#7同居生活
奈々子の家は、渋谷から山手線新宿駅乗り換え中央線から八王子まで下った所にあった。まず、近くにある診療所に行き捻挫の手当てをしてもらった。奈々子はたまたま、保険証を持ち歩いていて良かったと思った。でも、
「この怪我は、私のせいだから!」
と、彩華は自腹を切ってその代金を払った。はじめは、良いよ。と突っぱねていた奈々子であったが、余りに彩華がその必要は無いから!と押し切るので、その勢いに飲まれて結局支払ってもらった訳である。
その後、自宅まで彩華に運んでもらった。医者の言葉が、二週間安静との事だったからであった。
「一人暮らしなの?」
部屋の中にまで運んで、何とかベッドに腰掛けさせた奈々子に悠治は問いかけた。
「……そうよ……」
奈々子は気が無い風に言葉を発していた。
「ごめんね。中学生かと思ってたよ……」
悠治は、素直に思っていた事をそのままに奈々子に笑いかけた。
「……中学生だよ」
「え?」
悠治は耳を疑った。
「何で中学生が一人暮らしなんかしてるの?」
正直、悠治は驚くしか出来なかった。狭いけど何だか広く感じられる部屋。でもこれ以上突っ込んだ事を訊いて良いのかどうかなど、考えなかった。それこそ不自然だと悠治は思ったからである。
「……恵まれた家のお嬢様には解らないわよ」
奈々子が皮肉ってそう言ったものだから、一瞬さすがの悠治もムッとしそうになった。だけど、
「あたしの家は、今離婚調停中で、両親別居中なの……あたしはそう言う環境に居たく無いから、一人暮らしを言い出したの。一人の方が気が楽だしね。そしたらこのアパートをあてがってくれた……変な話だけどね」
一瞬シーンとした空気が二人の間に生まれた。さすがの悠治も、これ以上は何も言えない。そう言う環境で育った事など無かったからである。
無いけど……考えてみれば彩華として過ごしている間は両親が揃った試しなど無い事は良く分かっている。本当の両親と言う訳では無いけど……他人ではあるけど、彩華としてここ数年その環境で育った事を考えるとその気持ちは良く解る気もしないこともない。
ふと、視線を真っ黒いカラーボックスの上に向ける。幸せであった頃の奈々子と両親の様子が写し出されている木枠の写真立てが目に入った。
悠治はそれを見て一瞬良案が浮かんでいた。
そんな中奈々子は思っていた。彩華は何も言えないだろうと。そうせせら笑いたい気分だった。しかし、その思いを遮る言葉が彩華の口から漏れ出た。
「じゃあさ、二週間ほどここに泊めてよ!その足じゃ、学校行くの大変じゃ無〜い?」
「な……」
彩華は良い案が浮かんだとばかり手の平をポンと打ち、にっこりと笑ったのである。だから、奈々子は頭の中が真っ白になった。一体何を考えているんだ?出会ったばかりなのに……この人は常識的な物の考え方が出来ないのか?それとも、私の考え方が間違っているのか?目眩がしそうだった。
「送り迎え、料理、それから……そうそう、ここに泊めてもらう間の家賃と食費は入れるから〜」
「……」
奈々子は呆気に取られて口をあんぐりと開けていた。その事に気が付いてるのかいないのか?彩華は言葉を紡ぐ。
「私、今失綜中なのよね〜バレないようにするから、御願い〜助けると思って!」
次から次へと勝手に事を進めて行こうとする彩華に何も言えない奈々子は頭痛がしていた。
「そうそう、この近くに衣料品を扱っている店在る?早速行かなきゃ〜あ、カード使えるかなあ?」
奈々子の返事を聴く事なく彩華は勝手に話を押し進め、そして、そそくさと部屋を出ようとしていた。その気になっている事がその行動に現れ始めた時、奈々子は、観念したのか溜め息まじりに、
「分かったよ。良いわよ。うちに居ても……」
この一癖も二癖もある芸能人彩華を受け入れたのである。
かくして一方的に始まった同居生活一日目がバタバタとして過ぎて行く。
そんな中、悠治が良案と目したそれは、この奈々子を寂しく感じさせない時間を与えたいと言う事が念頭にあった。
彩華を嫌いだと宣った奈々子ではあるが、押し駆けてしまえばこちらの思う壺になる事だけは分かった。それは、捻挫事件の時と、ポスターの件で分かった。普通、あんな落書きしか出来ないのはおかしい。本気で嫌いだったら躊躇ったりしないであろう。この年の子であれば。ハデに落書きしても破り捨てても、感情ってモノはもっと素直なはずだと思う。それが、あの程度で済んでいるって事は、彼女的に何かしら押さえているモノが有るからだ。と悠治は思っていた。それは、この奈々子と言う性格だろう。だから悠治は、興味を持った。
考えてみれば、彩華以外の女の子と接した事はほとんどなかった。仕事で接する女の子はライバルだし、仲良く話をする事など無かったし、仲良くしようなどと考えた事も無かった。
そう鑑みると、これは良い機会かも知れない?自分の視野を広げる事も必要かも知れない?そんな事を思い耽ると、悠治は張り切れる気がした。これからの一ヶ月間、色々と何かを楽しむ事ができる。何しろ今は彩華の皮を被っている訳だし、女の子を知る丁度良い機会では無いか?そう思うと、解放感に合わせニタニタ笑いが顔を作る。
「何笑ってるの……?」
無気味だと言わんばかりに、一DKの自分の部屋から覗き見る勉強中の奈々子に気が付き、
「あ……これお砂糖と塩どっちかと思って?」
慌てて話をそらす。今は晩御飯を作っている最中であった。
「あの……舐めれば解ると思うけど……それがそんなに面自い事なの……?」
「そうね〜舐めれば解るよね〜あはは〜」
そそくさと、舐めてみる振りをする、
「彩華……ちゃんと料理出来るんでしょうね?家、燃やしたりしないでね……」
奈々子が立ち上がろうとしたので、
「あ、平気。大丈夫!任しておいて!」
慌てて、座るように促した。
解らないはずは無い。実際自宅で両親がいない時は悠治自身が御飯を作る。
インスタントやコンビニの御飯は食べたくは無い、それは意地であった。自らの信念でもある。そして実の所、料理は得意だった。だからこの同居は上手く行くと思っていた。
そして、ここまで突飛ないことをやっているのだ。奈々子は彩華が本当は変な人だと思っているはずだ。ならば、徹底して変な人を装うのも良いだろう。世間知らずで図々しい人。それが自分。
という人格を演じてみるのも面白い。また一つ楽しみが出来た気がしたので悠治は満面の笑みで、目先の料理にその思いを注ぎ込んだのである。
「あ、美味しい……」
意外そうに奈々子が言葉を発する。奈々子は、小さいテーブルに乗っているオムライスと、サラダなどがバランス良く配置され、見た目と味が一致した事が不思議だった。本当は、とんでもないモノを食べさせられるのではないかとヒヤヒヤしていたからである。
「そんなに、心配だったの?」
彩華はクスクス笑っていた。そりゃ、作っている最中に塩と砂糖がどちらかなど訊かれれば誰だって不安になるものだ。その上、彩華は親の力も有る芸能人。そんなお嬢様である彩華が料理などやった事が有るのか?それが凄く気になっていた。
「私、ちゃんと自分で御飯作っているわよ〜簡単なモノだけどね?」
「あ、そうですか……」
そう言われてちょっと、複雑な気分だった。自分でも同じ物をここまで美味しく作れるであろうか?そう考えると、悔しく思える。同じ女性として。
でも心とは裏腹にきちんと最後まで食べた。美味しいし、お腹は正直だったからである。
「あのさ……何で、こんな事してるの?」
食事を済ませた後、不思議に思っている事を彩華に訊いてみる事にした。
「こんな事って、ゲームの事?」
「それしかないじゃない……」
「奈々子の世話の事かと思っちゃった〜」
また、クスクス笑われる。何でこの人は当然の事がごとくこうやってふざけるのだろうか?
「楽しいからよ〜って、奈々子、勉強終わったの?ゲームしようゲーム!」
突然、テレビ横に置いているテレビゲームに目を付けたのか、彩華が話をそらした。何処までも勝手な奴だと思ったが、何か訳でも有るのかも知れないしと、今回はこの辺にしておく事にした。
大体、初対面で話してもらえる訳も無いだろう。でも、ここまで人懐っこく接せられたら(勝手な奴では有るが……)何だか古くから付き合っている友人のような気がするから不思議である。
悠治のペースにハマってしまった奈々子はこの日は結局自分が持っているゲーム機で悠治と対戦ゲームをし、夜は更けて行った。