私は悪くない
週刊誌に私のゴシップ記事が発売されて1週間が経った。
会社から1週間の自宅謹慎を通告された私の元に山科さんが訪れたのは謹慎の終わる夜だった。
「バカな事をしてくれたもんだ」
「うん…」
呆れたように山科さんが溜息を吐きながら呟いた。
記事は、私がMCアシスタントを務めている番組で一緒に司会をしているタレントのマンションへ毎日足繁く通っているというもの。
「毎日なんか行ってないわ」
「通っていたのは事実だろ、頻度の問題じゃない」
「でも…」
隠し撮りされた写真と共に、通い妻のようだったと書かれている。
そんな感情を持った事は無いし、タレントの自宅には沢山の芸能人が出入りしていて、2人きりで過ごした事も殆ど無い。
「色々なところから連絡が引っ切り無しだ。
会社に事情を何回も説明させられたんだぞ」
「それは…ごめんなさい」
あの番組の総合プロデューサーは山科さんだから、会社への説明責任は当然だろう。
でも会社にはどう説明したんだ?
謹慎中の社内の動向が全く掴めない。
親しい同僚や、上司に送ったラインは全て既読スルー。
電話すら取って貰えない。
山科さんにもこれまで何回ラインしたと思っているの?
「会社にはどう説明を?」
「知ってどうする?」
「私の事だけじゃ済まないでしょ」
何すっとぼけた態度を取っているのか!私は貴方に見出されここまで来たのに!
「そのままだ」
「は?」
「概ね事実だと認めた」
「なんて事してくれたの!」
冗談じゃない!
これでは罪を全部認めたも同然ではないか!
「なら聞くが、ソイツと肉体関係は無かったのか?」
「え?」
「答えてみろ」
答えられる筈がない。
言ったが最後、私は山科にも見放されてしまう。
「隠しても無駄だ。
全部知っている、俺の人脈を甘く見るな」
「まさか…」
最初から知っていたのに聞くなんて。
「…卑怯者」
「なんだと?」
「卑怯者じゃない、私を助けないなんて!」
怒りに任せて叫ぶ私に対し山科は鋭い視線を向け、僅かに口角を上げた。
「俺が卑怯者なら、お前はどうなんだ?」
「はあ?」
「言ってみろ」
何が言いたいんだ?
「私は被害者よ」
「バカが、お前はクズだろ」
「な…」
今なにを言ったの?
甘い言葉で私を口説き、夫から奪い取っておきながら、私をクズだと?
「不倫なら俺は償ったぞ、慰謝料もお前の分まで払った」
「それは…」
確かにそうだ。
1年前の離婚に際し、元旦那から弁護士を通じて提示された慰謝料は、私と山科からそれぞれ300万。
私と山科は離婚理由を口外しない事を条件に私達はそれを飲んだ。
「仕事もちゃんと続けさせただろ。
朝の帯番組を4年もだ、これでも俺は卑怯者か?」
「それは私の実力で…」
「だからお前はバカなんだ。
田舎臭いローカルアナが全国ネットのメインを張れる訳ないだろ、常識で考えろ」
「バカにするな!」
私がこれまでどんなに苦労して来たか、知りもしないクセに!
「もういい」
「よくないわ!」
立ち上がろうとする山科の腕を掴み、席へ戻そうとするが、腕を振りほどかれてしまう。
「別れよう」
「なんでそうなるの?」
「別にお前と結婚を考えていた訳じゃない。
お前だってそうだろ」
「そんな事…」
確かに山科と一緒なら安定した仕事は約束される。
だから今まで来たが、そこには多少の愛情もあったはずだ。
「とんでもない女だよお前は。
別れた亭主も離婚して正解だったな」
「…そんな事ない」
政志との結婚生活まで否定するなんて、原因を作った張本人が言う言葉じゃない。
「せいぜい明日の言い訳を足りない頭で考えておくんだな。
この部屋にはもう来ないから」
そう言い残し、山科は部屋を出て行く。
結局殆ど眠れないまま一夜を過ごすのだった。
翌朝、私は港区に建つの大きなビルに来ていた。
通い慣れた通勤路のはずなのに、今日は足が重い。
人目を避けるように社員通用門を潜り、5階にあるアナウンス室へ入った。
「…おはようございます」
私の挨拶に誰も返事をしない。
同僚は目を逸らすか、軽蔑の視線を向ける。
重苦しい空気に息を詰まらせながら、自分のデスクに腰を下ろした。
「根小田君」
「はい」
アナウンス室長が私の名前を呼ぶ。
冷えた言葉に緊張が走った。
「今から第三会議室に来てくれ」
「分かりました」
有無を言わせぬ態度。
私は席を立ち、室長の後に続いた。
アナウンス室を出る私を誰一人見ようとしない。
正式に出向して4年。
いつも暖かく迎えてくれた人間はもう居ないと実感した。
「失礼します」
室長が会議室の扉をノックし、私も部屋に入る。
大きな長テーブルの前に座る3人が私を見た。
「座りなさい」
「…はい」
真ん中に座っているのは制作室局長。
アナウンス室長は対面に座り、私は4人と対峙するような形で、置かれてあるパイプ椅子に腰を下ろした。
数台のカメラが室内に設置されている。
1人見知らぬ人間も居るが、きっとこれからの内容を控える為に用意した人物だろう。
「困った事をしてくれたね」
沈黙の後、絞り出すように制作局長が呟いた。
テーブルに置かれた週刊誌。
あの記事が掲載されているのは分かっている。
「…申し訳ありません」
頭を下げる。
用意してきた言い訳の言葉は出ない、それを許さない空気が部屋を支配していた。
「君はコンプライアンスをどう考えていたんだね?
スポンサー様は大変お怒りで、番組を降りるとも言ってるんだ。
これは個人の責任で済む話じゃないのは分かるだろ!」
制作局長の右隣に座っていた男性がテーブルを叩いた。
確か営業部長だったな。
こめかみに浮かぶ血管、真っ赤に染まった怒りの表情に身体が更に縮みあがる。
「…すみません」
もう一度頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返す。
謝っても意味なんか無いのは理解しているが、他に方法が見つからない。
「落ち着きなさい。
そんな事をしても意味はない」
「…しかし」
制作局長は嗜めるように営業部長を止める。
だがその言葉は冷たく、私を気遣ってのものでないのが分かった。
「私の管理不足でした。
もっと根小田君を指導をしていたら」
左隣に座っていたアナウンス室長が局長に頭を下げた。
「君の責任はもちろんある。
しかし彼女は世間を知らない子供じゃない、30を越えた大人なんだから」
「…そうですが」
私はまだ29歳で30過ぎではない。
もちろん、そんな言葉を返せる空気ではない。
「もう問題を有耶無耶に出来ない。
向こうの事務所もこのタレントの契約を解除して切り捨てに掛かっているようだ」
「そんな事に…」
あのタレントが契約解除?
そうなったら、私の立場はどうなるんだろう。
彼を通じた人脈が使えなくなる。
「まあ契約解除は妥当でしょう」
「当然だな、根小田君以外にも女が居たようだし」
「中には不同意だった人間も居た疑いも出てます。
被害者が警察に届を出したら彼のタレント人生は完全に終了だ。
事務所がここで切り捨てるのは当然でしょう」
「それなら私も…」
私も被害者の1人として加えてもらえれば良い。
元々最初は番組の打ち合わせと言われて、奴のマンションに行ったのが始まりだった。
「ふざけた事を言うな!」
「ヒッ!」
制作局長がテーブルを叩き怒鳴りつけた。
「局長」
「すまん…つい」
局長は周りの局員に止められる。
もっと怒鳴り散らしてくれたらパワハラで切り抜けられるのに。
「根小田君は自分から行ったんだろ?
ラインの内容まで全て流出していたのを忘れたのか」
「ですが…」
記事に載ったラインの画像は確かに本当だが、私が流したんじゃない。
誰かが盗み出したんだ。
一体誰だ?
本人の同意なしで晒すなんてプライバシーの侵害ではないか。
「山科君も気の毒ですな」
「全くだ、引き抜いたアナウンサーに裏切られるなんて」
「ち、違います!」
確かに山科は私を地方局から東京の番組へ抜擢してくれたが、それは私を政志から奪う為だった。
最初は特番のMCから始まり、日曜日のワイドショー、そして朝の帯番組へと、私を絡め取って行ったんだ。
「何が違うのかね」
「山科さんは私の離婚に…」
「黙りなさい!!」
「そんな事は聞いてない!」
言い訳をしようとする言葉は局長達の恫喝に止められる。
先ほどとは比べ物にならない圧、黙るしかない。
「君の離婚理由だって真実が表に出てないだけだろ」
「そんな事…」
私の離婚理由は性格の不一致。
そう会社と世間には公表してある。
「どうだか、山科君に聞いてみたいところだよ」
「まあ、彼の事は一旦置いときましょう」
「そうですよ」
一斉に山科を庇う。
彼はここのテレビ局では叩き上げ、私のように外部から入った者とバックが違う。
「私はどうなるんですか?」
「この期に及んでまだ自分の保身か?」
自分の事を聞くのは当然の権利ではないか。
「今出演してる番組は全て降板だ」
「な…なぜ?」
「理由がいるかね」
「い…いえ」
聞いたところで私を糾弾する言葉しか返って来ないと分かった。
「出向も解除だ、来月から元の局に戻りなさい。
向こうの局と既に話は着けたから」
「そんな!」
やっと掴んだ現在の立場を手放すなんてあり得ない。
「これだけウチの局に泥を塗って、今まで通り済む筈が無いだろ!」
「全くだ、本来なら懲戒ものです」
「嫌なら労組にでも掛け合いなさい。
向こうが取り合ってくれるならの話だが」
「わ…分かりました」
こうして1時間に渡る処刑が終わり、私は全てを失ってしまった。
「政志…」
会社を出る私の脳裏に優しく微笑む政志の顔が浮かぶ。
「そうよ、政志なら私を励ましてくれるわ」
そう考えると気力が湧いて来る。
いきなり電話をしても政志は取り合ってくれないだろう。
共通の友人である北名紗央里に連絡しようと決めた。




