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うつろ市場  作者:
1/9

ハンプティ・ダンプティ

「うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるから、そこん とこよろしくぅ。さあ、アリス。君はどんな望みを持って、この市場へと誘われてきたのぉ?」

――望み?

「望み無き者はこの市場にはこれないからねぇ。叶えたい願いがあるんだろう?」

――でも、市場で買えるようなものじゃ・・・・・・

「この市場でお金なんてただのがらくただよぉ。この市場が売買してるのはそういうものじゃないからねぇ。アリスの欲しいものに応じた対価を貰うのさぁ」

――対価?

「そうだよぉ。だから、君はどんな望みも叶えられるんだぁ。ほら、言ってごらんよぉ。僕がそれに見合うものを売ってくれるお店に連れて行ってあげるからぁ」

――じゃあ・・・・・・

アリスの願いを聞き届けた猫は、にやりと笑った。

「じゃあ、それを叶えてくれるお店に案内してあげるぅ」

そう、ここは願いを売買する夢の市場なのだから。


『ハンプティ・ダンプティ』


「お母さん・・・・・・」

昨晩、母が死んだ。数年前から心臓に病を患い、苦しみや痛みと戦いながら母は懸命に一人娘である私を育ててくれていた。優しくてしっかりしていて、そしてとても温かな母が大好きだった。

悲しみに沈む少女は母が死んでから一晩中泣き明かし、そして再び夜を迎えようとしている。家は貧しく、少女が着ている服はあちらこちらに継ぎ目があり薄汚れている。母親が眠っているベッドも粗末なもので、窓にはガラスではなく布が貼り付けてあった。

ベッドの上でぴくりとも動かない母親を見つめていた少女は、よろめきながら立ち上がると何を思ったのか外へと出て行った。

ふらふらとあてもなくさ迷う少女の目は虚ろで、どこか遠くを見ている。遊び場であり大事な食料を得る場でもある裏手の森をさまようと、いつの間にか少女は広場の入り口に立っていた。

「・・・・・・ここ、どこ」

そこでようやく我に返った少女は、初めて見るそこに首を傾げた。顔を上げると、市場の入り口になっているアーチに、大きく『うつろ市場』と書かれている。長年裏手の森と共に生きてきたが、こんな市場は見た事も聞いた事もない。最近できたものなのだろうか。

入り口から左右に並ぶお店は弧を描いており、中央には大きな噴水がある。夜だというのに市場は開かれているのか、どのお店も煌々と明かりがついていた。そして、市場の奥にある大きなお城も。

「っ・・・・・・」

自分以外誰もいない。

その静けさに気味の悪さを感じた少女は、家に帰ろうと振り返った。

「ひっ!」

すると、いつの間に現れたのか少女の後ろには一人の少年が佇んでいた。口端を吊り上げて笑みを浮かべているが、その目は何の光も宿していない。少女は少年から、無意識に距離をとろうと一歩後ずさった。

「うつろ市場へようこそぉ。僕はこの市場の案内人のチェシャって言うんだぁ。この市場ではお客様のことを『アリス』って呼ぶ決まりになってるから、そこんとこよろしくねぇ。じゃあ早速質問だけど、アリス。君はどんな望みを持って、この市場へと誘われてきたのぉ?」

「の、ぞみ・・・・・・?」

掠れた声で呟く少女に、チェシャは笑って首を傾げた。

「そうだよぉ。望み無き者はこの市場にはこれないからねぇ。叶えたい願いがあるんだろう?アリス」

「叶えたい、願い・・・・・・?でも、私そんなお金とか持ってないし・・・・・・」

市場は物売り買いする場所だ。だが、あいにくと少女はお金になりそうなものは何一つみにつけていない。どのみち、家にもないのだろうけれど。

恥ずかしそうに俯く少女に、チェシャは声を上げて笑った。それはとてもいびつで、笑い声というよりも奇声に近い。ともすれば、おもちゃを見つけた子供のような。

「ひひっ。この市場でお金なんてただのがらくただよぉ。この市場が売買してるのはそういうものじゃないからねぇ。アリスの欲しいものに応じた対価を貰うのさぁ」

「対価?お金じゃないものと交換するの?」

「そうだよぉ。それは君の髪かもしれないし、手足かもしれない。もしかすると君のお家かもしれない」

そう言いながら、チェシャはゆっくりと少女の髪、そして手足を順に指差していく。なぜかその口調にぞくりと寒気を感じながらも、少女は何でも手に入るという言葉に魅了され始めていた。

「本当に、私の願い、叶うの?」

「叶うよぉ。そのための市場だからねぇ。言っただろう?望みのある者しかここにはこれないって。さあ、願いを僕に話してごらん?」

たった一人の大切な身寄りを失くした少女の願いは決まっていた。

「・・・・・・お母さんを、生き返らせたいっ」

少女は涙を零しながら呟いた。ぎゅっと薄汚れたワンピースの裾を握り締め、ぽたぽたと少女の雫は地面に染みを作る。少女の願いを聞いたチェシャはついっと目を細めると、深々と頭を下げた。

「じゃあ、それを売ってくる者のところに案内してあげるぅ」

歩き出したチェシャを少女は戸惑いながら追いかける。夜に包まれた市場は不気味で、少女は極力チェシャから離れないようにして歩いた。時折お店の方から視線を感じ、その度に少女は身をすくませる。

「ここだよぉ」

急に立ち止まられ、周囲に集中していた少女はチェシャの背中に軽くぶつかった。

「ご、ごめんなさいっ」

だが気にしていないのか、チェシャは少女の詫びを無視して噴水を見上げた。てっきりどこかのお店に入るのだと思っていた少女は、驚きながらもチェシャが見ている方に目を向ける。だが、そこには何もなく、不安になった少女はチェシャに声を掛けた。

「あの、」

「まあ待ちなよぉ。ここの住人は皆マイペースなんだぁ――ほら、きたきたぁ」

チェシャが上を向いたまま愉快そうに笑ったため、少女はもう一度上に顔を向けた。

「ひっ!」

噴水の中央にある銅像の上にいたのか、人のようなものが突然降ってきたのだ。決して銅像は小さくはなく、普通の人間だったらあの高さから落下すればトマトのように潰れてしまうだろう。それを想像した少女は、思わず顔を手で覆った。

しかし、聞こえてきた音は想像していたものよりも軽く、まるでボールが地を跳ねたような音が響く。恐る恐る手をずらした少女は、目の前で起きている光景に呆然となった。

年配の男性が、まるでボールのように地を跳ねているのだ。恰幅の良い優しげな風貌をしたその男性は、ぽーんぽーんと地面を跳ね、最終的には地面を転がってようやく停止する。

まるで何事もなかったかのように起き上がった男性は、ぱたぱたと服についた埃を叩き落とし、落ちているステッキを拾うと豪快に笑った。

あの高さから落ちて無事だということもあるが、男性の姿を見て少女は息を飲む。四肢が満足にある者と変わらない動きをしているが、男性には左足がないのだ。

「はっはっは!いやーすまないね。暇だったからちょっと上にね」

「ハンプティ、アリスが来たよ」

ハンプティと呼ばれたその男性は、小さな目を笑わせながら少女にお辞儀をする。少女もそんなハンプティに慌ててお辞儀をし返した。が、すぐさま少女の視線は ハンプティの左足へと注がれる。気づいているのか、気にしていないのか、上機嫌でくるくるとステッキを回しながら噴水に近づくと、ハンプティは水を囲う縁 にどかっと腰を下ろした。

中身の無いズボンの布がだらりと垂れ下がり、見慣れていない少女はその光景に気味悪さを感じ、左足が視界に入らないように軽く顔をそらす。そんな少女の様子を見て、ハンプティは少しだけ笑顔に悲しさを滲ませるが、すぐにそれは隠れてしまった。

「いやー驚かせたようで申し訳ない。私はこの銅像の上に登るのが好きでしてね。して、君はアリスかい?」

チェシャが、アリスは客人という意味があると話していたことを思い出し、少女は小さく頷いた。

「かわいらしいアリスだな。して、アリスはほしい物はなんなんだい?私が取り扱っているものは『命』だよ」

にっこりと笑うハンプティに、少女はチェシャに告げた時よりもはっきりと言った。

「私は・・・・・・私の願いは、母が生き返ることです」

少女の願いに面白そうに目を細めたハンプティは、ステッキに両手をおいてアリスに聞いた。

「対価は教えられないルールだ。それでも良いんだね?」

ハンプティの言葉に少女は強く頷いた。

今まで母と二人で生きてきた。母がいない生活がどうしても考えられず、母のためならば大事なものの一つや二つくらい捨てる覚悟は出来ている。それだけ、少女にとって母は大切な存在だった。

「分かった。アリスのお母さんの命を売ってあげよう。チェシャ猫、アリスを出口へとお連れしてやってくれ」

「はいはぁい」

「え?あの・・・・・・」

手を掴まれ、強引にその場から連れ去れる少女は、困ったようにチェシャとハンプティを見比べた。まだ売ってもらったものを貰っていないのに。

ハンプティは笑って手を振っており、どうやらすでにお見送りモードに入っているようだ。アリスが困惑していることに気づいたチェシャは口端を吊り上げる。

「君のお母さんの命を、君が貰っても仕方がないでしょぉ?それに、ここは現実世界からちょおっとズレた所にある世界だからねぇ。戻れば、ちゃんと売買は成立してるから大丈夫ぅ」

市場の出入り口であるアーチの下までアリスを連れてきたチェシャは、市場の外にアリスを押し出した。

「あのっ――」

「お買い上げ、ありがとうございましたぁ。もう二度と、会うことはないでしょう」

少女が言葉を発する前に、チェシャは頭を下げた。それを合図に空間が歪み、少女は暗闇の中へと落ちていった。


*          *


「んっ・・・・・・」

顔に当たる太陽の光のまぶしさで目を覚ました少女は、手に力を入れて起き上がった。なぜ自分が床にうつ伏せで倒れているのかを考え、夢の中で見た光景を思い出す。

「うつろ、市場・・・・・・」

不思議な市場だった。きっと、母を亡くしたショックであんな夢を見てしまったのかもしれない。だって、死んだ人が生き返るなんていうことはありえないのだから。

「・・・・・・ちゃんと、弔ってあげないと」

このままベッドに寝かせておくというわけにもいかない。葬儀をする余裕も、招く相手もいないため、少女は裏の森に一人で母を弔うことを決意した。

少女が眠っていたのは家のキッチンにあたるところで、母は隣の寝室に眠っている。あの夢が現実になれば良いのにと小さく願いながら、アリスは気持ちを落ち着かせて寝室のドアを開けた。

「・・・・・・う、そ」

ベッドの上で眠っていた母が、起き上がっているではないか。自分は夢をみているのだろうか。そう思いながら、少女はゆっくりと母の傍へと歩み寄った。

歩くたびに傷んだ床がぎしぎしと音を立てる。だが、母はそれに気づいていないのかぼーっと正面を向いたまま、少女の方を見ようとはしない。

「お母、さん?」

横から母の顔を覗き込み、自分の姿をアピールしても母の目が向けられることはない。不安を感じた少女は、そっと母の手を握ってもう一度呼びかけた。

「お母さん」

すると、そこでようやく少女の存在を認識したのか、母はのろのろと視線を少女に向けた。虚ろな瞳に光はなく、痩せ、浮き出ている瞳は無機質に少女を映しだした。

「・・・・・・あなた、どなた?」

「――え?」

母の一言は、少女に衝撃を与えた。一体なんの冗談だろうか。

「ここはどこなのかしら?私ね、とても幸せな夢を見ていたの。大好きだったあの人と一緒に暮らす夢。それなのに、突然こんなところに連れてこられて・・・・・・ああ、せっかく幸せだったのに」

冗談では、ない。少女は母があの人と呼ぶ人物のことを知っていた。それは少女の父親だ。少女が生まれる頃に死んでしまった父のことを、母はいつも幸せそうに話してくれていた。そして、いつかまた一緒に暮らすことが夢なのだとも。

「それに何だか胸が痛い。――そうだわ、私この痛みからようやく解放されていたのに。またこの苦しみを耐えなくてはいけないの?ああ、痛い・・・・・・痛い・・・・・・」

そう言ってほろほろと涙を流しながら母は胸を押さえ込む。それを見ていた少女は何も言えなくなり、頬に涙を伝わせながら母から離れた。

違う、こんなことを望んでいたのではない。

「痛い、苦しいっ!どうして、私はあの人と幸せになれたのに、どうしてまたここに戻ってきてしまったの!」

違う、私は以前のように元気な母と楽しく暮らしたかったのだ。こんな、こんなことをしたかったのではない。

「ここはどこなのっ・・・・・・あの人は、あの人はどこ・・・・・・?せっかく解放されていたのにっ・・・・・・」

その言葉を聞いて、少女は病状が悪化した時に母が死にたいと呟いていたことを思い出した。そうだ、母は死を望んでいたのだ。それなのに、自分の安らぎのために母を無理矢理引き戻してしまった。

「ご、ごめんなさいっ・・・・・・ごめんなさい、お母さんっ・・・・・・」

涙を流しながら母に駆け寄り、少女は母に抱きつくようにして泣き出した。だが、母はそれを拒むかのように少女を引き離す。

「私はあなたのお母さんなんかじゃないわ。それより、ここはどこでどうして私がここにいるのかを教えて頂戴」

「違う、違うの・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい」

「お願い、あの人の所に帰らせて!私は、もう苦しみたくないの!」

「ごめんなさい、ごめんなさいお母さんっ!私、そういうつもりじゃ・・・・・・!」

「あなた、君が悪い・・・・・・。いいの、私は自力であの人を探すわ」

胸を押さえ、よろめきながら母はベッドから出た。ふらふらと部屋を出て行く母の後姿を呆然と追いかけていた少女は、はっとなって慌てて母を追いかけた。

「お母さん、どこにいくの!?」

「私はあの人のところに帰るの。あなたのお母さん、見つかると良いわね」

「お母さん?ダメ!」

心臓を患っているというのに走り出した母の行く先は、普段から危険だとあまり近寄らない崖への道。慌てて少女は母を追いかけるが、少女が追いつく前に母はそこに身を投げてしまった。

「いやあああああああああああああああああああ!」

少女の絶叫が響き、直後にぐしゃっという生々しく鈍い音が崖下から響く。目を見開いたままぺたりと座り込んだ少女は、涙を流しながら首を左右に振った。

死んだ。死なせてしまった。私が、私が母を殺した。

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」

泣き崩れる少女が映る水面を見ていたチェシャは、あーあ、と呆れたように言った。

「折角代価払ったのにねぇ」

市場の噴水の水面は市場に来た者の姿を映し出すことが出来る。それを利用して少女がどうなったかを観察していたチェシャはつまらなさそうに水面から視線を外した。

「今回の代価は『母親が持っていた少女の記憶』ってとこぉ?」

隣でいつものように縁に腰掛け、にこにこと笑っているハンプティにチェシャはたずねた。

「アリスの願いは「母を生き返らせる」だけだったからね。見合った対価を頂いたよ。後で白ウサギに売りつけよう」

そう、少女は母を生き返らせてほしいと願っただけで、病気のことなどは一切触れていない。なので、ハンプティは望みどおり『母親を生き返らせた』だけなのだ。

「いっじわるぅ」

くすくすと笑いをもらすチェシャに、ハンプティもにっこりと笑う。

「なあに、アリスが死んだら、せめてもの情けで母親と同じ場所に保管してあげるさ。その命をね」

「ハンプティ、あのくらいの女の子好きだもんねぇ」

「もう少し幼くてもいいけれども」

軽く犯罪の匂いをにおわせながら、ハンプティはうきうきと付け足した。きっとあの少女も先は長くない。もしその時は、その命を大事に大事に仕舞ってあげよう。少女の命を願う者が現れるまで。それまでは、少女の命は私のもの。これが、この市場へ関わったことで生じるルール。

「じゃあ、また君が扱うものを欲するお客さんがきたら、君の所に案内するねぇ」

「ああ、頼むよ。案内人さん」

「じゃあ、またねぇ」

ひらひらと手を振って立ち去るチェシャを見送ると、ハンプティは水面を覗き込んだ。まだ泣いているのか、泣き崩れた体勢のままアリスはぴくりとも動こうとはしない。心が荒んでいっていることが手に取るように感じられたハンプティは、今までとは違う残忍な笑みを浮かべた。

「次はどんなアリスがやってくるんだろうね?アリス」


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