築島君と日村さん
「築島くん、自分と付き合ったってもえぇよ」
築島忍生、十九歳……今まで生きてきて、一番インパクトがあった台詞は、多分これだ。
予備校からの帰り道、同じクラスの日村優子が自分に言い放った一言……何て横柄な女なんだと思った。根っからの関西人の彼女は、白くて丸くて姉御肌で、友達も多いが、自分とは今の今まで、連絡事項を一言二言くらいしか話したこともなかったのに。忍夫はプチ対人恐怖症だったものだから、本当にびっくりした。
「……えっと、……」
どうやって断ろうか……そう考えながら振り返ったその先で、メタルフレームの奥の瞳が、不安に揺れているのに気付いてしまう。
「……その、よろしく」
耐え忍んで生きると書いて、忍生。その名の通り、臆病過ぎるくらい慎重な自分が咄嗟に頷いてしまった理由は、動揺だったのか同情だったのか……今もって謎だ。
* * *
「ノーブくんっ!」
猫撫で声とともに、背中に衝撃を受ける……優子だ。
「……重い」
付き合い始めて二週間、優子がそんな風に自分を呼ぶのは危険信号だ。首の後ろからクロスされた腕を振り解きながら、努めて無関心な顔をして忍生は振り返った。本当は心臓バクバクだ。内向的な自分は同性の友達さえままならず、女子との触れ合いはハードルが高かった。
「冷たい」
「どうせまた、何かたかろうとしてんだろ」
照れ隠しに投げると、彼女はビクリと肩を震わせた……自分と違って、わかりやすい奴。
「……た、たかるやなんて……人聞きの悪い!」
「まあいいよ、今度は何だよ」
俺もそんなに懐あったかくないぞ……そうつけ足しつつも、嘆息まじりに尋ねてやると。
「……実は、……今日、泊めてくれへん?」
斜め下に目を伏せて、やや遠慮がちに言った言葉に、さすがに予想外だった忍生は目を剥く。
「電気止められてん、今日メッチャ寒いやろっ? 家におったら絶っっ対、凍死する!」
日村の悲痛な叫びに、忍生は怒気に彩られた二度目の溜め息を吐く。
こいつ、またやったのか。
日村は大阪の親元を離れた一人暮らし、実家の事情で仕送りだけでは足りないらしく、バイトをしていてもカツカツの極貧生活を送っていた。ただ、何にそこまで心惹かれるのか無類のタクシー好きで、ほんの少しの移動でもタクシーを使ってしまうらしい。それ以外の生活は質素堅実な節約家なのに、それだけはどうしても我慢できないという。
生活費が底を突きそうで「今日こそは!」と心に決めてバス停でバスを待っていても、目の前をタクシーが通れば、誘惑に負けて手を上げる。食費も家賃も、その他の何もかもを削って、タクシー代につぎ込んでしまう、実に厄介な性癖を持っていた。
「優子……本当、いい加減にしろよ」
激しい頭痛を覚えながら、忍生は吐き捨てる。
「……駄目?」
自分よりもやや低い位置から注がれる、眼鏡の奥の子犬のような小さな目に、苛立ちはさらに募る。
「……今回だけだからな」
こんな馬鹿でも彼女には変わりない……苦虫を噛み潰すような気持ちで、頷いた。
「ありがとぉーーーーっ、ノブくん大好きや!」
「だぁあぁぁっ、懐くな! 気色悪いっ!」
自分の言葉にパッと明るい表情になり、お預けを解かれた犬のように再度抱きついてこようとした優子から、忍生は叫んで飛び退く。
幼い頃のとあるトラウマでプチ対人恐怖症な忍生は、スキンシップが大の苦手。何の前置きもなく触れられると不快感とともに、鳥肌が立つ。そんなだから、優子と付き合っていても、手を出すどころかキスさえまだしていない。
「ひどっ……でも、ホンマにありがとぉ!」
大げさな拒否反応に一瞬傷付いたような顔をするが、優子は懲りずに逃げる忍生の右手を捕まえて、ギュッと握り締めた。忍生は強引な優子に眉根を寄せるが……
「……今度やったら、もう別れるからな」
告白を受け入れたときと変わらぬ笑顔と手のぬくもりに、振り解くことはしなかった。
「……あっ」
「なに?」
「いや、何でもない」
こいつ、死んだ爺ちゃんが作ってた串団子に似てるんだ……繋がれた団子のように丸くて白い手に、優子をほっとけない理由の一つが、心にスッと落ちてきた。