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【避暑地の妖しい夜】3

 僕は、僕は今……ハク先輩の部屋にいる。

 先輩の言う通り冷房の効いた部屋は僕と冥鬼が居た部屋と同じ家具が並んでいて、ベッドの配置も使われているシーツも同じだ。

 なのに……こんなに緊張するのは、ここがハク先輩の部屋だからだ。


「ねえ冥鬼ちゃん、上脱いで?」

「なっ!?」


 ベッドの端に座ったまま膝の上で拳を作っていた僕にハク先輩がにこやかに笑いかけてくる。

 ウエヌイデ……? 何の呪文ですか、それは。もしかしなくても『上、脱いで』って言ってますか? ハク先輩、何を言ってるんデスカ? ぼぼぼぼ僕を脱がせてどうする気デスカ?


「あ、あ……アの……」

「冥鬼ちゃん、顔真っ赤ね。かわいい」


 ハク先輩がくすくすと笑って僕のすぐ傍に腰掛け直す。ハク先輩の柔らかな手が僕の手を軽く握った。


「それとも先に、私に塗ってくれる?」

「な、何を……」

「ローション♡」


 ハク先輩がウインクする。僕は口を魚みたいにぱくぱくさせながら後ずさるが、そんな僕の行動なんかお見通しと言ったようにハク先輩が僕の体をベッドに倒すのだ。


「うひゃあぁ……」


 何とも間抜けな声が僕の口から漏れる。何だよ……この、夢みたいなシチュエーションは!?

 ハク先輩は僕の体を優しく押し倒すと、にっこり笑って唇を軽く指でつついた。


「私に塗るか塗られるか……どっちがいいかて選んで?」


 ゾクッとするような色っぽい声でハク先輩が問いかける。ハク先輩の髪からいい匂いがした。いつもいい匂いだけど、今日の匂いはちょっと違っていて。僕は自然と自分の呼吸が荒くなるのを感じていた。


「だ、ダメです……よ」

「何がダメなの?」


 ハク先輩がにっこりと微笑む。ああダメだ、そんな近くで見つめられたら……。


「どッ、とうにか……なっちゃう、から……」


 口から心臓が出そうなくらい激しく高鳴っている。

 女性に免疫のない僕は、何をどうしたら良いか分からなくてシーツをギュッと掴むことしかできない。

 ハク先輩の甘い匂いが、柔らかい体が、僕の全身を刺激する。


「どうにかなっちゃえ♡」

「ほわッ……!?」


 ハク先輩が耳元に囁いてくる。僕はひっくり返った声を上げて、すぐに口を塞いだ。何だよッ……何だよ今の情けない声はッ!?

 ハク先輩の傍に居るだけで、心臓を掴まれたみたいな感覚だ。切なくて、熱くて、胸がきゅうってする。こんなこと、男の時には感じたことすらなかっただろ……!

 両手で口を塞いで体を丸めている僕のことなどお構い無しにハク先輩が声をかけてくる。


「ねえ、選んで。楓くん」


 ハク先輩が僕の耳元に優しく囁いてくる。

 僕は震えながら両手で口を押えてかぶりを振った。


「ぼッ、僕だって……男、なんですよ。今は冥鬼だけど……こ、こんなことされたら、勘違いする……でしょ……」


 絞り出すような声で呟く。

 ハク先輩の吐息が耳にかかってくすぐったい。このままじゃ本当に、理性が壊れる。

 僕は今冥鬼で、女の子で……女の子同士だから、合法的にハク先輩の肌に触れることが出来る。そしてハク先輩に触ってもらうこともできるんだ。

 ハク先輩のしなやかな指が僕の体を撫でることを想像しただけで……全身が熱くなる。その先を、期待してしまう。だけど……。

 陰陽師としても、男としても中途半端な僕が貰っていいご褒美じゃない。


「僕……弱い、から。いつも、ハク先輩に助けてもらってばかりで、情けなくて……ずっと、自分に腹が立ってて……」


 シーツに顔を押し付けたまま、僕は押し殺すような声で言った。泣くつもりじゃなかったのに、僕の視界が涙で揺らぐ。泣くな、泣くな、ハク先輩の前で。


「情けなくないわ」


 ハク先輩の長い髪が、僕の視界を覆った。こんなに近くでハク先輩が僕を見つめているのに、僕は零れる涙をこらえようとするのに必死で。


「私の知ってる楓くんは、世界一かっこいいんだから」


 しなやかな指が優しく僕の目尻を拭う。その眼差しは、いつもの僕を見つめる眼差しに似ている。冥鬼を見つめる目じゃなくて、鬼道楓を見る時の……いたずらっぽくて優しい眼差しだ。


「ハク、先輩……気づいて……」

「うん、ごめんね……最初から」


 ハク先輩は舌を出して笑うと、僕の頭を軽く撫でた。

 何で……何でこんなに意地悪なことをされたに、嬉しくて……切なくて、たまらなくかわいいと思ってしまうんだ。


「う、うぅ〜ッ……」

「もう意地悪しないから、泣かなくて良いのよ」


 ハク先輩は僕を抱き寄せると、子守唄のように優しい声で言った。髪を撫でる手が、まるで母さんみたいで懐かしくて、あたたかくて。僕の腕は自然とハク先輩の背中に回っていた。


「一体何があったの?」


 次第に涙が収まって、ハク先輩に抱きついているのが恥ずかしくなってきた頃、ハク先輩が尋ねた。

 僕は乱れた呼吸を整えながら、地蔵に触れたことで冥鬼と精神が入れ替わったことを説明する。その間、ハク先輩は僕の話を真剣な顔で聞いていた。


「お地蔵さま……かあ。レンちゃんなら詳しいことを知ってるかしら」

「僕もそう思って、部長に話を聞きたかったんですけど……アイツが熱を出したせいで話が聞けなくて」


 僕はさりげなくハク先輩から体を離して上体を起こす。

 そうでもしないと平静さを保っていられないからだ。失態の数々を思い出して顔から火が出そうだった。高校生にもなって、ハク先輩の胸で泣いてしまうなんて……。で、でも……いい匂いだったな……。

 不意に、ハク先輩が僕の手を取った。


「ねえ、今からレンちゃんの部屋に行ってみない?」

「え、で……でも女子の部屋に僕が行くのは……」

「何言ってるの? 今の楓くんは冥鬼ちゃんなんだから何にも問題ないじゃない」


 いやいや、問題大アリです……。

 ハク先輩は何だか楽しそうに僕の手を取ると、冷房を切ってから部屋を出た。

 ちょっぴりハク先輩の手が熱いような気がするのは、僕の体温が高いせいか?


「あの、ハク先輩……」


 遠慮がちに声をかけようとした時、不意にハク先輩が立ち止まる。僕も遅れて、壁際に寄りかかっているさゆに気づいた。


「さゆちゃん、こんな時間にどうしたの?」

「あ……鬼原、せんぱい……」


 さゆはハク先輩を見てハッとした顔をしたけど、僕の存在に気づいて表情を曇らせる。


「冥鬼、ちゃん……楓くんと一緒じゃ……ないんだね」

「あ、ああ……楓に用があるのか? アイツ、熱出しちゃって……あはは、マジでヘタレだよなー」


 なるべく自然を装って笑う僕に、さゆは表情ひとつ変えない。頼む、ヘタレって言ったのを誰か否定してくれ。


「……冥鬼ちゃんって、楓くんの式神なんだよね……?」


 俯きがちにさゆが呟いた。僕は彼女に陰陽師であることも、冥鬼が式神であることも話していないはずだが……冥鬼から聞いたのか? それともゴウ先輩? 冥鬼はともかく、ゴウ先輩は口の軽い人じゃない。……とすると冥鬼ってことになるが……。あいつも自分の正体をペラペラ話すタイプじゃない。

 頷くべきか迷っていると、さゆが再び口を開いた。


「……強い、の?」


 さゆがぼそぼそと問いかける。質問の意味が分からなくて首を傾げていたが、そんなさゆの後ろからバスローブを纏った金髪の男が近づいてきた。尾崎先生だ……。手には酒瓶を持っていて、顔がほんのり赤いところを見ると……酒を飲んでるのか?


「お、ハクちゃんに冥鬼ちゃんじゃん。こんな時間に夜更かし?」

「ええ、先生も夜更かしですか?」


 ハク先輩がにこやかに問いかける。尾崎先生は軽く髪をかきあげて機嫌良さそうに笑った。


「アハッ、まあね〜。大人の夜は長いんスよ。それよりさぁ」


 ヘラヘラ笑っていた尾崎先生が、ふとつり目がちの目を細める。


「ダメだよ、水流ちゃん……こんな夜中に一人で出歩いちゃ」


 尾崎先生がさゆの肩に手を置くと、さゆは突然睨むように尾崎先生を見つめた。今まで見たことがないような怖い顔だ。それでも尾崎先生は怯むことなく、さゆの髪先を指で弄ぶ。


「……おやすみなさい、先生」


 さゆは尾崎先生の手を振り払うと身を翻して自分の部屋へ戻っていく。それはまるで逃げるみたいに。


「アハッ、嫌われちゃったっスかね」

「日頃の行いのせいだろ」


 僕は思わずポロッと呟く。しまった、つい心の声が漏れて……。思わず口を押さえる僕を見て、尾崎先生がニヤーッと笑った。


「冥鬼ちゃんも結構言うねぇ。まるで楓クンみたいなコト──」


 尾崎先生がゆっくりと僕に近づこうとするけど、僕たちの間に割り込んだのはハク先輩だった。


「尾崎センセイ、楓くんならまだしも冥鬼ちゃんにちょっかい出したらダメですよ?」

「アハッ、ごめんごめん」


 尾崎先生は楽しそうに笑いながら身を翻すと、僕に流し目を送る。

 というかハク先輩、尾崎先輩にからかわれるのは僕ならいいのか……。


「そんじゃ──早く寝るんスよ、二人とも」


 尾崎先生はそう言ってヒラヒラと手を振ると、軽い足取りで廊下の先へと向かう。

 僕とハク先輩は顔を見合わせると、改めて部長の部屋の前へとやってきた。

 扉からは明かりが漏れていて、まだ部長が起きていることを示している。

 ハク先輩が扉をノックしようとした時、勢いよく扉が開かれた。


「きゃあっ!?」

「……ハク? それに……冥鬼さんね。何か用?」


 部長は何だか不機嫌そうだ。それにしても、ツインテールを下ろしている部長の姿はこんな時じゃないと見られないだろう。いつも勝気にツインテールを振り回しているけど、こうして見るとお嬢様っぽい。


「どうしたの? レンちゃん……怖い顔して」

「……別に、脅迫状が届いただけよ」


 部長はため息混じりに答えると、手に持った手紙を僕達に突きつける。そこには、『今夜、宿泊者の誰かが死ぬ』とだけ書かれていた。


「まるで幼稚園のごっこ遊びね。何の捻りもない殺人予告なんか寄越して!」

「いや、警察呼びましょうよ!」


 僕は慌てて部長の前に立ち塞がる。こんな物騒な手紙が送り付けられたのに何で平然としていられるんだこの部長……!


「警察なんか必要ないわよ。あたしの別荘で事件なんて起こさせないから。あなたたちも早く寝なさい。明日は本格的に部活動を始めるんだから」

「そ、そのことなんだけどレンちゃん……」


 ハク先輩が僕の顔色を窺いながら口を開く。

 現在僕と冥鬼の体に起きていることについてハク先輩が説明すると、部長は腕を組んだまま僕を見つめていたがやにわにハク先輩の手を掴むなり、その手を僕の胸に触れさせる。


「ぎゃーっ!?」

「どうやら本当に鬼道くんみたいね」


 どんな確認の仕方だ!?

 ハク先輩はなだめるように僕の頭を優しく撫でる。嬉しいけど恥ずかしい……。ハク先輩に撫でられながら肩を落としている僕を見下ろした部長は、しばらく考えこむように腕を組んでいたけれどやがて口を開いて言った。


 部長いわく、この現象は【コイガミさま】によるものらしい。この地には昔コイガミさまという神が住んでいて、それがとてもイタズラ好きの神様だったそうだ。怒ったコイガミさまの姉は、彼の体を石にして、人々の願いを叶えるための神様にしたという。

 何でも部長のおばあさんも少女の頃、コイガミ様に病弱な体を治してもらったとか。


「何とかコイガミさまを呼び出す方法は無いんでしょうか」


 僕は狼狽えながら部長の顔色をうかがうが……部長は腕を組んだままだ。

 そして、突然長いため息をついて口を開くのだった。


「……ま、鬼道くんにはいつか謝らなきゃいけないと思ってたし。いいわよ、調べといてあげる。それであかずのトイレの件はチャラね」

「あかずのトイレの件……?」


 部長の言っている意味が分からなくて首を傾げる僕に、部長はいつもの調子で腰に手を当てた。


「コイガミさまについてはこの高千穂レンが責任を持って調べます。あなたはいつも通り過ごすといいわ!」

「あ、ありがとうございます……」


 よく分からないが、部長に任せておけば安心……か? 僕は深々と頭を下げて部長に礼を言うとハク先輩と顔を見合わせる。自分のことのように嬉しそうな笑顔を浮かべるハク先輩に、僕も嬉しくなってはにかんでしまう。な、何か今……すごくいい感じだな。恋人、とまではいかないが……ハク先輩と距離が縮まったような気がする。

 僕は、少しだけ晴れやかな気持ちで部長の部屋から出ていくのだった。

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