第5話 SLOの世界
近況日記(2019/1/10)
箸休めにドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3をプレイ。
手持ちの育成に凝り過ぎて中々先へ進めない不具合。
目覚めし爆発の力作れたから、そろそろ歓楽の霊道に進まねば。
──世界が広がっている。
視界が暗転から解き放たれた直後、視界に飛び込んできた景色を見たヤエザクラが、真っ先に抱いた感想だった。
光の回廊を抜けた彼女が立っていたのは、ただの広場だ。中心部分には美しい噴水が設置されており、他に特筆すべき点といえば、校庭のグラウンドの2倍ほどの広さを持っているところだろうか。
視界の多くを占めているのは、広場の外に連なる中世風の建造物。そして広場内に所狭しと佇んでいる、ヤエザクラと似た雰囲気の人間達。
彼らの頭頂部には、緑色の三角形アイコンがふわふわと浮かんでいるように見えた。
ヤエザクラはそのアイコンの意味を知っている。PL──つまり、彼女以外にこの「スターライト・オンライン」の世界へと降り立った者達である事を示しているのだ。
視界の右端には、ホーム画面にいた時と同じ時刻。反対に左端では、キャラクターの生命力を指すHPと、魔法やスキルを使用する為のリソースを指すMPの2種類のバーが表示されていた。
成る程、これは紛れもなくSLOの世界──つまるところは、電脳空間上に作られた架空の世界であるのだろう。だが、ヤエザクラが抱いた感動は、この世界を虚構とは認識していなかった。
「──凄い」
何をどう口に出すべきか。誰かに対して言う訳でもないのに、ヤエザクラは口に出すべき言葉を吟味しようと暫し沈黙した。その果てに絞り出した言葉が、「凄い」というたった一言。
確かにここは虚構の世界なのだろう。SLOの開発に携わった人達が、何日も何日もかけてプログラミングした0と1の集合体なのだろう。
しかし、そんな電脳空間へと降り立ったヤエザクラは──
「まるで、異世界のようです」
──この世界を、まるで現実のようだと感じた。
目を瞑る。視界をシャットアウトした事で、残る聴覚がよりクリアになったように錯覚する。
音を拾う事に集中した彼女の耳に、ざわざわ、という言葉でさえ表現し切れない喧騒が襲い掛かった。より神経を研ぎ澄ましてみれば、喧騒に混じって、何かが流れる音が聞こえてくる。
目を開き、周囲をキョロキョロと見回してみる。広場に降り立ったヤエザクラ以外のプレイヤー達は、知り合いを探して回ったり、他のプレイヤーに話しかけたりしていた。中にはもう徒党を組んで広場の外へと繰り出す者達も見受けられる。
そんな中、ヤエザクラは他のプレイヤーに興味など無いとばかりに、一直線に噴水へと歩き出した。先ほどホーム画面で動作の慣らしをしていた為、体格の違うアバターではあれど、スムーズな動きで歩く事ができている。
やがて噴水の前へと辿り着いたヤエザクラは、再び目を瞑り、噴水から出た水の音へと耳を傾ける。サラサラと噴き出る噴水の水は、清らかな音で彼女の耳を慰めた。
他のプレイヤー達による喧騒の暴力など、今の彼女の耳には届いていなかった。
「……素敵です。こんなに音が鮮明に聞こえるなんて」
まるで溜め息のように、否、溜め息と共に言葉が口から漏れる。噴水の淵に腰かけたヤエザクラは、自らの右手を徐に水の中へと突っ込んだ。
「──ひゃっ!?」
あまりの冷たさに、思わず素っ頓狂な声を上げる。反射的に手を水の中から抜き、周囲を必死さ混じりに見回した。幸運な事に、今のヤエザクラの行為は誰の目にも入っていなかったらしい。
ホッと安堵を感じながら、ヤエザクラはもう1度、今度はゆっくりと水に手を浸す。事前にとても冷たいと理解できているのならば、先ほどのように驚きの声を上げる事もなかった。
ひんやりと右手を冷やす水は、噴水から噴き出る音と同じような清らかさで、彼女に心地良さを与える。サラサラとした水の流れが気持ちよく、安堵めいた溜め息をヤエザクラに吐かせた。
ゆっくりと手を引き抜いてみれば、チャプン、という音と共に水が跳ねる。手から滴る水滴が、ミルククラウンめいた波紋を水面に生み出し、視覚と聴覚の両方を癒すようだった。
噴水の淵に座ったまま、空を仰ぐ。噴水を構築するレンガが、水とはまた違った冷たさをヤエザクラの尻に伝えた。
「青い……まるで、本当に外国に来たみたいです」
SLOの予告映像などで「この世で最も星空が美しい」と謳われていたステライト王国。これまでの流れから考えるに、恐らく彼女を含めたプレイヤー達のいるこの広場は、ステライト王国の領土なのだろう。
しかし、空を見上げてみればどうだろうか。SLOの世界は今は昼なのだろう、青々とした空がどこまでも続いていた。しかし、視界いっぱいを支配する晴天は、星空にも負けないほど綺麗であるとヤエザクラは認識する。
繰り返すが、この世界はゲームの中である。多くのプログラマー達によって構築された電脳の大地である。
しかし、それでも。
「これが──スターライト・オンライン!」
ヤエザクラは──田野 海斗は。今自らが立っている世界が虚構である事さえ忘れて、どこまでも広がる情景に心を震わせていた。
時は21世紀。平成が過ぎ去って幾年。
仮想現実は、1人のプレイヤーに確かな感動を与えるほどに進化していた。
────────────
カツ、カツ、カツ。
レンガで見事に組まれた街路が、ヤエザクラが履く革のブーツと共に小気味の良い音を奏ででいる。
さて、時は先ほどから少し経った頃。彼女は広場を離れて、1人広場の外の街並みへと足を踏み入れていた。
SLOがMMORPGである事を忘れ、他のプレイヤー達とパーティを組むなどといった行為をする事なく、1人で街の中を散策するヤエザクラ。然れども、その目はキラキラと輝いていた。
或いは現実世界において、海斗はこのような表情をした事など無いかもしれない。
しかしSLOはゲームである。彼女の視界には、NPC(ノンプレイヤー・キャラクター。プレイヤーが操作しないキャラクターを指す)を示す黄色の三角形アイコンが多く浮かんでいた。中にはPLを示す緑のアイコンなども散見されるが、やはりNPCの方が多い。
歩く度に景色が移ろう街並みは、広場の噴水や街路と同じくレンガで組み立てられているようだった。多くのNPCが歩き、話し、店を開き。ヤエザクラの目には、紛れもない現実世界のようにも錯覚する光景が広がり続けていた。
「これだけの情報量……サーバーも凄い性能なのでしょうね」
そのような事をポツリと呟く。そんな中、ふと足を止めたヤエザクラ。彼女の目に留まったもの、それは一件の屋台であった。
NPCが経営する屋台であるからか、黄色の星型アイコンが浮かんでいた為、見つける事は容易であろう。
街路の真ん中で止まるのはマナー違反だと感じたからか、屋台に歩み寄りつつ、街路の中心を逸れた辺りで再び停止。じっと目を凝らしてみれば、その屋台で販売していたのは料理であるようだった。
ジュウジュウと音を立てて炭火で焼かれているのは、紛れもなく、肉。串に刺された何かの動物の肉が、香ばしい音を奏でながら焼かれていたのだ。
ふわり、と肉の油脂が焼ける匂いが、ヤエザクラの鼻を蹂躙する。
視覚、聴覚だけではなく、嗅覚までもリアルなのか! 心中でそう感嘆の声を上げるヤエザクラ。ふと気が付けば、彼女の足は自然と屋台へと動いていた。
なんと自制のできない人間であろうか。自分をそう蔑視しつつも、己の欲には逆らえないと歩を進める。
そのまま10秒も経たない内に、ヤエザクラの身体は屋台の前に立っていた。そんな彼女の存在に気付いて、屋台の店主であろう、肉の串焼きを焼いていたNPCが言葉をかける。
「おっ、随分とめんこい姉ちゃんじゃねぇか! どうだい、1本食ってくか?」
目前に立つ初老の男性NPCは、まるで本物の人間のようにスラスラと言葉を並べた。声優が台詞を担当しているとか、そういう次元ではない。
「めんこい(可愛いの意)姉ちゃん」と、ヤエザクラの見た目に関して言及したという事は、目の前のNPCが自分で言葉を考えたという事だ。
なんと高性能なAIなのだと舌を巻くヤエザクラ。
ともあれ、目の前で食欲を掻き立てる音と匂いをもたらす串焼きの前では、そのような感想は稚拙なものに違いない。彼女は自分の中でそう結論付け、店主の言葉に返答すべく口を開く。
「ええ、はい。その──」
そこで再度口を閉じる。SLOにログインする前、ホーム画面でも考えていた事だ。
(話し方、どうしましょうか)
自分でこのようなアバターを作っておいて、ヤエザクラ──海斗は、このアバターでリアルの自分そのままの口調で話す事に違和感を覚えていた。
これまでに発した言葉は全て独り言であり、今のアバターになってから明確に他の人間(相手はNPCだが)と会話をするのはこれが初めてなのだ。
目の前では、言葉に詰まったヤエザクラを見て、店主が怪訝な顔を浮かべていた。彼に対応する為にも、早く受け答えしなければいけない。
そう考えるヤエザクラの脳裏に浮かんだのは、やはり己の妹たる桜の姿。
「……どうした姉ちゃん? 体調悪いのか?」
まるで、設定されたNPCとは思えない──AIが状況を見て考えたとしか思えない言葉。
ハッと我に返ったヤエザクラは、何でもないという風に手を軽く振ってみせた。
「──ううん、あたしは大丈夫よ。それよりおじさん、その串焼きを1本もらえるかしら?」
──その発言は、ヤエザクラの心境とは裏腹に、驚くほどスムーズに発せられた。
内心で驚きつつも、彼女は気持ちの良い笑顔を浮かべながら、右手の人差し指をピンと伸ばして「1本」を強調する。
彼女の心境を知る事もなく。店主は快哉の声を上げながら、串焼きを1本、ヤエザクラへと手渡した。
「あいよ、1本で30Gだ!」
「分かったわ……ほい、これでいいわよね?」
「応! 熱いから気を付けな!」
ゴールド、それがSLOの世界における通貨であるらしい。
安直ではあるが、分かりやすい。そう考えるヤエザクラの視界に「1000G」と表示されたウィンドウが出現し、店主の言葉に彼女が反応した事で、表示される文字が「970G」へと切り替わる。
店主から手渡された肉の串焼きは、炭火から離されてなお脂が焼ける音を彼女の耳へともたらしていた。
パチパチと弾ける油脂に、ゴクリ、とヤエザクラの喉が鳴る。ゆっくりと口を開き、恐る恐る、串焼きを口にする。
ジュワリ。
ヤエザクラはたちまちに目を見開いた。肉を噛み切らんとした歯を跳ね返す肉の弾力。それに負けじと歯を突き立ててみれば、内部に閉じ込められていた肉汁が、口の中へと溢れ出す。
味わうように、否、味わう為に肉を咀嚼する。緩やかなスピードで上下する歯は、味わい深い油脂を、咀嚼の度に口内へと拡散させる。
脂の甘味と、赤身の旨味。それらが混然一体となって、ヤエザクラの舌は確かな快感を覚えた。
ゴクリ。噛み砕いた肉を嚥下すれば、脂身の程よい余韻が心地良ささえ感じさせる。
「──美味しい!」
つまるところ、ヤエザクラが口にすべき言葉はそれだけである。
彼女は晴れやかな笑顔を浮かべながら、店主へと話しかけた。
「串焼きがこんなに美味しいなんて! ねぇおじさん! これ何の肉なの?」
「おお、そんだけ喜んでもらえたんなら料理人冥利に尽きるってもんよ! これは羊の肉さ。東の平原に生息してる平原ヒツジの肉を焼いたものさ」
「へぇ、そんな動物がいるのね。東の平原……うん、良い事を聞いたわ!」
そのまま、ウキウキとした表情で手に持った串焼きを食べ進めるヤエザクラ。今しがたよりも食べるスピードが上がり、パクパクと串焼きの肉を口の中へと放り込んでいく。
やがて手に持った串焼き1本を全て食べ切った彼女は、唇に付着した油脂を舌でペロリと舐め取ってみせた。
「ありがとねおじさん! 串焼き美味しかったわ、また来るねー!」
「おう! 見たとこ姉ちゃんは『星の戦士』だろ? そんな凄い人がリピーターになるってんなら、俺の店も繁盛しそうだぜ」
星の戦士。成る程、SLOにおける自分達の立場はそのようなものなのかと、ヤエザクラは認識した。
店主に手を振りながら、屋台を後にするヤエザクラ。ふと、道具袋の存在を思い出した彼女は、手に持った串焼きの串をその中へと仕舞い込む。
カツ、カツ、カツ。
レンガで見事に組まれた街路が、彼女が履く革のブーツと共に小気味の良い音を再び奏で始めていた。
──桜の口調を真似するの、あんまり抵抗が無かったなぁ。
ポツリ、とそのような事を考えるヤエザクラ。自分の中で、妹の存在はどのように認識されているのだろうか。
思考を巡らせ、自分の事でありながら、僅かな気持ち悪さを感じて首を横に振る。思考を散らし、気分を落ち着けて再び歩き出した。
そこでヤエザクラは思い出す。
「そういえば、平原ってどこから……っていうか、パーティを組まないと──」
スターライト・オンラインは大規模多人数型オンラインRPGであり、自分以外にもプレイヤーが存在するゲームである事を。
単独プレイは考慮されているものの、多くの場合、他のプレイヤーとチームを組んでプレイする事が前提のシステムなのだ。
「光との待ち合わせも断って……あたし、誰と組めばいいんだろう……!?」
サッと、ヤエザクラの顔が青くなる。踵を返して、全速力で走り出す。
目指すは当然、最初に降り立った噴水広場である。