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何処にでもいる男だった。
これといった特徴も無く、人に面と向かって自慢できるような特技があるわけでもない。
同世代の人間との交友を避け、部屋にこもり、ディスプレイに向かう。
家族はもはや何も言わず、その趣味を知った人間も彼を理解することはなかった。
同じ趣味の友人がいなかった訳ではない、同じ世界を共有出来なかっただけだ。
可哀想と言われたこともあった、時間の使い方なんて自分の自由だ。
目を見て話すと解ってしまう、値踏みするような視線を、哀れむような視線を。
無数の数字が立ち並ぶ電子の世界で彼は自由だった。
彼は言った、この世界は平等だ、誰もが主役になれる。
縋るように、何か熱いものでぼやける視界で彼は書いたのだ。
「ぁぁぁぁぁ!!」
目が覚めた夜乃は、こちらの顔をのぞき込むように見ていた人影に半狂乱で飛びかかる。
「あらあら、元気がいいわね〜、良かったわ」
気の抜けたような女性の声が聴こえた時には夜乃の視界は回転し、背中に柔らかい衝撃が伝わる。
「ここは・・・」
衝撃から立ち直った夜乃はじりじりと壁際まで交代すると、どうやらベッドの上らしい事に気がつき、自分の頭から血の気が引くのが解った。
「そんな不安そうな顔をしなくても平気よ〜、あなたは無事、売り捌かれたりも男共の慰みものにもなってないから安心しなさい」
そう声をかけられると、先程からこちらの様子を伺うように距離を取っていた人物と目を合わせる。
長い茶色の髪に、目尻の下がった藍色の瞳をもつ大きな目、女性らしい起伏に富んだ体、特に上は夜乃と比べるまでもない。
「私の名前はレイカ、そんなに舐め回すように見られるとお姉さん恥ずかしいわ〜」
そう言いながらたいして恥ずかる素振りも見せず、レイカと名乗った女性は微笑む。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
反射的に謝ってしまう事で舐め回すように凝視していた事を肯定するが、あっと思った時にはもう遅い。
「顔真っ赤にしちゃってかわいいわね〜、それより肩の傷はどう?何処か痛まないかしら」
「えっ?あ、い、痛くない・・・」
恐る恐る服の首元をずらして肩を出すと、雪のように真っ白な肌が目に映るが、叩き潰されたはずのそこには、僅かな傷の痕跡すらない。
「回復薬は効いたようね、良かったわ〜」
「これって・・・」
「あなた、向こうの世界から来たでしょ」
「え…ぁ」
この女性は今なんと言ったのだろうか、耳元で自分の心臓の音がうるさいくらいに鳴っている。
はやる気持ちを抑えられずに、夜乃は身を乗り出す。
「向こうの世界って!ここはゲームの世界で、それで目が覚めたら森にいて、体がゲームのアバターになってて!」
「落ち着いて、私もあなたと同じよ、気が付いたらIWに似た世界にいた、最も、私が来たのは2年程前だけれど、それにしても体がアバターになってたって、どういうことかしら〜・・・」
「自分の体がゲームの中で作ったアバターそっくりになっていたんです!それで、ここは一体!」
「焦らないで、アバターの話は置いといて、まず私が2年の間で解った事を話すわね。」
間延びした雰囲気から真面目な雰囲気に切り替わった女性は一回息をつき、続ける
「まず、ここがIWに似た、全く別の世界だってこと。本当にそっくりだけど、細部までは同じじゃないわ、それに暮らしている人達もNPCじゃない、本物の人間よ。」
「次に、私達元プレイヤーは、レベルもスキルもゲームの時そのままってこと。直接確認出来ないけどね。」
「レベルもスキルもそのままって・・・直接目で見えないなら、レベルはどうやって確認したんですか?」
「IWでの私のレベルは86、あなたは?」
反射的に90と答えそうになるが、今は自身が夜乃のアバターであることを思い出して答える。
「15くらいだったと思います・・・」
「私を思いっきり殴ってみて?」
「え? でも、そんなこと!」
「それでわかるわ。」
大したことでもない、という様子でそう言ったレイカはその後は何も言わず立ち尽くしている。
レイカの野蛮な発言に呆然としながらも、このままでは話が進まないと思い、夜乃は腹を括る。
「ごめんなさい!!」
そう叫びながら繰り出される夜乃の渾身の右ストレート、腰も入ってない弱々しいものだがそれは確かに速度に乗り、レイカの腹の辺りに突き刺さる。
寸前で、レイカの人差し指で止められていた。
「ね?私とあなたとの間じゃありえないくらいに差があるのよ、レベル以外に疑うものがある?」
自ら体験した漫画のような事態に目を丸くして固まっている夜乃に、レイカは可愛らしくウィンクしながら言う。
「これが確認できてたって事は、他にも元の世界の人が?」
硬直から立ち直った夜乃がそう問う。
「そうね、はっきりとした数までは分からないけど、少なくない数がこの世界に来ているわ」
もしかしたら、IWで知り合いだった人達も来ているのだろうか、と夜乃は一瞬期待したが、もし仲の良い人であったらと考えるとそうあって欲しくないと思い直す。
「次にアイテム、あなたは持ってなかったみたいだけど、これは元々持っていた物なら問題なく使えるわ、あなたを治療した回復薬がそうね。現状、アイテムを手に入れる事はできないし、持っていたものを切り崩して使うしかないわ、薬師や錬金術師みたいな生産職なら精製出来るかもしれないけど、まだ確認出来てないわ。」
「き、貴重な物を使わせてしまってごめんなさい・・・」
「女の子の傷が治るなら安いものよ、気にしないで。」
女の子、という言葉にひっかかりる物を感じながらも、夜乃は頭を下げる。
「次にスキル、これもIWで習得していた物なら使えることが分かってるわ、もちろんゲームの中ほど簡単じゃないけど」
そう言ってレイカは部屋の中央まで歩き、振り返る。
「私の職業は魔術師、魔法も使えるけれど、まともに使えるようになるまで一年以上かかったわ。」
そう言って天井に向かって握っていた手を開くと直径15cm程度の火の玉が浮かび、レイカが再び手を握ると初めからそこに無かったかのように消える。
「取り敢えずはこんなものね〜、もう少し休んでいなさい?体調が万全になったら、この世界での生き方を教えてあげる、冒険者ギルドに行きましょ〜」
「助けてもらった上に治療までしてもらって、ありがとうございます・・・お世話になります」
改めて夜乃がお礼をいうとレイカはどう致しまして、と舌を出して見せる。
「あなたが着ていたコートと服は預かってるから、武器も回収しておいたわ〜」
そう言われて夜乃は自分が下着まで取り替えられている事に気が付く。
「ごちそうさま〜」
真っ赤になりながら震える夜乃に笑顔でそう答えて部屋を去っていくレイカ。
夜乃はそんなレイカを悶絶しながら見送るしかなかった。