第9話 チームプレイ
近況日記(2019/1/14)
Fate/stay night Heaven's Feel 第2章を観てきました。
私の拙い語彙ではとても表現しきれないほど美しく、素晴らしいものでした。
観終わったら無性に「肉!」って気分だったので餃子を食す。
「グッ、ルォォォオオオオオン!!」
ヤエザクラとオケアノス。2人の初戦闘は、ハウンドの唸り声から始まった。
一般的に、野犬でないただの飼い犬からでさえも、吠えられた人間は少なからず恐怖を覚えるものである。それが野犬、それも野生の猟犬である上、明らかな敵意の下に発せられた咆哮であるならば。
「こっ……わい、なぁっ!」
仮想世界であるにも関わらず、肌にひりつく緊張感と威圧感、そして僅かな恐怖。それらを過敏に感じ取ったヤエザクラは、虚勢を滲ませながら歯を剥いて笑う。
走りながらオケアノスと距離を置き、ハウンドの側面に回り込むべく迂回を試みた。
「グルルッ……!」
無論、それに気付かないハウンドではない。ヤエザクラの細い喉笛を噛み千切るべく、彼女を目掛けて走り出す。その速度は、ともすれば《ランニング》スキルによって移動速度の向上した獲物と並ぶかもしれないだろう。
だが、この戦いはヤエザクラとハウンドの一騎打ちではない。味方への攻撃を野放しにして突っ立っている者が、どうして盾を志望できようか。
「《プロボック》!」
ぞわり。ハウンドは己の神経を逆撫でする不快感に襲われて、唐突にその足を止めた。代わりに、明確な苛立ちと敵意の混じる眼差しを以て振り返る。
その目線の先にいるのは、当然オケアノスだ。
「さぁ、どこからでも」
ラウンドシールドを構え、いつでも敵の攻撃を受け止められると言わんばかりのオケアノス。その視界の隅では、アクティブスキルを使用した事で減少してゆく己のMPバーが見えていた。
果たしてその目論見通り、ハウンドは憎しみ一杯の唸り声を漏らすと、オケアノスを打ち倒すべく駆け出す。
凶暴な野犬が、自らへの敵意を剥き出しにして、恐るべきスピードでこちらへと迫る。
VR空間である為に、現実のそれよりも多少はマイルドになっている事だろう。然れども、その恐怖は一体如何ほどのものだろうか。
事実、たった今そのような状況にあるオケアノスは、ヤエザクラ同様に虚勢混じりの笑みを浮かべている。彼はハウンドが迫り来るまでの時間で短い深呼吸を1回行った。
「──来いっ!!」
息を吐きだすと共に叫びを1つ。それとほぼ同時に、地面を蹴り飛ばしたハウンドは勢いよく跳躍。そのままオケアノスを仕留めるべく、鋭く、そして多く生えた牙を露わにした。
ごくり、とオケアノスが唾を飲む。無防備に在れば、あの顎は確実に己の喉笛をズタズタに引き裂くだろう。そういった確信が、彼にはあった。
「ガァァァアアア!!」
「《ロック・ガード》!」
故に彼は、半ば押し付けるようにラウンドシールドを突き出した。音声入力によって、発動した《ロック・ガード》がその防御を確実なものとするべく機能せんとする。
ハウンドの顔面が、突き出されたラウンドシールドに激突する。その際の衝撃が反動という形でオケアノスに襲い掛かるが、《防御マスタリー》によるモーション修正がリアルタイムで作用し、彼の身体が吹っ飛ばされる事は無かった。
オケアノスのHPバーが減少する。その量は、最大HPの凡そ1割。このまま防御を続けていったとしても、やがては彼の方が根負けしてハウンドの餌食となるに違いない。
だが、この戦いはオケアノスとハウンドの一騎打ちではない。敵の存在を野放しにして突っ立っている者が、どうして戦士を名乗れようか。
「──ヤエザクラ、さん!」
「やぁぁぁぁぁあああああっ!!」
瞬間、ハウンドの背後から迫る1人の侍。淡い桃色のポニーテールを靡かせる彼女は、当然ながらヤエザクラだ。
防御態勢を取ったオケアノスに衝突し、今まさに無防備な状態に在るハウンド。その隙を狙い、彼女は自身の得物たる「銘刀・星」を水平に構えた。
《刀マスタリー》スキルを通して、システムがハウンドに痛打を与えるに足る最適なモーションを計算し、ヤエザクラの身体をサポートする。
「《スマッシュ》!!」
スイングするように水平に放たれた刀の一撃は、ハウンドの上半身を切り裂き、ポリゴンの欠片を宙に舞わせた。
吹っ飛びながらも空中で体勢を整えたハウンドは、上半身に刻まれたダメージエフェクトを厭うように身体を震わせる。
ヤエザクラが一瞬だけハウンドから目を逸らし、視界に浮き上がるハウンドのHPバーをチラリと見やる。HPを表す緑色のエフェクトは、全体の7割ほど。
成る程、今の自分達にとって、これは確かな強敵である。ヤエザクラはそう分析した。舌を出して己の唇をペロリと一舐め。しかし、その目はしかとハウンドの姿を捉えている。
「グゥ、ルルルルル……!」
MMOには「ヘイト」と呼ばれる概念がある。簡潔に言えば、敵MOBから見た、プレイヤーに対する脅威度である。
例えば、自分達にダメージを与えた。例えば、プレイヤーが自分達に強力な魔法を行使しようとしている。例えば、プレイヤーが魔法を用いてHPを回復した。
こういったプレイヤーの行為から、MOBは「優先して仕留めるべき敵」を判断して攻撃を行う訳である。
オケアノスが使用する《プロボック》スキルもまた、敵MOBから自分に対するヘイトを上昇させて、味方へのヘイトを逸らす役割を持っている。
そして今、ハウンドが最もヘイトを抱いているのは──自分に大きなダメージを与えたヤエザクラである。
態勢を整えて直ぐ、ハウンドは彼女に対して溢れんばかりの敵意を表していた。ヤエザクラもまた、ハウンドの攻撃対象が自分にある事を察して顔を強張らせている。
「……ッ! 来る!」
「グルルルァン!」
ターゲットをしかと見定めたハウンドは勢いを殺す事なく走り出し、そのままヤエザクラへと襲い掛かり──
「──させません! 《ロック・ガード》!」
彼女の盾が、割り込んだ。
ヤエザクラとハウンドを結ぶ直線上にオケアノスが割り込みを仕掛け、ハウンドの攻撃から彼女を守らんと盾を構える。
ゴッ!
鈍い衝撃音が響く。
オケアノスによる庇うは成功したものの、《防御マスタリー》も間に合わないほどの速度であった為、防御態勢は中途半端に終わっていた。
後ろへと1、2歩ほど仰け反らされるオケアノス。彼のHPバーが2割ほど削れていった。
「痛っ……でも!」
ラウンドシールドで殴るように、無理やりハウンドの体勢を乱しにかかる。よろけた隙を狙い、オケアノスが振るうのは右手に握られたショートソードだ。
アクティブスキルも無いただの振り下ろしであるが、強引に隙を生み出されたハウンドにダメージを与えるには、これでも十分であろう。
「ギャン!?」
──会心の一撃!
ガラスが割れるような音と共に、ショートソードの一撃がハウンドに思わぬダメージを与えた事をオケアノスの耳に齎した。
それでも、ハウンドの残りHPは5割ほど。今直ぐに決着がつくほどではない。
然れども──
「《スマァァァァァッシュ》!!」
オケアノスの背後。溢れ出すバイタリティに身を任せて飛び出したのはヤエザクラだ。アクティブスキルの使用宣言によってMPを消費しつつ、オケアノスと入れ替わるようにハウンドの前へと踊り出る。
パッシブスキルによって動作のサポートが施されているとはいえ、一切の淀みを感じさせないその袈裟切りは、ハウンドの腹部を引き裂きくような一撃を加えた。
地面を無様に転がるハウンド。そのHPバーは残り2割。ふぅ、と息を整えつつも、確かに目を合わせるヤエザクラとオケアノス
ハウンドが倒されて無事に戦闘終了と相成るまで、それから然程時間がかかる事は無かった。
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「いっ──やったぁぁぁぁぁっ!!」
ポリゴンと散ったハウンドを見届けたヤエザクラは、ウサギ玉に勝利した時よりも数段激しく、自分達の勝利を喜んでいた。
ピョンピョンと飛び跳ねながら、喜びや嬉しさ、達成感を表現していく。そんな姿を見ていると、自分まで飛び跳ねてしまいそうだとオケアノスは考えていた。
「勝った! 初めての連携だったけどスッゴク上手くいったんじゃない? やった──っとと」
やがて疲れからか足がもつれ、その場にへたり込んでしまう。えへへ、と幾ばくかの照れを顔に映し出しながら、ヤエザクラが髪を掻いた。
それを見かねたオケアノスが手を差し伸べてみれば、ヤエザクラはにへらと笑いながらその手を取る。
オケアノスがグイっと手を引っ張り、その勢いに合わせてヤエザクラが立ち上がる。しかし……
「ともあれお疲れ様でした……ってあっ!?」
「きゃっ!?」
ヤエザクラとオケアノス、お互いに筋力ステータスが高かったのが原因だろうか。
立ち上がる際に勢いが余ってしまい、ヤエザクラがオケアノスにのしかかるような形で転げてしまう。当然ながら、彼女の全身による突然ののしかかりに彼が対応できる訳も無し。
ギャグ漫画ならば「ドッテン!」という擬音がつくに違いない。それほどの衝撃を以てオケアノスは仰向けに、ヤエザクラはその上からうつ伏せに倒れ込んでしまった。
「いたた……大丈夫、オケアノス──!?」
「ええ、僕は大丈夫ですよヤエザクラ、さん──!?」
気が付いた時には、2人の鼻先が互いに接触する。それほどまでに、2人の距離は極めて近いものになっていたのだ。
オケアノスの身体の上に寝そべる形で倒れ込んだヤエザクラ。その柔らかな胸部が、革鎧を通してオケアノスにその感触を伝えゆく。
「わっ──わぁぁぁ!? ごっ、ご、ごめん!?」
「すっ、すす、すみません!? わざとじゃないですし、そのっ!?」
その際の光景は、まさしく「飛び跳ねた」と言うべきだろう。2人がほぼ同時に飛び跳ねた。互いに顔を赤くしながら、相手への謝罪の言葉を繰り返す。
ヘコヘコと頭を下げ合い、「あなたが悪いのではない」と言い合う。そしてまた、相手へと謝罪の言葉をかける。
2分。言葉にすれば短いが、今の2人にとっては永遠にも等しい時間が過ぎていき──
「……ぷっ」
「ふふっ、ははっ」
どちらからかともなく、笑い声が上がった。それはお互いへと伝搬していき、やがて2人の大きな大きな笑い声が平原に響き渡る。
オケアノスは「恥ずかしいところを見せてしまった」と言わんばかりに、恥ずかしそうに自分の頭を掻き、ヤエザクラに至っては笑い過ぎのあまり涙さえ浮かべている。
「楽しいね、オケアノス!」
「ええ! とても楽しいですよ、ヤエザクラさん」
よいしょと地面に座り込み、草の感触を味わいながら、平原の遥か彼方に目を見やる。
数秒の沈黙。風がそよそよと吹き抜け、2人の髪を優しく撫でた。気持ちよさそうに目を瞑るヤエザクラ。
先に話題を切り出したのは、オケアノスだった。
「どうでしょうか? まだ一戦しかしていませんが、よければ正式に徒党を組むというのは」
「……それ、あたしも言おうとしてたトコ」
ふふっ、とヤエザクラの口から微かな笑い声が漏れる。
「うん、いいよ。貴方となら、これからも楽しそうだもの」
ニッコリと、満面の笑みを浮かべる。そんなヤエザクラの在り方に、オケアノスもまた顔を綻ばせてしまう。
「よいしょ」と声を出しながら、先にオケアノスが立ち上がった。先ほどと同じように、ヤエザクラへと手を差し伸べる。
オケアノスの手をまじまじと見つめるヤエザクラ。さっきの出来事を思い返してしまい、思わずクスリと笑ってしまった。ふと顔を挙げてみれば、オケアノスも同様に笑っている。
彼へと笑い返し、先ほどと同じように手を取り、先ほどと同じように立ち上がらせてもらう。
今度は、諸共倒れ込むような事も無く、きちんと向かい合って立ち上がる事ができた。
「では、これからよろしくお願いしますね、ヤエザクラさん」
「ウン、よろしく。……でも、『ヤエザクラさん』って呼びにくくないかしら?」
「そうでしょうか? では『ヤエ』さん、で」
「うーん、まだダメ」
ヤエザクラが突き付けた人差し指が、オケアノスの鼻先を優しく撫でる。
「『ヤエ』。さん付けはナシ。それでどう?」
「分かりましたよ、ヤエ。では、僕の方からも同じ事を言ってもいいですか?」
「『オケアノス』って呼びにくいでしょう、って事ね。うーん……」
考えるような仕草。そのまま数秒が経ち、「あっ」という事がヤエザクラから上がる。
「じゃあさ、『オキー』っていうのはどう?」
「オキー……うん、良いニックネームだと思います」
「善かった……それじゃあ」
手を差し伸べるヤエザクラ。確かに握りしめるオケアノス。
「これからもよろしくね、オキー」
「こちらこそ、ヤエ」
2人は相手へと向けて、この日一番の笑顔を見せた。