聖体拝受
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第1話 3幕 聖体拝受
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「わぁ」
チャペルの中は外の温気とは違って、石造りの建物特有の静かな冷気に満たされていた。
薄暗い室内をステンドグラスを透して差し込む虹色の光が夢幻の様に浮かび上がらせている。
蒔梛はそんな時間が止まった様な空間に、一瞬息をのんで立ち止まった。
「姫さま……こっち、こっちですよ~」
参列者の邪魔にならないよう、身を屈めた珊瑚が小声で蒔梛を誘う。
「待って」
蒔梛が珊瑚の後を追い空いている席にたどり着くと、それを待っていたかのように荘厳なパイプオルガンの音が虹色の光の中にゆっくりと流れ出した。
それまでピンと張りつめていた空気がその音につられてゆっくりと動き始める。
それが開会の合図なのか、参列者が全員立ち上がった。
蒔梛と珊瑚もすぐに立ち上がり、歌詞は分からないがどこかで聞いたことのある気がする賛美歌を周りの人に倣って適当に歌って誤魔化した。
|(ミッション系とは聞いていなかったなぁ……)
と、心の中でぼやきつつ、蒔梛は新しい生活の場になる学校に集う人々の様子を改めて眺めてみることにした。
席の前列には学園の制服を着た人々が並び、後列には私服の人々が並んでいる。
十人がけの長椅子が二組みづつ横に五列。縦に40列ほど並び、そのうち制服を着ているのは前の十列ぐらいだから参列している生徒数はおよそ千人ぐらいだろうか。
幼稚舎から大学まである学校にしては少ないなと目線を後列に移すと、外部から参列していると思われる一団の様子を眺めてみた。
こちらは老若男女取り混ぜて統一感は全く無いが、不思議とある程度年かさのいっている人々の面差しが似通っている。
年かさといっても40代から50代ぐらいの人たちなのだが、不思議とみな髪が薄く、頬骨が高くて鼻が低く、目が大きい。
まあ、はっきり言ってしまえば、ぶさいくであった。
ひとりひとりの顔かたちは当然それぞれ違うのだが、何となくみな同じ印象を受けてしまうのだ。
|(ロストリージョンだったから血統遺伝子が濃いのかしら?)
長い間『壁』によって隔離されてきた地域ならば近親配合による遺伝子への影響が出てきても不思議ではないと蒔梛は考えたが、実際には『壁』によって世界が切り取られていた時間は20年ほどにしかすぎない。
だが、壁の中はこちら側とは時間の流れも違うという話だから、それもまたあてにならない話だ。
“~♪”
やがて賛美歌の合唱が終わると、人々が席に着く波が起こる。
蒔梛もその波に合わせて自分の席に腰を下ろすと、ようやく最前列の祭壇の上に立つ人々の姿が見えた。
「こんにちは、みなさん。わだつみ学園の日曜礼拝にようこそ」
冷たい石造りの壁によく通る美しい声は、珊瑚がソフィと呼んだ先ほどの女の子のものだ。
「みなさんとお会いするのはおよそ半月ぶりのことです。それというのも、みなさんもご存じの通り、司祭でもあった当学園の理事長が何者かに殺害されるという、痛ましくもおぞましい、許し難い事件があったからです」
ざわざわざわざわ。
ソフィの言葉の後を追うように参列者の中をざわめきが渡っていく。
「我々の手で犯人を見つけましょう!」
参列席の中からそんな声が上がる。
「犯人は現在警察が捜査中です。敬愛する理事長を殺害した犯人には当然深い怒りの気持ちがありますが、私たちがすることは、怒りに身を任せて犯人を見つけ出し、罪を償わせることではありません」
「我々の心の支えであった人を亡くした今こそ、皆の心をひとつにして、未来に向けてどう歩いていくかを考えるべき時なのです」
子供とは思えないほど堂々とした態度で大人達を教化していく姿は、さすが世界一の学園の生徒だと思わせる貫禄がある。
「でも、犯人はまだ我々の近くに居るかも知れないんですよ?」
だが、そんなソフィの訓戒を聞いても、また別の人がそんな声を上げた。
「我々の心がひとつであれば、その中からはみ出した犯人は自ずと分かるでしょう」
「大切なことは、怒りや憎しみではなく、お互いを思い合う愛で皆が繋がることなのです……」
「……………………」
おそらく、ここに来ている人でソフィよりも年下の人は居ないだろう。
そんな幼いソフィにそこまで言われては、それ以上犯人捜しに拘泥出来る者はいなかった。
「――では、今日は僭越ながらソロリティ副幹の私が司祭代理でミサを進めさせて戴きます。今日はヨハネによる福音書~13章31節から……」
「今や人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。――あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたを愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい……」
繊細ながらも美しい声が聖書の一節を読み上げていく。その教えを聞く人々の顔はみな真剣そのものだった。
|(へぇ~ちょっと意外だなぁ。生徒なら分かるけど、こんな田舎のおじさん、おばさんが、それもさっきまでお酒を飲んで騒いでいたのに、今はこんなに真剣にミサを聞いているなんて。そんなにここの教えって人気があるのかしら? それにしてもお腹減ったなぁ……)
信仰心などカケラもない蒔梛は、ひとりでチャペルの中の様子を観察しながら、ぼんやりと食べそびれた昼食の事などを考えて時間をつぶしていた。
「――理事長の魂は天に召されましたが、その意味、教えは我々の心に残っています。彼の心を我が心となして、これからの日々を強く生きていきましょう」
そしてそれから20分後。説法が終わると、ソフィは静かに聖書を閉じて印を切り後ろに下がった。
「では、閉会の賛美歌を……」
祭壇の後列にいた女生徒の一人、――こちらは蒔梛と同じぐらいの歳のようだ――が交代で壇上に上がり、歌集を開いて歌おうとする……が、
「聖体拝受を!」
三度、参列席から声が上がった。
「そうだ。わしらに聖体をお恵み下さい!!」
「もう、一月以上も戴いてないんです」
「残念ですが、聖体の事は我々には分かりません。理事長と姫にしか聖体の事は分からないんです」
そう女生徒が答えると、参列席から一斉に不満の声が上がった。
「そんな馬鹿な! だったらこの先ずっと我々に聖体無しで暮らせというのか!?」
「ここで聖体をもらえるようになってから、わしらはずっと健やかにくらしてこれた。それをいまになって取りやめるというのか?」
「ソロリティなら何とかしてくれ」
「理事長も姫も居なくて、どうやって聖体が手に入るんだ!」
「今度の秘蹟では間違いなく誰かが姫になれるのか?」
「そもそも理事長さまがいなくて、どうやって姫さまを選ぶつもりなの?」
それまでおとなしく説教を聞いていた学生達までもが壇上に向かって叫び始めていた。
聖体というのは、公教でいうところのパンとワインであるはずだ。
これを救世主の肉体と血液になぞらえて、それを与える事によって信者を祝福する意味がある。
|(ただのパンやワインをどうしてみんなそんなに欲しがるんだろう?)
周りで立ち上がってエキサイトする信者達を見やりつつ、蒔梛は首を傾げた。
その時、
「みなさん、お静まりください!!」
ヒートアップしつづける無数の抗議の声を、硝子の鈴100個の音に似た声が黙らせた。
「心配はご無用ですぅ」
その鈴は……はたして、蒔梛のすぐ横で鳴っていた。
えっへん、と胸を張る小さな人物に列席した全ての人々の視線が集中する。
「アンタは?」
目の前にいた一般の男性信者が珊瑚に問う。
「2年A組、ソロリティ副書記の海老原珊瑚ですぅ」
全然貫禄がないが、それでも『どうだ驚いたか』とばかりに鼻息を荒くする珊瑚に、男性信者は辛抱強くこらえて次の質問をした。
「その……アンタがソロリティの人だというのは分かったんだが、どうして心配が無用なんだね?」
「壇上にいるのもアンタと同じくソロリティの方々だろう?」
「その人らが、今はどうしようもないといってるのに、どうしてアンタは大丈夫だと言い切れるのかね?」
「えっへん、それはですねぇ~~」
ニマッと目と口元を弓形にそらせて笑うと、珊瑚はおもむろに蒔梛の背中を押し出した。
「じゃじゃじゃあ~~ん!! このお方こそ、新しい理事長にして姫さまになられる方だからですうぅぅ!!」
「ぬぉぉぉおおおお!?」
珊瑚の発表と共に正体不明のどよめきが場内に湧き上がった。
突然事態の主役にされた蒔梛は、訳が分からずに目を白黒させるばかりだ。
「えっ? ちょっ!? 私はそんな……」
「この方が、姫さまに?」
「そうですよぉ、おまけに蒔梛さまは前理事長のお孫さまでもあらせられるんです!」
「この学園の為に今日転校していらしたんですよぉ~」
ペットボトルをマイク代わりにして、下手なリングアナウンスのように蒔梛を紹介する珊瑚。
その言葉に、
「おおおお、なんと! それが本当ならまことにすばらしい事だ」
「よかった、それならこれからも私たちは聖体をいただけるんですね」
「もちろんですとも」
「ああ、ありがとうございます」
「ありがとうございます、姫さま」
周りを囲んだ信者達が感動し、一斉に蒔梛に手を伸ばして握手を求めて来る。
「え? はい……いや、その……私は……困りますっ、珊瑚ちゃん!」
事態を飲み込めない蒔梛が、信者たちにもみくちゃにされながら珊瑚に助けを求めようとする。
と、その時、再び壇上から良く響く綺麗な声が届いた。
「みなさま、新しい理事長への挨拶はそのぐらいにしておいて下さい」
但し、今度は男性的なバリトンの声だ。
「その方……小碓蒔梛さんは今日この学校に来たばかり。お疲れでもありましょうから正式なご挨拶は次回に譲って、今日は休ませてあげてくれませんか?」
「そうですか、いや、失礼しました」
「姫さま、『夜刀浦』にようこそ」
壇上の男性から諭されると人々は名残惜しそうに蒔梛に頭を下げ、挨拶を送って元の席へと戻っていく。
「では、少々中断してしまいましたが、閉会の賛美歌をみんなで歌って終わりましょう」
“~♪”
ソフィがそう言うと、荘厳なオルガンの伴奏が聖堂の中に響き渡る。
今度は何事もなくそろって賛美歌を歌い、人々はみな満足気な顔してミサを終えたのだった。
――ざわざわざわ。
やがてオルガンの伴奏が終わり、閉会の挨拶が交わされても聖堂の中からは誰一人立ち去ろうとはしなかった。
「どうしたの? もう、ミサは終わったんでしょう? なぜみんな出ていかないの?」
「みんな蒔梛さまが退出されるのを待っているんですよ」
「私?」
「はい。みんな少しでも蒔梛さまの側にいて祝福を受けたいと思っているんです」
「祝福……って、私は別に神父でも牧師でもないわよ? それに、さっきからあなた方が言っている姫とかも何のことだか……」
「あれ? そうなんですか?」
「ええ。それに私がお爺さまの……前理事長の孫というのも、まだ本当のことなのか確かめたわけじゃ……」
「でも、学園からの連絡は行っているんですよね?」
「え? ええ。お爺さまの秘書だという方から手紙はもらっているけど……」
「なら間違いないです。蒔梛さまがこの学園の理事長で、姫さまになられる方で間違いないですよ」
珊瑚は天真爛漫そのものの笑顔を浮かべると、大きく頷いた。
「でもぉ……」
「あの、蒔梛さま、分からない事がありましたら追々説明いたしますから、今はこのチャペルから出ませんか? じゃないと、ずっとここでみんなに見られながら話すことになっちゃいますよ?」
「え? あ、ああそうね。じゃあ、とりあえず出ましょうか」
「はい」
蒔梛が立ち上がり、木製の上部がアーチ型になった観音開きの大きなドアに向かおうとすると、そこで一斉に拍手がわき起こった。
蒔梛はその拍手が自分を歓迎してくれているものだとは分かったが、それが自分の何に期待してされている拍手なのかが分からず、背筋を昇ってくる寒気と戦いながら一刻も早くそこから逃げ出したかった。
「……はぁ、びっくりした。本当にここに来てから予想外の事ばかりね。次はどこへ行くの?」
チャペルから出ると外は以前と同じ様に暖かかった。
その心地よい春の空気に幾分気持ちを取り戻しながら、珊瑚に次の予定を聞く。
「はい。次はグランドロッジへご案内致します」
「グランドロッジ?」
「校内にある理事長のお屋敷のことです」
そう話しながら珊瑚はさっき来た道を少し戻り、薔薇園の周囲を巡る遊歩道まで出ると今度は正門とは反対方向へ蒔梛の手を引き歩いて行く。
「私たちは敷地の東側にある学生寮でくらしていますけど、蒔梛さまは学園のオーナーでもあられる方ですから、敷地の奥にあるグランドロッジに住んでいただくことになったって聞いています」
「それってもしかして、ひとりだけ……よね?」
「ねえ、もしかして私はこれからもずっとこういう扱いなのかな?」
「なにがですか?」
「なんていうか……みんな私を姫って呼ぶけど、それがなんなのか私全然分からないのよ?」
「それに理事の事だって、将来的にはしなくちゃいけないとは思うけど、学生のうちから同じ学校の理事を務めるなんて無理だと思わない?」
「どうしてですか?」
「どうして……って、だってまだ私たち高校生なのよ?」
「高校生が理事になってはいけない法律はないですけど?」
「それはそうだけど……私……自信がないわ。こんなすごい学校の、お爺さまの跡を継いでいくなんて」
「大丈夫です、蒔梛さまには十分そのお力がありますから」
「気休めは止めてほしいわ。第一、会ったばかりのあなたに私の何が分かるっていうの?」
「分かります。それに、理事長だって天国から蒔梛さまの事を祝福してくれていますから」
なにを根拠にしているのかは分からないが、珊瑚はやけに自信たっぷりな様子で胸を張ってそう言い切った。
「嘘ばっかり」
自分の知らない理由で勝手に大丈夫だと決めつける珊瑚がちょっと憎らしくもあり、蒔梛は少し拗ねてそっぽを向いた。
そんな蒔梛の様子を見た珊瑚は、ぐずる幼子をあやす母親の様な温かい笑顔を浮かべて空を指差した。
「嘘じゃないですよ、ほら」
その指の先、薄れ行く曇天から僅かに覗いている青空から、光が薔薇の園を歩いていた蒔梛に向けて差し込んだ。
一般には『天使の梯子』と言われる現象だが、その時の光は七色に輝いている点が普通とは違っていた。
「ひあぁぁっ」
近くを歩いていた生徒たち、帰りがけにその光景をかいま見た信者たちの間から悲鳴に近い感嘆の声があがる。
蒔梛の周りを十重二十重に取り囲んで舞う虹色の光の正体は、色とりどりの蝶たちであった。
どこから飛んで来たかも分からない蝶たちが、種類も大きさもバラバラでありながら全てがひとつの意志を持って集まっているかのように舞い降り、蒔梛の肩にとまったり、眼前で舞ったりして思い思いの舞いを披露している。
そして一瞬とも永遠ともとれる夢幻の時間が過ぎ去った後、その蝶達は突然別の用事を思い出したかのように、それぞれが好きな方向へ風に吹かれて飛び去っていってしまったのだった。
そしてその蝶達が消えるまでの間、蒔梛は驚愕に見開いた目を瞬きする事すら忘れ、その光景を見つめていたのだった。
「ね? 姫さま」
そんな蒔梛の代わりに、珊瑚が蒔梛の肩に舞い飛んだ蝶の鱗粉を手で払ってやる、と、
「うわあああぁ、姫さまばんざい!」
「姫さま、わだつみ学園へようこそ」
その様子を見ていた者達から爆発したような大歓声が上がった。
「ばんざーい! ばんざーい! アマナーばんざーい! 姫さまばんざーい!」
歓声は留まるところ無く、全ての人たちの間に広まっていく。
その顔はいずれも歓喜に満ちあふれていた。
だが、その人々とは対照的に、その歓声を浴びて立ちつくす蒔梛の顔は強ばり、胸のペンダントを握りしめる手は冷や汗でびっしょりと濡れていたのだった。