【師匠と共に】
修行を始めて一週間が経過した。
巻物に書かれたメニューを一日で消化する頃にはまるで鬼符を使った時と同じくらいの筋肉痛で体が動かなくなったけれど、三日目から効果を実感し始めた。たった一人の修行は孤独だったし心も折れそうになったが……そのたびに、ハク先輩のことを頭に思い浮かべて乗り切った。
濃密で、そして怒涛の一週間。
「楓、お疲れ」
今日の修行を終えて石段の上で体を投げ出していると、頭上から冥鬼の声が聞こえた。幼い冥鬼ではなく、今は本来の姿を維持している。これも僕の修行に組み込まれている事だ。
冥鬼が本来の姿を保っていられるのは僕の霊力が関係している。常夜の世界の住人である冥鬼をこの世界に繋ぎ止めるには陰陽師自身の霊力が高くなくてはならない。いつもは僕の霊力を意識して幼い姿で現界している冥鬼だが、今は朝から晩まで本来の姿を維持している。
木から飛び降りた冥鬼は、僕の体を頭の先からつま先まで眺めた。
「合宿ん時とは、ずいぶん顔つきが変わったな」
てっきりからかわれるのかと思っていたが、冥鬼はどこか嬉しそうな顔をして僕の胸を軽く叩く。
「今も合宿みたいなものだけどな……」
「こりゃ新学期が始まったらハクねーちゃんもネコちゃんも驚くぜ」
冥鬼がキシシと笑った。
七月の終わりに蔵でハク先輩を守れなかったことが、僕の中でずっと引っかかっていた。そして、この修行を絶対に最後までやり遂げると決意させてくれたんだ。
「……風呂入ってくるよ」
僕はそう言って冥鬼の横を通り過ぎた。
その瞬間、背後から殺気立った気配がして。僕は、背後から掴みかかろうとした冥鬼の腕を反射的に避けていた。
「へえ」
「な、何だよ……疲れてるんだから休ませてくれ」
そう言いながら、僕は内心驚いていた。
実戦を交えた修行はまだしていない。今は体と心を鍛えている最中だから。一週間前の僕なら、気配に気づいたとしても避けられなかっただろう。
……この夏休みで、僕はもしかしたら最弱から最強の陰陽師になれるのかもしれない。そ、そうしたらハク先輩だって……。
「鬼道殿、危ないし」
「だはっ!」
僕は廊下に張られた掃除機のコードによって、見事に廊下ですっ転んだ。しかも顔面から。
「ギャー! 鬼道殿ッ、大丈夫ッスか!?」
「うぐ、ああ……」
全然大丈夫じゃない。僕は額を押さえながらうめき声を上げた。そんな僕の頭上であたふたした様子のオオルリの声がする。
「てんめェ、掃除機なんかかけてんじゃねーよ! 廊下は雑巾だろがッ!」
「掃除機のほうが早くて良いし」
「コードが長くて危ねェんだわッ!」
「コードレスの掃除機が欲しいし」
「話聞けやッ!」
もうすぐ夕方になるって言うのに、ヒスイとオオルリの二人は本当に元気だ……。
一週間一緒に暮らしていて、何度二人の言い争いを聞いたか分からない。大抵オオルリが怒鳴り散らしているが、ヒスイはそんなオオルリに対してもマイペースで、まるで他人事って顔をしている。
「黒丸はまだ帰ってこないのか?」
風呂を終えた僕は、夕飯の席で問いかけた。目の前には相変わらず山の幸をふんだんに使った豪勢な食事が並んでいる。ヒスイとオオルリの二人がどんな風に食事を作っているのか気になるけれど、僕も冥鬼も台所に近づくことは禁じられていた。まるで鶴の恩返しみたいだ。
「もうすぐ帰ってくる予定だし」
「オレのセリフ盗んなや! 予定では今夜ッス!」
夕飯の席でもヒスイとオオルリは賑やかだ。彼らの言う通り、黒丸は現在家に居ない。と言うのも、僕に修行内容を告げたあの夜に『一週間後に帰りまーす!』と言ってどこかに飛んでいってしまった。それっきり本当に全く姿を見せない。
「……おかわり」
「鬼道殿メッチャ食うッスね!」
修行し始めの頃は全身クタクタで全く食べられなかったのが嘘みたいだ。僕の茶碗には雑穀米がこんもりと盛られた。
「オレさまもおかわり!」
「冥鬼様は相変わらずスゲー食欲ッスね! オレも負けてらんねーッス!」
冥鬼に張り合うように隣でガツガツとご飯をかきこんでいるオオルリのことなど気にも留めずにヒスイが味噌汁をすすっている。なめこたっぷりの優しい味噌汁は疲れた体に染み渡るようで、何杯でも食べられてしまう。こんなに美味しいご飯を毎日食べられるなんて幸せだ……。
「鬼道殿も、柊様みたいに妖怪をたっくさん従えて悪い奴らをバッタバタ倒すんスか?」
オオルリの問いかけに、僕は肩を竦めて豚肉の生姜焼きを頬張った。
「どうかな。やれるだけやってみるつもりではあるけど……親父には敵う気がしない」
「超弱気だし。黒丸様みたいだし」
ヒスイはそう言って漬物を口に運ぶ。
弱気って……黒丸が? 僕は兼ねてからの疑問を口にする。
「黒丸は……お前たちにとってどんな存在なんだ?」
そう尋ねると、二人はどちらからともなく顔を見合わせた。
「厳しくてかっこよくて強い師匠ッス!」
「泣き虫で子供舌のお子ちゃまだし」
二人の言ってる事はまるで正反対だ。だけど、戦いの時の冷たい印象を受ける黒丸と、楽しそうに修行内容を説明するアイツはまるで別人みたいだった。恐らく、二人の言っていることはどちらも本当なんだろう。
「楓、今度はオレさまが手合わせしてやろーか?」
雑穀米を三杯もお代わりした冥鬼が好戦的に笑うもんだから、思わず『僕を殺す気か』と言いかける。
だけど、これほど頼もしい修行相手も居ない。何たって相手は常夜の国の姫だ。彼女の破壊的なチカラもこの目で何度も見てきた。
「……頼む」
陰陽師の修行をしてこなかった僕にとって、周りのみんなが師匠であり先生だ。それは冥鬼も例外じゃない。
箸を置いて彼女に向き直ると、冥鬼は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして目を丸くしていたが、すぐにニヤリと笑って『手加減しねーぞ』と悪戯に言うのだった。




