに赤くなる。まさかいきなり激辛たこ焼きか……!?
すぐさま水をコップに注いで差し出すと、ハク先輩は涙目で水を飲み込んだ。
「はあっ……口の中火傷しちゃうかと思った。すっごく熱いんだもの……」
ハク先輩が胸をさすりながら涙目でため息をつく。
「でも、激辛じゃなかったわ。ごちそうさま」
「そんじゃ、次は楓っ♡」
どうにかハク先輩は激辛たこ焼きを避けられたらしい。葵は上機嫌で皿を差し出した。
僕は小さく深呼吸をしてから皿の上に並べられたたこ焼きを見下ろす。
……もちろん、見ただけじゃどれが激辛なのかは分からない。葵はもしかすると調理係から聞いている可能性はあるが……。
僕は割り箸を手に取ると、未だ鰹節が湯気で揺らめいているたこ焼きを挟んだ。そのまま、一思いに口の中へと放り込む。カリカリの表面の中には熱くてふわふわの生地、そして思ったよりもずいぶん小粒のタコに歓迎された。
「──ッ!」
当然ながら、アツアツのたこ焼きを頬張ったのだ。口の中が燃えるように熱くなり、飲み込むことも吐き出すことも出来なくなる。僕は片手で口を押さえながら悶絶した。
「か、楓っ? どっちだ!?」
葵が身を乗り出す。けれどゴウ先輩の視線に気づくと、慌ててしなを作って言った。
「どうなのっ? 楓ちゃん! 激辛たこ焼きだったのっ?」
既に葵のキャラ設定はガバガバだ。ふざけてるのか? やめろ、笑うから。
僕は口を押さえながら必死にたこ焼きが冷めるのを待つと、少しずつ飲み込んでから口を開いた。
「激辛じゃ……ない、ですっ……」
息も絶え絶えに激辛ではないことを伝える。葵はホッとしたように胸を撫で下ろしてから、ゴウ先輩と日熊先生へと皿を差し出す。
「さ、次はどちらのご主人様が食べます?」
「オレが食う」
そう言って割り箸を割ったのはゴウ先輩だった。
ゴウ先輩は躊躇いもなくたこ焼きのひとつを取ると、唇を尖らせてからそれを僕の口元に向ける。
「オレ、猫舌だからなー。念入りにフーフーして冷ましてくれないと食えないにゃー」
「へっ?」
ゴウ先輩は突然子供みたいなことを口にする。僕は目が点になってしまった……が。違う、いつものゴウ先輩はこんなことを言う人じゃない。
求められていることを察した僕はおずおずとたこ焼きに顔を近づけると、頬にかかる自分の髪を払ってから念入りに時間をかけてふーふーした。
こういうことだろ? ゴウ先輩。あなたが求めているのは……!
時折許しを乞うようにゴウ先輩を見つめるけど、ゴウ先輩の許可は出ない。僕の一挙一動を姑みたいに観察している。その内に僕の行動がたまらなく恥ずかしく思えてきて、何度もやめたくなった……。
「ご、ご主人様……もういいでしょうか?」
遠慮がちにおずおずと尋ねてみる。ゴウ先輩は、赤くて大きな目をゆっくり瞬くと……。
「いーぞ。もう十分冷めてるし」
ケロッとした顔でたこ焼きを一口で頬張った。
「んー、うまっ!」
「そんじゃあ次は──」
ニヤニヤ笑いながら葵が日熊先生を見つめる。その顔はやたら嬉しそうだ。
日熊先生は冷や汗を流しながら残り二つになったたこ焼きを見下ろしていた。一つが激辛。もう一つが普通のたこ焼きだ。
「日熊先生……どっち食べたい? 選ばせてあげますよぅ」
葵はニヤニヤと笑いながら日熊先生を見つめている。日熊先生はぷるぷると震えながら二つのたこ焼きを睨んでいた。
先生がどっちのたこ焼きを選ぶのか、固唾を飲んで見守る僕とハク先輩の前で日熊先生が割り箸を割る。
「き、決めたぞッ──」
滝のような汗を流しながらも日熊先生のメイクは崩れていない。女性用の化粧品に関しては全く分からないが、僕が今つけている化粧品もちょっとやそっとじゃ落ちないものなんだろうか。たこ焼きのせいで嫌な汗をかいたが、化粧が落ちてないといいな……。
僕はそんなことを考えながら日熊先生を見つめていた。
日熊先生は地響きのような呻き声を上げてから割り箸を構える。
「俺はッ、このたこ焼きをォ──!」
「いっただきまーす」
日熊先生の後ろから伸ばされた箸が、日熊先生の狙っていたたこ焼きを挟む。
ポカンとする僕達の前で、長身の男がたこ焼きを口に放り込んだ。
「んッ、美味い。冷凍じゃないっスねこれ」
「お、尾崎先生!」
ハク先輩が目を丸くして声を上げると、日熊先生の後ろに立っている男は口を動かしながらウインクした。
「お、尾崎ィ……貴様、何の真似──」
「はい、日熊ちゃんの分」
尾崎先生の箸が最後のたこ焼きを掴んで無慈悲に日熊先生の口へと放り込む。
当然、そのたこ焼きには僕たちが食べたものとは違う特別な味付けがされており……。
「──ッ!」
日熊先生は獣じみた悲鳴を上げるなり席を立ち上がると、千鳥足で教室を飛び出して行った。
「あっははは! 見たかよ楓! あの日熊先生が泣きながら飛び出してったぜ!」
葵が耐えきれずに腹を抱えて笑う。ゴウ先輩の視線を感じた僕は小さく咳払いをした。
「……はしたないですよ、葵さん」
そう言うと、葵は慌てて姿勢を正してから立ち上がる。
「やべっ……えっと、おかえりなさいご主人様♡ 葵、寂しかった~♡」
「よしよし……ただいま、葵」
抱きついてきた葵の頭を撫でた尾崎先生が自然な動作で僕の肩に手を置く。
「楓もオレが帰ってこなくて寂しかった?」
そう問いかける尾崎先生は意地悪そうな笑みを浮かべて僕を見下ろしている。
「いえ、別に。帰ってこなくてよかったんじゃないですか?」
いくらメイドになりきっていると言っても不快さは隠しきれない。思わず本音が口に出てしまう。そんな僕をフォローするためか、葵は尾崎先生の腕にしがみついて言った。
「楓はツンデレなんですぅ♡ ご主人様が帰ってこなくてすっごく寂しがってたんですからぁ~!」
「冗談でも気持ち悪いこと言わないでください、ありえないので」
葵のフォローすら今の僕には聞き入れることは出来ない。
すると、ゴウ先輩が頬杖をつきながら呟いた。
「メイドたるもの、店に入った奴はみんなご主人様だ。平等に御奉仕できなきゃメイドじゃねえぞ。こいつはマイナス七十五点だな」
「うぐ……」
どんな採点基準なのかは分からないがゴウ先輩の言葉はもっともだ。だけど、だけどこればっかりは僕の全身が尾崎先生の存在を拒否してるんだよ……!
「楓、拗ねないで聞かせてよ。オレが帰ってこなくて寂しかったって」
肩に手を置いたままの尾崎先生が僕の耳元に顔を近づけてくる。普段はポニーテールにしている黒髪を下ろしているのが珍しいのか、尾崎先生の指が僕の髪を撫でた。くそっ、さっさと離れろ気持ち悪いな……。
青筋が立ちそうなこめかみを押さえた僕は、長い長いため息をついてから顔を上げた。心配そうに僕を見つめるハク先輩と目が合う。
そうだ……客を全員ハク先輩だと思おう。
僕に顔を近づけているチャラチャラした教師もハク先輩だ。僕はメイドだ。なりきれ。メイドになりきるんだ、鬼道楓。
シチュエーションとしては……そうだな、久しぶりにハク先輩が帰ってきてくれたことがとても嬉しいのに素直になれないメイドの僕は、ハク先輩に冷たい態度を取ってしまう。けれどそれは本心ではなくて、本当は──。
「……寂しかったです。他の女の人のところに行ってしまったのかと思ったくらい」
口に出すと、何故か本当のことのように感じるから不思議だ。
意外そうに目を丸くした尾崎先生はニヤリと笑って僕の顎に手を添える。
「へえ……」
尾崎先生の声色には呆れと嘲笑と愛情、様々な感情が混ざっていてむせ返りそうになる。彼を纏う何かがそう思わせるのか、それとも……。
「ご主人様?」
彼の真意を探るように問いかけると、尾崎先生は少しの間を置いてからにっこり笑って見せた。
「オレはどこにも行かないよ。いい子で待っててくれた楓にご褒美あげる。目を瞑って」
尾崎先生はそう言って顔を近づけてくる。雰囲気に飲まれてなすがままになっていた僕は、慌てて尾崎先生の胸を押し返した。
「ご主人様、注文してください」
「ええ? そういうプレイ~? まあいいっスけどね」
あっさりと僕を解放した尾崎先生は空いている椅子を掴んで引き寄せるとハク先輩たちのテーブルまで戻ってきた。
「コーヒーひとつ。あとパンケーキかな〜」
「かしこまりました」
僕は葵と視線を交わしてキッチンへ向かおうとする……が、尾崎先生に手を引っ張られた。
思わずよろけてしまう僕の体を自然な動作で支えた尾崎先生は、僕の耳元に唇を寄せる。
「似合ってるっスよ、その格好。テイクアウトできる?」
「……いいえ!」
この……変態教師!
僕は舌打ちしたいのをこらえて尾崎先生を睨むと、すぐにキッチンへ向かった。




