ドウシタノ?
何かを望むなどあってはいけない。大事なものほど、手の届かないところへ。遠くへ遠くへ置いておかなければいけない。
「ねぇー、早く来てってー!」
「ちょ、っと待ってゼイン……」
クセのある深緑の綺麗な髪をしたガンの息子、ゼインはスキアの要求など聞くはずもなくドンドンと人通りのある道を歩いていく。一方スキアは監禁生活のせいか体力が続かず、力も乏しい。なのでこんな人通りを歩くのは彼にとってとても負担になっていた。しかし前をいくゼインだけは見失ってはいけないと重い足を動かした。
二人が来たのはガガトールから少し北に進んだ交流都市・オリガンだ。正確にはサードオリガンと言い、セカンドはハリートの北西にあるキリ、ファーストは首都のあるハルバにある。この都市は基本的に出入りが自由で、尚且つどこの管轄からも干渉を受けないハリートの独立都市兼繋ぎと言っていいだろう。どんな情報も品物も、時には人間だって手に入らないものはないのだ。
そしてなぜ、悪魔であるスキアがこんな人通りの多い危険なところに来たかと言えば、さかのぼる事数日……。
「は?」
ユガンの頭であるガンの間の抜けた声を聞きスキアはもう一度言った。
「あの、ですからもし出来れば、サードオリガンに行きたいのですが……」
申し訳なさそうに話すスキアを見てガンは首をかしげた。
彼は悪魔だ。この国、ハリートでは重罪人以上の罪人。もはや人とは見られない。しかし今彼のいるここユガンは基本的に何でも受け入れる。それが、ユガンの人間に危害を加えなければの話だが、だからこそスキアはその額の印があるにも関わらず“普通”の生活ができているのである。そしてサードオリガンとはたしかにユガンにある都市だが、ハルバとキリとの繋ぎ橋でもあるからユガンであってユガンでない事になる。そんな所に、ただでさえ最近話題で有名になりすぎている彼が行くなどまるで無言で死刑台に向うようなものだ。
「あ〜と、そうだな。取りあえずダメだ」
ガンはスキアを見た。どうやら沈んでいるようだ。
「……スキア、お前は自分の存在をちゃんとわかってるのか?」
「はい、わかってます」
「例え冤罪だとしてもだ、お前の額には業火が刻まれている。この国の人間の大半はそれだけで十分なんだ」
それだけで十分、誹謗中傷の的になる。どれだけの非道をその者に行ったとしてもそれが咎められる事などない。なぜならその者は“人”ではなく、“悪魔”なのだから。
「で、だ。なんだって急にそんなとこに行きたくなったんだ?」
ガンはそう聞いたが、スキアにとってそれは急な事ではなかった。それは地獄から脱した時にすぐに思った。
―真実は一体どこなのか。そして、どれなのか……。
事実などは彼にとってどうでもよかった。事実は事実でしかない。イヤというほど身にしみていた。しかし、真実はまだどこかに隠されている。それが知りたい。
だが、こんな雲を掴むような事を言ってもきっとガンをさらに困らせるだけだとわかっているスキアは自分にとっても、自分を人として扱ってくれたユガンの人達のためにもこの理由をこの場であげた。
「……俺は殺してない。けれど悪魔の烙印を押されました。そしてその悪魔は今平然と普通の人と同じ生活を送っています。これは、あってはいけない事です」
「あぁ、そうかもな……」
ガンの目が少しばかり下がった。その意味をスキアは知っていた。
「……俺がここに長居したら皆さんに迷惑がかかります……」
今はガガトールで留まっているスキアの存在も、ハルバの耳に届くのは時間の問題だ。スキアは悲しいことに、バカではなかったのだ。
「恩を仇で返せるほど、俺は落ちていません。俺は事実では悪魔かもしれませんが」
「真実は気高き人間じゃ」
その声に振り向けば、そこにはモーラントが立っていた。
「じいさん……」
「ガンよ。お主はユガンを率いるリーダー。答えはすでに出ているじゃろう」
スキアはガガトールを出た。皆が寝静まり人の明かりが消え、星光の下を歩き出した。
スキアにはもう何もない。いや、何かがあってはいけないのだ。自分は一人でなくてはいけない。大切なものこそ、遠く遠くに追いやらなければいけない。
哀しいとは思わない。そんな事を考えてしまったら押しつぶされてしまうのをスキアはわかっていた。
向かうはサードオリガン。額はしっかりと隠さなければならない。捕まってしまっては意味がないのだ。
だがしかし、そんなスキアに一つの誤算が生じた。それは本当に考えもしなかった事だった。
「おーい、起きろスキア!」
「ん〜……ん?」
夜通り歩き続け、朝方小さな洞窟を見つけたのでそこで仮眠をとっていたスキアに聞きなれた声がかけられた。
「……トウ!!」
「うぐっ!!」
突然スキアの体に鈍い痛みが走る。そして反動で体を起こすと、そこにはまさかの人物が。
「よっ!」
「……え〜っと……ゼイン??」
自分に満面の笑みをおくるこの子は一体何者なんだろう。そんな不毛な問いかけがスキアの頭をよぎった。そしてなぜここに、と思わず唸ってしまった。
「心配はいらないぜ!ちゃんと“ちょっと旅遊びしてくる”って手紙おいてきたから!」
そんな事はどうでもいいんだよ、などとスキアが言えるわけもなくとにかくこの事態をいかに収拾するか、それだけに頭をフル回転させた。
だがもちろん、それはゼインによって阻まれたのだったが、
「ここまで来ればサードオリガンまでもう直ぐ!!早く出発するぞー!!」
「ちょっと待って。いくら俺でもここは見逃せないから!」
走り出そうとしたゼインをスキアはすかさず捕まえた。しばらく腕の中で暴れていたゼインだったがしばらくすると観念したのか静かになった。
「……よし。じゃあまず、なんでゼインがここにいるの?まさかとは思うけど、俺の後つけてきたとか?」
いくら子どもだからといってスキアという悪魔の認識が欠けているとは思えない。自分についてくる事が何を意味しているのかぐらいはわかるはず。
「……そうだよ!スキアがガガトールを出るって聞いたからついてきた……」
そう言ったゼインの顔は少し寂しそうにみえたのは気のせいなのか。とにかくスキアはゼインにガンさん達のところへ戻るよう説得を試みた。
「ぜっったいイヤだ!!!」
あっさりと拒否された。元々気の強いゼインだ。スキアの生やさしい説得になど応じるはずがない。しかし、自分といる事がこの子の命を危機にさらしてしまうのは確実な事。なぜそれをわかってくれないのか。いつまでも押し問答を繰り返していてしかたなく、スキアは酷だとは思うがゼインに静かに話し始めた。
「いいかゼイン。俺は悪魔なんだ。この国では人じゃない。本当なら王都に監禁されて一生を過ごす。だけど何のいたずらか、俺はその監禁から逃れた。そしてリラに会ってガンさんに会って、ユガンっていう人達と出会った」
「うん」
ゼインは普段の元気のよさをみせず、スキアの言葉を真剣に聞いていた。
「俺は本当に、ありえないほど、恵まれた。だけどこの恵みはすぐ傍に危険があるんだ」
スキアは柔らかく笑ってゼインの頭に手を置いた。
「俺と一緒にいたらゼインは本当に、本当に危険なんだ……」
「キケン??」
ゼインは首をかしげる。目が少し震えているのは、本能的にキケンを察知しているのだろう。
「そう。もしかしたら、死んでしまうか」
「イヤだ!!」
大きな声を出しゼインはスキアにきつく抱きついた。
「イヤだイヤだイヤだ!言うな!!」
「ゼイ、ン……?」
あまりの拒絶にスキアの方が今度は首をかしげた。
ゼインは活発で頭も良く、それでいて心の優しい男の子だ。例えばゼインが子ども心に死というものを恐れ、同時にその危険と常に隣り合わせのスキアを心配しているにしたって、今目の前で自分に強く抱きついて震えている姿はスキアを困惑させるに十分だった。
「……」
「……」
二人とも何も言わずに冷たい洞窟で佇む。もうそろそろ出発しなければまた野宿をする事になる。額さえ隠し切れればスキアの身の安全は確保できるので今日中にはサードオリガンに着いて宿を探そうと思っていたのである。
「……一緒に行ってやるって言ってんだ!おとなしく言う事聞け!」
顔をあげ沈黙を破ったゼインはそう言うなり笑顔をみせた。
その笑顔はスキアにとってあまりに優しく、そして残酷だった。
――あぁ。俺はやはり、非難されるべき人間なのかもしれない……。
笑顔のまま元気よく走り出したゼインの後をゆっくりと追うスキアの心は喜びと、深い罪悪感でいっぱいになっていた。
共に無事サードオリガンに着いて宿を決めた。隣では一日中歩きっぱなしで疲れきったゼインがかわいい寝息をたてていた。
ガンさんへ
申し訳ありません。ついてきていたゼインに気付かず、彼と一緒にオリガンまで来てしまいました。今俺達はススレという宿にいます。どうか一日も早く彼を引き取りに来て下さい。俺の言う事はまったく聞いてくれません。本当に情けなく、どこまで恩人のガンさんに迷惑をかけてしまっているか。本当にごめんなさい。
迎え人が来てくれるまでは必ず、どんな事があってもゼインは守りますので、一日も早い迎えをお願いします。
スキアより
書き終えるとすぐにその手紙を宿の人に頼んだ。早ければ二日、遅くとも五日以内には返事か、あるいはゼインを迎えに誰かがこの宿にくるはず。
スキアは部屋に戻りベッドに腰をおろした。そしてゼインをみやる。
「……」
「どうしたの?」
「!!??」
突然の声にスキアは体を急いで反応させた。振り向けば、ゼインより少し年上と見て取れる少年が立っていた。
「な、なんだ?一体どこから……??」
「どうしたの?」
少年はゼインを見て、スキアのほうをもう一度みた。どうやらこちらの質問に答える気はないようだ。
一体この少年は何者なのか、どこから入ってきたのか、目的はなんなのか。様々な疑問がスキアの頭をめぐっていたが、そうこう考えているうちに最初にあった緊張は徐々にほぐれてきた。どうみても少年が自分達に危害を加えるようにはみえないのだ。髪や肌、着ている服も白いこの少年は両手をブランとさげているのだ。そしてなんとなく少年のまわりも白くぼやけているように見え、まるで夢の中にいる気分だった。
「わからないの?」
「え?何を言ってるんだ、一体……ゼインの事か?」
そう聞くと、少年はゼインを指差したあと、スキアにもその指を向けた。
「……大事で、大切なものほど遠くに。なのに、どうして?」
スキアはハッとした。まるで自分の心を隅々まで見られたという感じだった。
「そ、れは……」
自分はこの国では悪魔。罪人で人外。もし誰かと一緒にいたのなら、その者にも人々の攻撃の矛先が向いてしまう。そんな事は百も承知だった。だが……
「どうしたの?」
一緒にいるなどという事態にまでもってきて、一体どうしたんだ?
「わからないの?」
自分が今どれだけ無責任で残酷な事をしているのか、その本当の意味を知らないのか?
少年の短い質問はスキアの心を鈍く、そして強く打ち付けるようだった。
「ゼ、インが……」
「……」
スキアの声は震え、少年は瞬き一つせず全身で聞いていた。
「ゼインが、笑う、から……」
――だから、独りになるのが急に寂しくなったんだ。哀しくなったんだ……。
それが、悪魔の烙印をおされた者にある唯一の方法。