#6桐原奈々子
その頃の悠治は、スタジオを飛び出し、直ぐさま私服を放り込んでおいた駅構内のロッカールームから荷物を抱えて渋谷の街を闊歩する事にした。
堂々と変装して誰にも分からない様に、渋谷の街を俳徊する楽しみなんて滅多に味わえない。と嬉し気に思っていた。これが開放感ってものだとでも言わんばかりに色んな所を見て歩いた。そして街頭の液晶パネルで放送されている、今自分が行っているゲームの批判がされている事を知り、また嬉しくなった。
「これくらいやっておけば、彩華が引退してもおかしく無いだろう?」
独リゴチながら、液晶画面に見入っている人々の間をかいくぐり、歩いた。すると、何処もかしこも彩華のポスターが貼られている事に気が付く。へ〜と言う感じで周りを見渡した。そして、ある一点に……その壁に並んだ彩華のポスター前でそれを眺めながら肩を震わせながら立ち尽くしている、一人の女の子に注目した。
小柄なのはすぐに分かった。自らの背より、二十センチは違うであろう?中学生では無かろうかと思った。
今日は学校が休みなんだろうか?そんなはずは無いんだけどなと、曜日を確認する。今日は、月曜日。時間的にはまあ、学校帰りと言う事も頷ける。しかし、何であんな所で突っ立っているんだろうか?
悠治は、気になってその少女の動向をじっくり観察する事に決めた。ま、時間潰しにはもってこいの人間ウォッチングである。
すると、二十分くらいの時間が過ぎた。しかし、少女は依然とそのまま突っ立っている。悠治は余計に気になってきた。何しているんだろう?彩華のファンなんだろうか?しかしそんな感じは見受けられない。
着ている服はゴスロリ系の黒いフリルのワンピース。シックでストイックなスタイルが売りの、彩華が着そうに無い系統の服装であった。そして、三十分が過ぎる頃、やっと身体を動かした。動かしたというか、鞄から何かを取り出すと言った感じであった。そして、ポスターに向って、何かを書き始めたのである。
何を書いてるんだろう?
今まで道端に座り込んで見ていた悠治ではあったが興味深くスタスタと歩き出す。そしてその少女の横まで歩いた。
しかしその事に少女は気が付いて無かった。そして悠治はちらりと覗き込んだ。
『バカ女』
ひとことポスターの端にマジックペンで小さく書き込んでいた。悠治はその通りだと思ってクククと軽く笑った。そして、その横に有るジェイズのポスターに気が付き、今渡は悠治が、ゲームで使用する為に備えていたマジックペンで英二の顔に思いの丈の悪戯書きをしてやった。
「あのさ、これくらいやんないとね〜落書きってのは!思いの丈を込めてトコトンやらないとねえ〜?」
少女に聞こえるように、悠治は言ってペンをポンポン手の平で跳ね上げながら、この場を立ち去ろうとした。満足だった。
少女は、驚きの表情で悠治を見たが、こんなに悪意の込められている落書きをする。サングラスをして深々と帽子を被っている怪しくスタイルの良いお姉さんを横で見てしまった為、放心状態だった。しかも女性が、英二という、今、人気が出ているユニットの男性に対しこんな事をするのはおかしく感じられた。この英二を知っているのか?それとも何かの恨みでもあるのか?だから立ち去って行く悠治に向って声を掛けようとした。
「あ、あの、待って!」
後から通り過ぎてゆく……ポスターを見て過ぎ去って行こうとする若い女の子達が、英ニへの落書きに気が付き立ち止まって非難している中、呼び止めようとした。が、突然後方から走り込んで来た一団にぶつかり、その少女は思いっきり壁に激突してしまった。そして、その拍子に支えようとした身体に負担が掛かり、足を挫いてしまったのである。
「な、なんなのこの連中は!」
少女は、痛い足首を座り込んで摩りながら、突然今まで落書きをしていたその女性を取り囲むように現れた一団を、見守っていた。
当の悠治は、もうこの一団がどう言う者達か察しが付いていた。ゲームに参加した者達であるのだと……しかし、見渡した限りかなり色んな年齢層である事に気が付き呆れてしまった。
「あら、一番乗りの一団かしら?凄いわね〜どうやってここにいる事がばれたんでしょ?」
少し茶化してみるが、この人数は少ししんどいかなと考えてしまった。しかも、こんな渋谷のど真ん中で事を起せば、また一段と参加者が増えるだろう?でも、逃げるのはしゃくだなと思った悠治は、張り切ったように、
「じゃあ、ショータイム!レッツ・ゴー!」
それを合図に突然悠治に飛びかかる一団。
少女は、何が始まったんだ?と見ていたが、サングラスを外し、激しく動く事で帽子がずり落ち長い黒髪が露になった悠治を見て、
「これってもしかして……彩華の?」
間近で見ていてハッキリとその女性がお騒がせ芸能界人と化した彩華だと知り、呆気に取られた。
眺めていると、素早い身のこなしで、挑戦者である一団の一人一人の顔に『×』マークを付けて行く。
皆、自分の事しか考えて無い為、押したり引いたりしながらの乱闘が綴り広げられている。よってこれだけの人数がいても、彩華対一挑戦者の図にしかならない。その上柔道、空手共に黒帯と言う実績が伊達じゃ無いらしく、交わす度にもつれて来る腕を軽く技で引き離す。
少女は、凄いと思ってその乱間を見詰めていた。周りの者達も、何だ、何だとその乱闘している者達を取り巻くように集まり始めた。
ざわめく声に、少女はドキドキしながらそれを見ていた。彩華の事は嫌いだ。でも、こう言う所を見せられたら……正直かっこいいと思った。
どれほど時間が過ぎ去ったんだろうか?次第に人数が減って来ている。既に、印が付けられた者達は諦めてその場から離れて行く。きちんとゲームのルールを守っている証拠であった。そして、挑戦者が誰もいなくなったところで、悠治はフゥ!っと息をつき、投げ捨てたサングラスを取り上げたのである。
「何とかなったわね?」
悠治は、格闘状態のその状況から解放され、言葉を漏らした。
やはり結構しんどいものだなって思った。が、やり始めた事はとことんやり尽くさなければ気が済まない。それが、このゲームを始めた自分の責任。そう改めて思った。
そして、この場を速やかに去ろうとした時、さっき落書きしていた少女が座り込んでいるのが目に入り、
「大丈夫?」
と、声を掛けた。きっと今の乱闘で、被害にあってしまったのだと、ハッと気が付いたからである。申し訳ないと言う思いがあった。しかし、少女はそんな彩華の声を無視するように顔を背けた。
怒っているのかと思い、悠治はちょっと躊躇いながら、少女の周りに散らばっている物達を拾いながら、何とかしようと心の中で色々考えた。が、とにかく謝らなければならないなとしか考えようが無かった。
そんなちょっと躊躇っている悠治に、少女は本当はバツが悪い思いだった。彩華本人の前で『バカ女』とポスターに書いた事を思い返していた為である。どうか、このまま立ち去ってもらいたいと思っていた。
しかし、当の本人の思惑とは反して、
「桐原奈々子さん。っていうんだ?」
突然自分の名前を呼ばれて少女は、声の主の方を見た。驚いた。何で分かったんだろう?
『ギクリ』として、ちょっと身を引いた。悠治はというと、散らばっていた物の中に生徒手帳を見つけて中を拝借したのである。名前を知らないのは当然の事だが、何となく今は話のきっかけを作ろうと思った。そうしたら気をこちらに向けてくれる。謝れるチャンスだとちょっと考えて、覗いたのであった。
しかし、その中からヒラリと出て来た一枚の少年の写真に気が付き、コソッと見て元に戻した。彼氏かな?位の軽い気持ちだった。
「足、大丈夫?」
少女がこっちを見てくれたので『ホッ』と一安心した。だから、今拾った全ての物を、この少女、奈々子の前に落ちている鞄の中に戻し、捻挫したであろう、その足を見ながら言った。
「ごめんね?こんな事に巻き込んじゃって?」
悠治はなるべく気軽く言った。余り心配している様子を見せるのは、奈々子の為にはならないとそう思ったからである。どうせ、今の乱闘で自分が彩華だとバレているはずだし。
「……」
当の本人の奈々子と言えば、放心状態でただ彩華を見ていた。
「足、大丈夫?」
繰り返されたセリフに気が付き、奈々子は、ハッと我にかえった。
「え?あ、平気平気!」
突如立ち上がった。立ち上がれる足でも無い事くらい判っていた。彩華の乱闘現場を目撃している内に立ち去る事だって出来たはずだし。
でも、ここで彩華に対し弱音を吐きたく無かったし、同情を買いたく無かった。だから、思いっきり捻挫した足を地面で踏みならした。すると、今まで緊張していたはずで痛く無かった足に、『キーン』と脳天に響くほどの激痛が走ったのである。
奈々子は、直ぐにその場に座り込んだ。もう立ち上がれないとそう思った。すると余計に自分が惨じめに感じられたのである。奈々子の、この異様な様子に、悠治は笑って良いものか?悩んだ。しかし、余り追求するのもなんだし、ここは流しておこうとそう思った。
「ほらっ、無理しないで肩かしてあげるわよ!ついでに、送って行ってあげるか……」
その言葉を掛け終わる前に、奈々子の手が悠治の頬を鳴らしたのである。
悠治は何が起こったのか解らなかった。突然右頬に『ピリッ』と効いた刺激を受けたくらいであったが、確かに叩かれたのだと気が付いた時、
「触んないでよ!あんたなんか嫌いなんだから!あーもう、サイテ〜〜!最悪!」
突如奈々子が泣き出しそうな声色で叫び始めたのである。思いの丈言いたい言葉が口から漏れたかのようだった。
「あたしの初恋グチャクチャにされた上に、このザマ?もうー大っ嫌い!」
声が街中に響き渡った。悠治には何がなんだか?言っている意味さえも解らないこの状況下に頭の中が空白状態になった。そして、周りのざわめきが耳に届き始めた時、このままここにいたら注目の的になってしまい、また乱闘騒ぎを招きかねない。と判断が下った。
「私の事嫌いでも良いんだけどさ……その、注目されてんのよね……」
奈々子は、ハッと我に返った。そして、辺りを見回す。行き交う人々が、確かに二人に注目し始めていた。『ジロジロ』見て行く者もいれば、訝しげに見て行く者もいる。中には、
「もしかしてさ、あれって彩華じゃない?」
と、見て通り過ぎて行く者までいる。今自分が何を言ったのか?咄嵯に出てしまった言葉が頭を駆け巡り、この状態から回避する事と相まって、よけいに混乱した頭が、この後の彩華の行動を受け入れてしまったのである。
突然、身体がフワリと軽くなり、自分が空中に舞い上がったような感覚が起こった。
「え?」
奈々子は、何が起こったのか理解できなかったが、自らを支える腕に気が付いた。そして、空が動いている。周りの風景が動いている……
「ちょっと!」
焦った。彩華が、自らをお姫さまだっこして動き始めたのだと気が付いたからであった。
「小さくて、軽い子で助かったわ〜」
悠治と言えば、あっさりしたものである。ま、ここから立ち去る事だけを考えればこれが一番手っ取り早い方法だと気軽に考えた結果であった。
「家は何処?あ、その前に病院に行かなきゃね〜?」
その言葉に、奈々子は呆気に取られていた。言葉が紡げない。この人は、一体どう言う神経をしているんだろうか?グルグル頭の中を駆け回る。自分をこれだけ貶した人間を、何故こんな風に扱えるのだろうか?自分だったら絶対こんな風には接せられないであろう。とそう考える。何か不思議な感覚だった。だから、
「教えるから、せめてだっこじゃ無くて、おんぶにしてくれるかな……」
赤面しながら、言葉を発したのであった。