第1話 海斗の場合
初めに言っておく!
私のMMOに関する知識は「ソードアート・オンライン」「アルヴヘイム・オンライン」「仮面ライダークロニクル」しか無いぞ! ダメじゃねぇか。
なお、今作は全20話予定であり、第1話投稿時点で第13話までの書き溜めがあります。
ストックが切れるまでは毎日投稿が可能ですが、それ以降が未定になる事はご容赦願います。
──仮想現実。コンピュータの中に作り出された仮想の世界を、あたかも現実であるかのように人間の五感へと訴えかける技術。
平成が終わりを告げてより数年経ち、卓越したIT技術は、遂に人間の意識をコンピュータの内部へと没入させる事に成功。空想の世界でしか実現し得なかった技術の実現に、世界は大いに沸き立った。
開発された当初は軍事、ないしは医療への使用を目的として研究されていたバーチャルリアリティ──VR技術は、時の経過と共に娯楽へと転用されるに至った。即ち、家庭で気軽にVR世界へと没入できるヘルメット型ゲームハードの登場である。
それより更に時が経ち、多くの(内容は玉石混交である)VRゲームが世に現れ、VR黎明期が終わりを告げようとしていた頃。メディアが「VR戦国時代」と謳う日本において。
タイトルの発表、製作開始より数年。長い開発期間を経て、多くのゲーマー達が期待を以て待ち侘びていた大型タイトルが、遂に発売された。
バーチャルリアリティの技術を駆使した大規模多人数型オンラインRPG──VRMMORPG。
その名を、「スターライト・オンライン」という。
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田野 海斗は高校3年生である。尤も、近い内に高校生ではなくなるのだが。
VR技術が発展した現在においても、筆記試験は指定の会場で行われるし、面接試験も試験官の面前で行われる。提出する履歴書もまた、手書きだ。
この辺りは、いくら時代が進もうとも変わらないらしい。かくいう海斗もまた、そんなリアルを経験してきた。
驚くほど冷え込んだ外の世界を歩き、電車に乗り、また歩く。そういった過程を、彼は何度も繰り返した。
「……寒い、ですね」
マフラーの中に顔を埋めながら、海斗はそう独り言ちる。
バーチャルではダメなのか、そんな感情が海斗の心にあった事は否定できない。
然れども勉強に励み、寒い思いをしながら試験会場に足を運ぶ。そういった努力の結果、成果に恵まれた事もまた、紛れもない事実だ。
つまるところ、海斗は大学受験を乗り切ったのだ。
志望校に合格したと知った際の、両親の喜びようは記憶に新しい。頑張った甲斐があったと、海斗自身も顔を綻ばせたものだ。もう暫くすれば、晴れて大学デビューであると、新生活に思いを馳せる。
そうやって思考を巡らせていた中、彼はふと、自らの妹の姿を思い浮かべた。
(どんな顔をしてましたっけ……)
ほふ。マフラーの隙間から吐いた息が、白色を帯びながら拡散していく。
妹が思春期である事は分かっているものの、最近はロクに話をしていないように海斗には思えた。何かの機会に共通の話題でも見つかればいいのだけど、と頭を悩ませる。
ふわふわと色んな思考が浮かんでは消え、しかし目的地へと確実に歩を進めていた。
大学受験を無事に終えた海斗が、何故外を出歩いているのか。その答えはシンプルである。
真面目一辺倒のように見える海斗だが、ゲーマーを名乗れるほどではないものの、ゲーム好きである事に間違いはない。特にVR戦国時代と謳われる今の世において、常にホットな話題はVRゲームだ。
玉石混交極まるVRゲームの出来に一喜一憂し、しかし確かに楽しんでいた海斗。彼が今最も注目しているゲームとは、やはり「スターライト・オンライン」であろう。
MMOはあまり触った事の無い海斗でも、SLOには大いに興味を惹かれていた。
バイトでお金を貯め、勉強に打ち込み、受験を乗り切り。やっと待ち侘びた発売日が今日。2月の午前9時がもたらす冬風にも負けず、マフラーとコートを着込んだ海斗が目指す先とは、即ち最寄りの家電量販店であった。
付け加えるならば、海斗の友人もまた、SLOには興味を持っていた。その友人と店の前で待ち合わせしようと約束していた事もあり、海斗の足取りは軽い。
SLOではどんな遊び方をしようか。ファンタジー世界を冒険する内容との事なので、魔法使いがいいかもしれない。いや、戦士も捨てがたいだろう。僧侶で回復役を務めるのも悪くない。
そうやって、SLOへの思いを馳せながら、しかしてウキウキと歩みを止めない。傍から見れば仏頂面である海斗の内心は、ワクワクと高揚感に満ちていた。
そうして長い下り坂を下り切ったところで、海斗はあるものが目に入り、その足を止めた。
「はぁ……はぁ……」
老婆だ。彼女の事を海斗は知らない。初めて見る人物だ。
では何故足を止めたかと言えば、老婆がいかにも重そうな荷物を持ちながら、海斗が今まさに下りてきた坂道を上ろうとしていたからだ。
目に見えて、老婆は疲労を感じているように海斗は感じた。このまま放っておけば、坂道の半ばで彼女は腰を痛めるかもしれない。
ふぅ、と溜め息をついたのは海斗だ。彼はマフラーを緩めて自らの顔を露出させると、老婆へと歩み寄った。老婆が海斗の存在に気付き、彼の仏頂面に怪訝な表情をする事なく向き直った。
「大丈夫ですか?」
「いやぁ、大丈夫だよ……ちょっと荷物が重いだけで……」
「良ければ僕が持ちますよ。家、この坂の上ですか?」
コクリ、と頷く老婆。彼女の言葉から、老婆の家は坂を上りて更に歩いた先にある事を知る。
海斗は、数秒ほど思案した。このまま老婆の荷物を持って彼女の家まで運ぼうとすれば、海斗の目的地である家電量販店の開店時間に間に合わなくなる。
ただでさえ、今日は大型タイトルの発売日なのだ。こうしている今でさえ、店の前には行列ができているに違いない。
加えて、海斗は友人と待ち合わせしているのだ。こんな寒空の下で、いつまで経っても来ない海斗の存在を待たせるのも忍びない。
ふぅ、と溜め息をついたのは海斗だ。コートのポケットからスマホを取り出し、SNSのチャットで友人宛てに遅れる旨を連絡。
スマホをポケットへと直しつつ、不器用ながらも笑みを浮かべた海斗は、老婆へと言葉をかける。
「僕が手伝いましょう。荷物、持ちますね」
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午前は10時を半分ほど過ぎた頃。ようやく家電量販店へと辿り着いた海斗を待ち受けていたのは、予想通り長蛇の列だった。
店の前に構築された行列は通行人が歩けるほどの幅を歩道に残しつつも、所狭しとスペースを占拠している。遠目には、どこぞのテレビ局から派遣されてきたらしきカメラマンの姿も見えた。
そんな状況を見た海斗は足を止めて、周囲をキョロキョロと見回す。そうして、待ち合わせていた友人の姿が見当たらない事を認識した。
少しばかりの脱力。自然に漏れた溜め息が真っ白く、マフラーをやや湿っぽくする。
仕方ない。数秒考えて、海斗はそう結論付けた。老婆を手伝う事を選んだのは自分だし、その結果として待ち合わせに遅れたのも自分だ。
けれど家まで荷物を運び、老婆から感謝の言葉をもらえたのは悪い気分ではない。先ほどの光景を思い返し、誰に対してもでもなく頷く。
「もし買いそびれても、第2陣を待てばいいですよね」
今回の発売は初版である。つまり第2版、第3版以降の発売も存在するのだ。
仮に今回初版を買う事ができなかったとしても、いずれ出る第2版を購入して第2陣としてSLOに挑めばいい。海斗はそういう結論に至った。
マフラー越しに白い溜め息をつく。少し疲労を感じているらしき肩を数回軽く回し、海斗はそのまま行列の最後尾へと並ぼうとする。
その時であった。
「よっ、海斗!」
突如として、背後から何者かが海斗の肩を掴んだ。
驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げる海斗。海斗の、男性らしからぬボブカットの黒髪が跳ね上がったように、肩を掴んだ何者かは錯覚した。
「うわっ!? ……って、なんだ光ですか」
「せーかいだぜ、遅刻してきた海斗君?」
海斗の肩を掴み、彼のリアクションを見ながら笑みを浮かべる青年。彼こそ、海斗が待ち合わせをしていた友人である、クラスメイトの稲畑 光だ。
彼は海斗の肩から手を放して、ニギニギと奇妙に動かしながら、海斗の顔をじっと見据える。
「それで? なんだって遅れたのさ。SLOはお前だって楽しみにしてた筈だろ?」
「いや、大した事じゃないですよ。お婆さんの荷物を持ってあげただけで」
「かーっ! 出たよ海斗のお節介焼き。お人好し過ぎんだろまったく……」
ほら、と光が懐から取り出したあるものを海斗へと投げ渡す。突然の事ながらも、上手くキャッチしてみせた海斗。
投げ渡されたものを訝し気に検分する海斗の顔が、次第に驚愕へと塗り替わっていった。
「これっ……SLOのパッケージじゃないですか!?」
「へへっ、その通りさ」
悪戯が成功したような表情を見せて、光は懐からもう1つのパッケージを取り出してみせた。そちらにもまた、プリントされた「スターライト・オンライン」の文字。
光はSLOを2つ買っていた。海斗がその事実を認識するのには、10秒ほどを必要とした。
「お前が遅れるって聞いた時からなんとなく察しはついてたからな。気の利く俺はお前の分も買っておいたのさ!」
「そこまでしなくてもいいでしょうに……第一、お金は大丈夫だったんですか?」
「なぁに、お前のお節介焼きは今に始まった事じゃないからな。あ、お金はちょっとヤバいからお前の分のはちゃんと支払ってね」
てへっ、とでも言わんばかりに、握りこぶしで自らの茶髪を軽く叩く。そんな光を見た海斗は、ふぅと呼吸音をひとつ。
良い友達を持ったものだ。口には出さないが、海斗の心の中にはそんな感情が確かにあった。
「分かりましたよ……ありがとうございます、光」
「へっ、いいって事よ」
コートの内側から財布を取り出す海斗。光に代金を手渡す彼の手の甲に、空からふわりと雪が降ってきた。
時は2月初頭、SLOの発売日にしてサービス開始日である。
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光と外で昼食を取って別れた後。しんしんと雪が街へと降りゆく中を、海斗は歩いていた。
光からもらったSLOのパッケージ、それをコートの中のポケットに入れ、落とさないようにコートの上から腕でガッチリホールドする。
そんな完全体制の下、雪で湿ったアスファルトで転ばないように気を付けながら、帰路を急ぐ。
SLOの発売日はついさっきだったが、オンラインサービスの開始時間は今日の21時。それまでには、自身が動かすプレイヤーの設定、つまりキャラクターメイキングを済ましておかなければならない。そう海斗は考えていた。
現在の時刻は14時を少し過ぎた頃。土曜である事を踏まえて、21時のサービス開始までには十分な時間がある。
しかし、海斗は自分がこういったキャラクターメイキングはじっくり考える派だと認識していた。加えて、両親が共働きである為、自分と妹の夕飯は自分が用意しなくてはならない。
そう考えると、時間はいくつあっても足りない、というのが海斗の結論だった。
冷蔵庫に何が残っていただろうか。最悪の場合は冷凍食品を使ってしまおう。様々な考えが浮かぶ。
そこでふと、脳裏をよぎる事がひとつ。そういえば。
「まだ外出中でしょうか……?」
妹の存在だ。彼女は朝頃、友達のところへ出かけてくると行って、海斗とほぼ同時刻に外出した筈であった。
妹は帰ってきているだろうか。夕飯は外で食べるのだろうか。先ほどまで頭の中を支配していた夕飯についての考えに混じり、妹に関する事が現れ、ますます海斗の思考をカオスなものとする。
家が目前に迫っているところで、ふと立ち止まる。何気なく、SLOを買いに行く道中でも考えていた事を、もう1度思い返す。
「最近、あんまり会話してないですね」
高校1年生になった妹は思春期真っ盛りである。年上の兄、という異性の存在が、多感な女性の感性にどのように認識されているのかは分からない。
少なくとも、良い感情は抱かれていないかもしれない。海斗はそう思い、静かに溜め息をつく。周囲に誰もいないにも関わらず、その溜め息は何の音も発さなかった。
そのまま歩き出せば、1分もしない内に自宅へと到着する。門を開き、ドアの鍵穴へと鍵を差し込んで、捻る。
その際の軽い感触から、鍵が開いている事に気付く。もしや、とドアをガチャリと開いた。
果たしてそこには、海斗が想像していた通りの人物が玄関に立っていた。
「……帰ってたんですか、桜」
海斗の妹、田野 桜である。