ねむりねずみ
『ねむりねずみ』
「 ちゃんのお家ってすっごくびんぼうなんでしょー?」
「だから、おようふくかうお金も、あらうお金もないって!」
「 ちゃんきたないんだー」
「ちがう!あたし、きたなくなんかない!」
「きゃー! ちゃんがおこったー!」
「こわーい!」
笑いながら、少女を囲んでいた女の子達が散り散りに走り去っていく。残されたつぎはぎだらけの洋服に身を包んだ少女は、ぺたりとその場に座り込んだ。
「どうしてっ・・・・・・どうしてあたしばっかりこんな目にあわなくちゃいけないのっ・・・・・・?」
涙と共にこぼれ出る本音。家は確かに貧しい。新しい洋服が買えないほどに貧しい。けれど、お風呂にだって毎日入っているし、洋服だってぼろいしつぎはぎだらけだけれど一応替えはある。
ご飯だって空腹を満たせる程度には食べることが出来ているし、ただ貧乏というだけで何ら他の家庭と変わりはないのだ。両親だって健在だし、仲も良い。これほどにまで、自分はこの家庭を愛しているというのに、周りはその全てを否定していく。
「どうしてっ・・・・・・?うぇえ~・・・・・・」
声を出して泣きだしてしまった少女。その声を聞きつけたのか、一人の女性が少女へと駆け寄った。少女と同じようにつぎはぎだらけの服を身に纏っているが、髪はきちんと結われ不衛生さは感じられない。
「 、どうしたの?どうして泣いているの?」
「みんなが・・・・・・ひっく・・・・・・あたしのこと・・・・・・きたないって・・・・・・あたし、きたなくなんか、ないっ・・・・・・」
涙を流しながら少女が母親に訴えると、母は言葉に詰まり少女をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね・・・・・・家が貧しいから、 にもこんな迷惑をかけてっ・・・・・・」
母の言葉に少女は頭を振る。貧しいことが嫌いなわけではない。母が謝ることなんて何もないのだ。
「お母さん、わるくないもんっ・・・・・・わるいのは、みんななんだよっ・・・・・・」
「・・・・・・他人を悪く言うのはよくないわ。それはその子達がやってることと同じことなのよ?」
「・・・・・・うん」
「良い子ね、 は・・・・・・。いつか絶対、 にも素敵なお洋服を着せてあげるわ」
「ほんと?」
「ええ、本当よ。さ、お家に帰りましょう」
「うん!」
泣いていたことが嘘のような笑顔を見せる少女に母は微笑むと、その手を取って歩きだす。少女は、母と手を繋いで歩くことが大好きだった。父のことも好きだが、全てを包みこんでくれるような母の存在が、少女にとって唯一の癒しの場だったのだ。
「あたしね、まほうつかいになるの!」
「魔法使い?」
小さな子供の微笑ましい夢に、母は笑みを浮かべる。そんな母の反応が嬉しくて、少女は元気に頷いて見せる。
「まほうつかいになって、みんなをみかえしてやるの!」
「ふふっ・・・・・・楽しみにしてるわ」
「うん!」
そこにあるのは、微笑ましい母と子の風景だった。
翌日、いつものように一人公園で遊んでいた少女に、突然泥団子が投げつけられた。頭を直撃したそれが一瞬何なのか分からず、少女は呆然と頭から落ちる泥の塊を見つめる。
「きゃー ちゃんに当った~!」
「 ちゃんきたなーい!」
「でも、もとからきたないからしょうがないかー!」
「っ・・・・・・」
服に転々と染みを作る泥水を洗い落すために、少女は慌てて手洗い用の蛇口に駆け寄り冷たいそれを頭から被る。それを馬鹿にする周りの声も聞こえず、ただただ少女の頭の中には一つの言葉が浮かんでいた。
――どうしてあたしばっかり
こみ上げる涙を一生懸命飲み込み、頭についていた泥が落ちると次に服に出来ている染みへと水をかける。母に教わった染みの取り方で一生懸命洗い流した少女は、冷えてしまった体を抱きしめながら家へと帰った。
父も母も昼間は基本的に家にいない。父よりも母は帰りが早いが、その代わり母は朝が早かった。ゆっくりと洋服を脱ぐと、くたびれたタオルで情け程度に体を拭き、古びたタンスから洗いたての洋服を引っ張り出す。
タンスにある服はどれもつぎはぎだらけだったが、母が一つ一つ手縫いで開いてしまった穴を縫ってくれていることを知っている少女は、それが恥ずかしいと思うことは一度もなかった。
「・・・・・・くやしいよ・・・・・・」
けれど、それを馬鹿にされることが悔しい。両親が一生懸命働いてくれているというのに、それを馬鹿にする裕福な子供たちが憎い。そして――羨ましい。お金さえあればと何度も思った。お金さえあれば、周りから馬鹿にされることはない。だが、両親がどれだけ一生懸命働いても、これ以上家にあるお金が増えることがないということを、少女は幼いながらに理解していた。
親子三人並んで眠るベッドへと潜り込み、冷えてしまった体を温めようと軽く全身を揺らす。ほどなくして、心地よい温もりが体を包み込み、泣き疲れたこともあってか少女はそのまま眠りの中へと落ちていった。
* *
「おっきろぉ~」
「ん・・・・・・」
「ほらほら、起きてぇ」
「んん~・・・・・・」
「お・き・ろぉ」
「んんっ?」
ぷにぷにと何度も頬を突かれ、少女はゆっくりと目を開けた。まだ眠っている頭を何とか起こし、自分の頬を突く正体を確認しようと起き上がる。すると、少女の横には一人の子供が座っていた。短パンにぶかぶかのシャツを着ているその子は、少女よりも少し上くらいだろうか。
服装的には男の子のようだが、正直どちらとも言えない面立ちをしている子供だった。
「やあっと起きたぁ。ほら、立って立ってぇ」
語尾を伸ばす独特な喋り方だなあと思いながら、少女は言われるがままに立ちあがる。そこでようやく、少女は自分が全然見知らぬ場所に来ていることに気付き慌てて周囲を見回した。
「こ、ここ、どこっ?」
「ここは誘いの森。そして、目の前にあるのが・・・・・・うつろ市場さぁ」
「うつろ、いちば?」
初めて聞くその市場の名に、少女は首を傾げる。少年が言う通り、確かに目の前には市場の入り口となるアーケードがあり、ちゃんと看板もある。だが、どこかその市場は少女に違和感を与えた。
「うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるから、そこんとこよろしくねぇ。ああ、自己紹介はいらないよぉ。本名は簡単には名乗らないものだからねぇ」
「ちぇしゃ?ありす?」
「チェシャは僕の名前ぇ。アリスはここでの君の呼び名みたいなものだよぉ」
「ここは、どういうところなの?ちぇしゃ」
まだ自分がどこにいるのかを知ろうとしているのか、少女はきょろきょろと視線を忙しそうに動かしている。
「この市場はねぇ、願いを叶えてくれる市場なのさぁ。人間の心の奥底にある欲望を満たしてくれる市場。アリスが今一番ほしいと願うものを売買してくれる夢のような市場なのさぁ」
「あたしの、ねがい?」
「そうさぁ。アリスは願いごとがあったんだろう?」
「ねがい・・・・・・ねえ、ゆめも叶う?」
「もちろんさぁ」
チェシャの言葉に、少女はぱっと笑顔を咲かせる。これで、夢が叶う。これで、皆を見返すことが出来る。これで、きっと幸せになれる。そのことで頭がいっぱいになった少女は、チェシャにどうすればいいのかを尋ねた。
「ここではお金なんていらないんだよぉ。アリス、君は夢を叶えたいのかい?」
「うん!」
「じゃあ、それを売ってくれるお店に案内してあげるぅ。ついておいでぇ」
歩き出すチェシャの後を、少女は追い掛ける。興味深げに市場を観察していた少女は、噴水の横を通過した頃違和感の原因に気が付いた。
辺りがあまりにも暗すぎるのだ。市場というのは本来、人々が賑わう時間である朝や昼にやるのが普通であって、夜にあるものではない。母と何度か朝市に連れて行ってもらったことがある少女は、そのことに違和感を抱いていたのだった。
「お客さん、いないの?」
「限られた人しかここにはこれないからねぇ。案内人が僕一人だから、一人ずつなのさぁ」
「ふぅん」
「さ、ここだよぉ」
「・・・・・・ホテル?」
チェシャが案内したのは、あまり背の高くない可愛らしいホテルだった。木製で出来た看板が立てかけられており、そこにはおーぷんと手作り感あふれる文字で書かれている。ホテルとは少女にとって夢のまた夢だったが、そんな少女でも抵抗なく入れるほどそのホテルは質素な雰囲気だった。
「やっほぉ。いるかい?ヤマネ」
「・・・・・・んぅ~・・・・・・チェシャかい?・・・・・・僕をいじめても、おいしくないよ・・・・・・」
「いじめて味が分かるなんて聞いたことがないよぉ。寝ぼけてないで起きたらどうだい?アリスが来てくれたよぉ」
そこにいたのは、またしてもチェシャほどの少年だった。眠いのか、机に突っ伏したままチェシャと会話をしている。そんな少年に不安を覚えた少女は、困惑した表情でチェシャを見た。
「ほらほらぁ、アリスが困ってるじゃないかぁ」
「ん~?アリス・・・・・・?やぁ、アリス」
「あ、こ、こんにちは・・・・・・」
むくりと頭を持ち上げたヤマネはよっと軽く右手を上げてアリスに挨拶をする。だが、その目は閉じられたままで、少女は混乱してしまい明らかに時間帯を間違えた挨拶をしてしまった。
「じゃあ、おやすみなさい」
そういうと、鈍い音とともにヤマネの頭が机に落ちる。その音にびくりと肩を震わせた少女とは裏腹に、チェシャは苛立ったように右手を持ち上げた。
再び鈍い音がホテルのロビーに響き渡り、少し遅れてうめき声が響く。
「いったたたあ・・・・・・いきなりなにするの?チェシャ・・・・・・乱暴だなあ」
「君が起きないからだろぉ?今度アリスを無視して眠るんなら、燭台でもその頭に突き刺してあげるよぉ」
「わかったよお、起きるよお」
チェシャに殴られた部分を擦りながら、ヤマネは再びゆっくりと起き上がる。今度はちゃんと目が開かれているが、その目はとろんとしておりまたすぐにでも眠ってしまいそうだった。
「こいつはねむりねずみさぁ。名前らしい名前がないから、僕はヤマネって呼んでるよぉ」
「ヤマネです。よろしくね、アリス・・・・・・僕いっつも眠くてさあ・・・・・・ふぁっ」
「寝ないでよぉ」
「わかってるよー。それで、どういった御用件で?アリス」
「えっと・・・・・・」
会話の流れについていけなかった少女は、突然まともな内容に切り替わり言葉を濁らせる。どう答えようかと思案していた少女に、チェシャが助け船を出してきた。
「君の願いを言えばいいのさぁ、アリス」
「ねがい・・・・・・あのね、あたし、ゆめを叶えたいの」
「夢を叶える。それが君の願いだね?」
いつの間にか眠気が吹き飛んだのか、ヤマネの目は先ほどよりもしっかりと開いている。どうやら生まれつき垂れ目らしく、それでもどことなく眠そうに見えた。飛び出た前歯がねずみを連想させ、笑うとそれが余計に目立つ。
そこになるべく視線を向けないようにしながら、少女は小さく頷いた。
「どんな夢なの?アリス」
「・・・・・・まほうつかいになって、あたしをバカにする人たちをみかえすの」
「君の夢、僕は叶えてあげられるよ」
「っほんと!?」
思いがけない希望の言葉に、少女は満面の笑みを浮かべる。穏やかな笑顔を浮かべたヤマネは、ただし、と人差し指を少女につきつける。
「対価は、いただくよ」
「たい、か?」
言葉の意味を理解出来ない少女が首を傾げると、チェシャ猫が対価について説明をしてくれた。
「物を買う時にはお金を払うだろう?つまり、何かを得るならばそれと同等の代償が必要だっていうことさぁ。分かるぅ?」
チェシャの言葉を理解した少女は、頷きながらも肩を落とす。ここでもお金が必要なのだ。お金がなければ夢を叶えることも出来ない。その現実に再び突き当たり、少女の中に膨らんでいた夢は一瞬にしてしぼんでいった。
「あれぇ?どうして落ち込んでるのぉ?アリス」
「だって・・・・・・お金が、ひつようなんでしょう?」
少女の言葉に目を丸くしたのはヤマネだった。くっくっと喉の奥で笑うと、ヤマネは少女を励ますかのようにその頭を撫でる。
「この市場でお金なんてがらくたも同然だよ。ここで必要なのは対価だけさ」
「・・・・・・お金、いらないの?」
「もちろん」
「っ――」
ヤマネの言葉に再び少女の顔に笑顔が戻る。相手が幼いということもあり、もう一度ヤマネは少女に願いの確認をした。
「君は魔法使いになって自分を馬鹿にする人達を見返すっていう夢を叶えたい。これがアリスの願いでいいね?」
「うん」
「僕はそれを叶える代わりに、君から対価をいただく。これもいいね?」
「うん!」
「じゃあ、交渉成立だ。チェシャ、アリスの見送りよろしく。僕はまた・・・・・・寝る・・・・・・ぐぅ・・・・・・」
言葉を発しながら眠ってしまったヤマネに目を丸くしていると、チェシャに突然腕を引かれた。引っ張られるがままにホテルを出て、来た道をどんどんと戻って行く。
「ねえ、あたしのゆめはどうなったの?」
「それは元の世界に戻ってからのお楽しみさぁ。こんなところで魔法使いになっても、見返す相手がいないんだからどうしようもないだろぉ?」
チェシャの言葉に確かにと納得をした少女は、市場への入り口まで連れてこられた。とんっとチェシャに背中を押され、よろめきながら誘いの森へと押し出される。
「本日は、お買い上げありがとうございました」
「――え?」
優雅にチェシャが一礼すると同時に、少女は体が一瞬浮いたような感覚がし、慌てて足元へと視線を落とした。なんと、地面がごっそり丸々なくなっているではないか。
「いやっ――」
「もう二度と、会うことはないでしょう」
暗い穴を落ちていく少女が聞いたのは、チェシャのそんな言葉だった。
* *
「―― 、起きて頂戴!」
「んんっ・・・・・・」
軽く頬に刺激を感じ少女は呻きながらゆっくりと目を開けた。ぼんやりと視界いっぱいに広がる母の心配そうな表情を見つめる。少女が目を開けたことに安堵したのか、母はほっと目元を緩めた。
「びっくりしたわ。珍しくお昼寝何かしてるし、呼んでも目を覚まさないんですもの」
「・・・・・・」
ゆっくりと上体を起こす少女に苦笑しながら、母は夕食を作るためにエプロンを肩に掛ける。だが、少女は大好きな母の言葉に一切の反応を示さない。まだ寝ぼけているのだろうと思っている母は、手を洗いながら少女にいつものように声をかける。
「今日はあなたの大好きなシチューよ。―― ?」
突然立ち上がった少女。だが、母が疑問を抱いたのはそこではない。先ほどまで虚ろな表情だった少女が、突然笑ったのだ。それもいつものような明るく温かな笑顔ではなく、凶器に満ちた鳥肌が立ってしまうような笑顔だった。
「ど、どうしたの・・・・・・?」
「おかあさん、あたしまほうがつかえるようになったの」
「何、言ってるの?」
いつも笑って終わるその話題だが、その時母は笑って冗談として終わらせることが出来なかった。貼り付けたような笑みを浮かべる我が子に危険さえも感じ、母は少女から距離を取るかのように古びたシンク台に腰を押しあてる。
「これで、あの子たちにみかえしてやれる」
「っ !待ちなさい!」
制止する母の声を無視して少女は外へと飛び出した。向かう先はいつも少女が遊び、そしていじめられている公園だ。そこには、いつも少女がいるためすぐに去って行ってしまう子供たちが今日は悠々と砂遊びをしていた。
「あ、きたない ちゃんがきたー」
「今日はここ、きれいだと思ったのにー」
子供たちは次々と少女の姿を見て立ち上がる。いつもはその言葉を投げつけられると悔しさから動きが止まってしまう少女だったが、ひるむことなく子供たちの輪へと少女は突っ込んだ。
いつものようにふざけて少女から離れようとした子供達だったが、一人が少女に腕を掴まれ悲鳴にも似た声を上げる。それを聞いて他の子供達はぴたりと動きを止めた。
「な、なに?はなしてよぉ・・・・・・」
「あたし、まほうつかいになれたの」
「は?」
「ばっかじゃないの?まほうなんて使えるわけないじゃん! ちゃん、うそつきだ!」
「うそじゃないよ?」
そう言うと、少女は台所から持ち出した包丁をためらいなく捕まえていた子供の腹部へと突き刺した。子供の腕力だったせいでか、刃は半分も埋まらずに動きを止める。それでも子供達に衝撃を与えるには十分で、公園には悲鳴が響き渡った。
「 !な、何してるの・・・・・・?」
「なにって、まほうだよ?」
少女に追いついた母親は、公園で起こっている惨劇に瞠目し口元を手で覆った。少女のつぎはぎだらけの服は血に染まり、右手からは赤い雫が滴っている。公園のあちらこちらには腹部を赤くしている子供達が転がり、憩いの場であるそこは地獄絵図へと変化し、母親は言葉が出ずその場に座り込んだ。
「あたし、ちゃーんとおねがいしたの。たいかをわたして、まほうが使えるようにしてもらったの」
「な、なにを・・・・・・」
震える声で何とか娘に反応を返す母の目には、涙があふれ出していた。
「言ったでしょ?まほうつかいになって、今まであたしをいじめてきた子たちをみかえしてやるって・・・・・・まほうつかいは、なんでもなかったことにできるんだよ」
「何を、馬鹿なことをっ・・・・・・そんなの、魔法でもなんでもないのよ!?」
涙ながらに叫ぶ母に、どうして?と、少女は首を傾げる。それはいつも少女が見せるあどけない仕草で、母はこれが夢であってほしいと心の底から願った。だが、そんな願いが叶うはずもなく、少女は常時監視付きで精神科に監禁されることになり、両親は慰謝料や世間からの目に耐えられず二人そろって自殺。
「あたしは、あたしはまほうつかいなんだ・・・・・・まほうつかいだから、なんでもできるんだ・・・・・・」
小さな個室のベッドの上で、不気味な笑みを浮かべながら少女はそう呟く。その呟きを聞いているのは質素なホテルのロビーに備え付けられているソファに座ってる少年二人だった。
「・・・・・・ちょっとぉ、また寝てるのぉ?」
少女が映っていたのはヤマネが作り出した鼻ちょうちん。それを突いて割ったチェシャは、ソファにあったクッションで船を漕いでいるヤマネを思い切り殴りつけた。柔らかいクッションとは言えど、それなりの力で殴られればそれなりに衝撃があるわけで。
「うわぁ・・・・・・首がぐきって・・・・・・」
あらぬ方向に曲がってしまった首を押さえながら、衝撃で目を覚ましたヤマネは涙目でそうぼやく。その言葉に興味なさそうに鼻を鳴らすと、チェシャは手を完全に隠し揺れるほどに余っている袖の部分をつまみぷらぷらと揺らす。
「そんなことよりさぁ、君が対価に貰ったのは僕が扱ってる分野だろぉ?頂戴よぉ」
「対価ちゃんとあるの?」
首を押さえたままごしごしと目をこするヤマネの前に、チェシャはどこからともなく光る拳大の玉を投げる。慌てて両手でそれをキャッチしたヤマネは、その玉を見て嬉しそうに笑うと、急いでホテルのフロントへと駆けこんだ。
フロントカウンターの壁際に並ぶ鍵付きロッカーを開けると、ヤマネはそこからチェシャが渡した玉とは少し形が違う玉を取り出すと、それをチェシャへと投げた。雫の形をしているそれを受け取ったチェシャは、満足そうにニヒルな笑みを浮かべ腰を上げる。
「ありがとぉ~。ふぅん・・・・・・あの家族の『未来』ねぇ」
「他力本願で叶う夢は高いからねー」
「君が売ってるのは高級ブランドってことだねぇ」
「けどチェシャの方がもっと高いじゃないか」
「まぁね~。じゃ、僕は持ち場に戻るよぉ。君もあんまり眠り過ぎないようにねぇ。いつか、眠れなくなっちゃうよぉ」
「・・・・・・その時は、アリスが――」
ヤマネの言葉を全て聞く前に、チェシャはドアを閉めた。外に出たチェシャは、淡く緑の光を放つ雫型の水晶のようなものを掲げ、それを見つめてにんまりと笑む。
「綺麗だよねぇ・・・・・・未来って――ん?」
ぱっと顔を上げたチェシャは、ゆっくりと空を見渡す。しばらくそうしていたチェシャは、小さく口端を吊り上げつっと目を細め頷く。
「・・・・・・アリスからの呼び出し、久しぶりだねぇ」
袖に覆われた手を口元にやり、くすくすと笑うと、チェシャは風景に溶け込むようにしてその場から姿を消した。




