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うつろ市場  作者:
5/9

女王様

『女王様』


「――とうさーん」

小さな子供の声にはっとなり顔を上げると、駆け寄ってきた小さな子供を父親が抱き上げる瞬間だった。

「どうした?今日はやけにご機嫌だな!」

「うん!あのね、きょうぼくすごかったんだよ!」

「ん?どう凄かったんだ?父さんに教えてくれ」

「えへへー。あのね――」

そんな微笑ましい会話をしながら公園から去って行く親子。それを眺めていた少年は寂しそうに視線を落とし、胸いっぱいに溜まっていた息を吐き出す。太陽が傾き、世界が赤音色に染まる。少年が少し動くと、古びたブランコからきぃっと独特の音が響いた。

「・・・・・・そろそろ、帰らないと」

膝の上に置いていた鞄を手に取り重い腰を持ちあげた少年は、のろのろと歩き出す。その動きからは、まるで少年が進む事を拒んでいるように見えた。

「ただい、ま」

少年が家にたどりついたのは既に太陽が沈みかけ、紺色に辺りは包まれていた。古い木造のアパートであるため、歩くたびに軋み、もちろん静かに開けたつもりなのに大きな音が出てしまう。

急いで自室に飛び込もうと靴を脱ぐが、時既に遅し。居間から出てきた人物は、少年の顔を見るなり大きく腕を振りかぶった。

「っ!」

ばきっと鈍い音がし、殴られた衝撃で少年は壁に激突する。そんな少年にいたわりの言葉はなく、代わりに罵声が飛んできた。

「なんでいつもこんなに帰るのが遅いんだ!学校が終わったならすぐに帰ってこいと言ってるだろう!」

「・・・・・・ごめん、なさい」

殴られた頬を押さえ、少年は虚空を見つめながら小さく呟く。思い切り殴ったというのにその人物はまだ気が収まらないのか、荒々しく足音を立てながら居間へと戻って行く。それと入れ替わるように台所から出てきた女性が少年の腫れた頬の様子を見て、慌てて清潔な白いタオルを持ってくる。

「ほら、冷やしなさい」

タオルはひんやりと冷えており、殴られて熱を持った頬に心地よい。タオルを女性から受け取ると、少年は頬にそれを当てたまま器用に立ち上がると、鞄を持って自室へと向う。

「あっ――」

「構わないで。母さんまで・・・・・・殴られちゃう」

「っ・・・・・・」

何かを言おうとした母親だったが、少年の言葉に開きかけた口を閉じて黙りこむ。

「料理、続けなよ。あんまり時間掛っちゃうと、父さん怒っちゃうよ」

「・・・・・・頬、冷やしなさいね」

「分かってる」

ドアを閉める時に、背後からぱたぱたとスリッパが擦れる音が聞こえた。少年の母が台所に戻った音だ。

持っていた鞄を机の上に放り投げると、少年は敷いてある布団にごろりと大の字に寝転がった。すぐさまタオルを頬に押し当て冷やしながら、軽く目を閉じて唇を噛み締める。口の中もほんのちょっぴり鉄の味が充満しており、殴られた瞬間にきっとどこかを切ったのだろうと他人事のように考える。

こんな生活がもう二年も続いているのだ。そろそろ、殴られることにも罵られることにも慣れてきた。

「よっ・・・・・・」

両足を上げて、それを振り下ろしながら勢いを利用して上体を起こす。薄暗い室内には月明かりが差し込み、しばらくそれを眺めていた少年は立ち上がると部屋を出た。次の瞬間、居間の方から男性の怒声と女性の悲鳴、そして何かが割れる音が聞こえ、少年は思わず一歩下がりドアを閉めた。

「最近、落ち着いてるって思ってたのにな」

夕食を食べることを諦め、少年は再び布団へと腰を下ろす。制服を身にまとっている少年の体は同世代の男子よりも少し小さめで、学校でもそのことや体中にある痣などでバカにされている。だが少年にとってはもはやそんなことはどうでも良い事で、毎日、ただただ今日が終わってくれることを少年は祈っていた。

「父さんが、寝静まるまで・・・・・・待た、な、い・・・・・・と・・・・・・」

その言葉は途中から音になっておらず、少年はそのまま意識を手放した。


*          *


「・・・・・・誰?」

「ぷっぷー。リアクション薄いねぇ。でも、やぁっと起きたぁ」

目を開けると、見知らぬ子供の顔が目の前にあった。その距離十センチほどだろうか。少年のリアクションが気に食わなかったのか、子供はむすっと頬を膨らませる仕草をするが、その目は笑っており冗談ということが窺える。

「ここは・・・・・・?」

子供の顔を押し返しながら起き上がった少年はきょろきょろと周囲を見渡した。いつの間に移動していたのか、なぜか屋外にいるではないか。

「とうとう捨てられたってことかな?」

眠っている間に父親に捨てられたのだろうかと考えた少年に、子供が奇妙な笑い声を上げる。

「自力で来れないこの場所にぃ?それはないと思うよぉ」

「自力では来れない?どういう意味?」

立ち上がった少年は、服にくっついていた葉っぱは泥を払い落とすと、腕を組んで子供を見た。少年よりも頭一つ分小さいその子供は、見た目年齢からすると小学校低学年ぐらいだろうか。

「ここは願いを持ってる人間が、『誘われる』場所だからねぇ」

両手を広げてくるくると回る子供はまるで踊っているかのようにも見え、とても楽しそうだ。

「誘われる?ここはどこなの?」

少年の言葉にピタリと子供が動きを止める。そのままくるりと少年の方に向き直ると、子供は仰々しく一礼をした。

「うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるから、君のことはアリスって呼ばせてもらうねぇ。ああ、自己紹介はいらないよぉ。本名は簡単に名乗るものではないからねぇ」

「市場?」

チェシャが上を指差したのでその先に視線を向けると、確かに大きな門には『うつろ市場』と不恰好に掘られており、そこが市場なのだと知らせている。門をくぐり市場の中に入ると、夜だというのにお店というお店には明かりがつき、中央にある噴水もライトアップされていた。

「なんで僕、市場なんかにいるの?」

「言ったでしょお。ここは願いある者を誘うんだって。さあアリス。君はどんな望みがあってここに誘われてきたのぉ?」

「望み・・・・・・?」

「そうさぁ。君の奥底~にある望みだよぉ」

立ち上がり、顎に手を当てて悩む仕草をする少年。チェシャはほけほけと笑いながら少年が答えを出すのを待った。

「ん~?ねえ、頬、どうしたのぉ?」

少年の頬がほんのり赤く、少し腫れていることに今になって気づいたチェシャは、そーっとその頬に手を伸ばしながら問い掛けた。慌ててチェシャの手を叩き落とし、少年は頬を手で多いあざを隠す。

「こ、これは・・・・・・ぶつけたの」

「ふ~ん?結構アリスはドジなんだねぇ。じゃ、ここの傷はどうしたんだい?」

「え?」

ここ、と、チェシャが指差したのは少年の左胸だった。だが、そんな所に怪我をした覚えがない少年は自分の左胸を見下ろして首を傾げる。

「ああ、アリスには見えてないだろうねぇ。でも、ここに大きな傷があるのが僕には見えてるんだけどなぁ」

とんとんと少年の左胸を軽く叩きながら、チェシャは口角を吊り上げて笑う。少年は訳が分からないまま、自分の左胸を軽く押さえた。だが、痛みはなく、怪我をしている様子もない。

「本当に、傷があるの?」

新手の詐欺だろうか。少年の心に不信感が湧き上がるのを感じたチェシャは心の中で舌打をした。仕方がない。

「気づいてないようだから、教えてあげるよぉ。ついてきてぇ」

「なんなの一体・・・・・・」

左胸にちらりと視線をやって、それからぽてっぽてっと歩き出すチェシャの後を追う。市場と言うわりには静かなそこだが、少年は夜だからだろうと結論づけていた。噴水の前を通過し、奥へと伸びる道を歩く。しばらく歩くと、突然目の前に大きな城門が現れた。暗くて気づかなかったのだ。

「うわっ」

「ほらほら、早くぅ」

「ちょっと、勝手に入って怒られたりしないの?」

チェシャはさっさと門を開けてしまい、少年は悪い事をしたかのように縮こまりながらチェシャの後に続く。少し進むと、真っ暗だった室内に一斉に灯りが点き、少年はまぶしさから思わず腕で顔を覆った。

「やあ、女王様ぁ」

「女王?」

チェシャの声に腕を退けた少年は、大きなホールの中央にある階段の上に立っている美しい女性へと目を止めた。赤を基調としたドレスに身を包み、凛然と立ち二人を見下ろすその視線は鋭い。その迫力に押され、少年は一歩後へと後ずさった。

「彼女はハートの女王さぁ。この城の主であり、市場の住人だよぉ」

「ハートの、女王?でも住人なの?」

矛盾を感じるチェシャの発言に首を傾げながらも、少年は女王を見上げた。すると、女王の表情が一気に優しいものになり、少年はその変化に目を丸くした。

「よく来たな。歓迎するぞ?アリス」

両手を広げながら階段をゆっくりと女王は下りる。笑みを浮かべる表情は美しく、しぐさの一つ一つが滑らかで優雅。こんなに上品で美しい女性がこの世にいたのかと、少年は女王に釘付けになった。

「して、アリス。どうしたのだ?何をお前は求めている?」

「え?あ、いや、僕は別に・・・・・・」

「・・・・・・頬が腫れておるな。可哀相に」

そっと少年の頬に女王の手が添えられる。じっと赤みを帯びた瞳に見つめられ、少年は耳まで赤くして硬直してしまった。そんな少年の反応が面白かったのか、女王は一瞬きょとんとなり、口に手を当てて上品に笑う。

「ほほほっ。可愛らしい反応だこと。チェシャ、アリスは気付いていなんだか?」

「そこは女王の判断に任せるよぉ」

「ふむ。可愛らしいアリスじゃ。もてなしてやろうかの」

「あ、いや、その・・・・・・僕、早く帰らないと・・・・・・」

もてなすという言葉に過剰に反応した少年は、ごもごもと女王にそう言った。家から離れて大分経ってしまっている。父親にばれたら今度こそぶたれる程度では済まないだろう。そんな少年を見て、女王はつっと目を細めた。

「・・・・・・帰らずとも良いのだぞ?」

「え?」

「帰らず、我と共にここで過ごさぬか?アリスのような可愛い者ならば、我は大歓迎するぞ?」

「けど・・・・・・」

「アリスを傷つけるような者の所へ戻ってどうするのだ?またひどい仕打ちに耐えながら生き続けるのか?我はそのような所にアリスを返したくはない」

そう言うと、女王は少年を優しく抱きしめた。久しぶりに感じる人肌に、少年は心が安堵するのを感じた。

「アリス、我とここに残らぬか?」

甘く耳元で囁かれ、少年は一瞬イエスと答えそうになった。が、ぐっとその言葉を飲み込み、残されている父と母を思い浮かべる。父も昔はあんな人ではなかった。元々神経質ではあったが、母や自分にとても優しく、仕事も出来て尊敬出来る人だったのだ。

しかし、失業の波に呑まれ父は職を失い、腰が悪かった父を正規で雇ってくれるような会社はなく、それから父は荒れていった。

「・・・・・・父と、母を二人きりには・・・・・・僕には出来ない」

どんなにひどいことをされても、どんなにひどいことを言われても、少年にとっての父と母はあの二人だけなのだ。それに、いつかまた昔のような家庭に戻れる。少年はそう信じて疑わなかった。自分が働くようになってから、絶対に両親を楽にしてあげるのだと。

「そうか、残念だよアリス。しかし、アリスがそう望むのならば我は止めるまい。アリス、お前の願いを我が叶えてやろう」

「僕の、願い・・・・・・」

「それ相応の対価と引き換えに、お前が一番望むことを我は与えてやれるのだ。さあ、アリス、願いを我に教えておくれ?」

女王の言葉に、少年は目を閉じて深呼吸をした。何よりも、今自分が欲しいもの。それは――

「父の・・・・・・父さんからの、優しい言葉、とかかなあ」

ぽろりと少年の瞳から涙た零れた。公園で出会った男の子のように、父から声を掛けてもらいたい。温かな言葉で包んでもらいたい。罵声ではなく、刃物のように鋭くない言葉がほしい。父からの愛が欲しい。

少年の涙をそっと手で拭うと、女王は一つ頷いた。

「アリスの願い、聞き入れた。対価はいただこう。猫よ、アリスのお帰りだ」

すっと女王の手が頬を離れ、少年はチェシャに腕を引かれた。女王はゆっくりと階段を上り、少年はまだ滲んでいる視界でそんな女王の背中を見つめる。チェシャに強く引っ張られ、少年が顔を前に向けると同時に後で城の扉が閉められた。

「ねえ、どうして女王は寂しそうだったの?」

「・・・・・・さあ?僕には分からないことだよ。さ、着いたぁ」

「わっ」

とんっとチェシャに背中を押されると、そこは街の外だった。振り返って顔を上げてみると、そこには市場の入り口となっているアーチがある。市場と森の境目の真上にあるアーチを挟み、市場側にチェシャ、森側に少年が立ち向かい合う。

「お買い上げ、ありがとうございました。もう二度と会うことはないでしょう」

「え?ぅ・・・・・・わっ!」

ぱちんとチェシャが指を鳴らすと、少年が立っていた足場が消えた。正確には、大きな穴が現れ、少年はまっさかさまにその穴の中を落ちていく。最後に少年が聞いたのは、チェシャの「首が残って良かったね」という言葉だった。


*           *


「んん・・・・・・?」

「ああ、良かった。目を覚ましたのね?あなた、目を覚ましたわよ!」

意識がまだはっきりしない少年の耳に、聞きなれた母の声が飛び込んでくる。どうやら、眠ったまま起きない少年を心配してくれていたらしい。目を開けると電灯の明かりが目に飛び込み、少年は目を細めながら上体を起こした。

「呼んでも全然起きないんですもの。どこか具合が悪いところはない?」

「ううん・・・・・・母さん、僕、夢を見てたんだ」

「夢?まあ、この子ったらそんな些細なことで私の手を煩わせるなんて、ほんとあの人の子ね」

「――え?」

一瞬、母の言葉が母の言葉に少年は聞こえなかった。言葉に氷のような冷たさを感じ、少年の動きが止まる。母親はその言葉を残して、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「気のせい、だよね」

そう自分に言い聞かせ、少年はゆっくりと部屋から出る。狭い今には父が座っており、少年は夢の中の出来ごとが本当になればいいのにと思いながら、その向かい側へと腰を下ろした。

「・・・・・・気分は大丈夫なのか?」

「え?あ、はい・・・・・・その、心配かけてごめんなさい」

父の珍しい言葉に戸惑いながらも、少年はいつもの癖で謝った。そんなしぐさを見せる少年に父は目を丸くし、そんな父の反応に今度は少年も目を丸くする。

「そんな謝る必要はない。親子なんだから心配して当然だろう?」

「っ・・・・・・」

ああ、あの夢は夢ではなかったのだ。

その時少年は確信した。今まで何度も夢見た父からの温かな言葉。父との思い出が記憶とともに薄れ、もう二度と来ないだろうと思っていた時間に対しての期待が膨らむ。

そんな父の反応が嬉しくなった少年は、その感動を母と共有しようと、母がいるキッチンへと駆けこんだ。

「母さん、父さんが今――母さん?」

少年が声を掛けると同時に、母がぴたりと動きを止めた。指でも切ってしまったのだろうかと少年が近寄ると、高い位置から思い切り包丁が振りおろされ、魚の頭が胴体から切り離される。

今まで何度も母の料理を手伝ってきた少年だったが、母がそのような行動をするのは初めてのことで、少年は母を見つめたまま硬直した。

「母、さん?」

「さっきからうるさいわねあんたは本当に」

「――え?」

「あいつにあんたが目を開けないなんて言われたから、ついに死んだんじゃないかって見に行ってみると夢見てたなんて馬鹿なこと言われるし、次は何?一体何回あたしの邪魔をするつもりなのよ!」

「ぼ、僕そんなつもりじゃ」

「だったら黙って座ってなさいよ!何?ご飯いらないの?だったらもう作らないわよ。面倒臭いし」

「母さん?ねえ、どうしちゃったの?」

これでは前の父と同じだ。苛立つ母を宥めようとするが、それが逆効果となり母の機嫌はどんどんと悪くなる。最終的に父が登場し、少年は自室に戻るようにと遠まわしに邪魔扱いされてしまった。

「・・・・・・母さん、どうしてこんな・・・・・・」

どうして父が優しくなり、母が乱暴になってしまったのだろうか。夢でのことが現実になったのだとすれば、少年が願ったのは父が昔のように優しくなってくれることだけだ。

「・・・・・・対価?」

布団の上で膝を抱え、それに額をつけていた少年ははっと頭を上げた。女王の言葉が甦り、願いを叶える代償を奪われたことを思い出す。

「お金、持ってなかったからなのかな・・・・・・」

それ相応のお金を持っていれば、母があんな風になることはなかったのだろうか。

「っ・・・・・・うぅっ、うくっ・・・・・・」

こんな風になるのならば、女王の傍に残ることを選べば良かった。そんなことを思いながら、少年は母の耳に届かないように声を殺して泣いた。

「だから言ったのだ。我とここに残らぬか、と」

つっと綺麗な指先がカップの縁を撫でる。しなやかな動きで紅茶に浸かっていたスプーンを動かすと、揺れる水面の中で泣きじゃくる少年の姿が消えていく。悲しみに染まった紅茶をゆっくりと口元へと運ぶと、作りたてのアップルパイを一口食べ、女王は向かい側でクッキーをむさぼる猫へと顔を向けた。

「残念だよ。飾るにはうってつけだったというのに」

「いい加減首を刈る趣味やめたらぁ?血濡れの女王様」

チェシャの嫌みな言い方に、女王は喉の奥で笑うと綺麗な唇を吊り上げ笑う。

「何を言う。頭は全てを司る部位ぞ?我は愛を売買する者。我と居ることで永遠の愛情を手に入れることが出来るのだ。これほど幸せなことはあるまい?」

「僕にとってはただの悪趣味な飾りものさぁ。紅茶のおかわりぃ」

「そこのポットにいくらでもある。――アリスの幸せを望んであげたというのに・・・・・・残念だよ」

「怖い怖い、だねぇ。さぁて、僕は次のお客様の為にそろそろ門へと戻るとするよぉ。御馳走様ぁ」

かちゃんと雑にカップを受け皿の上へと乗せると、チェシャは椅子から飛び降りて部屋から出ていこうとする。チェシャがドアノブに手を掛けた瞬間、短く女王はチェシャを呼びとめた。

「――先生が、探しているようだよ?『アリス』を」

「・・・・・・知ってるよぉ?でも、ここは『アリス』だけの世界。『アリス』が導くのなら、僕は案内するだけさぁ」

「・・・・・・また美味しい紅茶を用意しておくよ、チェシャ猫」

「楽しみにしてるぅ」

そう言い残し、チェシャは部屋から出ていった。空になったグラスをそっと置き、女王は小さく息をつく。

「我が一番幸せを願うのは――」



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