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うつろ市場  作者:
4/9

トカゲ

『トカゲ』


「聞いて聞いて、  ちゃん!昨日私がずっと欲しがってたお洋服、お母様が買ってくださったの!」

「本当?良かったね!」

「うん!」

私達はいつも一緒だった。

「ねえねえ、  ちゃんは私とずっと一緒にいてくれるよね?」

「もちろんだよ!私、××ちゃんのこと大好きだもん!」

「私も、  ちゃんのことだーい好き!」

顔を見合わせて笑う二人の少女は本当に幸せそうで、二人はそんな毎日が続くと思っていた。そんなある日――

「・・・・・・え?」

「××ちゃんとそのご両親が乗った車が崖から落ちたそうよ・・・・・・××ちゃんは命だけは助かったけど、ご両親は・・・・・・」

その事故から、私達の関係は歪み始めた。


*          *


「××ちゃん、お見舞いにきたよ」

ベッドの上で眠る親友は死人のように白く、規則的に鳴る機械音だけが彼女が生きていることを教えてくれる。

「お水、変えてくるね」

疲れた笑顔で眠る少女にそう言うと、少女は花瓶と花を持って病室から出た。事故からすでに一週間が経った。頭を強く打ったらしく、親友は未だに目を覚まさない。昔から親しい仲にあった少女の両親が親友の両親の葬儀を行い、無事に親友の両親は弔われた。

「いつになったら、××ちゃんは起きてくれるのかなぁ」

花瓶の中にある水を捨て、新しい花を綺麗に活けると水を注ぐ。少し枯れてしまっている花をゴミ箱につっこみ、少女は再び親友の病室へと戻った。移動式の机の上に花瓶をそっと置き、椅子に腰掛けて親友の顔を見つめる。

「ねえ、早く起きて。また一緒に遊ぼう。また一緒に笑おうよ。私・・・・・・××ちゃんの笑顔好きなんだ」

少女の呟きは彼女には聞こえない。医者も、いつ目を覚ますか分からないと言っていた。下手すると、一生このままかもしれない、とも。

「今日ね、学校でテストがあったんだよ。××ちゃんが得意な理科でね、私苦手だから半分も解けなかったんだあ。だから、目が覚めたらまた教えてね」

聞こえなくても、少女は語りかけ続けた。そのうち、呆れたような返事が返ってくるのではないか。いつものように笑顔でからかってくれるのではないかと思って。

「それでね、先生がね・・・・・・っ・・・・・・ひっくっ・・・・・・××ちゃん・・・・・・ねえ、起きてっ・・・・・・起きてよぉっ」

ぼろぼろと涙が零れ落ちる。冷たい親友の手を両手で包みこむと、その手に額を当てて少女は泣き出した。医者は、少女と少女の両親にこのような説明をしていた。

「彼女の怪我は、あまり大きいものではありません。きっとご両親が庇われたのでしょう・・・・・・ただ、そのせいでもしかしたら彼女はご両親が亡くなる瞬間を見ている可能性があります。心の傷が癒えない限り、目を覚ましても彼女は――」

大好きな両親が目の前で死ぬのは一体どんな気持ちだったのだろうか。もし彼女を庇ったせいで彼女の両親が死んだとしたら、きっと彼女は自分を責め続けるだろう。身動きが取れない状態で、死んだ両親と一晩過ごした親友の気持ちを想像し、少女はさらに涙を溢れさせた。

目を覚ますことと、このまま眠り続けること、どちらが幸せなのだろうか。自分なら、どっちを望むだろうか――


*          *


「っ!」

いつの間にかうつぶせになり眠っていることに気づいた少女は、勢いよく頭を上げた。よくわからないが、どうやら外で眠ってしまっていたらしく、コンクリートの上に眠っていたせいで体のあちらこちらが痛い。

「ここ、どこ?」

辺りを見渡しながら、少女はコンクリートの建物に目をやった。一体どれだけの高さがあるのかと顔を上に向けるが、霧の中にまでつっこんでいるその建物に終わりは見えない。

「何階建てなんだろ・・・・・・」

ぽつりと呟いた少女は、口を開けたまましばらく上を見つめていた。

「ひゃっ!」

急に地面が揺れ、バランスを崩した少女は尻餅をついてしまう。

「いたたたたた・・・・・・」

打ちつけたお尻を押さえながら、少女は断続的に続く揺れとそして徐々に近づいてくる大きな音に恐怖心を募らせる。一体ここはなんなのだろうか。

「あーやぁっと見つけたぁ」

「え?きゃあっ!」

空から降ってきた声に首を傾げていると、少女は突然何かに腕を掴まれそのまま持ち上げられた。じたばたと暴れてみるが、腕を掴んでいる何かは放してくれる気配はない。

「ほらほら暴れなーい」

「きゃああああああああっ!」

目の前に突如現れた顔。反応するがままに悲鳴を上げた少女の声に、チェシャは思わず片耳を塞いだ。

「うるさいなぁ。ま、いいけどぉ。さて、うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるんだぁ。ああ、自己紹介はいらないよぉ。本名は簡単に名乗るものではないよぉ」

「うつろ、市場?」

「この市場の名前さぁ」

チェシャの手の上に乗せられた少女は、目の前に広がる光景に息を飲んだ。大きすぎてよく分からないが、目の前にあるのは噴水だろうか。左右には色々なお店が並んでおり、まぶしいくらいに明かりが点けられている。

「この市場はどういう市場なの?」

「願いや欲しいものを売買している市場さぁ。アリス、君も何か欲しいものがあるんじゃないかい?」

「願いや、欲しいもの?それは、お菓子とかおもちゃとかじゃなくてもいいの?」

大きな目をくりくりさせながら、少女は首を傾げた。幼いが故の純粋さが見え隠れし、チェシャは嬉しそうに笑う。

「そうだよぉ。例えば、お母さんの愛情とか、死んだおじいちゃんとかねぇ」

「うーん・・・・・・残念だけれど、お母様は私を愛してくださってるし、お爺様のことは私よく知らないの」

「例えば、だよぉ。アリスのお願いはなぁに?」

「うーん・・・・・・分からないわ」

困ったように頭を抱えるアリス。それを見て、チェシャはどうしようかと考えた。幼すぎて自覚がないのだ。その心にはとてつもなく大きな願望を抱え込んでいるくせに、それが願望なのだと気づいていない。面倒ではあるが、それを自覚させる必要があるため、チェシャはあえてそれに関連する話題をふっかけた。

「アリスは今、悩み事はないのぉ?それを解決するっていうのも、立派な願望なんだよぉ」

「悩み・・・・・・そうだわ、ねえ、チェシャさん。私の悩み、聞いてくださる?」

「もちろんだよぉ」

そう言うと、チェシャはアリスを手に乗せたまま噴水へと向った。静かに水を流し続ける噴水に背を向け、泉を囲うブロックに腰掛ける。誤って少女を落としてしまわないように両手で少女を持つと、チェシャは話を聞く体勢をとる。チェシャの手の上に座った少女は、ぽつりぽつりと親友のことを話し出した。

「――というわけなの。私、あの子のために何かしてあげたい」

「それが君の願いかい?アリス」

「ええ、きっとそうだと思うわ」

しっかりと頷く少女に、チェシャは困ったように口をへの字にした。

「けどね、アリス。ここでは曖昧な願いは聞き入れてもらえないんだぁ。ただ親友を助けたいっていうだけじゃ、ダメなんだよぉ。例えば、目を覚まさせてあげたいとかぁ、具体的なお願いじゃないとダメなんだぉ」

「具体的なお願い・・・・・・」

チェシャの言葉に、少女は視線を落として黙りこんでしまう。考えているのだろうと判断し、チェシャはじっと少女が口を開くのを待った。

助けたい。けれど、どうすれば助けられるのだろうか。しかし、助けるというよりも、自分が考えていることは、あの子の苦しみを取り除いてあげたいということだけ――

「そうだ、私はあの子の苦しみを取り除きたいだけなの。××ちゃんが苦しまなくて良いようにしたい。それが、私の願いなのチェシャさん。それでもダメ・・・・・・?」

「さっきよりは具体的になったねぇ。まあ、それで良いと思うよぉ。それじゃあ行こうかぁ」

「お願いします」

肩へと乗せられた少女は、振動で落ちてしまわないようにしっかりとチェシャの服を掴む。少女にとっては気が遠くなるような距離でも、いつもの大きさであるチェシャにとっては短いものであっという間に目的地にたどりついた。が、チェシャが立っているところにお店はなく、目の前には壁がたちふさがっている。

「あの、チェシャさん?ここ、壁ではないですか?」

「そうだねぇ。でも、ここなんだぁ。ちょっとアリスは下りててねぇ」

そう言うと、チェシャは一旦少女を地面へと下ろした。大人しくチェシャに従った少女は、自分よりも何倍も大きいチェシャを見上げてその動向を見守る。

ポケットから小瓶を取り出したチェシャは、きゅぽっと軽い音を立ててその蓋を開けると、中身を一気に飲み干した。

「わっ」

すると、チェシャの体が急に光だし、まぶしさのあまり少女は思わず顔を手で覆う。しばらくすると光は収まり、そろそろと手をどかした少女は目を丸くして目の前の人物を見つめた。

「チェシャ、さん?」

「これ、縮む薬なんだぁ。アリスがどうして最初から縮んでたかは分からないけれど、きっと深層心理が影響したんだろうねぇ」

「しんそーしんり?」

首を傾げて聞いてみるが、返ってきたのは視線だけ。その反応に寂しさを感じながらも、少女はチェシャに続いて歩き出す。チェシャが入っていったのは壁の間に出来ている亀裂の中で、薄暗いトンネルのようなそこにはなぜかところどころにランプが垂れ下がっている。

「ここ、誰か住んでるの?」

独特の湿気を含んだ生暖かい空気に不快感を抱きながら、少女はチェシャに聞いた。

「そうだよぉ。あ、見えてきた見えてきたぁ」

チェシャの言葉に視線を前に戻した少女は、そこにいるであろう人――いや、生き物に思考が停止した。

「ハロービル。調子はどうだい?」

「ひひひっチェ、チェシャか?お前さんがここにくっくる、ってことはアアアリスかな?」

「あったりぃ。アリス、こいつはビルって言って・・・・・・アリス?」

ビルを見つめたまま硬直してしまっているアリスを見て、チェシャは頬をかいた。

「ひひひひひっ。アアアリスはおいらが苦手みっみたいだなっ」

「見た目なんて気にしなくていいのにねぇ。アーリスー?」

ひらひらと目の前で手を振ってやると、ようやく少女はチェシャの方を見た。その目には涙が浮かんでおり、少女がトカゲを苦手としているということが分かる。ぱくぱくと口を動かし何かを伝えようとしている少女に、チェシャは耳を近づけた。

「んー?・・・・・・ビル、背中向けててもいいかって言ってるよぉ」

「きひひひひっ!背中っ!背中を向けるっ!?お、おいらは別に構わないさ。人間の礼儀なんてしし知ったこっちゃないからなっ」

「良いってさぁ」

許可が下りると同時にくるりと後ろを向いた少女は、視界からあの独特の皮膚や目、舌が見えなくなりほっと息をつく。

「それで?アアアリスはおいらに何をお求めなっなんだ?ひひっ」

「アリス、君の願いをビルに伝えてごらんよぉ。ビルが取り扱ってる願いだったら、叶えてもらえるよぉ」

「やけに曖昧だなぁチェ、チェシャ猫さんよ、ひひひっ」

「まあねぇ。僕だって分からなくなる時ぐらいあるもんさぁ」

後ろで繰り広げられるのん気な会話に困惑しながらも、アリスはビルに背を向けたまま自分の考えを告げた。少女独特の高い声はトンネル内に響き渡り、反響した音が少し遅れて帰ってくる。ビルはこの壁の奥底に住処を構えており、小さくならなければ住人ですら入ることは出来ない。

「私の願いは、親友が苦しみから解放されることなの」

「ひっ・・・・・くくっ苦しみからの解放、か・・・・・・ひひひひひひっ中々と面白い願いじゃないかっ」

「取り扱ってるぅ?」

「おいらのところじゃなくても、ウウウサギのところでもよ、良かった気がするけどなっ。まあ、おいらでもそれはかか叶えてやれるぜ、きひひひひひひひひひひっ」

「ほんと!?」

「良かったねぇ、アリス」

「うん!」

ビルを視界に入れないようにしながらチェシャの方を向いた少女は、うっすらと涙を滲ませた瞳を輝かせる。

「それじゃ、ちょ、ちょっくら働こうか。アアアリス、君が戻る頃にはちゃんと望みはかか叶ってるから安心しなっ。対価はその時にい、いただいておくよ、ひひひっ」

不気味な笑いを残して、ビルは壁を伝ってどこかへと去って行った。

「それじゃあ出ようか、アリス」

「・・・・・・う、うん」

結局まともに顔を見てお礼を言えなかったことを残念に思いながら、少女はチェシャと共に外へと出た。入ってきた時とはまた違う色をした小瓶をポケットから取り出すと、チェシャは再びそれを一気に飲み干す。

「元に戻ったね」

「これは肥大薬さぁ。さ、出口まで連れて行ってあげるよ、アリス」

「うん」

差し出された手の上に乗り、少女はチェシャに運ばれる。

「ねえ、チェシャさん。たいかってなぁに?」

「んー?君達は物を買う時、それに見合ったお金を払うだろぉ?そういうことさぁ。品物と同じ価値のものを支払うってことぉ」

「じゃあ、私もお金を払わないといけないの?」

「お金はいらないよぉ。ただ、願いに見合った対価を払わなくちゃいけないだけさぁ」

チェシャの言葉の意味を理解できなかった少女は、うーんと頭を抱える。それを見てくすくすと笑ったチェシャは、足を止めてアリスを自分の方へと向かえた。

「これだけは覚えておいてぇ。大きなことを叶えるためには、大きな代償が必要なんだよぉ」

「だい、しょう・・・・・・」

「そうさぁ。今回の君の願いも、代償と共に叶えられたんだぁ。それが何かは言えないルールだけどねぇ。ま、戻って見れば分かるよぉ」

「え?ちょ、チェシャさん!?」

にんまりと笑ったチェシャは、そのまま徐々に手の角度を上げていく。最初は袖に掴まっていた少女だったが、角度が九十度になると同時にチェシャの手から滑り落ちた。

「いやああああああ!」

地面に叩きつけられる。そう思っていた少女は、突然ふっと視界の半分が暗くなったことに気がついた。そう、穴の中へと落ちていっているのだ。

ぽっかりと空いた穴から覗き込んでくるチェシャは、満面の笑みでひらひらと手を振っている。

「お買い上げ、ありがとうございました。もう二度と会うことはないでしょう」

「チェ――」

手を伸ばしながらチェシャの名前を呼ぼうとしたが、それよりも先に視界がブラックアウトした。


*          *


「んう・・・・・・」

目を覚ました少女は、薄らと目を開けながら頭を持ち上げた。窓から入り込む光に一瞬視界を奪われ、右手で目を軽くこする。大きなあくびを一つすると、少女はそこが親友の病室であることに気づきはっとなった。

「私、寝ちゃってたんだ・・・・・・」

左手はしっかりと眠っている親友の手を握り締めており、少女は静かに目を閉じている親友の頬にそっと触れた。病的なほどに色は白いが、ほんのりと温かく彼女がまだ生きていることを教えてくれている。

「そろそろ帰らないと・・・・・・また来るね」

そう呟くと、少女は足元に置いていた鞄を手に立ち上がった。病室を出ようとドアに手をかけた瞬間、ぎしっとベッドが軋む音がする。振り返ってみると、いつの間にか親友が目を開け、上体を起こしていた。あまりにも突然の出来事に少女は思考を混乱させるが、すぐに我に返ると鞄を投げ出して親友に駆け寄った。

「××ちゃん!目を覚ましたのね!良かった・・・・・・っ!」

力一杯に親友を抱きしめる少女の涙が彼女の服に染みを作る。しばらくそうしていた少女だったが、ふと違和感を感じ体を放す。

「・・・・・・どうしたの?」

眠り続けていたせいでか、彼女の反応が薄い。いや、薄いというよりも全くない。顔を覗き込むと、そこには何の表情もなくただじっとベッドを見つめる虚ろな目だけがあった。

「××、ちゃん?」

名前を呼び軽く揺すっても反応はない。

「ねえ、どうしたの?何か言って」

少し強めに揺すると、のろのろと彼女は顔を上げた。まるで人形のような目を向けられ、一瞬だけひるむが少女はそれでも彼女に話しかけた。

「私のこと、分かる?  だよ」

「・・・・・・  ちゃん?」

「そう!良かった。何にも反応してくれないからちょっとびっくりしちゃったよ」

「びっくり・・・・・・?」

反応を示してくれたことに安堵しながら笑いかけると、彼女はかくんと首を傾けた。

「そう、びっくり――あ、えっとね、その・・・・・・××ちゃんのことなんだけど、退院したら私の家に一緒に住む事になったよ」

「××ちゃんの、家に?」

抑揚がない淡々とした口調の彼女に少女は明るく振舞う。

「そう!これから一緒に暮らせるんだよ!」

いつもは夕方までしか一緒に入れなかった。なので、これから眠る時も、朝起きた時も一緒に入れるということが少女は楽しみで仕方がなかったのだ。もちろん、彼女も喜んでくれると思っていた。だが、返ってきたリアクションはあまりにも冷めたもので、少女は悲しそうに言った。

「嬉しく・・・・・・ない?」

「うれしい・・・・・・うれしいって、何?」

「・・・・・・え?」

「何をそんなにわらっているの?うれしいって何?」

「××ちゃん、嬉しいっていう気持ち、分からないの?」

「きもち・・・・・・?」

まるで初めて聞いたかのような反応に、少女は驚きが隠せなかった。とりあえずナースコールを押して看護婦と先生を呼ぶと、彼女の様子を担当医に伝える。担当医は一冊の本を持ってくると、それを広げて彼女の前へと差し出した。

「この絵が何をしているか分かりますか?」

そう、その本は精神系の病気を抱える患者に使う本で、色々な感情を表した動作や表情をしている絵が乗っているものだ。怒りの感情を露わにしている少年が描かれているのだが、彼女は首を傾げるだけ。その他にも悲しみ、楽しみ、喜びなどが表現されている絵を見せても反応は全て同じだった。

「感情の全てが抜け落ちてしまっているようですね」

悲しそうに目を伏せる担当医と看護婦に、少女はそんなっと、悲鳴に近い声を上げる。

「何とか、何とかならないの先生!もう××ちゃんはずっとこのままなの!?」

「分からない・・・・・・事故と両親の死でのショックが影響しているとは思うのだが・・・・・・ここまで重度なのは初めてだ。まさか負の感情さえも残っていないとは・・・・・・。負の感情の中でも悲しみなんかは残っていることが多いのだが」

「負の、感情?」

その言葉を聞いて、少女はどくんと心臓が跳ねるのを感じた。

『親友が苦しみから解放されること』

その願いを、あのトカゲのビルは叶えてやったと言っていた。そして、その対価も頂いたと。その願いを叶える意味は?その対価となったものは?

「私――私の願いのせい?」

その時になり、ようやく自分がしでかしてしまったことに気づいた少女は、泣きながら親友に飛びついた。医者と看護婦は顔を見合わせると、静かに病室から出ていく。そのことに気づかなかった少女は、嗚咽を漏らしながら何度も何度も親友に謝った。

「ごめんっごめんなさっ・・・・・・私、助けたくてっ・・・・・・」

「・・・・・・何をないてるの?」

聞こえてくる無機質な声がさらに少女の傷をえぐる。そう、彼女が苦しまなくて良いようにと、言葉の通り『苦しみを感じるもの』を消してしまったのだ。彼女のその他の感情を代償に。きっともう、大好きな笑顔が花開くことはない。

「っ――――」

声にならない悲鳴が病室の空気を震わせた。

水面に映るそれを眺めていたチェシャは、ふんっと軽く鼻を鳴らし立ち上がる。

「珍しいなあ。君が肩入れするなんてね」

「なんだぁ、見てたの?ハンプティ」

視線を上げると、噴水の中央にある銅像の上に座る人物がいた。片足しかないその中年の男性は、器用に杖を使って立ち上がると銅像の上から飛び降りる。そのふくよかな体型を活かして数回地面を跳ねると、ぱたぱたとスーツから埃を落としてハンプティはチェシャに近づいた。

「一応ここは私のテリトリーなんでね。ここで会話をしていた君が悪い」

「だってぇ、他に丁度良い場所なかったんだものぉ」

「まあ、それは言えているな――今回のアリスは少しばかり似ていたな」

「・・・・・・そ~お?そうでもないかもよぉ」

意味有り気に囁くハンプティに、チェシャはおどけたように肩をすくめて見せる。だが、その行動がむしろ肯定を示しているように見え、ハンプティは口ひげを揺らして笑った。

「そうでもなければ、君が他人の話を大人しく聞くものか!まあ、私も似ていると思ったよ」

「外見年齢だけ、ねぇ」

「それと、あの聡明そうな口調もな」

いじわるなハンプティの言い方にそっぽを向いたチェシャは、そのまま噴水を後にする。持ち場である市場の出入り口に戻ろうとしたチェシャは、壁にあるものを見つけて足を止めた。

「あれぇ?ビル、そんなところで何してるのさぁ?」

「お?チェ、チェシャかい?ひひったまには散歩でもしししようかなってねっ」

ビルは薄暗く湿ったところを好むので、あまりあの壁の中から出てこようとはしない。ちょろちょろと壁を伝っているビルを手の上に乗せると、チェシャはビルにたずねた。

「ビルが今回貰ったもの、何なのぉ?」

「ひっひひひっ!あの娘の感情全てさっ。くっ苦しみを感じなくするために、くっ苦しいと思う心を消してやった。それと同時に、他の感情をぜぜぜーんぶおいらがいいいただいたっ」

このトカゲが扱う商品は、あまり入手される機会がない。本来ならば、自分が扱う商品を対価として貰うことは許されないのだが、ビルだけはその逆で自分が扱う商品しか対価にできない。

「アリスから対価を貰うんじゃなくて、アリスの大事な人から貰うっていうのが皆のひねくれたところだよねぇ」

「ひひひひひっ!それが一番こっ壊れやすいからな。どうだい?アアアリスの様子は、きひひっ」

「きっと罪の意識を感じながら生きていくんだろうねぇ」

「ひひひっひひひひひひひっ」

不気味に笑うビルを壁に戻し、チェシャは真っ暗な空を仰いだ。この市場を覆う夜は決して明ける事はなく、チェシャ達は太陽を見たことがない。見るつもりもない。

だってそれは――

「僕は持ち場に戻るよぉ。ビルもほどほどにねぇ」

「あいよ。じゃあな、チェ、チェシャ猫さん」

せかせかと壁を移動したビルはすぐにどこに行ったか分からなくなってしまう。一人になったチェシャは小さく息をつくと、何か歌のようなものを歌いながら歩き出す。それは、昔聞いた子守唄。

「――そろそろ気づく、かなぁ」

悲しげな笑みを一瞬だけ浮かべると、チェシャは再び歌い出す。それは静かな市場に消えていった。



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