表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うつろ市場  作者:
2/9

マッド・ハッター

『マッド・ハッター』


「じゃあ、行ってくるよ」

「ええ、気をつけて行ってらっしゃい」

挨拶を交わすと、二人の男女は軽いキスをする。男性はドアをくぐり外へと、女性はドアを閉めると中へと戻った。近所でも仲が良いことで評判だったこの夫婦は、ある日突然険悪の仲となってしまう。それは、男性が無くしてしまったあるものが原因だった。


*          *


妻と喧嘩をしてしまってから一週間が過ぎた。家事はこなしてくれるものの、会話はなくぎくしゃくとした雰囲気が家中を漂っている。そんな生活に嫌気がさしてきたある日、男はいつも通りベッドに入り眠りについた――はずだった。

「・・・・・・ここはどこだ?」

ふと気が付くと見知らぬ森をさ迷っていた。そこまでどうやって来たかも分からない男は、きょろきょろと森を見渡す。薄暗いそこには人っ子一人おらず、とりあえず男は歩を進めた。

しばらく歩くと木々の間から何か建物のようなものが見えた。駆け足気味にその建物へと近づくと、男の目に飛びこんできたのは大きなアーチだった。

「うつろ・・・・・・市場?」

聞き慣れない名前に首を傾げながらも、男はアーチをくぐる。そこは闇夜に包まれた市場だった。左右に弧を描きながら並ぶ建物全てに灯りがついており、中央にある噴水も美しくライトアップされている。市場の奥にはお城でもあるのか、とても大きな建物が静かに佇んでいた。

「市場というわりには静かだな」

そう、道を歩いているものどころか、外に誰もいないのだ。名前とは裏腹の静寂な空気に薄気味悪さを感じた男は、そこから離れようと振り返った。すると、いつの間にかそこには少年が一人立っているではないか。

「ぅわっ!」

驚いた男は、尻餅をついてしまう。そんな男に少年はくすくすと袖で口元を覆って笑った。

「驚かせてごめんねぇ。うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるから、そこんとこよろしくぅ。あ、自己紹介はしないほうがいいよぉ」

「ちょっと待ってくれ。アリスって、私は男だぞ」

客に呼び名をつけるとは変わった市場ではあるが、アリスというのはそもそも男に付けるような名前ではない。打ちつけた尻を押さえながら立ち上がった男は、自分の腰ぐらいしかない少年を睨みつけた。

「アリスが男か女かなんてどうでもいいことだよぉ。それは勝手な固定概念さぁ。お客の呼び名は必ずアリス。ただそれだけのことだよぉ」

その容姿にそぐわない難しい言葉を使う少年に、男は眉根を寄せる。だが、確かに言われてみるとそうなのかもしれないという気持ちが男の中で生まれた。

「じゃあアリス。君はどんな望みを持って、この市場へと誘われてきたのぉ?」

「望み?」

「望み無き者はこの市場にはこれないからねぇ。叶えたい願いがあるんだろう?」

「願い?・・・・・・それはなんでも叶うのか?何でも手に入るというのか?ここは」

詰め寄る男ににやりと笑ったチェシャは一つ頷いて両手を広げた。

「ここはいろーんな望みを売ってるのさぁ。思い出、大切な物、命さえもねぇ」

「・・・・・・失くしたものも見つかるのか?」

男の言葉にチェシャはきらりと目を光らせる。にひるな笑みを浮かべると、チェシャは楽しそうに笑った。

「それくらい見つかるよぉ。対価は必要だけどねぇ」

「金か?どれくらいかかる?」

自分の持ち金や貯めている預金を思い出しながら男が聞くと、チェシャは奇声を上げて笑った。その声の気持ち悪さに男は無意識に後ずさる。

「この市場でお金なんてただのがらくただよぉ。この市場が売買してるのはそういうものじゃないからねぇ。アリスの欲しいものに応じた対価を貰うのさぁ」

「対価?お金以外のものを貰うということか?」

「それは売買人が決めることだよぉ。さあ、言ってごらんよぉ。僕がそれに見合うものを売ってくれるお店に連れて行ってあげるからぁ」

甘ったるい猫の声は、男の願いを駆り立てる。

「・・・・・・私は、」

大分悩んだあげく、男は小さな声で途切れながら話し出す。それを一言一句聞き逃さないように、チェシャあ男の話しに耳を傾けた。

「妻とおそろいの・・・・・・結婚指輪を・・・・・・失くしたんだ。あれは、あれは事故だった。私にはどうすることもできなかったんだっ!」

後半は男の言い訳ともとれる訴えだった。だが、チェシャにとってそれはどうでもいい事であり、大事なのはアリスの望みだけ。

「なのに、なのに妻は私を責めた。大事な指輪だったのは分かってる。けど、私にはどうすることもっ――」

「でぇ?アリス、君の願いは一体なんなのぉ?」

男の言い訳に付き合いきれなくなったチェシャは、男の話を無理矢理中断させてたずねた。ぐっと言葉を詰まらせた男は、消え入りそうな声で願いを吐き出してしまう。

「・・・・・・妻との、結婚指輪を取り戻したい」

にやりと笑い深々と頭を下げたチェシャはくるりと半回転をした。

「アリスが望むものを売ってくれるお店に案内してあげるぅ」

そう言うと、チェシャはさっさと歩き出してしまう。こんな不気味な場所で一人ぼっちになるまいと、男は慌ててチェシャを追いかける。噴水の隣を通過し、喫茶店、おもちゃ屋の前を通り過ぎると、チェシャは『帽子屋』と書かれている看板の前で立ち止まった。

「帽子屋?私が求めているのは指輪だぞ?」

「まあ、いいからいいからぁ」

どこにそんな力があるのか、チェシャは男を押して無理矢理店内へと連れていく。中に入った男は広がる光景に息を飲んだ。

あらゆる色、形、大きさをした帽子が所狭しと飾られていたのだ。いや、飾られているというよりは、放置されているというべきだろう。綺麗に積み重ねられてい る帽子もあれば、雪崩を起こし床に散らばっているものもある。棚に収まっているものもあれば、飛び出してぶら下がっているものもあった。

足の踏み場がなく困る男とは裏腹に、チェシャは売り物であろう帽子を乱暴にどかしながら置くへと進んでいく。最初は一つ一つ丁寧のどけていた男だったが、面倒臭くなったのかチェシャを真似して、帽子の海をかき分けるようにして進んだ。

「マッド?アリスが来たよぉ」

見せの奥にいたのは、顔が隠れるほど大きな帽子を被ったきっと多分男性らしき人物だった。背もたれのある椅子に座り、一生懸命手に持っている帽子を縫っていたマッドと呼ばれた人物は、チェシャの言葉にぴたりと手を止め、ゆっくりと男のほうを向いた――ように見えた。

「・・・・・・アリス?」

掠れた低い声でマッドはそれだけを言った。どうリアクションをしていいのか困っている男の代わりに、チェシャが答えてくれる。

「そうだよぉ。探し物があるんだってぇ」

「・・・・・・」

一瞬だけ、帽子と髪の間からマッドの目元が見えた。

「っ――」

見えてしまった光景に男は息を飲み、咄嗟にマッドから視線をそらす。本来瞳が在るべきそこには暗闇があるだけで、男は眼球がない窪みのことに気づいてしまった。そう、マッドには目玉がないのだ。

「ほら、お願いごと言いなよぉ」

チェシャに促され、動揺を極力表に出さないようにしながら、自分の探しているものを男はマッドに伝えた。

「結婚指輪がほしいんだ。私が失くしてしまった妻とおそろいの指輪を」

「・・・・・・対価は・・・・・・」

はっきりとそう言うと、マッドは何かを呟いたようだった。しかし、その声はあまりにも小さく男は聞き取ることが出来ない。わけも分からないまま男は聞こえたふりをして頷くと、マッドはよいせと立ち上がり、どこかへと消えてしまう。

「対価とは何を取られるんだ?」

マッドが消えて行った方を見つめながら、男は隣にいるであろうチェシャに聞く。

「まあ、アリスが望むものが手に入るんだから、それは別にどうでもいいことじゃない?」

「――そうだな」

熱に浮かされたように、男はぼんやりと返事をした。マッドを探している男はチェシャがずっと笑っていることに気づかなかった。いや、気づいていても何とも思わなかっただろう。

しばらくして、どこからともなくもどってきたマッドは、右手を男に差し出した。その手の上には逆さまになった小さな帽子がちょこんと乗っており、男は首を傾げる。

「中覗いてを見てごらんってさぁ」

口数が少ないマッドの代わりにチェシャがそう言うと、男は帽子の中をのぞきこんだ。

「こ、これはっ!」

マッドの手から帽子を奪うようにしてとると、男は自分の手の平に帽子の中に入っていた物を落とした。それは小さな石が装飾されているシンプルだが綺麗な指輪で、男はそれを指で持つとまじまじと観察する。

「これは・・・・・・私が探していた指輪です。なぜここに!?」

「言っただろぉ?ここはほしいものが見つかるんだぁ・・・・・・思いが本物なら、ねぇ」

男は嬉しそうに指輪を握り締め、何度も何度もマッドに頭を下げる。だが、そんな男を無視してマッドはチェシャにぼそりと呟いた。

「・・・・・・お帰りだ」

「はいはぁい。ほら、行くよぉ」

子供とは思えない強いちからで、チェシャは男の腕を引いて歩き出す。

「え?いや、お礼をしなければ」

チェシャに引っ張られ店を出てしまった男は、まだろくにお礼をしていないことをチェシャに訴える。だが、チェシャは足をとめず結局市場の入り口までつれてこられてしまった。

「まだあの人にお礼をしていない」

「そんなのはいらないよぉ。ここでは『対価』だけが価値がある。その他のものはなんの価値も意味もない。だから、僕達にはお礼なんてものはいらないんだぁ。理解できないからねぇ」

「では、私の対価は何になる?何が払われるんだ?」

指輪を握りしめ、男はチェシャに身を乗り出してたずねた。

「マッドは優しいから、一応教えてくれてたんだけどねぇ。アリスはよく聞こえなかったみたいだねぇ?けど、アリスはちゃんと同意したから、それ相応の対価が支払われてるよぉ。本当は教えられないルールなんだけどねぇ――まあ、帰れば分かるよぉ」

冷たくそう言い放つと、チェシャはとんっと男の体を押した。よろめいた男が数歩下がると、チェシャは深々と頭を下げる。

「待っ――」

「お買い上げ、ありがとうございましたぁ。もう二度と、お会いすることはないでしょう」

そのまま男は暗く深い穴を落ちていった。


*          *


「っ!」

とび起きた男は、自分がちゃんとベッドの上に寝ていることに安堵の息をつく。額を伝う汗を袖で拭いながら長い息を吐いた。

「あの夢は一体・・・・・・」

いや、夢なのか現実なのかは分からない。それくらいにリアルな夢だった。

時計を見るとそろそろ起きなければならない時間に近づいていたため、とりあえずベッドから男は出ようとした。その時自分が何かを握り締めていることに気づいた。

「・・・・・・夢では、なかったのか」

開いた手の平の上には夢で見つけた指輪が光っていた。やはり、やはりあれは現実だったのだ。

だ が、そのことよりも男は指輪が見つかったということに震えが止まらなかった。これで妻とも仲直りが出来る。指輪を失くしたのは丁度一週間前。帰宅している 時、酔っ払いの小競り合いに巻き込まれてしまい、指輪が排水溝へと落ちてしまったのだ。帰ってから気づいた男は、翌日一生懸命指輪を探したのだが、前日が 雨だったためか指輪はとうとう見つからなかった。

妻にはちゃんと説明をしたのだが、妻にとってはとても腹立たしく思えたのだろう。最終的には喧嘩のような状態になってしまい、会話のない日々が続いていた。だが、それも今日でおしまいだ。

指輪を左手の薬指にはめ、男は部屋から飛び出した。だが、キッチンに妻の姿はない。洗濯物でも干しているのだろうかとベランダに目をやるが、やはりいない。家中の部屋を捜索してみたが、どこにも妻の姿はなかった。

「なぜ・・・・・・なぜ、どこにもいないんだ!」

苛立たしげに、男はソファに置いてあったクッションを掴むと壁に投げつけた。なぜ、なぜ妻はいない。

リビングに置いてあるテーブルを中心にぐるぐると男は落ち着きなく歩き回る。出ていくにしても靴はあった。洋服もそのままだ。荷物が減っているような気配はなく、となると妻は家のどこかにいるはずなのに。

足を止めて考え込んだ男は、ふと棚の上に置いている写真立てに目を向け、そして絶句した。二人の結婚式の時の写真であるそれは、幸せそうに笑う二人が写っており、二人はその写真を大切な思い出として大事にしていた。だが、写真には異変が起きていた。

「なん・・・・・・だ?なんなんだこれは・・・・・・!」

震える手で写真を手に取った男は、木製の枠が音を立てるほど強く握り締めた。

写真には笑う男性の姿しかないのだ。妻がいるはずのところには背景が写りこんでいるだけで、まるで透明人間を抱きしめているかのように男は一人でポーズを取っている。妻が写真から消えてしまっていた。

「一体どうして・・・・・・」

その時、男は夢での出来事を思い出した。指輪が戻ってきた。つまり、これは対価が支払われているということ。その対価を男は知らない。だが、対価がお金では買えないようなもので支払われるということだけは確かなことだった。

「あぁ・・・・・・っあああああああああああああああ!!!」

叫び出した男は狂ったように身近にあった物を投げ捨て始めた。掴んでは投げ、掴んでは投げる。中には割れるものや壊れる物もあり、破片が床に散らばっていく。しかし、男はそれも構わずひたすらに物を投げ捨てた。

「私はっ私はっ!!!」

ぼろぼろと涙を零しながら、妻との思い出が詰まっている物を次々と男は破壊していく。そんな気が狂った男の行動を、チェシャは帽子を通して眺めていた。持っ ていた大きなシルクハットを投げ捨てると、帽子に埋もれたテーブルで優雅に紅茶を飲むマッドの向い側の椅子に腰掛ける。

テーブルの上に重なっている帽子を乱暴に床へと落とすと、チェシャはテーブルに上半身を乗せ、足で椅子の背もたれを遊ばせながらじっとマッドを見つめた。

「・・・・・・なんだ」

マッドはほとんど会話をしてくれない。だが、そんなマッドに会話を続かせる方法が一つだけあった。それは、マッドから口を開かせるということだ。

「対価、何にしたのぉ?奥さんの命ぃ?」

「・・・・・・過去だ。アリスとの過去、全て」

その言葉に、猫はキラリと目を光らせた。マッドが貰った対価はアリスと奥さんとの過去。つまり、奥さん自体は生きているが、アリスと過ごしたこと全てが失われてしまったのだ。きっと今頃、違う旦那さんと仲良くやっているのだろう。

「もしかしてぇ、この前僕が手に入れた奴と交換ってことぉ?そんなに欲しかったのぉ?」

この市場では、住民同士でもお互いの対価を払い物々交換をしている。アリスから手に入れられるものは自分が店で扱っているもの以外でもよく、わざと扱っていないものを貰いそれでさらに住民と交換する。そうやって生きていくのがこの市場。

マッドが扱っているものは『物』。そして、チェシャが扱っているのは『未来と過去』。チェシャがもつ何かを手に入れるために、今回マッドはアリスから過去を対価として貰った。それに気づいたチェシャは笑みを浮かべると、長い袖で口元を覆い笑う。

「・・・・・・私ではない。主の注文だ」

「な~るほどねぇ。いいよぉ、交換してあげるぅ」

この市場でのルールである対価交換に縛られていない者が一人だけ存在する。それが『主』と呼ばれる者だ。対価を払う必要がない主は、定期的に市場へと注文をよこしてくる。注文は手紙の形で届き、書かれている品が調達でき次第、住民は送らなければならない。主の存在は住人達にとって絶対的な存在なのだ。

だが、主を実際に見たことがあるのはチェシャだけで、受け渡しはチェシャの仕事。マッドからぼんやりと光る球体のようなものを受け取ると、チェシャはどこからともなくカードケースを取り出した。透明のそれには綺麗な装飾がほどこされたトランプが入っている。

マッドはそれを受け取ると、丁寧にカードケースをラッピングし始める。最後に自分の名前が入ったリボンで飾り付けをすると、チェシャにそれを渡した。

「確かに預かったよぉ。今回注文を受けたのはマッドだけぇ?」

「・・・・・・さてな」

「相変らず帽子と紅茶以外には興味ないんだねぇ。ま、とりあえず渡しておくよぉ。じゃあ、まったねぇ」

ひらひらと手を振ると、チェシャは帽子をかき分けながら店を出て行った。椅子に座ったままの体勢でそれを見送ったマッドは、近くにあった帽子を手に取るとひっくり返して覗き込む。

帽子に映ったのは、荒れ果ててしまった部屋の中央で泣き崩れている一人の男の姿。その光景をマッドは見ることは出来ないが、何となくどういう光景が広がっているかを彼は想像することが出来た。

冷めた目でそれを眺め、マッドは口端を軽く上げるとテーブルに置いてあったカップをゆっくりと口に運ぶ。

「・・・・・・また一人、アリスが壊れた」

呟かれた言葉は、残忍な笑いとなって消えていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ