【避暑地にて】4
不思議だ。
目の前に居る女がすごくかわいく見える。
オレさまにとってこの女は楓の先輩で、オレさまにも優しくしてくれるねーちゃんで、それでいてちょっとだけキライな存在。ねーちゃんと一緒にいる時の楓はいつも顔を真っ赤にして、挙動不審になって、デレデレして、バッカみてえだと思ってた。
そんな楓を見たくなくて、オレさまはハクねーちゃんがちょっとだけ、ほんのちょっとだけキライだったんだ。
けれど、今は何故だろう。ハクねーちゃんがキラキラして見える。楓の目から見るハクねーちゃんだからなのかな? アイツ、ハクねーちゃんのこと大好きだもんな……。
「ハク先輩」
オレさまは、よろめいたねーちゃんを抱きとめたまま静かにその名前を呼ぶ。
腕の中のねーちゃんが不思議そうに目を瞬いた。
「僕、今すごく楽しいです!」
そう告げると、ねーちゃんは目を丸くしてから花が咲いたような笑顔を浮かべて頷いた。
「──私も!」
きゅん、と胸が締め付けられる。
楓がハクねーちゃんを好きな気持ちが、ちょっとだけ分かっちまった。
「ねえ、冥鬼ちゃんとも遊んであげて? さっきからずっとパラソルの下で楓くんのことを見てるもの」
「えーと……アイツは日焼けしたくないんですよ。だから気にしなくて大丈夫です」
「ダメよ。きっと寂しい思いをしてるわ」
ちくりと胸が痛む。
パラソルの方角を見やると、ビキニ姿のオレさま──いや、今は楓か。楓が体育座りのままで新入部員の女と何か話している。
もしこれでオレさまたちが入れ替わってなかったら、あそこに居たのはオレさまだったんだよな……。
「すみません、ハク先輩」
オレさまは砂を蹴りながらパラソルへ近づいた。新入部員の女が楓に顔を近づけていたけれど、オレさまに気づいて顔を離す。
「おいッ、冥鬼」
「……な、何だよ」
ハッと我に返った様子の楓が、覇気の無い声で返事をする。こんな時、楓ならなんて言うだろう。
そんなことを考えていたが、やっぱりオレさまには楓の真似なんて無理だ。
「オマエも来いよ、水が冷たくってめちゃくちゃ楽しいぞ!」
オレさまはごにょごにょ言ってる楓の手を取って引っ張り起こす。楓は新入部員の女へと振り返った。
「さ、さゆ……本当に大丈夫か? 具合が悪かったら部屋に戻っても……」
「ううん……私は、平気」
女は熱っぽい目でオレさまを見つめている。大して仲良くもない女にそんな目で見つめられると変な感じがするぜ……。オレさまは楓の手を引っ張って、すぐにねーちゃんの元に駆け出した。
「せーんぱーいっ! ぶわっ!」
砂の上で上手く走れなくて、オレさまは顔面から砂浜に埋もれる。
そんなオレさまを見て、ねーちゃんが楽しそうに笑った。顔を上げると、楓もちょっとだけ笑っている。
「ふふっ……体力ないくせにはしゃぐからだろ。ばーか──おっと」
楓は足にかかる海水から逃げるように小走りで引き返す。
「何だよ、鬼王のくせに水が怖いのか?」
「う……うるさいな」
からかうように言ってやると、楓はむくれたような顔でオレさまを睨んでからおずおず海に近づいた。足の先に水がかかっただけでビクッとしている。
「大丈夫、怖くないわ」
ハクねーちゃんが楓の手を取って優しく海に誘う。楓はハクねーちゃんに手を握られて顔を真っ赤にしていたけど、やがて遠慮がちに水に足をつけていた。
きっとこれが楓じゃなくてオレさまでもハクねーちゃんは優しく手を差し伸べただろう。鬼原ハクってのはそんな女だ。
どこまでも優しくて、太陽みたいで……母上と一緒に居るみたいな──いやいや、ハクねーちゃんと母上は全然違うだろ。
なのにハクねーちゃんと一緒に居ると、母上に見守られてるような……不思議な感じがする。
「あら、その貝殻とっても綺麗ね」
楓は、砂の中にうもれた小さな巻貝を手に取り、それを耳に当てて目を伏せていた。
「海の声、聞こえる?」
「えっ? あ……!」
ねーちゃんが楓に顔を近づけて貝に耳を当てる。距離が近くなったせいで楓が目を丸くしてあたふたしてたけど、何とか逃げ出さずに耐えていた。
「海の声って何だよ」
なんとなーく面白くなくて、オレさまは楓が持っている貝殻をひょいっと取り上げた。楓たちの真似をして貝殻を耳に当ててみるけれど、海の声なんか聞こえない。
「何も聞こえねーじゃん」
「こ、こいつ……僕とハク先輩の邪魔を……」
楓が顔を赤くしたままオレさまを睨んでるけどちっとも怖くねーぞ。
「ねえ楓くん、向こうの入江も行ってみましょ」
「あ、はい……」
「あん?」
ハクねーちゃんの言葉にオレさまと楓が同時に反応する……が、すぐに楓がハッとした顔で俯いてしまった。
ったく……オレさまの顔でそんな情けない顔するんじゃねーっつーの。
「……冥鬼! オマエも一緒だから、そんな顔するな」
「べ、別に僕……オレさまに気を遣わなくても……」
「遣ってないから! ほら、行くぞ!」
オレさまは楓の頭をくしゃくしゃと撫でてから小さな手を引く。
そんなやりとりを見て、ねーちゃんが自分のことのように嬉しそうな笑顔を浮かべていたのを楓は知らないだろう。
鬼原ハク、悔しいがこの女には逆立ちしたって勝てる気がしねえ。
──とーぜん、負ける気もないけどな!