【人喰い天狗?】2
炎狗も鬼符も効かない絶体絶命の最中、烏天狗に対抗する手段を考えていた僕を前にして、烏天狗がゆっくりと両手を上げた。
「……何の真似だ?」
「降参のポーズですよ。白旗のほうが良かった?」
烏天狗はそう言うと黒くて大きな翼をゆっくりとたたみながら近づいてくる。僕は思わず後ずさろうとしたが、ハルの舌に捕まっていて身動きが出来ない。ついでに手の自由も利かないからお札も掴めないし烏天狗に立ち向かう手段がなかった。
「ゆ……油断させて僕を食べる気か」
「まだそんなこと言っとるんー? ホンマおもろいなぁ」
さっきまでの緊張感はどこへやら、烏天狗がいつもの調子であははと笑う。殺意も敵意も感じないせいか、それとも何も考えていないのかハルは大きな体でその場に鎮座したままだ。
「……だ、大体いきなりこんな場所に連れてきてどういうつもりだ? 師匠まで巻き込んで……」
「あれれ、何か話にズレがあるみたいやね。おじさんから聞かんかったですか?」
烏天狗はそう言って不思議そうに首を傾げる。両手を上げたまま近づいてきた彼は、ハルに拘束されたままの僕に目線を合わせるように翼をはためかせた。
「オレ、柊殿からキミの先生を任されたんです。豆狸のおじさんは戦闘向きじゃないから、戦い方を教えるならオレが適任って言われて、結構前から計画立ててたんですよ?」
烏天狗が呑気な口振りで言うけれど、まだ信じられない。それに、烏天狗が僕に修行をつけるメリットがない。いくら親父の頼みだからって……。
僕は同業者でありライバルだ。小田原さんは僕のことを嫌ってるし、烏天狗だってきっと……。
「疑り深ぁ」
僕の心を読んだのか、烏天狗はあははと笑っておもむろに下ろした片手を差し出した。ずいぶん小さな手だ。まるで子供のような……。
「オレは、キミと友達になりたいんです。それがメリット」
黒い布で覆われた烏天狗の手が僕の手をぎゅっと握った。
「と、友達って勝手に……」
「え、もう友達だろって? さすが鬼道殿〜、男前やね! モテるでしょ!」
狼狽える僕のことなんかお構い無しで烏天狗が僕の肩をパシパシと叩いた。長い尾羽が風に合わせて揺れていて犬みたいだ。
ついついほだされそうになってしまった僕は慌てて身を捩る。
「そ、そうじゃない! 何で……僕なんかと友達になりたいんだよ」
僕と友達になったところでメリットなんかない。小田原さんだって良い顔をしないだろう。うちは金もないし、親父は烏天狗に謝礼金なんか渡せないんだ。何故僕に構うのか。疑いの目を向ける僕に烏天狗が指を突きつける。
「言ったやないですか、有名人の親を持つと大変だって。オレたち、意外と共通点が多いんですよ?」
翼をゆっくりと上下させながらハルの鼻先を優しく撫でて烏天狗が言った。ぼんやりした顔のままだったハルが反応を示してぱちくりと瞬きをする。
「いっつも周りからの重圧と責任感で潰れそうになってる鬼道殿のこと、見てられんかったし……あと、それにさ」
ハルから手を離した烏天狗は、両手を自分の体の後ろに組んでまるで照れくさそうに身を捩るような仕草を見せた。
「オレね、生まれてからこれまで対等な友達が居ないんです。だから楓クンに、オレの初めての友達になって欲しかったんよ」
まるで親の顔色をうかがう子供みたいに烏天狗が僕を見つめる。不気味に思えていたはずの鳥の面が心做しか寂しそうで、僕は何となく悪いことをしてしまった気持ちになって視線を泳がせた。
「……やっぱ、嫌ですか? 妖怪と友達なんて」
あんなに強くて有名な大妖怪なのに、僕と友達になりたいってだけでそんなに不安そうなそぶりを見せられたら……僕だって折れるしかなくなる。
「嫌じゃ、ないけど……」
「……っは!」
烏天狗が僕の周りを浮遊しながら安心したように胸を撫で下ろす。
素顔が見えないことで一方的に苦手意識を持っていた。色々なことが立て続けにあって、すっかり視野が狭まっていた自覚はある。そのせいで、心の中でとは言え烏天狗にはずいぶん酷いことを言ってしまった。
「……ごめん」
「ええんですよっ! オレこそすみません、ちゃんと説明出来んくて怖がらせちゃった」
烏天狗はかぶりを振って僕の両手をぎゅっと握った。妖怪の身内や知り合いは多いけど、妖怪の友達は……さすがに烏天狗が初めてだ。
「いやー、ご主人があんなだから報告会でなかなかお喋り出来んくて物足りなかったんです。オレのことは黒丸って呼んでください。ご主人はクロって呼ぶんですけど。その代わりオレも鬼道殿のこと、楓クンって呼んでもいいですか? って言うか友達なんやしタメ口でいい?」
烏天狗改め黒丸は、まるでマシンガンのように捲し立ててくる。一瞬しおらしくなったと思ったけど、すっかりいつもの黒丸だ。
「ま、まだ友達になるなんて言ってな……」
「やったー! 楓クン優しいッ! やっぱモテるでしょ! イケメンやもん!」
黒丸はふわふわと自由に飛び回りながら賑やかな声で僕を褒め称える。
斯くして大妖怪との死闘……もとい手合わせを終えた僕は、縮んでいくハルと共に地面に降り立った。地面が見事にへこんでるけど……。
「ケロ」
「大丈夫大丈夫、オレの山だし誰も怒る人おらんからね。いっそ畑にするのもアリかもなー」
妖怪同士会話が出来ているのか、ハルの鳴き声に黒丸が笑いながら返事をした。ボコボコになった地面を跨ぎながら黒丸の家へと戻ると、玄関で冥鬼が両手を振っている。ヒスイとオオルリも一緒だった。
「おにーちゃーん!」
冥鬼はみつあみを揺らしながら駆けて来て僕の足に抱きつく。その顔はずいぶん楽しそうだ。幼い姿をしていても、冥鬼だって人の悪意だとか邪悪な妖気は分かる。ヒスイもオオルリも冥鬼を丁寧にもてなしてくれたんだろう。
「鬼道殿ッ! 無事で何よりッス! 怪我してないッスか!?」
「ああ」
白い翼のオオルリが心配そうに近づいてきた。下駄で蹴られはしたけど怪我という怪我はしていない。黒丸の神風にはビビったけど、さすがに加減はしてくれたみたいだ。
「黒丸様、悪役チョー似合ってたし。悪の天狗って感じだし」
あたふたと僕の体を気遣うオオルリとは反対に、ヒスイはのんびりとした足取りで近づいてきた。黒丸からハルを受け取って、珍しそうに眺めている。
「……晩飯?」
「んなわけあるか。そちらは青蛙神さん。丁寧にもてなさなバチ当たるよ〜」
黒丸にからかわれたヒスイは、唇をへの字にするとハルの顔を至近距離で見つめた。ハルは目をパチパチさせて、ぼーっとヒスイを見つめ返している。よく分からないけど気が合ってる……のか? さすがにハルを食べる気はないみたいだが。
苦笑気味に二人を見守っていると、小さく『あっ』と声を上げて僕を覗き込んでくる黒丸と目が合った。
「楓クン楓クン、御札の副作用ってキツいんでしょ? 柊殿が言ってたケド」
黒丸は懐から小さな麻袋を取り出すと、中にある小さな丸薬を僕に差し出した。おずおずと口に含むと、想像よりもずっと甘くてお菓子みたいだ。
「天狗の丸薬。小さい子でも舐められるようにイチゴ味のアメちゃんになっててー、あっ! 噛まずに舐めるんよ?」
「メイもほしい!」
冥鬼が黒丸に丸薬をねだるけれど、黒丸は慌てて麻袋を頭上に掲げた。
「健康な人は食べちゃアカンもん!」
「メイけんこうじゃないもん! おなかすいたもん!」
冥鬼はぴょんぴょんと跳ねながら薬をねだる。黒丸は冥鬼から逃げるように僕の後ろに隠れようとするが、それを冥鬼が楽しそうに追いかけた。やがて、ずっと張り詰めていた緊張が解けたせいか、僕の腹が情けない音を立てる。黒丸も冥鬼も、ヒスイもオオルリも、そしてハルも一斉に僕を見た。
「……た、確かに、お腹減ったな。ここって食事は出るのか?」
僕は照れくさくなって、腹をさすりながらそっぽを向く。すると、黒丸が尾羽をパタパタと振りながら僕の腕に抱きついてきた。
「もちろん!」
辺りはすっかり暗くなっていて、虫の声が聞こえる。僕と冥鬼は天狗たちに背中を押されるようにして家の中へと戻った。
その夜出された山菜たっぷりの薬膳料理はとても豪勢で、僕達は腹いっぱい天狗の食事を味わったのだ。天ぷらもおこわも美味しかったな……。後から聞いたら、ヒスイとオオルリが作ったのだと言う。プロ顔負けの手料理と食後のデザートに冥鬼も僕も大満足だ。
風呂を終えて客室へ入るとそこには既に布団が敷かれていて、テーブルの上にはお茶菓子も置いてあった。ゆったりとした時間を過ごしていた僕の元に、ひょっとこのお面を被った不審者がやってきたのは夜の十一時頃のことだ。
「だっ、誰だッ!?」
「オレでーす。今の会話コントみたいやね!」
ひょっとこが聞きなれた声で手を振る。その声でようやく黒丸だとわかった。下駄が無いせいか、ずいぶん小さいな……。
「今オレのことずいぶん小さいなって思いました?」
「人の心を読むな。何だよそのお面」
「似合ってます? 楓クンにも買ってきてあげよっか! 姫には鬼のお面を買ってあげたんや」
ひょっとこのお面を指しながら身を乗り出してくる黒丸に、僕はハッキリと要らない旨を伝えた。 僕が風呂に入っている間、黒丸たちは冥鬼を連れて山の下で祭りを楽しんでいたようだ。冥鬼がわがまま放題だったんじゃないかと心配したけど、彼らは子供の世話が好きみたいで嫌な顔をするどころか自分から冥鬼と遊んでいる様子だった。
そんな冥鬼と遊んできた黒丸の手には巻物が握られている。僕の視線に気づいた黒丸はすぐに巻物を畳の上に転がした。
「ああ、これ気になる? 明日からの特訓メニューだよ。チェックお願いしまーす!」
そう言って広げられた巻物には太い筆文字で『鬼道楓殿之強化合宿』と書かれており、細かなメニューが記されている。
「とりあえず一週間でスタミナ底上げして、最後に手合わせってプランでどう? 楓クンの体力やとあんまりハードなヤツじゃキツいやろし山登りで体作って、メンタルを鍛えるために滝行も入れたいから……」
「き、キツいな……」
僕は筋肉痛で痛むふくらはぎをマッサージしながら、ハードな訓練内容を聞いて閉口した。
黒丸がくれた丸薬のおかげか、はたまた薬膳料理のおかげか、鬼符を使ったことによる体へのダメージはあまりない。それでも多少の筋肉痛はあるけど動けないほどの激痛じゃなかった。
「鬼符の効果は楓クンが鍛えれば鍛えるほど強くなるよ。楓クンが強くなれば姫が本来の姿で現界できる時間が長くなるし術の力も強まる。あと女の子にモテる!」
僕の脳裏にハク先輩の顔が浮かぶ。
なるほど、僕が強くたくましくなったらハク先輩が僕を好きになってくれる可能性もある、のか……。
「……が、頑張ってみる」
「さっすが楓クン! じゃあ一緒に寝よっ!」
黒丸は嬉しそうに両手と一緒に翼を広げる。
「嫌だけど……」
「何で楓クンまでご主人みたいなこと言うん〜!」
まるで子供が駄々をこねるみたいに黒丸が布団の上でじたばたと足をバタつかせる。……というか完全に子供だ。
烏天狗の体は僕より一回り小さい。下駄のせいでずいぶん身長が高いという印象があったけど、その体格から見ると肉体年齢は恐らく小学生くらいだ。
そして、その言動も。
「お前、年はいくつなんだ?」
何となく気になって尋ねるとひょっとこのお面が僕を見た。
「楓クンよりずーっとお兄ちゃんだよ。もちろんご主人よりも!」
「だろうな」
足をパタパタさせながら、櫛で髪を梳く僕を見ているひょっとこのお面。いつもの鳥の面ではないせいか、それとも僕が彼に慣れたせいなのか、初めて出会った時より、黒丸に対する苦手意識は減っていた。
最初こそ、そのお面のせいで尾崎先生のような不気味さを感じずにはいられなかったけど、思ったよりもずっと素直で子供っぽくて……。友達が欲しいのだと、少し寂しそうに言った黒丸の言葉がふと脳裏に蘇る。
僕の周りには様々な妖怪が居て、人間と一緒に暮らす妖怪や人間に化けて人として暮らす妖怪、人間に使役される妖怪と、人間に危害を加える妖怪。妖怪と深く関わってきた僕だからこそ、妖怪に感情があることも、誰かを慈しむ気持ちがあることも知ってる。
この烏天狗という妖怪は、嘘つきなわけじゃない。誰かを傷つけることもしない。それどころか……。
妖怪の世界にも、色々あるのかもな……。




