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【避暑地の妖しい夜】5

「はあ……はあ……」


 心臓がはち切れそうなくらい脈打っているのがわかる。

 拳を握った手が震えていた。これは恐怖か、武者震いか?

 いいや、どっちでもねえ。これは怒りだ。


「調子に乗ってんじゃ、ねえぞ……」


 低く、怒りを込めた声で呟いた声がさざ波に消える。


 鬼道楓という脆くて持久力のない陰陽師の体になったオレさまが目覚めた時、既に楓は部屋に居なかった。


「楓……?」


 静かな部屋を見回すけど楓の返事はない。部屋は真っ暗で物音もしないから、きっともうみんな寝ちまってんだろうか。

 軽く眠ったことで体の疲れも取れたオレさまは、ゆっくりと体を伸ばす。筋肉痛なんかになったらさらに動けなくなっちまうし、今のうちにマッサージをしておかねえと。


「……やっぱ楓、肉ついてねーなあ」


 ふくらはぎを揉みながらオレさまはため息をついた。陰陽師だからとは言え、いくらなんでも楓は体力も筋力も無さすぎだ。そのうち特訓してやるかぁ? それも主サマを守るオレさまの役目だもんな。

 なんて思いながら体を揉みほぐしていると、何か変な気分になってくる。今、オレさまは合法的に楓の体を触ってるんだと思うと猛烈にソワソワするのだ。


「……」


 何となく部屋の中を見回して改めて一人であることを確認する。遠慮がちにシャツを捲り上げると傷一つない白い肌がオレさまの目に入った。

 こ、これが楓の体……。


「おお……」


 ぺたぺたと腹を触ってみると、一応腹筋はうっすら割れているようだ。そ、そりゃ楓だって男だもんな。カワイイ顔してるけど。

 続けて、興味の対象が腹から長い髪に移る。ツヤツヤですべすべな黒髪はオレさまも好きな楓の一部だ。


「すげーいい匂い」


 髪の束を手に取って顔に近づけると、いつもの楓の匂いがする。ってこれ、自分で自分の髪の匂いを嗅ぐとか、傍から見たら変態だよな……。


「……冥鬼」


 オレさまは小さい声で名前を呼んでみた。楓の声でオレさまの名前を呼ぶと、何だかすごく贅沢な感じがするじゃねーか!

 思わず枕を抱いてゴロゴロとベッドの上を転げ回る。だって誰も見てねーもんな!

もっと呼んでやろうかな、なんて思っていると……不意に扉を叩く音が聞こえた。


「だ、誰だ?」

「……」


 慌てて上体を起こして声をかけるが、返事はない。オレさまはベッドから降りてドアノブを掴んだ。

 扉の外には、俯きがちな銀髪の女──水流紗雪つるさゆきが居る。楓は『さゆ』って呼んでたな。チビのオレさまもこの女と遊んでもらったことがあるが……。やたらと質問の多い女だったって記憶がある。

 楓のことから始まって、オカルト研究部の鬼原ハクのことを妙に聞きたがるものだからチビのオレさまは『メイわかんない』を連呼して事なきを得た。


「……どうした? さゆ。こんな時間に」


 なるべく楓っぽく問いかけてみる。さゆはオレさまを見上げると小さな声で、『中、入っていい?』と尋ねた。

 断る理由もなくて部屋の中に招いてやる。さゆは後ろ手にドアを閉めてから、落ち着かなさそうに視線を彷徨わせていた。


「あの……ね、楓くん」


 小動物みたいに、もじもじとさゆが体をゆする。


「楓くんと出会ってから、色々……あったよ、ね」

「ん、んん……そうだな」


 オレさまは知らないけど、とは言えずにもごもごと答える。


「……わたし、夏が終わったら遠いところに行かなきゃいけないって話、覚えてる?」

「あ、ああ……覚えてるぞ。忘れるわけないだろ」


 そう言うと、さゆは『よかった……』と胸をなで下ろした。いや、オレさまは知らねえけどな!? 初耳だぜ、その情報……。


「わた、し……楓くんとの思い出……忘れない、から。初めての学校で……初めて出来た、大切な……お友達」


 さゆはぼそぼそと喋りながら、泣きそうな顔で俯く。


「僕も忘れないよ。さゆのことはずっと覚えてるから」

「うれし、い……な」


 楓が言いそうな言葉を選んで口にすると、さゆは耳まで赤く染めて頷いた。

 ははァ……この女、もしかしなくても楓に惚れてんな? だが残念、楓はハクねーちゃんにお熱だぜ。


「わたし……今夜は、楓くんにお願いがあって……きた、の……」

「お願い? 僕にできることなら何でも言ってくれ」


 オレさまはさゆに視線を合わせて微笑む。

 顔を覗きこまれたさゆは恥ずかしそうに視線を逸らそうとしたけど、勇気を出すようにおずおずと口を開いた。


「楓くんの……が、欲しい……の」

「ん? 僕の……何?」


 上手く聞き取れなくて尋ねると、さゆがゆっくり顔を上げる。


「楓くんの命が欲しいの」


 その言葉と共に、室内に冷気が吹き上げる。

 なんてこった。オレさまとしたことが、殺気にも妖気にも気づかないなんて!

 いや、きっと楓の体だからだな……。


「ぐっ!」


 足元に突然氷柱が吹き出すものだから、オレさまは慌てて後ずさろうとするがベッドの足に膝裏が引っかかってしまい背中からベッドに倒れ込む。

 同時に氷柱がベッドの下から生えてくるようにして次々に突き出した。


「くそっ!」


 オレさまはすぐベッドから飛び降りるが、そんなオレさまを嘲笑うように目の前で氷柱がいくつも突き出してくる。


「逃げてばっかり、なの……?」

「どういうことだ?」


 氷柱から距離を置くオレさまの周囲を次々に氷漬けにしながらさゆがかわいらしく小首を傾げる。


「改めて自己紹介、するね──わたしはね……つらら女郎のサユキ。楓くんのこと、ずっと……ずうっと見てたんだよ……」


 サユキは冷気をまといながらゆっくりと近づいてくる。


「本当は、かんなぎの女を捕まえてくるように清音に言われてたけど……あの女、なかなか一人にならないんだもん……。だから、先に楓くんの命が欲しい……なって」

「……何で僕の命を狙う?」


 今のオレさまは楓の体だ。ぶっ飛ばしてやりたいが人間の体じゃ妖怪には敵わない。だから少しでも話を長引かせて奴の隙をついて逃げようと思った。かんなぎとか清音とか気になる言葉がたくさん出てきてるが……今はそんなことよりも、楓の命の方が大事だ。


「本当は、楓くんの氣だけでいいんだって。鬼道家の陰陽師の氣をたくさんとってくるように、ってクロムも言ってたから」


 話を聞いているのかいないのか、サユキは一方的に捲し立てる。しかもまた新しい名前が出てきた! 誰だよ、クロムって!

 歯ぎしりするオレさまを見ているのかいないのか、サユキが不意に言葉を止める。


「でもね、私……楓くんを好きになっちゃった……の」

「はあ?」


 それはまるで夢見る少女みたいな眼差しだった。白い肌を赤く染めて、うっとりしながらオレさまを見つめている。


「楓くんのことを氷漬けにしたいの。つららのアート、綺麗だよ……。綺麗な楓くんをずっと綺麗なままで私の傍に置いておける……」


 ピシッと音を立てて、サユキが歩いた場所が凍り始める。一気に室内の気温が下がった気がする。息が白くなってきて……さ、寒い……。


「楓くん……かっこよくて、優しくて……大好き。私の、王子様……」


 サユキがうっとりと呟いた。訳わかんねえことばっかだが、ひとつだけハッキリしてることがある。

 ──この女はイカれてる。


「僕がかっこいいのは認める! 顔も綺麗だし、ちょっとヘタレで頼りないところなんかかわいさすらあるからな」

「うん……」

「だが、だからこそお前に殺されてやるわけにはいかない!」


 オレさまはそう叫ぶと窓を開け放って勢いよく飛び出した。

 この体が人間で、しかも貧弱な楓のものとは言え、窓の下は砂浜だ。大したダメージにはならないだろう。

 そう思ったのだが……。


「うげぇっ! いってえ……」


 砂浜に転がり落ちたオレさまは着地に失敗して肩を強打する。すぐに窓を見やると、サユキが心配そうにオレさまを見下ろしているのが分かった。


「だいじょう、ぶ……?」

「……ッ、こっちにこい!」


 そう叫んで砂浜を駆ける。走りにくい砂浜のせいですぐに息が上がってしまう。

 何で今のオレさまは陰陽師なのに妖怪から逃げ回ってんだよーッ!!


「はっ……はあっ……」


 砂浜に足を取られながら、だだっ広い海を駆けていくオレさまの後ろから冷気が近づいてくる。

 ああ、汗がベタベタして気持ち悪い!


「無理しないで、楓くん。式神が居ないと何も出来ないんでしょう……?」


 サユキの声が後ろから聞こえる。も、もう追いついてきたのかよ……。


「うるせえ! 貴様なんか──」


 オレさまは息を切らせながらズボンのポケットから御札ケースを取り出した。いつも楓が持ち歩いているやつだ。

 中身はオレさまも見たことがあるし、使い方も知ってる。


「これで充分だッ!!」


 オレさまが取り出したのは御札とは別の場所に、まるで隔離するように収納されているペラッペラの和紙。きっと常用しないように他の札とは分けているんだろう。

 だが、こういう時だからこそコイツは使うべきだ。つーか必殺技は一番最初に使うもんだぜ!


「鬼符──鬼神天翔ッ!!」


 和紙を取り出して叫ぶと、体に雷が落ちたような衝撃が走った。今まで感じていた体のだるさも、苦しさもない。

 オレさまはサユキから距離を取ると、思い切り両手を叩く。手の平がバチバチとスパークしながら黒塗りの刀が姿を現した。


「ははッ!! あるんじゃねーか、とっておきの武器が!」

「すごい……何……? それ……」

「教えてやんねえ!」


 サユキが怯むが、オレさまは刀を手にしたままべーっと舌を出してやった。続けて砂を蹴り上げると、完全に油断していたサユキが慌てて目を瞑る。

 黒塗りの刀は勢いよくサユキのつららを切り落とした。


「きゃ……!」

「へッ……鬼道楓を舐めるなよ。コイツは最弱陰陽師なんかじゃねえ」


 ただちょっと卑屈で自信が無いだけだ。頑張ればこのくらい出来ちゃうんだぜ。

 オレさまはサユキの喉元に切っ先を向ける。


「さあ、これで終いだ。最期に言っとくことはあるか?」

「……」


 サユキが小さく口を動かす。だがオレさまの耳には届かない。


「あ? 何だよ」

「楓、くんが……私を、見てくれてる……」


 サユキがうっとりと呟くと同時に砂の中から巨大な氷柱が突き出た。

 オレさまはすぐに、隆起した氷柱の上を飛び越えてサユキの脳天目掛けて刀を振り下ろす……が。


「なッ!?」


 サユキの体が一瞬にして溶け落ちる。オレさまは、勢いよく砂浜に刀を深々と突き立ててから僅かによろめいた。


「どこ行きやがった!?」

「ここ、だよ……」


サユキの声が背後から聞こえて、オレさまはすぐに刀を引き抜こうとする。けど、抜けなかった。

 いつの間にか刀を突き立てた場所は凍りついて、刀が抜けなくなってやがる。

 ま……まずいッ!

 いくら強化してると言っても楓の体はひ弱な人間。あの氷柱で攻撃されたら重傷だ。


「うおおおおァッ!」


 オレさまは刀から手を離して身を捩った。

 間一髪と言うべきか、刀もろとも周囲一帯が巨大な氷の柱になる。


「……あと、少し……だったのに」


 サユキが目を細めてオレさまを残念そうに見つめた。

 武器を失ったオレさまはすぐに身を翻すと、砂浜を駆け出す。すぐにサユキが氷柱を発生させるが、そのたびに方向を変え、時には飛び上がり、氷柱を叩き壊しながらサユキの体力が消耗するのを狙ったつもりだった。

 しかし、あいつは体力が尽きるどころか涼しい顔をしてオレさまの行く先々に氷柱を発生させる。


「はあ、はあっ……体力おばけかよっ……」


 夏のジメジメとした暑さが嫌な汗となって顎を伝う。オレさまはそれを乱暴にシャツで拭った。

 まてよ……息が上がってるのは何でだ? オレさまは今、鬼神天翔を使って多少なりとも頑丈になってるはずだぜ。

 まさか……まさかとは思うが、札の効果が切れ始めてるのか?


「ざけんな……っうわ!」


 次第に重くなっていた足が砂浜につまづく。

 倒れ込んだ先に突き出してきた氷柱を拳で叩き壊すと、じわりとした痛みが広がった。

続けて、大量の汗が拳を伝う。


「楓くん……怪我、しちゃったの?」

「あ?」


 サユキの言葉で、オレさまの拳から垂れていたものが汗ではなく血であること気づいた。

 もう、完全に札の効果が切れてやがる。

 ということはだ……。


「ぐ、おおお……ッ!」


 身体中を駆け回る激痛に、思わず膝をつく。

 手がぶるぶると震えてやがる。

 これは恐怖、それとも武者震いか?

 ──どっちでもねえ。

 これは怒りだ。楓を傷つけちまった自分自身への、強い怒り。


「調子に乗ってんじゃ、ねえぞ……」


 その言葉を言うのが今のオレさまには精一杯だ。意識がぶっ飛びそうだけど、今倒れるわけにはいかない。

 楓の体を、これ以上傷つけさせるもんか。


「氷漬けになんか……なって、たまる、か……」


 体を起こそうとする腕がガクガクと震える。サユキはオレさまを見下ろすと、今まで見たことがないくらい残酷に微笑んだ。


「大丈夫……優しく……殺してあげる」


 それは、ゾッとするほど優しい声。サユキの術なのか、それとも鬼神天翔の副作用か、意識が遠くなってくる。

 ダメだ、今堕ちたら……。


「お、にい……ちゃ……」


 メイの大好きな、楓お兄ちゃんが居なくなっちゃう。そんなの、嫌なのに……体が、動かない……。

 重くなる瞼が視界を閉ざそうとした時、遠くで聞きなれた声が響いた。

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