【避暑地の妖しい夜】6
「鬼道ッ!?」
その声は、オレさまの求めている声とは違っていた。
小さな背中に、ネコミミのような尖った黒髪。
「かえ、で……じゃない」
「やっぱオマエ……冥鬼か!」
無造作に一本縛りにした髪を靡かせながら振り向いたのは、楓の部活仲間であり楓のセンパイ。
その小さな体と髪型のせいでネコにしか見えないアイツだった。
「鬼原、ゴウ……」
さゆが静かに呟くと、ゴウは両手を広げてオレさまを庇うように立ちはだかった。
「せっかく夜になったから静かに散歩が出来ると思ったのに……どういうことだよ、これ」
「……散歩してたのかよ、こんな夜に」
「い、いいだろッ! 散歩は夜にするもんなんだから! ……って、そんなこと言いに来たんじゃねえ」
ゴウは頬を膨らませてそう告げると、慌ててかぶりを振った。目の前のサユキからオレさまを守るように両腕を広げて。
「コイツ……妖怪だったのかよ。鬼道の奴、ホント妖怪にモテるよな」
「確かに」
否定できなくて頷くと、ゴウがちょっと笑ったような気配がした。……暗くてよく見えなかったが。
「あぐっ……」
ちょっとでも身じろぎするだけで体が悲鳴を上げちまう。ゴウが心配そうにオレさまの体に触れた。
「だッ、大丈夫かよ?」
「大丈夫に見えんのかよ。邪魔だ、退いてろクソ猫ッ……」
気を遣う余裕もなくてゴウの体を押しのけようとするが、アイツは退かなかった。それどころか心配そうにオレさまを見つめると、思い出したようにオレさまのズボンのポケットから御札ケースを取り出す。
「そ、そーだ……またこれで治してやるッ! そうすれば……」
「先輩……悪いんだけど」
サユキの静かな声が頭上から聞こえた時、地中から巨大な氷柱が突き出してゴウの小さな胸を突き破った。瞬きをする暇すら与えない、一瞬の出来事。
「……ッ!!」
オレさまの目の前で、氷柱が赤く染まっていく。
頭上から、雪みたいにハラハラと御札が降ってきて……ゴウが手に取ったままの御札ケースが逆さになって中身がぶちまけられているんだと分かった。
「私と楓くんの……邪魔をしないで」
サユキがそう呟いてオレさまに足を踏み出す。
太い氷柱には赤い血が流れ、その先端にはゴウの体があった。小さな胸を大きくぶち破った氷柱がハッキリと見える。
「……きッ、貴様……」
頭を殴られたような衝撃と共に、オレさまの中を支配したのはハッキリとした殺意だった。
軋む体はこれ以上の活動が出来ないと悲鳴を上げているが、関係ねえ。
最強の陰陽師の血が流れてるなら、根性見せろ、鬼道楓!
「鬼符ッ……」
目の前に落ちた和紙をぎゅう、と握り潰す。
もう一度あの力が使えたら、今度こそこの女を殺してやる──! だから……動け、楓……!
「鬼神、天──」
「おいおい、その体をあまり酷使するなよ」
緊張感の欠片もない穏やかな声がどこからか聞こえた。同時に、サユキの小さな悲鳴が上がる。
サユキの足元に炎の矢が刺さり、氷柱をドロドロと溶かし始めていた。
「きゃっ! なに、これ……」
「魂を溶かす常夜の炎だ。灰も残らぬゆえ、良い子は近づかぬように」
どこか平和ボケしたその言葉と同時に、目の前で氷柱にヒビが入る。
氷柱の上から、小さな体が落ちてきたものだから慌てて受け止めようと手を伸ばすが、その体はふわりと地面へ降り立った。
「ご、ゴウ……?」
氷柱に胸を貫かれたはずの鬼原ゴウが、オレさまの目の前にいる。ってそんな馬鹿な。コイツは間違いなくサユキの攻撃で、致命傷どころか心臓が止まっちまったはずだ。
驚いて声も出ないオレさまに、ゴウがゆっくりと振り返る。赤い瞳を細めて笑ったその顔は、オレさまにとってとても懐かしい誰かを思い起こさせた。
「慣れない体でよく頑張ったじゃないか」
「は、へ……?」
ゴウらしくない言葉遣いでそう言った小さな男は、その小さな手をオレさまの顔前にかざす。同時に、オレさまの体を柔らかな光の衣が包み込んだ。
何が何だか分からないうちに、光がオレさまの体からキズを消し去ってくれる。副作用である強烈な筋肉痛も、全て綺麗サッパリ無くなっていた。
「い、痛くねえ……オマエ、何を」
何をしたんだ、と言いかけてオレさまは気づいてしまった。目の前にいるのが、鬼原ゴウでないことに。
紅蓮の長い髪を靡かせて、炎のように燃える瞳を向けた長身の男の姿が、オレさまの瞳に映る。けれどそれは一瞬で、再び男の姿はゴウへと戻った。
「依代を殺されてしまっては、愛娘を見守ることもできぬだろう?」
そう言った男は、手のひらに炎を纏わせる。氷使いってこともあって炎が苦手らしいサユキが顔を顰めて後ずさった。
「どう……して……? かんなぎは、鬼原ハクだけって……聞いた、のに……」
「鬼原ハクは我が妻、白夜の依代だ」
紅蓮の髪をした男の後ろ姿が陽炎のように揺らぐ。男は、オレさまの頭を優しく撫でながら言った。
「貴様の主に伝えるがいい。鬼原ハクに手を出せば命はないと。この男を貴様のアートとやらにすることも出来なくなるぞ」
「む……」
それを聞いたサユキは頬を膨らませてオレさまたちを見つめていたけど、やがてその身を粉雪に変えてその場から消えちまった。その場には、オレさまと鬼原ゴウの姿をした誰かだけが残る。
すっかり静かになった砂浜で、オレさまはぼんやりと男の後ろ姿を見つめていた。潮騒の音がずいぶん遠くに聞こえる。
「……ネコちゃんじゃないなら、オマエは……」
そう問いかけると、男がゆっくりと振り返った。
その顔はいつもの子供っぽいゴウの顔とは違っていて、まるで自分の子を見つめるような慈愛に満ちた眼差しをしている。
「我が名は豪鬼。癒しの力を司る常夜の神、と言えばわかるか?」
そう言ったゴウの姿に、先程の紅蓮の髪をした男がダブって見えた。
オレさまは、こいつを知っている。知ってるなんてレベルじゃねえ。だって、こいつはオレさまの……。
「お、親父ッ……?」
オレさまが呟くと、男は小さく頷いて手のひらをオレさまの頭に乗せた。
そう言えば聞いたことがある。オレさまの両親は人間の世界に行くことは出来ないけど、その魂を人間に下ろすことはできるって。神様に選ばれた人間の体を依代にして現界することができるんだ、って。話半分に聞いてたからすっかり忘れてたけど……。
「かッ、かんなぎって……何だよ。勝手に話進めやがって……ワケわかんねーから」
文句を言うオレさまの声も、自然と子供っぽくなっちまう。親父はゴウの顔をしてふにゃっと笑った。
「聞いていただろう? 鬼原家のことだ。この家の者は私たちと相性が良いからな」
そう言ったゴウ……親父は自分の小さな体を見下ろして腕を組む。
「私の魂は鬼原ゴウと、そしてお前の母、白夜の魂は鬼原ハクと繋がっている」
サラッと衝撃的な新事実を口にされた気がする。ネコちゃんと親父の魂が繋がっていて、ハクねーちゃんとおふくろの魂が繋がってる……?
「はあッ!?」
「ゆえに、私自らが出たというわけだ」
親父は穏やかな口振りで肩を竦めて見せた。それはそれはムカつくくらい平和ボケした顔で。
「というわけだ、じゃねーよ! 大事件だ馬鹿! アイツがハクねーちゃんのことを狙ってたってことは、おふくろも危ねーじゃねーか!」
思わず声を荒らげるオレさまとは反対に、親父は非常に穏やかだ。
オレさまって、親父のこういうところがなんて言うか……昔から苦手なんだよなァ!
「うむ、鬼原ハクの魂には不死と破壊を司る白夜の力が込められている。どこで嗅ぎつけたかは知らんが……鬼原ハクの血肉を喰らえば白夜の力を得ることが出来るだろうな」
終始穏やかな口振りで親父が話すのを、オレさまはハラハラしながら聞いていた。あのサユキとかいうクソ女がまた現れるかもしれねーのに!
いくら最強無敵のオレさまでも四六時中ハクねーちゃんを見張るわけにはいかねえ。
「そ、それッ……早く楓やねーちゃんに知らせねえと!」
「ならぬよ。これは王族の中でも限られた者しか知らぬこと。お前は嘘がつけぬから伝えなかったのだ。褒めてないぞ」
「うぐぅ……」
し、信用ねえ〜……! 確かにオレさまはすぐ顔に出るけどよ……。
肩を落として俯くオレさまの気持ちを知ってか知らずか、親父が少しだけ笑ったような気配がする。チラッと表情を盗み見ると、親父は緋色の瞳を片方だけ伏せてみせた。
「まあ、オカルト研究部に所属している間は問題ない」
「どーゆー意味だよ?」
唇を尖らせるオレさまを見て、親父は今度こそ微笑んだ。背伸びをして、小さい手でオレさまの頭を撫でる。
「鬼道楓や、お前が私と妻の依代を守ってくれるからな」
親父が目を細めて微笑む。オレさまは、慌てて頷きを返した。
そんなの当たり前だ。親父もおふくろも……ねーちゃんとネコちゃんも──この冥鬼サマが守ってやる。
「ちなみに、かんなぎの事って楓にも言っ……」
「冥鬼」
「い、言わねえ! 確認のために聞いただけだっつーの!」
慌ててかぶりを振るオレさまを、親父が何とも言えない顔で見ている。
「お前たちのその体についてだが……コイガミとやら、気は済んだか?」
親父がそう呟くと、物陰に隠れていた地蔵がビクッとした。その地蔵には見覚えがある。
「あー! 貴様、昼間の地蔵!」
「やべっ、バレた!」
そうだ、オレさまと楓の魂を入れ替えやがった張本人!
オレさまは腕まくりしながら、クソ地蔵を一発ぶん殴ってやろうとしたのだが、親父がすかさずオレさまの首根っこを掴んだ。チビっこいゴウの体でも腕力は親父のものだ。オレさまは軽々と持ち上げられてしまい、無様に足をバタつかせる。
「これは私の娘であり、娘の主の体だ。早急に元に戻せ」
「で、でも豪鬼様、わしの力は二十四時間経たないと解いて差しあげられませんし……」
「ほう?」
親父はオレさまの首根っこを掴んだまま地蔵と話していたが、やがてオレさまを地面に下ろした。
「いいか、貴様なんか楓が本気を出せば一発であの世行きなんだからなッ! 相手を選んで喧嘩売りやがれ!」
地蔵はオレさまの剣幕に恐れをなしたのか、逃げ腰でペコペコと頭を下げてその場から立ち去った。
「相変わらず我が娘は口が悪い」
舌打ちして砂浜にあぐらをかくオレさまをたしなめることもなく、親父が穏やかに笑う。
常夜の国の王にしてオレさまの親父豪鬼は、王っていうだけあってそこそこ立派だ。オレさまほどじゃねーけど。
癒しの力を持っていて、強そうな見た目に反してかなり平和主義。オレさまはおふくろの血を多く受け継いでいるから戦闘能力には恵まれたが、親父みたいな治癒のチカラはちょびっとしか使えねえ。そんなの、最強のオレさまには必要ないと思ってた……が。今回はその親父に助けられた。
「親父、えっと……あ、ありが、と……」
反抗期真っ盛りのオレさまがおずおずと礼を口にした時、目の前の小さな体がグラついた。オレさまは慌てて親父を抱きとめる。
「親父!?」
「はにゃ……」
腕の中で間抜けな鳴き声が聞こえる。やがて、親父がゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫、か?」
そう問いかけると、親父は目を丸くしておずおずと頷きを返す。
「あ、れ……? オレ、腹をぶち抜かれて……」
舌足らずな声が戸惑いがちに問いかけてくる。
もう親父じゃない。これは鬼原ゴウだ。オレさまは腕に力を込めてゴウの体を──親父の魂の依代を抱きしめた。
「オマエ、知ってたのか? 鬼原家と常夜の国の繋がりを」
ゴウは目を白黒させると、何となく居心地悪そうに顔を逸らす。
「……そういうのは、ハクのほうが詳しいと思うぜ」
「んだよ、オマエは知らねえのか?」
気まずそうに目を逸らしているゴウの顔を覗き込むと、アイツは唇を尖らせて自分の手を見つめた。
「昔から、嫌なことが起きる時に頭痛がしたり……妖怪っぽいものが見えたりはしたぜ。でもオレは、そんなチカラ要らねえんだ」
そう言ったゴウの眼差しは、何だか悲しそうに見える。……これは突っ込んで聞いても良いやつか?
抵抗することをやめたゴウを抱きしめたまま考え込むオレさまの耳に、遠くから砂浜を駆ける足音が聞こえた。それはどんどんこっちに近づいてくる。
「め、冥鬼ッ!」
声の主は聞きなれたオレさまの声、楓だった。ついでに日熊と尾崎の奴もいる。
「大丈夫か、怪我は!?」
「おう、何ともないぜ」
オレさまの返事を聞くと、楓は全身で安堵したようにその場にへたりこんだ。
「よ、よかった……」
「何だよ、心配してくれたのか?」
「当たり前だろ! お前にもし怪我でもされたらッ……」
そこまで言って、楓はオレさまの顔をして唇を尖らせる。その顔は、よく見えねえけど少し赤い。
「ぼ、僕が困る」
ぽそぽそと怒ったように楓が言った。オレさまの顔だから嬉しくねえけど、楓が心配してくれたなら別だ。
「何だよ、オレさまが心配だったって素直に言いやがれ!」
オレさまは楓に抱きついて砂浜に倒れ込んだ。そんなオレさまたちに向かって空気の読めない一喝をしたのは日熊だった。
「冥鬼、ドラ猫! お前ら……消灯時間はとっくに過ぎてるというのに何をやっとるんらッ! 若い男女が夜の海で二人きりなんぞ……けしからんことらぞッ!」
日熊が夜の海に響くほど大きな声を上げた。ゴウはバツが悪そうに顔を逸らしている。
つーか日熊の奴、呂律回ってねーんだけど……。
「若い男女だって夜の海でイチャつくっしょ。オレの甥っ子なんか小学生でもうキス済ませてたし」
「尾崎貴様、キスとか言うなァッ! こッ、子供たちの教育に悪いらろうが!」
尾崎の一言で日熊はさらにヒートアップしてやがる。日熊が尾崎の腕を掴もうとして見事に空振っていた。
「アハッ、酔っ払いざまぁ」
足をもつれさせて砂浜に転ぶ日熊を楽しげに嘲笑った尾崎は、ついでに日熊の顔に足で砂をかける。
容赦なく顔面に素直を浴びた日熊は砂をぺっぺと吐き出してすぐに起き上がろうとするけれど足をもつれさせてなかなか立ち上がれないでいた。
「飲み過ぎです、日熊先生」
「ち、違う! 俺は酔わされたんだ、コイツに!」
呆れた顔の楓に日熊が必死こいて言い訳してる。
オレさまたちは軽い足取りで部屋に戻る尾崎に続いて、長い長い一日を終えたのだった。