【避暑地にて】1
眩しい砂浜にマリンブルーの海。
弾ける水しぶきを蹴りながら駆けるビキニ姿のハク先輩と……そして僕であり僕ではない男。
「きゃはは……楓くん、髪が濡れちゃう!」
「ははっ、でも先輩楽しそうですよ!」
先輩の楽しそうな悲鳴と、やたら爽やかな黒髪の男を見ながら、僕こと鬼道楓はパラソルの下で唸っていた。
「オマエも泳いでこいよ、せっかく水着なんだから」
「……結構です」
ゴウ先輩がパラソルの下でかき氷を食べながら不思議そうに首を傾げてる。
アイツは僕であって僕ではない。僕じゃない男がよりにもよってハク先輩といい感じの雰囲気なんて羨ま……いや……許せない……。
「もっと深いところまで行ってみようぜ!」
「えっ、でも危ないわ……」
「大丈夫、溺れる前にオレが助けてやるよ」
黒髪の男は、僕でもしないような爽やかな笑みを浮かべる。やめろやめろ、ハク先輩にそんな顔するな。しかも僕はハク先輩にそんな生意気な口は利かないぞ。
それに僕は『オレ』とか言わないからな。
「はーい、お待たせ♡」
般若のような顔で歯ぎしりをする僕の目の前にトロピカルジュースが差し出される。ジュースを差し出したのは、腹が立つくらい爽やかな笑みを浮かべたオカルト研究部顧問の尾崎先生だった。
「どうも……」
僕はトロピカルジュースを受け取ってストローに口をつけながら浜辺の男女を見つめる。ああ、ハク先輩と距離が近い……。
「ね、オレたちも泳がない? ヤキモチはその辺にしてさ」
「ヤキモチなんかじゃないです」
ちょっと強気に言い返すが、尾崎先生は僕の肩に腕を回して笑った。
「あんな男、忘れさせてあげるって」
尾崎先生が耳元で囁いてくる。いつもよりも数倍甘い声。だが、僕は男だ。
先生、あなたが言う『あんな男』は目の前にいるんですよ。
「結構ですっ!」
力でかなわないとは分かっていても、力いっぱい尾崎先生を押し返す……と。
尾崎先生の体はパラソルから吹っ飛んで砂浜の上に文字通り埋まってしまった。
「あちゃー」
呆気に取られる僕の後ろで声を上げたのは小鳥遊香取先輩だった。
「力加減を考えなきゃダメですよ〜、今の楓にゃんは……」
そう言って、小鳥遊先輩が浜辺で楽しそうにはしゃぐ男女を見つめてからゆっくりと僕を見下ろす。
「常夜の国のお姫様、冥鬼ちゃんなんですぞ♡」
茶目っ気たっぷりに笑った小鳥遊先輩の言葉に、僕は深い溜息をついてハク先輩と一緒に遊ぶ男を恨めしい気持ちたっぷりに睨むと膝を抱えて俯いたのだった。
時間は、半日前に遡る。
オカルト研究部一同はワゴン車に乗って高速道路を走っていた。
運転は免許取りたての日熊先生。四列シートになっていて、助手席に尾崎先生。二番目のシートにはオカルト研究部員であるハク先輩とさゆ、三列目には小鳥遊先輩とゴウ先輩、そして四列目には僕と冥鬼が座っている。
「日熊ちゃん、次のパーキングエリアで運転変わっからそのままよそ見しないで直進ね」
「わ、わかった」
タブレットで地図を見ながら尾崎先生が言うと、日熊先生は緊張した様子で前方を見つめたまま答えた。
今日は高千穂財閥の別荘である山奥の避暑地へ旅行に行くことになっている。いわゆる合宿だ。
「あと十五分くらいでパーキングエリアだから、トイレに行きたくなくてもみんな車から降りるんスよー。目的地まで一時間以上かかるからね」
尾崎先生が後ろに振り返って僕たちに声をかけた。相変わらず気だるそうではあるけど、すっかり顧問も板についたって感じでキビキビしてる。
「避暑地ってどんなところかしら……すっごく楽しみね、さゆちゃん」
「う、うん……!」
前のシートからハク先輩とさゆの話し声が聞こえる。仲良くやってるみたいでよかった……。
「馬鹿千穂の奴、自分は先に現地で待ってるとか招待する側のすることじゃねーよな」
「レンってそういうとこありますからねぇ……ゴウにゃん、到着までネージュたんを履修しましょう! こういうこともあろうかとタブレットとイヤホンがありますにゃ!」
「えー、やだよ……寝かせてくれ」
面倒くさそうなゴウ先輩にグイグイ絡む香取先輩は、嬉々としてリュックの中から取り出したタブレットを操作している。
「早く海に入りてーなー。バーベキューってヤツもしてみたいし」
「冥鬼ちゃん、海に行くのは初めて……なんだよね」
さゆがちらっと後ろを振り返る。僕の隣で麦茶を飲んでいた冥鬼は『まーな』と答えた。
幼い冥鬼の姉という設定で、今日は本来の姿の冥鬼が部活に参加している。くれぐれも、気を抜いて小さい冥鬼にさせないようにしないと……。
「どうです〜、ハクにゃんとは」
「へえっ? な、何がですか?」
突然前のシートから声をかけられた僕はひっくり返った声を上げてしまう。
顔を上げると、ニヤニヤ顔の香取先輩が僕を見ていた。
「この前ハクにゃんが泊まりに来たって聞きましたけど? 進展はあったのかにゃ〜」
「し、進展って何ですか。べべっ、別に何も……」
僕はモゴモゴ言いながら視線を逸らした。
ハク先輩とさゆ、そして椿女が泊まりに来た時のことを思い出して、僕はちょっと照れくさくなってしまう。
蜘蛛と戦ったこと、ハク先輩に助けられたこと。
ハク先輩と……花火をしたこと。
色々あったけど、またハク先輩とひとつ屋根の下で一緒に過ごせるなんて。
ああ、何だか顔が熱くなってきたぞ。
「楓にゃんはわかりやすいですにゃー……」
小鳥遊先輩はニマニマしながら僕をからかった。
そんなこんなで車はパーキングエリアに着き、休憩を挟んでから運転手は尾崎先生に交代となる。
「はあ、はあ、頑張った……初の長距離……俺はやりきったぞ……」
「お疲れ日熊ちゃん、出発する前にこっち向いて」
「ぶほっ! き、貴様なにをッ……」
唐突に、尾崎先生が日熊先生の顔周りに香水をかける。
甘い香りが車の中いっぱいに広がった。
「ひ、人の顔にそんなものをかける馬鹿がいるかッ! ごほごほッ!」
「えー? 防臭ッスよ防臭」
尾崎先生は運転席のシートにも防臭スプレーをかけ、ハンドルを除菌シートで拭う徹底ぶりを見せると改めて運転席に腰掛けた。
「日熊ちゃん、加齢臭キツすぎんだよね」
「なッ……うゥ……」
ショックを受けて声も出ない日熊先生にフォローも入れず、尾崎先生が運転を再開する。一応出かける前に念入りに日熊先生の体は洗ったしシャンプーは僕のものまで使ってみたんだが……どうしてもあの獣臭は抜けないようだ。
「先生、後で汗ふきシート渡しますから」
「そ、そんなに臭うのか……加齢臭とは」
僕の言葉に、日熊先生はちょっと泣きそうな顔をして肩を落とす。運転席の尾崎先生が笑いを堪えるように肩を震わせていた。
長い高速道路を抜けて一般道に出ると、尾崎先生はカーナビとタブレットの地図アプリを器用に駆使しながら曲がりくねった山道へと入っていく。
高千穂財閥の別荘地は山を越えた先にあり、そこにプライベートビーチもあるそうなのだ。
当然、僕達オカルト研究部一同もしっかり水着を持ってきている。
一番楽しみにしているのはもちろん、海に入ったことがない冥鬼だった。
「着いたら真っ先に海に行くぜッ! 楓も来いよ」
「はいはい、わかったよ」
楽しげに窓からの景色を眺めている冥鬼に返事をしながら、僕の頭の中はハク先輩の水着姿でいっぱいだった。
ハク先輩がどんな水着を着てくるのか楽しみだ……。
そして僕はこの夏で、今よりもっとハク先輩とお近付きになりたい。
そんなことを考えていたせいだろうか、僕たちがあんな目に遭ったのは……。