【あの子と夏祭り】1
僕は今、ハク先輩とデートをしている。
黒丸の元で修行を終え、車で自宅に帰った僕を待っていたのは……なんと浴衣姿のハク先輩だった。白地にピンクと水色の紫陽花が散りばめられた綺麗な浴衣。いつもと違って長い髪を頭の後ろで結っていて、すごく大人っぽい。
……まだ、夢を見てるのか?
僕は何度も何度も自分のほっぺたを引っ張る。当然痛い。つまりこれは夢じゃない。隣でハク先輩が微笑みかけてくれているのも、夢じゃなくて現実なのだ。
「ごめんね、突然押しかけちゃって」
「い、いえ! ありがとうございます」
僕はあたふたしながらお礼を言った。ついでに自分のほっぺたを引っ張ってばかりの手を引っ込めて両手を腰の後ろで握る。
「楓くん、忙しそうだったから会えないかもって思ったんだけど……」
「そっ、そんなことないです! むしろ旅行の後、ちゃんとご挨拶できなくて……すみませんでした」
合宿最終日、ハク先輩たちが車から降りても全く気づくことなく爆睡してたことを思い出す。新学期までハク先輩に会えないと思っていたから、まさか会いに来てもらえるとは思わなかった。
「ふふ……ぐっすり眠ってたもんね」
ハク先輩が楽しそうに笑った。暗くてよく顔が見えなくて良かった。太陽の下だったら僕はハク先輩の眩しい笑顔に浄化されていたことだろう。
「あ、あの後……山に行ったんです。そこで今日まで修行をしてて……」
「修行? ごめんね、疲れてるでしょう?」
ハク先輩がすまなそうに僕を気遣ってくれる。な、何余計なこと言ってるんだ僕は!? 修行のことなんて今は関係ないし、こんなこと言ったらハク先輩に心配されるだけだろ!
僕は慌ててかぶりを振った。
「だ、大丈夫です! 車の中で充分休んだので、もう完全回復って言うか──天狗の丸薬も貰って……す、すごいんですよ。筋肉痛も嘘みたいに吹き飛んで……」
緊張のあまりしどろもどろで早口になる不審者みたいな僕にも、ハク先輩はホッとしたように微笑んでくれた。女神か……?
会話が途切れ、無言の静寂が辺りを支配する。そんな僕たちに気をつかったのか、冥鬼が師匠の脇腹を思いっきり小突いた。師匠は脇腹を押さえながら再度運転席へと戻る。
「乗れ、帰りは鬼原が連絡しろよ」
「ありがとう、日熊先生」
ハク先輩は日熊先生にお礼を言うと、自然に僕の手を取った。ハク先輩の白くてほっそりした指が僕の手をぎゅっと握る。
「日熊先生がね、お祭りの会場まで送ってくれるって。行きましょう?」
手を握られて口から心臓が飛び出そうな僕のことなど知る由もなく、ハク先輩が微笑みかける。僕はぎこちなく頷いて車の中に戻った。
祭りはハク先輩の地元である鬼ヶ島で行われている小規模の祭りだ。天狗たちと共に店を構えて大勢の客を捌いた時とはだいぶ違っている。けれどその分、人も少ないし迷子になる心配もない。
「楓、これ持っておけ」
車から降りた僕を呼び止めた師匠が見慣れない長財布を差し出した。いつも僕が使っているマジックテープ式の財布じゃない。
「この財布、僕のじゃないぞ」
「中身はお前の金だ。安物で悪いが……俺と冥鬼からのプレゼントというやつだ」
師匠はそう言って長財布を僕の胸に押し付けた。僕がおずおずと財布を受け取ると、師匠は照れくさそうに笑うのだった。
「生徒を指導する立場として、あの財布でデートはさせられんからな」
小声でサラッと恥ずかしいことを言った師匠は、僕が財布を受け取ったことを確認するとすぐに来た道を引き返していく。その場には取り残された僕たちと、まばらに歩いている人の影が見えた。
「楓くん、お腹空いてない?」
師匠の車を見送っている僕の後ろからハク先輩が声をかけてくる。そ、そう言えば、修行に夢中になって昼飯も食べていなかったな……。
「私が買ってあげる」
「えっ、あっ……でも」
僕は慌てて長財布を開こうとした。けれどその手をハク先輩がそっと押さえる。こ、今度こそ心臓が口から出そうなんですが!?
「私から誘ったんだから、気にしないで。ちょっと待っててね」
ハク先輩は下駄の音をカランカランと鳴らしながら人 遠ざかった。
何かこれ、すごくデートみたいだぞ……。
照れくさいやら嬉しいやらで、僕はニヤけそうになる口元を手で押さえる。
ほどなくしてハク先輩がチョコバナナを二本と、袋に入ったたこ焼きを手に戻ってきた。
「たこ焼きは冥鬼ちゃんや日熊先生と食べてね」
「す、すみません……気が利かなくて。ありがとうございます」
僕は、ハク先輩が差し出した袋を受け取りながら礼を言う。オオルリが作っていたたこ焼きとはちょっと違って小ぶりだけど美味しそうなたこ焼きだ。
「ふふ……あーん」
ハク先輩はそう言ってチョコバナナを僕に差し出す。
こ、これは本当に現実か? 僕にとって都合の良すぎる夢なのでは……。
「食べないの?」
「だ、だって……こんなの、で、でで、デー……」
「ふふ、それじゃあ文化祭は今年もゴウくんの勝ちかしらね」
ハク先輩は、不意に意味深なことを言って笑う。
「ぶ、文化祭?」
「夏休みが終わったらすぐに文化祭よ。東妖の文化祭はすごいんだから」
ハク先輩はそう言ってチョコバナナを一口齧った。
文化祭か……一年の僕にとっては初めての行事だ。まだ僕のクラスが何をするのか、全く分からないけど……ハク先輩のクラスに行く余裕はある、よな?
「ふふ、楓くんのクラスにも遊びに行くわ」
「は、ハク先輩も人の心が読めるんですか!?」
狼狽える僕を見てきょとんとしたハク先輩は、やがてにっこり笑った。
「ふふふ……ひみつ!」
そう言って茶目っ気たっぷりに口に指を当てるハク先輩に僕は目を奪われてしまう。
またもや自然と無言になってしまった。ハク先輩を退屈させないためにも何か喋らなくてはいけないが、緊張すればするほど言葉が出なくなる。
そんな僕の心を本当に読めるのか、ハク先輩がにこっと笑った。
「楓くんの服、お祭りにぴったりね」
「えっ? あ、ああ……ハク先輩こそ」
僕はしどろもどろになりながらハク先輩の浴衣姿を横目で見つめた。初めて見るハク先輩の浴衣姿も、普段見る機会のないほっそりとしたうなじも、隣で香る優しい匂いも……何もかも新鮮で。
「すごく……き、綺麗でふ」
最後がどうも締まらない。
ハク先輩はあまり気にしていないのか、いつも通りの笑顔を返してくれた。
「ありがとう、楓くん。他のお店も見てみない?」
「は、はい……どこにでもついていきます」
緊張のあまり変なことを口にした気がする。でもハク先輩は気にした様子もなくて、屋台を眺め歩いていた。
チョコバナナを食べ終えたハク先輩の両手は空いていて、僕の目の前でゆらゆらと揺れている。しかし僕はたこ焼きの入った袋と、食べかけのチョコバナナで両手が塞がれていて、ハク先輩の手を握りたくても握ることが出来ない。
ハク先輩は……こんな僕のことを、少しでも異性だと意識してくれているだろうか? 今の僕みたいに、心臓がはちきれそうなくらいときめいてくれているだろうか? ハク先輩は面倒見が良くて優しい人だから、僕なんか大勢の中の一人かもしれない。同じ部活の仲間で、あなたは先輩、僕は後輩で。それ以上にはなれないかもしれない。
だけど僕は、ハク先輩のことが……。




