第五話 確かに糸は欲しいけど
『おはよう!よく寝れた?』
「……体中が痛い」
『ああ……』
天然テントから出た俺は、朝日が目にしみながら川で顔を洗った。
『雨はしのげるとはいえ地面に寝てたんだもんね。そりゃ痛いでしょう』
ウィンドウ画面に表示される神のコメントに頷きながら、俺は目をこする。
神のいうとおり、テントの中は何も敷かれていない。慣れない体勢で地面に寝たおかげで、今体中が痛い。寝違えたかもなぁなんて思いつつ首をさすりながら、俺は昨日残しておいた焼いた肉を食べた。
残りは干し肉にする。腐らせるなんて言語道断だ。今の俺にとっては特に。
干し肉の作り方というものはあまり知らないが、生のままでは腐ってしまうんじゃないかとふと思う。こんな森には鍋がないので、窪んだ石を探した。鍋のような石はなかったから、窪んだと言っても肉一切れがギリギリ水を被る程度だ。それでもやらないよりはマシと、水で石を洗い、火種を時間をかけて作り、焼いた石の窪みに水と昨日作った塩を入れてゆでる。
次に適当に森でみつけた大きな葉を川で洗ってから乾かし、その上に木の棒を並べて下に隙間を作った上に肉を置いて天日干しにする。風で乾燥させるから葉で仰いで風を送り、自然に風が吹いたときは別の作業を行う。
肉の面倒をみながらできることは多くない。よくわからない細長い葉をみつけたのでそれをちぎっていく。それなりに束になるようになったら、半分は乾燥させるために置いておき、もう半分は編んで籠にした。
その日はこれらの作業で終わった。慣れないし、ない知恵を絞っているから要領が悪いんだよな。
食事は1日一回。昨日焼いていた肉をもう一度炙って食べた。もうぱさぱさになっていた。
寝床は一応作れた。食料も少ないが加工できた。飲み水は川の水がある。でもやはり食糧が一番こころもとない。
「糸がほしいな」
干し肉が完成したことで移動できる隙ができた。いつ何が起こってもいいように、干し肉や元の持ち物は葉に包んで持ち歩いている。匂いが漏れて魔物が寄って来るとかないよな。
『糸かー。森の中にあるかな?』
「急に出てくんなよ」
『人間てねー、しばらく孤独でいると独り言を言うようになるんだよ。そうしないと言葉を発さなくなるからねえ。そのむなしさといったらないよ?』
「なんでお前が人間の孤独を知ってるんだよ!」
『僕は人間じゃないけど、ある意味孤独だからね。だから僕を話し相手にしたらいいよ!』
「この画面、俺にしかみえないんだろ。端から見たら俺が1人で話してるのは変わらねーじゃねーか」
『まあまあ、そこは気にせずに!それで糸、どうするの?』
ぱっと現れたウィンドウ画面に文字が浮かぶ。まあ、話し相手がいるだけでマシか。
「綿花とか見つけられりゃそこから糸は作れるが……作ったことはねーからな。俺が考えている用途だと強度が心もとないたろうし、かといって草の繊維から作るにしてもな。今の状態じゃどこまでできるか……」
『うん、というかね、それらの作り方を知っている時点ですごいと思うんだけど、僕』
「綿花に関しては俺の義母が庭に植えてたからな。毎年秋になると弾けた実の中のワタを集めていろんなのを作ってるのをみてたんだ。俺のために靴下を作ってくれたこともあったな」
『なるほど。優人君がすごいんじゃなくて、君のおかあさんがすごいんだね』
「そうだ。美都子さんはなんでも作れるし、料理も上手だったんだぜ。いろんなこと教えてもらったしな」
俺を育ててくれたのは、本来なら俺の祖父母ぐらいの年齢だった緒方夫妻だ。施設に預けられるところだった俺を引き取ってここまで育ててくれた、大恩人。
「俺はまだあの人達になんの恩も返せてない。だから、絶対帰らねーと」
『ふふふ、そっか。その人達を大事に思ってるんだね。それは絶対、君を返してあげないといけないねぇ』
そんな話をしつつ俺は肉を持って森の中を探索することにした。食べ物は置いたままにしておくと、なにを惹きつけるかわからないしな。
なにか使えるものはないか探すために少し歩くだけでわかったのは、ソエルの森は広葉樹が多い森ということだった。幸いなことに果樹もそこそこある。その実が安全かどうかはおいておいて、とりあえず登れそうな木に生っているものは集めることにした。
草を編んで作った籠に入れて歩くと、地面はふにゃふにゃしている。たぶん、地面が葉が降り積もった腐葉土だからだろうな。キノコや木の実、果実、使えそうな形の石や枝を拾い集めていると、右手に巨大な岩が現れた。
岩というよりここから先はちょっとした岩場になるらしい。そこも一応みておこうと岩場に入ろうとしたとき、ウィンドウ画面が急に開いた。
『優人君、そこから先は行っちゃダメだ!』
「は?」
俺が足を止めた瞬間、岩の向こう側からカサカサという音がした。
俺は言葉を飲みこみ、口を堅く閉じる。
……なにか、いるのか?
こっそりと岩の隙間から音のした側を覗くが、なにもいない。
「この角度だとみえないか?」
と声を漏らしたあと、その向こう側の岩場がキラキラ光っていることに気づく。一度気づけば、なぜ最初からみえなかったんだろうというくらいの白い糸が張り巡らされていることを視認した。
なんだあれ?!
『優人君、ここは魔物の巣だ!すぐに離れた方がいい』
「わかった」
俺は足音を消しながらその場を離れようとする。その時、後ろから爆発音が響いた。
「なんだ?!」
一瞬後に熱風が襲う。
音は森側から響き、木々が倒れる音となにか燃える臭い、そして煙が立ち上る場所から鳥たちが飛び立つのがみえる。
「意外にちけーな!」
どっちに逃げるかと考えていると、煙の立ち上る方向から白い小さな塊が飛び出してきた。
その白い塊は前を見てないのか、飛び出す勢いのまま俺に向かってきた。ポーンと飛び出てきたそれを受け止めると、それは存外軽い生き物で、白いふさふさの尻尾と白い獣耳を持っているのに、それら以外は完全な人間の形をした少年だった。いや、少年というより児童か?
俺が観察している間にもその小さいモフモフは逃げようと暴れるが、その力は弱い。非力な俺でも軽く捕まえておけるんだから折り紙付きだ。
そんな小動物の目ははっと森に戻った。ガサガサと大仰な音を立てて現れたのは、白いローブと白い白衣を着た異様な集団だった。ローブを着た奴はフードを目深に被り、白衣を着た奴はサングラスをかけている。そいつらが手に持つ杖は確実に小動物に向けられていた。
怪しい。怪しいが服着て歩いているくらい怪しい。
奴らを目にした瞬間、腕の中の小動物は激しく毛を逆立てながら牙を剥く。それと同時に体がガタガタと震えていた。
怯えてるのか。
「それは私達のものだ。返してくれないか」
警戒はしたまま、白衣の男が前に出る。
「もの?」
その言い様に眉をしかめながら、俺はジタバタもがく小動物を抱く力を強める。
「ああ、我らの奴隷と言うことだ」
「証拠は?」
「証拠だと?」
「コイツがあんたらのものだっていう証拠だよ」
白衣の男はニヤリと笑う。
「それの肩に奴隷印がある。奴隷という証拠だ。この場においては、それだけで充分だろう?」
「……」
俺はすぐに悪いな、と声をかけて小動物の服をめくる。その腕には痛々しい丸い紋様の火傷の痕があった。
相手は俺が文化の違う異世界から来た人間であることなんて知らないから、「肩に奴隷印がある」という言葉だけで俺が納得すると思っている。男の言葉から推測するに、この世界では奴隷という存在は普通にあるものなんだろう。たぶん法的にも認められている類の。
だが、俺の住んでた国は奴隷なんてなかったし、俺は異世界人だ。
この奴隷印っつー焼き印は自分の所有物に名前を書くようなものなのかね。生き物に焼き印をつけること、さらに服を捲った際にみえた、痛々しい傷跡と新しい傷の数々。なにをされたのかは推して知るべし。
これだけ怯えているこの小動物を渡すのは気が進まない。
「悪いな、こいつはあんたらに渡せない」
「……あとで後悔しても知らんぞ」
俺がすぐさま身を翻すと、少し前までいたそこには炎や氷の槍が突き刺さる。遠ざかる背後でブツブツと呟かれるそれは魔法の呪文てやつなのかも知れないが、気分悪いお経みたいでめちゃくちゃ気持ち悪い。
意外に白服達は多く潜んでいたらしい。じりじりと囲まれて、俺は森とは反対側に逃げる。
岩場は小さい隙間の通り道が多く、俺なら通り抜けられそうな隙間を通り走る。息切れをごまかして下をみると、腕の中の小動物は金色の目を閉じていた。心なしか肌は白いのに顔は赤い。
「やべーな。どうする?」
『優人君、彼らは岩を吹き飛ばして追ってきてるみたいだよ!』
「だろーな!」
後ろでは容赦ない爆発音が響いている。とりあえず今は逃げ切るしかない!
『優人君、そっちは危ない!』
俺が足を踏み出したときは遅かった。岩場でも少し開かれた場所のそこは最初なにもみえなかったが、なにかに足を取られた瞬間みえるようになる。
張り巡らされる白い糸。それは俺の足にくっついて離れない。
そしてきらりと太陽を反射させる体躯をもつ、巨大クモ。
赤と黒に複数の目を持つそれはぎちぎちと口を鳴らしながら、巣を荒らす者を捕捉した。