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断罪エンドのはずが、ヒロインたちが僕を放してくれない

掲載日:2026/06/26

【第1話 悪役令息の自覚と、真面目な誓い】


 目が覚めたとき、僕は自分が死んだことを理解していた。


 いや、正確には死んだのは「以前の自分」であって、今のこの意識は——セバスチャン・フォン・アシュバーグ、十六歳——の中に宿った別の誰かだ。


 眩しい朝の光が天蓋付きのベッドを照らしている。

 シルクのシーツ。磨き込まれた木製の床。窓の外には手入れの行き届いた庭園。

 典型的な、絵に描いたような貴族の部屋だった。


 僕——前世の記憶を持つ存在——は、じっくりと現状を整理した。


 ここは乙女ゲーム『星降る乙女と五人の騎士』の世界だ。

 プレイしたのは大学生のころ。友人に勧められて渋々始めたのに、気づいたら全ルートを周回していた、あの傑作ゲームだ。


 そして僕が転生したのは——その中でも最も哀れな役どころ、悪役令息のセバスチャン・フォン・アシュバーグ。


 ゲームでは卒業式の日、正義の鉄槌が下る。

 ヒロイン・ソフィアに対する嫌がらせの罪状を読み上げられ、愛する者たちの前で断罪され、爵位剥奪の上で国外追放。

 それがゲームにおける「セバスチャン・ルート」の結末だ。


 ……そんな運命、御免こうむる。


 布団の中で拳を握りしめながら、僕は誓った。

 もう嫌がらせなどしない。ソフィアを傷つけない。攻略対象たちとも余計な衝突を避ける。

 ただ真面目に、誠実に、目立たず貴族としての義務を果たすだけだ。


 それだけで、断罪エンドは避けられるはずだった。


✦ ✦ ✦


 王立アシュバーグ学院への登校初日。

 僕は誰よりも早く起きて、制服を丁寧に着込み、鏡の前で表情を確認した。


 鏡に映る顔は、正直言って「悪役令息」然としていた。

 漆黒の髪、冷たい印象の灰青の瞳、切れ長の目。

 笑わなければ、確かに近寄りがたい。


「……笑えるか?」


 試してみると、不自然なほどに完璧な微笑みが返ってきた。

 ゲームで「氷の令息」と呼ばれていた理由が少しわかった気がした。


 馬車で学院に着くと、生徒たちがざわめいた。

 さすが悪役令息、その存在感たるや。


 ……違う。ざわめきの理由は僕が少し早めに挨拶を返したからだ。

 すれ違いざまに「おはよう」と言っただけで、下級生が固まってしまった。


「おはよう、ございます……」


 おずおずと返してくれた少女に小さく頷いて、僕は足早に教室へ向かった。

 まずは友人を作らない。余計な関係を築かない。ひたすら無害でいることだ。


 教室に入ると、五つの席が目に入った。

 ゲームの攻略対象たち——レイン、アルフレッド、オズ、ジェイク、カイ——が、それぞれの席で思い思いに過ごしていた。


 僕は視線を逸らし、窓際の自分の席に座った。

 教科書を開いて、誰とも目を合わせない。それだけだ。それだけでいい。


「……アシュバーグ」


 低い声。


 ゆっくり振り向くと、剣士のレイン・ヴァルトが腕を組んで立っていた。

 赤茶の髪に、野性的な顔立ち。筋骨たくましい体格。

 ゲームでは「戦闘狂だが心に傷を持つ孤独な剣士」というキャラクターだ。


「……なんだ」と彼は続けた。「なんで下を向いてる。昨日まで廊下で高笑いしてたくせに」


 ……セバスチャンのデフォルト挙動が高笑いだったのか。

 前任者よ、もう少し品格というものを。


「考え事をしていただけです」

「……ふん」


 レインはそれだけ言って、視線を外した。

 最悪でも最初の接触は無事に終わった。


 よし。今日も平和に過ごせそうだ——。


 そう思った矢先に教室の扉が開き、ヒロイン・ソフィア・クレールが入ってきた。

 栗色の髪、澄んだ翡翠の瞳。庶民出身ながら魔法の才能を認められた特待生。

 彼女の目が、まっすぐに僕を捉えた。


 緊張した。

 でも、ここは微笑んで……。


「あの——セバスチャン様! おはようございます!」


 元気よく挨拶されて、僕は固まった。

 ゲームでのセバスチャンとソフィアの関係は最悪のはずだ。なぜ挨拶してくる。


「……おはようございます、クレール嬢」

「先週、図書館で本を整理するの手伝ってくださいましたよね? とても助かりました!」


 ……先週?

 前任者、何かやらかしたのか。

 いや、良いことをやらかしたのか?


「どうかお気になさらず」

「お気になさらずって言える方が、すごいと思います!」


 彼女はにこにこしながら自分の席に座った。

 教室中がその様子を見て、目を丸くしていた。


 ……どうやらセバスチャンとソフィアが普通に会話しているのが、既に前代未聞だったらしい。


 僕は静かに教科書を開き直した。

 断罪回避計画、初日。

 今のところ——なんとかなっている、たぶん。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第2話 剣士は懐く、王子は疑う】


 騎士訓練場。

 放課後のこの場所には、剣の稽古に励む生徒たちの声と金属音が満ちている。


 僕がここに来たのは、単純な理由だ。

 ゲームの攻略対象・レイン・ヴァルトは「訓練場に現れた悪役令息に絡まれる」という初期イベントを持っている。

 それを回避するために、僕が先に来て、静かに剣の素振りをしていれば、余計なフラグが立たないはずだった。


 完璧な計画だった。


「……なんで来てるんだ、お前」


 背後から声をかけられた。

 振り向くとレインが腕を組んで、じっとこちらを見ている。


「素振りをしていた」

「見りゃわかる。なんでここに来たかって聞いてんだ」

「鍛錬のため」


 レインは少し間を置いてから、小さく舌打ちした。


「……隣、使うぞ」


 そして何も言わずに隣の的台に向かい、剣を抜いた。


 なんだ、普通じゃないか。

 すれ違いも衝突も起きなかった。よかった。


 黙々と各自素振りをすること二十分。


「お前……構えが変わったな」

「ん?」

「以前はもっと肩に力が入っていた。今日はどこかバランスがいい」


 レインは剣を収めながら、じっと僕の動作を観察していた。

 鋭い観察眼はさすが攻略対象だと思ったが、何を言えばいいかわからない。


「……精進あるのみ、ということです」

「ふん。俺に勝てる気がするなら相手してやる」


 ゲームの設定では「無敗の剣士」だ。

 当然断ります——と言いかけたとき、


「勝てる気はないが、学べるかもしれない」


 と、口から出ていた。


 レインが一瞬目を細めた。そして。


「……面白いこと言う奴だな、お前」


 そう言って、小さく笑った。

 攻略対象が笑った。こちらに向かって。

 まずい。懐かれている気がする。


✦ ✦ ✦


 翌日、廊下で王子のアルフレッド殿下と鉢合わせた。


 金の髪に深緑の瞳。端正な顔立ちに穏やかな笑顔。

 しかしゲームでの評価は「腹の底が読めない策士」だ。

 油断大敵の攻略対象筆頭。


「やあ、アシュバーグ」


 と、にこやかに声をかけてきた。


「殿下」と僕は丁寧に一礼した。

「最近、随分と様子が変わったね」


 もう気づかれているのか。

 僕は慎重に言葉を選んだ。


「特別に変わったつもりはありませんが」

「そう? 先週まで廊下を歩くたびに誰かを睨んでいたのに、今週はずっと本を読みながら歩いている。随分とのんびりしたものだ」


 ……本を読みながら廊下を歩くのが「のんびり」に見えるのか。

 それとも、監視されていたのか。


「読書は大切なことかと」

「ふふ。そうだね。ちなみに、どんな本?」


 僕が持っていた本の表紙を彼は覗き込んだ。

 タイトルは——『悪役の末路と反省』。


 昨日図書館で思わず借りてしまったのだ。内容は貴族の失脚事例集だが、タイトルが致命的だった。


「……自己啓発の類です」

「そう」


 アルフレッドは一瞬だけ目を細め、それからまた穏やかに微笑んだ。


「面白い趣味だね、アシュバーグ。また話そう」


 そう言って颯爽と去っていった。

 僕は廊下に残され、本を胸に抱えた。


 ……絶対怪しまれている。

 策士の攻略対象に目をつけられた。完全に予定外だ。


 断罪回避計画、二日目。

 剣士に懐かれ、王子に疑われた。


 ……前途多難である。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第3話 魔法使いの実験と、謎の爆発】


 魔法研究室の扉を、僕は静かにノックした。


 理由は単純だ。

 ゲームで魔法使いのオズ・メイヤーは、「実験中に誰かが突然入ってきて爆発が起きる」というコミカルなイベントを持っている。

 攻略対象・セバスチャンが乱入して爆発を引き起こすのがゲームでのシナリオだ。


 だから僕は、ノックをした。

 礼儀正しくノックをして、返事を待ってから入れば、何も起きない。


「……どうぞ」


 細い声。


 扉を開けると、白衣に眼鏡の細身の少年——オズ——が振り向いた。

 茶色い巻き毛、好奇心の強そうな大きな目。

 少し呆けたような顔をしている。


「どうされましたか、アシュバーグ先輩」

「魔法薬学の課題で、調合に迷っていることがあって」


 嘘ではない。本当に迷っていた。

 魔法という概念が現実にある世界での勉強は、前世の知識と微妙にずれるので難しい。


「……見せてもらっても?」


 僕がノートを差し出すと、オズは丁寧に眺め、それから静かに言った。


「安定剤の配合量が十分の一になっています。多分ゼロが一つ足りていない」

「……えっ」


 確認したら、本当にそうだった。

 ゲームでの「実験失敗爆発」は、もしかしてセバスチャンが間違った調合をしたせいだったのか。


「助かりました。ありがとう」


 素直にお礼を言うと、オズは少し驚いた顔をした。


「……お礼を言われたの、初めてです」

「そうか?」

「アシュバーグ先輩、以前は人の研究を『下品な錬金術』と言って通り過ぎるだけでしたので」


 前任者よ。

 本当に何をしていたんだ。


「……失礼なことを言っていたなら、謝る」

「いえ! そんな、謝っていただかなくても……」


 オズは耳まで真っ赤になって、眼鏡をずり上げた。


「あの……もしよければ、今調合している薬の話、聞きますか? すごく面白い結果が出そうで」


 断る理由もなかった。

 僕はオズの隣の椅子に座り、彼の説明に耳を傾けた。


 話し始めると饒舌になる。瞳がきらきら輝く。

 この子は本当に研究が好きなんだな、と思った。


✦ ✦ ✦


 二十分後。


 爆発した。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「いや……怪我はないから」

「なんで爆発するって計算してなかったんだろう、ぼく……」

「計算外のことは起きる。ちゃんと二人とも無事だったから大丈夫だ」


 白煙の中、オズが青ざめた顔で謝り続けている。

 僕は天井に貼り付いた実験資料を一枚剥がしながら、なんとも言えない気持ちになった。


 ノックしたのに、結局爆発した。


 ……これはイベント回避不可能だったのか?


「先輩」とオズが小さな声で言った。「一緒に実験してくれたの、嬉しかったです」


 煤だらけの顔で、でも照れたように笑っていた。


 まずい。懐かれている。


 断罪回避計画、五日目。

 魔法使いに懐かれ、爆発に巻き込まれた。


 服のクリーニング代は自腹である。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第4話 商人の取引と、予想外の誠実さ】


 学院の購買部に、妙な噂があった。


 「ジェイク・ハートから物を買うと、必ず人生が変わる」。


 ジェイク・ハート——庶民出身の商人の息子で、今は学院唯一の「購買部運営許可証」持ち。

 金色の癖毛に、いつも笑顔を絶やさない、軽薄そうな見た目のくせに、交渉では誰も彼の意を外さない。


 ゲームでの攻略対象としての彼のポジションは、「善人のふりをしながら実は深い孤独を抱えるビジネスマン」だ。


 僕がここに来た理由は、課題に使う羊皮紙を買いに来ただけだ。

 それ以上の意図はない。


「いらっしゃい、アシュバーグの旦那!」


 ジェイクは満面の笑みで迎えてくれた。


「羊皮紙を十枚」

「了解です。……ところで、B級品とA級品、どっちにします? 値段は倍違いますが、A級は書き心地が段違いですよ」


 どちらでもよかったが。


「B級品でいい」

「本当に? 旦那のような貴族なら絶対A級品を——」


「B級品でいい。余分に払う理由がない」


 ジェイクが少し意外そうな顔をした。


「……貴族でB級品を選ぶ人、初めてですよ。普通は体裁を気にして高いほうを選ぶ」


「使い道は課題だ。どうせインクで汚れる」


 正直に言ったら、ジェイクがふと笑みをひっこめた。

 そして少しだけ別の顔で——素の顔で、僕を見た。


「……良い買い物の仕方しますね、旦那」

「?」

「必要なものを、必要なだけ、適切な価格で。それが一番賢い。体裁で買い物する人より、よっぽど商人向きだ」


 褒められているのか。

 僕はお金を払い、羊皮紙を受け取りながら、ふと思った。


「君は、なぜ商売をしているんだ? 学院の中でも外でも稼げる頭があるだろうに」


 ジェイクは一瞬沈黙した。

 それから、また笑みを戻した——でも今度は、少し本物に近い笑みで。


「稼いだお金で、弟の医療費を払ってるんで」


✦ ✦ ✦


 それ以上は聞かなかった。

 聞かないほうがいいと思ったから。


 でも翌朝、僕はジェイクの購買部の前に、封筒を一つ置いておいた。

 中には、伯爵家の月々の小遣いから捻出した金額と、短い手紙。


「弟さんへのものとして受け取ってほしい。施しではなく、良い商談の礼として」


 昼休みにジェイクが僕の席まで来た。

 少し目が赤かった。


「……旦那、本当に変わりましたね」


「昔から変わらない」とうまく言い訳できたかはわからない。


「俺、旦那のこと好きかもしれないです」


 それはどういう意味の「好き」だ。

 聞き返す前にジェイクは笑顔で去っていった。


 懐かれた。

 確実に懐かれた。


 断罪回避計画、一週間目。

 商人に懐かれ、弟の存在を知ってしまった。


 出費は想定外だったが、後悔はしていない。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第5話 神官の祈りと、セバスチャンの困惑】


 学院付属の礼拝堂は、誰も来ない午後にひっそりと光に満ちている。


 ステンドグラスの彩光が床に落ちて、石造りの空間に静寂と温かさが共存する。

 僕がここに来たのは、単純に落ち着きたかったからだ。

 毎日毎日、何かしらの攻略対象と接触して、どこかで懐かれている気がして、精神的に疲れてきた。


 礼拝堂で静かに座っていれば、誰も来ないだろう——。


「……お祈りですか?」


 来た。

 攻略対象が来た。


 振り向くと、神官のカイ・ソレイユが立っていた。

 白銀の髪と、穏やかな金色の瞳。いつも静かに微笑んでいる、ゲーム内での「癒し系」担当。

 ただし本当の感情は深いところに封印されている——という設定だ。


「……休憩しに来ただけです」

「ここは誰にでも開かれています」


 カイは僕の隣のベンチに腰を下ろした。

 押しつけがましいところのない、自然な距離感。


 しばらく二人で黙って光を眺めていた。

 変な沈黙だった。でも不思議と、悪くなかった。


「アシュバーグ様」とカイがゆっくり言った。「最近、お顔の表情が変わりましたね」

「そうですか」

「以前はいつも、どこか追い詰められたような目をしていた。今は……柔らかい」


 僕は少し驚いた。

 カイ・ソレイユは「人の心の機微を読む」能力がゲームの特性だったが、そこまで正確に読まれるとは。


「心境の変化、とでも言えばいいかな」

「変わろうとしているんですね」


 断言された。

 否定しようとして、できなかった。


「……そうかもしれない」


「いいことだと思います」


 カイは静かに言って、また前を向いた。

 裁くでも問いただすでもなく、ただそれだけを言って。


✦ ✦ ✦


 礼拝堂を出るとき、カイが言った。


「セバスチャン様」


 名前で呼ばれた。

 攻略対象に初めて名前で呼ばれた。


「悩み事があれば、ここにいつでも来てください。神官として話を聞きます」


「神官として、ね」

「……神官として以外にも、聞けると思いますが」


 少し間を置いてから、カイは付け加えた。

 その言い方が、少しだけ不器用だった。


 完璧に見えて、この人も少し不器用なところがあるんだな、と思った。


「また来るかもしれない」

「待っています」


 それだけ言って、カイは礼拝堂の奥に戻っていった。


 僕は外の光の中に出ながら、困惑していた。

 攻略対象が全員、なぜか親切にしてくれる。

 これは計画の想定外だ。


 断罪回避計画、九日目。

 神官に懐かれた。

 これで五人全員と接触してしまった。


 ……なぜ誰も、悪役令息を警戒しないんだ?


════════════════════════════════════════════════════════════


【第6話 ソフィアの「好き」と、セバスチャンの絶叫(心の中で)】


 問題が発生した。


 昼休み、中庭のベンチで昼食を取っていたら、ソフィア・クレールが隣に座ってきた。


「セバスチャン様、隣、いいですか?」

「……どうぞ」


 断れなかった。

 断る理由がなかったし、断ったら「ヒロインを追い払った悪役令息」という別のフラグが立ちかねない。


 ソフィアは手作り弁当を広げて、楽しそうに食べ始めた。

 こちらは学院の食堂のパンをかじりながら、できるだけ気配を消そうとしていた。


「セバスチャン様って、お昼はいつもそれですか?」

「……食堂が混むから、先に買っておく」

「一緒に食堂行きましょうよ! わたし、並ぶの好きじゃなくて先に来てるんですけど、二人いれば話し相手になれるし」


 いつの間にかランチ計画を提案されていた。


「クレール嬢は友人が多いだろう。わざわざ」

「いますけど、セバスチャン様と話すの好きなんです!」


 さらっと言われた。

 好き、と言われた。


「……なぜですか」

「なぜって言われると……最初に話したとき、ちゃんと目を見て話してくれたから、かな? 前のセバスチャン様は、いつも見下した感じで話してたから」


 前任者への評価が積み重なっていく。


「クレール嬢と話すのは、私も嫌いではない」


 正直に言ったら、ソフィアがぱあっと笑った。


「嫌いじゃないって言ってもらえるの、結構嬉しいですよ!」


 感情の閾値がおかしい。いや、純粋なのか。


✦ ✦ ✦


 問題はその後に起きた。


 授業中に廊下でソフィアと鉢合わせ、彼女がまた声をかけてきた。

 その様子を教室越しに見ていた五人の攻略対象たちが、全員こちらを見ていた。


 レインは腕を組んで不満そうに。

 アルフレッドは柔らかく微笑みながら。

 オズは眼鏡を曇らせながら。

 ジェイクは片眉を上げながら。

 カイは穏やかに目を細めながら。


 ……全員が、こちらを。


 放課後、ソフィアが僕の教室に来た。

 五人の男子の視線を背中に浴びながら、彼女は僕に言った。


「セバスチャン様、わたし——」


 また何か言うのか。

 また「好き」の類のことを言うのか。


「——あなたのことが、一番好きです」


 言った。


 言ってしまった。


 教室が凍った。

 五人の視線が、一斉に鋭くなった。


 僕は心の中で盛大に叫んだ。


(なぜ!! ヒロインにそれを言わせてはいけない!! ゲームシナリオが完全崩壊している!!)


「……クレール嬢」


「あ、友達として、ですよ?」


 ソフィアはにこっと笑った。


「友達として、今の学院で一番好きな人、って意味で!」


(それはそれで怖い!!)


 僕は平静を保ちながら一礼した。


「……光栄です」


 その夜、僕は夜中まで眠れなかった。

 断罪回避計画が、じわじわとゲームシナリオとかけ離れていく感覚があった。


 これは本当に大丈夫なのか。

 誰も僕を断罪しないが、誰もが僕に好意的になっていく。


 これはこれで、何か別のトラブルの予兆ではないのか……。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第7話 五対一の口論と、意図せず仲裁に入るセバスチャン】


 昼休み、中庭で口論が起きていた。


 関係者は、攻略対象の五人全員とソフィア。

 つまりゲームのメインキャスト全員だ。


 遠目に見ていた僕は、あわてて方向を変えようとしたが。


「アシュバーグ!」


 レインに呼ばれた。逃げ損ねた。


 近づくと、状況がわかった。

 五人はソフィアを挟んで、それぞれが「ソフィアの昼食を一緒に取る権利」を主張して揉めていた。


 ……ゲームの攻略対象たちはヒロインを争うはずなのに、なぜ昼食の席を争っているんだ。


「お前から言ってやれ」とレインが僕に言った。

「何を?」

「俺が先に声をかけたから俺が正しいって」

「それはおかしい」とアルフレッドが口を挟んだ。「先約があるなら事前に確認すべきだ」

「ぼくが一番ソフィアさんの好きなメニューを把握してる!」とオズが言った。

「知ってることと権利は別ですよ」とジェイクが冷静に。

「争うこと自体、ソフィア様をお疲れにさせているのでは」とカイが穏やかに諭す。


 五人がまた喧嘩し始めた。


 ソフィアが「どうしよう……」という顔でこちらを見ていた。


 僕は深呼吸をした。


「全員、聞いてください」


 場が静まった。


「クレール嬢が困っている。そこから始めるべきでしょう」


 誰も何も言わなくなった。


 ソフィアに向かって、僕は言った。


「クレール嬢、今日は誰と食べたい?」


「……えっと」


 彼女は少し考えて。


「……セバスチャン様と……」


 また中庭が凍った。


「……みんなで! みんなで食べたいです!」


 慌てて付け加えたが、最初の部分が全員に聞こえていた。


✦ ✦ ✦


 結局、六人全員で中庭の大テーブルを囲んで昼食を取ることになった。


 当初の予定と全く違う展開だったが、誰も文句を言わなかった。


 むしろ、なんとなく……平和だった。


 レインがぶっきらぼうに料理の評価を言う。アルフレッドが優雅に会話を回す。オズが新しい魔法の話を熱く語る。ジェイクが食材の原価を分析する。カイが静かに皆の様子を見守る。ソフィアが全員の話を楽しそうに聞く。


 そして僕が……なぜか、その輪の中心にいた。


「アシュバーグ、もっと喋れ」とレインが言った。

「私は聞くほうが好きだ」

「うそつけ。今日だって仲裁したじゃないか」

「あれは仲裁じゃなく事実確認だ」

「同じだろう」


 ジェイクが笑った。「旦那、どんどんまとめ役になってますよ」


 まとめ役。

 悪役令息がまとめ役。


 断罪回避計画、三週間目。

 意図せず、グループの中心になっていた。


 これは果たして、計画の成功なのか失敗なのかが、まったくわからない。


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【第8話 雨の中の告白——レインが話した傷のこと】


 雨の日の訓練場は、いつもより静かだ。


 雨音が屋根を叩く中、レイン・ヴァルトは一人で素振りを続けていた。

 僕は帰ろうとして、でも気づいたら足が止まっていた。


 彼の動きが、いつもと違う。


 機械的だ。考えていない。まるで何かから逃げるように、ただ剣を振っている。


「……レイン」


 呼んだら、彼はぴたりと止まった。

 振り向かなかった。


「帰れ」


「帰れないな」


「なんで」


「雨が降っているから」


 嘘だ。傘はある。でも、なぜかそう言った。


 レインはしばらく何も言わなかった。

 それから、剣を鞘に収めて、壁にもたれかかった。


「……今日、命日なんだ」


 静かな声だった。


「誰の?」

「親父の。俺が八歳のとき、魔物に殺された。俺の目の前で」


 僕は何も言わなかった。

 言えなかった。


「俺が弱かったから助けられなかった。だから強くなった。ずっと強くなり続けてる。でも——」


 レインは天井を見上げた。


「どれだけ強くなっても、あの日の自分には戻れない。あの日の俺は、親父を失った瞬間に、何かが死んだんだと思う」


 雨が強くなった。


 僕は彼の隣に座った。

 訓練場の床は冷たくて、少し土の匂いがした。


「強くなったことは、おかしくない」と僕は言った。

「……」

「ただ——強さを、生き続けるために使ってほしいと思う。誰かを守るだけじゃなくて、お前自身を守るためにも」


 レインが、こちらを向いた。


 初めて、彼が泣きそうな顔をしているのを見た。

 泣かなかったけど。ぎりぎりのところで、泣かなかった。


「……お前、なんでそういうこと言えるんだ」


「わからない。ただ、思ったことを言った」


「……俺、お前のこと苦手だったのに」


「今は?」


 レインは少し間を置いて、目を逸らした。


「……悪くない」


✦ ✦ ✦


 雨が上がった頃、二人で訓練場を出た。


 レインは何も言わなかったが、出口で一度だけ振り返った。


「また来い。訓練に付き合ってやる」


 それだけ言って、先に歩いていった。


 僕はその背中を見送りながら、胸のあたりが少し温かくなったのに気づいた。


 この世界には、本物の痛みが存在する。

 ゲームのキャラクターだと思っていたが、彼は生きている。

 確かに、生きている人間だった。


 それを忘れていた自分を、少し恥ずかしく思った。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第9話 王子の罠と、セバスチャンの正直すぎる答え】


 王子・アルフレッドが僕を「お茶に招待した」という事態が発生した。


 断れなかった。

 王族の招待を断るのは、それ自体が問題になる。


 指定されたのは学院の貴賓室。テーブルに向かい合い、アルフレッドは優雅に紅茶を飲んでいた。


「ありがとう、来てくれて」

「招待いただき光栄です」


 社交辞令を返しながら、僕は警戒していた。

 策士の攻略対象がお茶に誘う。これは何らかの試みだ。


「単刀直入に聞くけど」


 アルフレッドは微笑みを崩さずに言った。


「アシュバーグ、君はなぜ変わったんだ?」


 きた。


「変わった、という自覚はない」

「周囲の評判は劇的に変わっている。ヒロインに慕われ、五人全員に気に入られている。以前の君を知る者は皆、首を傾げている」


「……周囲が変わったのかもしれない」


「君が変わったから、周囲が変わったのでは?」


 論理的だ。反論が難しい。


「アシュバーグ」


 アルフレッドが目を細めた。


「君が演じているのか、それとも本当に変わったのか、どちらだ?」


 これが罠か。

 どちらを答えても、追及される。


 僕は紅茶を一口飲んで、少し考えた。


 そして、正直に言った。


「本当に変わろうとしています。演じているなら——もう演じることが自分になっているかもしれない」


 沈黙。


 アルフレッドがゆっくりと、今まで見た中で一番本物らしい笑みを浮かべた。


「……それは、いい答えだ」


✦ ✦ ✦


「僕もね」とアルフレッドは続けた。「ずっと演じてきた。王子として。策士として。でも最近、少し疲れてきた」


 初めて彼が弱いところを見せた気がした。


「アシュバーグ、君に一つお願いがある」


「何でしょう」


「友達になってほしい。本音が言える——本当の意味での、友達に」


 友達。

 王子から友達の申し込み。


 断る理由はあるか?

 断ったら「王族の申し出を断った」という別の問題が生まれる。


 でも——それ以上に、彼の目が真剣だった。


「……わかりました」


「よかった」


 アルフレッドはほっとしたように笑った。

 その笑顔は、策士の仮面じゃなかった。


 断罪回避計画、一ヶ月目。

 王子に友達認定された。


 計画とはかけ離れているが、これで断罪される可能性が一つ減ったのか、増えたのかが、まったくわからなくなってきた。


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【第10話 文化祭の企画と、セバスチャンがまとめ役になる理由】


 学院文化祭の実行委員会、という制度が存在した。


 志願制のはずだが、なぜか僕の名前が委員リストに入っていた。


「入れたのは誰だ」と聞いたら、全員が目を逸らした。


「俺じゃない」とレイン。

「ボクも!」とオズ。

「推薦は全会一致で決まりますから」とジェイク。

「皆さんのご意見を尊重しました」とカイ。

「最初に言い出したの、わたしです……!」とソフィア。


 ソフィアだけが正直だった。


 しかも全員が実行委員として参加する予定で、僕が「まとめ役に向いている」という理由で委員長に推薦されたらしい。


 委員長。

 悪役令息が委員長。


「……断れますか?」

「会議がもう始まります」


 カイに静かに告げられて、引きずられるように会議室に連れて行かれた。


✦ ✦ ✦


 会議は予想通り混沌とした。


 レインは「剣術大会」を主張。オズは「魔法実験展示」を提案。ジェイクは「収益最大化のための市場」を計算し始める。アルフレッドは「演劇が上品で品がある」と優雅に言う。カイは全員の意見を静かに聞いて「一つずつ実現可能性を検討しましょう」と言う。ソフィアはノートにみんなのアイデアを嬉しそうにメモしている。


 誰も聞いていない。誰も引かない。


 僕は黒板の前に立って、全員の案を書き出した。


「全部やります」


 全員が「え?」という顔をした。


「剣術大会、魔法展示、小規模市場、演劇、相談ブース——全部やります。ただし、人手を分散させないために、場所と時間帯を分ける。一日目と二日目で役割を入れ替える」


 一瞬の沈黙。


「……できるか?」とレインが言った。

「人手が足りなければ下級生に声をかける。オズは実験展示のブースを午前中に担当すれば、午後は市場の手伝いができる。演劇はアルフレッドが脚本を書くなら、僕が演出を補助できる」


「書いてみる価値はある」とアルフレッドが言った。


「旦那、本当にできる気しますよ」とジェイクが感心したように言った。


 レインが腕を組みながら言った。


「……お前、こういうの好きなのか?」


「好きというより、解決したほうが楽なだけだ」


「同じだろう」


 そうかもしれない。


 断罪回避計画、六週間目。

 いつの間にか文化祭の委員長になっていた。


 …………計画、どこかで方向を間違えた気がする。


════════════════════════════════════════════════════════════


【第11話 文化祭前夜と、ジェイクの弟からの手紙】


 文化祭の前夜、準備室に人が残っていた。


 ジェイク・ハートが、一人で装飾の作業をしていた。

 灯りは魔法ランプ一つ。手元だけが明るい。


「手伝う」


 声をかけたら、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに「ありがとうございます」と言った。


 二人で黙々と作業をした。

 ジェイクは無駄がなかった。計算して動く人間の動きをしていた。


「……弟の調子はどうだ?」


 聞いたのは、自分でも意外だった。


「ずいぶんと良くなりました」とジェイクは言った。「先輩からいただいた分で、良い薬が試せて」


「よかった」

「……先輩から手紙が来たって、弟が大喜びで」


「手紙? 送っていないが」


「えっ」


 ジェイクが手を止めた。


「……先輩の封筒に入ってた、短いメモ、弟が勝手に読んだみたいで。受け取ってくれた礼と、早く元気になれって書いてあったって」


「ああ……それは、ただ書いただけだ」


「弟、フォン・アシュバーグ様のファンになっちゃいましたよ」


 ジェイクが少し苦笑した。でも、目が赤かった。


「弟が……誰かを尊敬するって言ったの、初めてで。俺のことも「かっこいい」って言ってくれるんですけど、それは身内びいきで。他人に、ちゃんと尊敬する気持ちを持ってくれたのが」


 彼は少し言葉を切った。


「嬉しかったです。弟の心が、動いてるんだって思えて」


✦ ✦ ✦


 作業が終わった頃、ジェイクがポケットから折り紙の鶴を出した。


「弟が折って、俺に持たせてくれた。先輩に渡してって」


 小さな、不格好な鶴だった。

 子供が一生懸命折った、不格好な鶴。


 受け取ったとき、胸のあたりがぎゅっとした。


「……名前は?」

「アレン。十二歳です」

「アレンに伝えてくれ。お大事に、と」


「はい」


 ジェイクは笑った。

 今まで見た中で、一番本物の笑顔だった。


「……先輩のこと、好きですよ。本当に」


 それは友情の言葉だった。

 でも、確かに温かかった。


 断罪回避計画、七週間目前夜。

 ジェイクの弟から折り鶴を受け取った。


 大切に部屋に飾ることにした。


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【第12話 文化祭当日——「悪役令息」と呼ばれなくなった日】


 文化祭は、成功した。


 剣術大会でレインが圧巻の演武を見せ、オズの魔法展示に子供たちが集まり、ジェイクの市場コーナーは予測通りの売上を叩き出した。アルフレッドの演劇は上品で、カイの相談ブースには意外なほど多くの生徒が訪れた。ソフィアは全部のブースを笑顔で手伝い続けた。


 僕は裏方として走り回り続け、問題が起きるたびに駆けつけた。


 夕暮れ、後片付けの最中に、レインが言った。


「……お前、今日一日で何往復したんだ」


「数えていない」


「俺は数えた。十七往復だ」


 やけに正確だった。


「アシュバーグ」


 レインが珍しく、名前を呼んだ。


「俺、最初はお前のことが嫌いだった。正直に言うと」


「知っている」


「でも今は——」


 彼は少し間を置いた。

 レインが言葉を選ぶのは、珍しかった。


「仲間だと思ってる。認めたくないけど、そう思ってる」


✦ ✦ ✦


 後片付けが終わった夜。


 六人で中庭に座った。

 魔法ランプが幾つか浮かんで、温かい光の中に全員がいた。


 オズが「今日の魔法展示、上手くいきましたよね!」と興奮気味に言う。

 ジェイクが「売上計算したら黒字でした、すごい」と嬉しそうに報告する。

 アルフレッドが「演劇の反響が良くて、来年もやろうという声が」と満足そうに言う。

 カイが「相談ブースで、少し楽になった顔をする生徒が多くいて、よかったです」と静かに笑う。

 ソフィアが「みんなで一緒にできてよかった!」と元気に言う。


 レインが「まあ、悪くなかった」と腕を組みながら言う。


 そして——全員の視線が、僕に向いた。


「セバスチャン様のおかげです」とソフィアが言った。

「旦那がいなかったら、ぐちゃぐちゃになってましたよ」とジェイク。

「……俺、お前に礼を言えるのが嫌だ。でも言う。ありがとう」とレイン。


 静かな夜だった。

 ランプの光が揺れた。


 ふと、気づいた。


 今日一日——誰も、僕を「悪役令息」と呼ばなかった。

 心の中でも、他の誰かの口でも。


 ただ「アシュバーグ」と「セバスチャン様」と「先輩」と「委員長」と呼ばれた。


 それが、なぜか——思っていたより、ずっと嬉しかった。


「……皆さんのおかげで、良い文化祭でした」


 と言ったら。


「またやろう」とレインが言った。


 全員が頷いた。


 断罪回避計画、二ヶ月目の節目。

 悪役令息という肩書きが、今日だけは、どこかに消えた気がした。


 それが——本当に嬉しかったことを、この日記に記しておく。

【第13話 ラッキースケベの逆説——助けようとして助けられた話】


 問題の発端は、図書館の梯子だった。


 ソフィアが高い棚の本を取ろうとして、梯子に登った。

 僕はたまたま通りかかって、梯子がぐらついているのに気づき、支えようとした。


 そこまでは完璧な行動だった。


 問題は、ソフィアが梯子から足を踏み外した瞬間、落ちてきた本の束が僕の顔面を直撃して、バランスを崩した点だ。


 結果として——ソフィアが下から落下する前に、僕が先に床に倒れ、そこにソフィアが着地した。


 重力と不運が、完璧なタイミングで重なった。


「——っ!」


「……大丈夫ですか」


 見上げると、ソフィアが真っ赤になっていた。


「だっ、大丈夫です……セバスチャン様は……」

「頭を打ったが、問題ない」


 「問題ない」の部分がやや強がりだったのは否定しない。


 司書が飛んでくるよりも先に、僕たちは起き上がった。

 周囲の生徒たちがぽかんとした顔でこちらを見ていた。


✦ ✦ ✦


 その日の午後、レインがいきなり「お前、朝何があった」と聞いてきた。


「本に当たって倒れた」

「……図書館で?」

「そう」

「……ソフィアと?」


 なぜ知っている。


「目撃者が多かった」


 レインが複雑な顔をした。


「お前……ソフィアのこと、好きなのか?」


 唐突な質問だった。


「そういうわけでは」

「じゃあなんで毎度、あいつの近くにいる」

「たまたまだ」

「たまたまが多すぎる」


 指摘は正しい。でも、意図的ではない。


「……アシュバーグ、お前に正直に言う」


 レインが珍しく、しっかりと目を合わせた。


「俺、ソフィアのことが好きだ」


 ゲームのシナリオ通りの告白だ。

 ここで攻略対象は自分の恋心を自覚する——。


「だからお前のことも、ライバルとして認める」


「……ちょっと待ってくれ」


「何だ」


「なぜ私がライバルになる」


「ソフィアが一番好きだって言ったのはお前に対してだろう」


「友達として、と言っていたはずだが」


「信じられるか!」


 確かに信じにくいかもしれないが。


 レインは腕を組んで、不満そうに言った。


「……まあ、正々堂々戦う。隠し事はしない主義だ」


 宣戦布告された。

 悪役令息が、主人公ポジションの攻略対象に宣戦布告された。


 これは計画と何もかもが違う。


 断罪回避計画、二ヶ月半。

 ラッキースケベ未遂の結果、ライバル認定された。


 ……計画書を捨てる時期に来たかもしれない。


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【第14話 オズの研究発表と、セバスチャンだけが気づいたこと】


 学院で年に一度、研究発表会が開かれた。


 オズ・メイヤーは、魔法薬学の新理論を発表することになっていた。

 内容は——「魔力消費を半減させる補助薬の合成方法」。

 もし実証されれば、魔法使いの消耗を大幅に抑えられる、革新的な研究だ。


 発表当日、オズは壇上に立って、流暢に説明を始めた。


 しかし、途中から声が震えた。


 僕は客席から見ていて、気づいた。


 聴衆の中に、上級の魔法研究者たちが複数いた。

 彼らの顔が、少しずつ批判的になっていた。


 理論の一部に、穴がある——と思っているのだ。


 そしてオズ自身も、それに気づいている。

 発表しながら、自分の理論の弱点に気づいてしまった。


 壇上で、一人で気づいてしまった。


✦ ✦ ✦


 発表後の質疑応答が始まったとき、研究者の一人が手を挙げた。


「君の理論は、安定剤の反応速度について考慮が不足している。実用段階では想定より三倍以上の誤差が出るはずだが」


 オズは黙った。


 反論できないから、じゃない。

 その通りだと思っているから、だ。


 僕は手を挙げた。


 全員が振り向いた。


「アシュバーグ様?」と司会が戸惑いながら言った。


「一点、補足させていただけますか」


 壇上のオズが、こちらを見た。驚いた顔で。


「メイヤーの理論における安定剤の件ですが——誤差の想定は彼も把握しています。この研究の目的は完成形を示すことではなく、可能性の枠組みを提示することにある、と以前本人から聞いています。未完の理論だからこそ、さらなる研究者の参入を促す意義がある——それが彼の意図だと理解しています」


 静寂。


 そしてオズが、ゆっくりと言った。


「……その通りです。補足してくださって、ありがとうございます」


 声が、少し落ち着いていた。


✦ ✦ ✦


 発表後、廊下でオズが走ってきた。


「先輩!」


「……良い研究だった」

「穴があったのに?」

「穴があっても、見えているものが大きければ価値がある」


 オズは眼鏡の奥で、目を潤ませた。


「……先輩、どうしてフォローしてくれたんですか。ぼくのこと助ける理由、なくないですか」


「理由があってやることばかりじゃない」


 オズはしばらく黙って、それからぺこりと頭を下げた。


「……先輩のこと、すごく好きです」


 頬が赤かった。


 眼鏡の奥の目が、本気でそう言っていた。


 断罪回避計画——もはや回避より、ここにいる人たちのことのほうが大事になってきている自分に気づき始めていた。


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【第15話 カイの祈りと、神の名前】


 深夜の礼拝堂に、灯りが漏れていた。


 帰り道に気づいて、何となく近づいたら——カイ・ソレイユが一人で祈っていた。


 声は聞こえなかった。

 口だけが動いていた。


 邪魔しようとは思わなかったが、足音で気づかれた。


「……セバスチャン様」


 振り返ったカイの顔は、穏やかだった。

 でも、いつもより少しだけ疲れて見えた。


「夜遅いですね」と彼は言った。

「お前こそ」


 カイは小さく笑って、隣のベンチを示した。


 座った。二人で、祭壇の前に並んで。


「誰かのために祈っていた?」


「皆さんのために。そして……一人のために」


「一人?」


 カイは少し間を置いた。


「幼い頃、共に育った子がいました。孤児院で。とても優しい子でした。でも——病気で、逝きました。十歳の頃に」


 静かな声で言った。

 感情を抑えた声、ではなくて——感情を全部受け入れた後の声、だった。


「その子のために、祈り続けている」

「神官になったのも?」

「……少し、あります。神様が本当にいるなら——彼女のそばにいてほしいと思って」


✦ ✦ ✦


「信じているんですか、神様を」と僕は聞いた。


「信じています。でも……時々、怨む気持ちもある」


 正直な言葉だった。

 神官として、神を怨む気持ちを持つことの複雑さを、カイは知っているはずなのに。


「それでいいと思う」と僕は言った。


「?」


「神を怨めるのは、神に向き合っているからだろう。無関心なら怨まない。どちらが神に近いかは——わからないけど」


 カイは長い間、黙っていた。


 そして。


「……セバスチャン様、あなたが神官になれば良かったのに」


「神を半分しか信じていない人間には無理だ」


「半分信じているなら、充分だと思います」


 カイが、静かに微笑んだ。

 その笑顔が、今まで見た中で一番柔らかかった。


「あなたがここに来てくれて、良かった」


 その言葉が、夜の礼拝堂に溶けていった。


 断罪回避計画は、もはや計画ではない。

 ただ——ここにいる人たちと、同じ時間を生きている。


 それだけが、今は確かだった。


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【第16話 アルフレッドの策と、セバスチャンの逆算】


 問題が浮上した。


 学院の理事会が、ソフィア・クレールの「特待生資格の見直し」を審議するというのだ。


 理由は「出自が平民であり、貴族文化への適応が不十分」という形式的なもの。

 しかし実態は——貴族の一部が、庶民出身の優秀な生徒の台頭を快く思っていないからだ。


 アルフレッドが僕を呼んだのは、昼の貴賓室だった。


「知っているか?」

「先ほど聞いた」

「どう思う」


 正直に言った。


「不当だ」


「そう。不当だ。でも、表立って反論すると王家が平民を贔屓していると取られる。僕が直接動けない理由がある」


「だから私に話している?」


「アシュバーグ家は中立の立場が強い。君が理事会に意見書を出せば、王家よりも中立的な声として通りやすい」


 策士の思考回路だ。

 でも——目的は同じだ。


「書く」


「即答するんだね」


「正当な理由がある。それだけで充分だ」


 アルフレッドが、少し目を細めた。


「君と友達になって正解だった」


✦ ✦ ✦


 意見書の作成に、三日かかった。

 論拠を揃え、事例を調べ、法的根拠を引いて、理事会に提出した。


 結果、審議は「継続検討」となり、実質的に棚上げになった。


 ソフィアにはアルフレッドから間接的に伝わったようで、後日廊下で彼女が僕に頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「何のことだ?」と言ったが、ばれていた。


「全部わかります。でも……こっそり助けてくれたことも、含めて、ありがとうございます」


 ソフィアは顔を上げて、まっすぐに見た。


「わたし、セバスチャン様がいてくれると、安心します」


 その言葉が、思ったより重かった。


 ヒロインに安心を与える悪役令息。

 ゲームシナリオから、完全に逸脱した。


 でも——悔いはなかった。


 逸脱したことを、後悔していない。

 それが今日わかったことだ。


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【第17話 温泉回——男女別のはずが、壁が薄すぎた件】


 学院の課外研修で、南部の温泉地を訪れることになった。


 魔法薬学の実地研修——温泉の鉱物成分と魔力の関係を調べるという立派な名目だ。

 問題は宿の造りが古く、男女の浴場を仕切る壁が石造りなのに、上部に換気口があった。


 しかもその換気口から声がよく通った。


 夜の温泉。

 男湯の岩風呂に僕が一人で浸かっていたら、壁の向こうから声が聞こえてきた。


「〜♪」


 ソフィアの鼻歌だった。

 のんびりとした、幸せそうな鼻歌。


 聞いてはいけない。

 でも耳栓はない。


「ねえ、ソフィア! セバスチャン様って、どう思う?」


 別の女生徒の声だ。


「どうって?」

「好きなの?」


 沈黙。


 僕は岩にしがみついた。

 聞いてはいけない。でも動いたら音が立つ。


「……好きですよ」


 どきっとした。


「えっ! 本当に!?」


「もちろん。だって誠実で、優しくて、困ったときにいてくれる人って、好きになりますよね」


「それって……友達として、じゃないの?」


「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし」


 ソフィアの声が、少し柔らかくなった。


「わたし、まだよくわからなくて。でも——一番信頼してる、ってのは本当です」


✦ ✦ ✦


 翌朝、全員で朝食を取りながら、誰も昨夜の話をしなかった。


 でも——レインがやけにこちらをじろじろ見ていた。


「昨夜、どうした」

「何が」

「顔が赤い」

「温泉の名残だ」

「昨日からずっとだぞ」


 黙った。


「……アシュバーグ、お前、ソフィアのこと——」

「朝食を食べろ」


 強制終了した。


 ジェイクがにやにや笑っていた。カイが静かに目を細めていた。オズが「え、なんの話ですか?」と首を傾げていた。アルフレッドが優雅に紅茶を飲みながら、目だけでこちらを見ていた。


 断罪回避計画、とっくに崩壊。

 代わりに、胸の中に何か別のものが育ち始めていることに、薄々気づき始めていた。


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【第18話 五人の話し合いと、「セバスチャン問題」】


 後から知った話だが、この時期に攻略対象の五人が密かに集まって「話し合い」をしていたらしい。


 議題は——「セバスチャン・フォン・アシュバーグについて」。


 以下は、アルフレッドが後日教えてくれた内容だ。


✦ ✦ ✦


 話し合いは放課後の空き教室で行われた。


「俺から言う」とレインが口を開いた。「あいつ、最初は嫌いだった。でも今は——嫌いじゃない」

「僕もそう」とアルフレッドが微笑んだ。「最初は疑っていた。今は信頼している」

「ぼく、最初から嫌いじゃなかったです! でも今はもっと好きです!」とオズ。

「旦那は商売仲間以上の信頼がありますよ」とジェイク。

「穏やかで誠実な方だと、以前から感じていました」とカイ。


「つまり全員、アシュバーグのことが好きってことだな」とレインがまとめた。


 沈黙。


「そうなりますね」とカイが静かに言った。


「問題は」とアルフレッドが続けた。「我々全員が彼を好いているうえに、ソフィアも彼を一番信頼していると言っている点だ」


「つまり——主人公がいない」


 レインの言葉に、全員が黙った。


「本来なら俺たちがソフィアを巡って争うはずだろう。なのにアシュバーグが間に入って、全部うまく回してる。あいつが——主人公みたいになってる」


「でも」とオズが言った。「アシュバーグ先輩は、ソフィアさんのことを好きなんですよね?」


「本人は認めていないが——まあ、そうだろうな」とアルフレッドが言った。


「じゃあ」とジェイクが両手を広げた。「ソフィアが誰を選ぶかは、ソフィアが決めることで。俺らは俺らで、アシュバーグとの関係を大切にすればいいんじゃないですか」


 全員がしばらく黙った。


「……それが一番、健全か」とレインがぼそりと言った。


「ぼくは先輩のこと、なんか家族みたいに思ってます。お兄さんみたいな」


 オズのそのひと言が、議論をまとめた。


✦ ✦ ✦


 後日、その話を聞いた僕は、しばらく言葉を失った。


「……家族?」


「メイヤーの表現がやや独特だが、趣旨は皆同じだ」とアルフレッドが言った。


「迷惑だったか?」とレインが不満そうに聞いた。


「……いや」


 迷惑ではなかった。

 そんな言葉が出てくるほど、嬉しかったのに——素直には言えなかった。


「……ありがとう」


 小さく言ったら、レインが「ふん」と言って目を逸らした。

 それが彼なりの照れ隠しだと、もうわかっていた。


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【第19話 ソフィアの手紙と、読まれなかった言葉】


 ソフィアが熱を出した。


 一週間、学院を休んだ。


 心配したのは全員だったが、誰も見舞いに行けなかった。

 彼女の下宿先は女子専用で、男性の立ち入りが禁じられていたから。


 だから僕は、手紙を書いた。


 最初は一通のつもりだった。

 でも、何を書けばいいかわからなくて、書いては破り、書いては破り、結局完成した手紙は六通分の没稿の後に生まれた七通目だった。


 内容はたいしたことじゃない。

 「早く良くなれ」「戻ってきたらまた昼食を一緒にとろう」「皆が心配している」——そういうことだけだ。


 でも、最後の一文だけ、少し違うことを書いた。


「君がいない昼が、思ったより静かすぎる」


 書いたあと、少し後悔した。

 気持ちが漏れすぎているかもしれない。


 でも消せなかった。

 消せないまま、封をして、渡した。


✦ ✦ ✦


 ソフィアが戻ってきた日、彼女は教室に入るなりまっすぐ僕の席に来た。


「セバスチャン様」


 顔がまだ少し白かった。でも目が、いつもより輝いていた。


「お手紙、ありがとうございました」

「……ただの見舞い状だ」

「全部読みました。何度も」


 何度も。


「……気に入った箇所でもあったか」


 聞いてしまった。


 ソフィアが少し笑った。

 頬が少し赤くなった。


「……最後の一文が、一番好きでした」


 そう言って、自分の席に戻っていった。


✦ ✦ ✦


 その後、レインに「顔が赤いぞ」と言われた。

 アルフレッドに「表情が珍しく崩れていた」と言われた。

 ジェイクに「旦那、恋してますよ」と言われた。


 全員に否定した。


 でも——心の中では、否定できなかった。


 断罪回避計画は、もうどこにもない。

 代わりに、ここに確かに存在している「何か」がある。


 それに名前をつける勇気が、まだなかった。


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【第20話 卒業式の「その日」が近づいている】


 秋が深まった頃、僕は改めて日付を確認した。


 ゲームのシナリオでは、「断罪の日」は卒業式——三月の最終日だ。

 まだ半年ある。


 あるが——ここにきて、新たな問題が浮上した。


 「本来のセバスチャン」がやらかしてきた過去の行いが、少しずつ明るみに出てきていた。


 下級生への言いがかり。協力者への脅し。ソフィアへの嫌がらせの記録。

 全部、前任者がやったことだ。


 僕ではない。

 でも、この体でやったことだ。


 学院の一部の教師や生徒が、「アシュバーグが最近おとなしいのは何かを企んでいるからだ」という目で見ている。


 変わったことが——信じてもらえていない人たちがいる。


✦ ✦ ✦


 ある日、廊下で下級生に呼び止められた。


 震えていた。


「あの——アシュバーグ先輩、去年、わたしに言ったこと——覚えてますか」


 記憶にない。前任者のことだから。


「……もしかして、傷つけたか?」


 下級生の目が揺れた。


「……はい。『出身地が恥ずかしい』って言われて。それからずっと出身のことを言えなくて」


 胸が重くなった。


 言ったのは自分ではない。

 でも——この体で、この顔で、言われた。


「謝らせてほしい」


 僕は頭を下げた。


「本当に、申し訳なかった。君の出身地は、恥じるものではない。私の発言は間違いだった」


 下級生が黙った。

 しばらくして、小さく言った。


「……ありがとうございます」


 その声が、震えていた。


✦ ✦ ✦


 夜、一人で部屋に戻り、天井を見た。


 断罪を避けることだけを考えていた。

 でも——本当の「断罪」は、日付じゃない。


 過去のセバスチャンがやったことを、この体が引き受けている。

 それに正面から向き合わないで、「新しい自分」を装うことは——どこか、逃げている。


 変わることは、向き合うことでもある。


 それがわかった夜だった。


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【第21話 六人全員の証言と、理事会の「再審」】


 理事会が動いた。


 複数の生徒・教師からの「アシュバーグの過去の行い」に関する申告が積み重なり、学院理事会が「行動調査」を始めた、というのが正式な通知だった。


 ゲームでの「断罪」に似ている。

 でも——形が違う。


 卒業式の壇上ではなく、理事会の審議室で。

 一方的な断罪ではなく、「証言を集める」という手続きを経て。


 これは、逃げ場がない形での問い直しだ。


✦ ✦ ✦


 審議当日。


 理事会室に呼ばれる前に、廊下で五人と鉢合わせた。


「知ってるか?」とレインが言った。

「知っている」

「……俺、証言する」

「何を?」

「今のお前を見てきたこと。全部」


 アルフレッドが言った。「僕もそうするつもりだ」

 オズが言った。「ぼくも!」

 ジェイクが言った。「旦那の代わりに証言させてもらいますよ」

 カイが言った。「過去と現在の両方を、きちんと語ります」


 そしてソフィアが、一歩前に出た。


「わたしが一番、最初から知ってます。図書館で助けてくれたこと。文化祭で走り回ってたこと。下級生に頭を下げてたこと。全部、見てました」


 六人が、全員こちらを向いていた。


「……なぜそこまでする」


「仲間だから」とレインが言った。

「友達だから」とアルフレッドが言った。

「家族みたいだから」とオズが言った。

「信頼してるから」とジェイクが言った。

「あなたがここにいてくれることが、大切だから」とカイが言った。

「好きだから」とソフィアが言った。


✦ ✦ ✦


 審議は、二時間かかった。


 六人全員が証言した。

 過去の行いについては「そうした事実があった」と認め、現在の行動について「確かに変わった」と語った。


 結論は——「行動の変容が認められ、今後の行いを継続的に観察する」という判断だった。


 断罪されなかった。


 追放されなかった。


 廊下に出ると、六人が待っていた。


「どうだった」とレインが言った。


「継続観察だ」


 全員がほっとした顔をした。


 僕は——少し、目が熱くなりそうで、それを抑えながら言った。


「……ありがとう。全員に」


 誰も「どういたしまして」とは言わなかった。

 ただ——レインが、小さく頷いた。


 それで充分だった。


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【第22話 冬の夜と、セバスチャンの「正体」】


 冬が来た。


 雪が積もる夜、礼拝堂でカイと二人で話していた。

 その夜——僕は、初めて本当のことを話した。


「カイ」


「はい」


「私は……本来のセバスチャンではないかもしれない」


 カイが静かに待った。


「記憶を持っている。別の世界の記憶を。今のこの世界と、この体を知っているが——私自身は、別の場所から来た」


 告白した。

 転生のことを。

 ゲームの悪役令息だったことを。

 断罪を避けようとして、気づいたら変わっていたことを。


 全部話した。


 カイは最後まで黙って聞いた。


 そして言った。


「……信じます」


「なぜ」


「あなたが嘘をつくとき、目が少し動く。今日は一度も動かなかった」


 神官の、鋭い観察眼だった。


「怖くないか。別の意識が乗り移った人間と話しているということを」


「人の魂がどこから来るかは、神様も教えてくれません」とカイは静かに言った。「ただ——今、あなたがここにいて、誠実に生きている。それが全てではないですか」


✦ ✦ ✦


「一つだけ聞いてもいいですか」とカイが言った。


「何でも」


「この世界に転生して——後悔していますか」


 僕は少し考えた。


 ゲームの世界だと思っていた。

 悪役令息として断罪される運命を持つ、キャラクターの中に転生したと思っていた。


 でも——今ここにいる人たちは、本物だ。

 レインの傷も、ジェイクの弟も、オズの研究も、アルフレッドの孤独も、カイの祈りも、ソフィアの笑顔も。


 全部、本物だった。


「……していない」


 正直に答えた。


「ここにいることが——今は、正しいと思っている」


 カイが静かに微笑んだ。


「それが、一番大切なことだと思います」


 雪が窓を叩いた。

 礼拝堂の灯りが揺れた。


 この世界に生きていることを、初めて——本当に受け入れた夜だった。


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【第23話 卒業式の朝——「断罪」の代わりに】


 三月の最終日、卒業式の朝が来た。


 ゲームシナリオの「断罪の日」だ。


 起きたとき、緊張していた。

 理事会の件は解決した。ソフィアとの関係は良好だ。五人全員と信頼関係がある。


 それでも——この日付には、不思議な重さがあった。


 制服を着て、鏡を見た。


 漆黒の髪。灰青の瞳。

 それは変わらない。


 でも、顔が変わった——と思った。

 一年前のセバスチャンの顔とは、違う。


 少しだけ、柔らかくなった。


✦ ✦ ✦


 式の前、中庭に六人が集まった。


「……今日だな」とレインが言った。


「そうだ」

「断罪される気分か?」

「今のところ、そういう予定はない」

「良かった。お前を断罪させるつもりはなかったから」


 レインが、らしくもなく真顔で言った。


「俺が止める。何があっても」


 アルフレッドが言った。「同じく。法的にも力を使える」


 オズが言った。「ぼくも! 爆発させます!」


「それは助けにならないが気持ちはありがたい」


 ジェイクが笑いながら言った。「旦那、今日は俺たちがいるんで」


 カイが静かに言った。「今日も、明日も、そばにいます」


 ソフィアが前に出た。


「わたしも」


 彼女はまっすぐに僕を見た。


「もし何かあっても——わたしが一番最初に、セバスチャン様の味方だと言います」


 味方。


 その言葉が、胸の奥まで届いた。


「……ありがとう」


 声が少し、震えた。

 震えたことを誰も笑わなかった。


✦ ✦ ✦


 卒業式は、何事もなく終わった。


 壇上で名前を呼ばれ、証書を受け取り、拍手をもらい、それだけだった。


 断罪はなかった。


 追放もなかった。


 ただ——卒業があった。


 式の後、中庭で六人で写真を撮ろうということになった。(魔法の記憶鏡、という技術がこの世界にはある)


 全員が並んで、笑った。


 僕も——笑った。

 本物の笑顔で。


 鏡に映った僕は、もう「悪役令息」じゃなかった。


 ただのセバスチャン・フォン・アシュバーグが、そこにいた。


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【第24話 これからの話——放してくれないまま、でもそれでいい】


 卒業式から三日後。


 六人は学院の近くに残ることになった。

 レインは王立騎士団の見習いとして、アルフレッドは王宮で政務の勉強を、オズは魔法研究機関の研究生として、ジェイクは独立した商会を立ち上げ、カイは礼拝堂の副司祭として。そしてソフィアは魔法薬学院への進学が決まった。


 僕は——アシュバーグ家の家督を引き継ぎながら、学院で教鞭を取ることになった。

 後輩を教える立場になった。


 奇妙な縁だ。


✦ ✦ ✦


 ある夕方、六人でいつもの中庭に集まった。


 もう学院の生徒ではない。でも、この場所に来ることは誰も止めなかった。


「なんか、変な気分だな」とレインが言った。

「学院を出たのに、同じ場所にいる」

「居心地がいいんだから仕方ないだろう」とアルフレッドが笑った。

「ぼくはここでの実験が忘れられなくて……あの爆発も、今では良い思い出です!」とオズが言った。

「爆発を良い思い出にできるのはお前だけだぞ」とレインが言った。

「旦那、最初に購買部に来たときのこと覚えてますか? B級品の羊皮紙を選んで、俺びっくりしたんですよ」とジェイクが懐かしそうに言った。

「あの頃から変わっていない」と僕は言った。

「変わってますよ」とジェイクが笑った。「もっと良くなってる」


 カイが静かに空を見上げた。


「この一年、幸せだったと思います。本当に」


 誰も反論しなかった。


✦ ✦ ✦


 日が沈む頃、ソフィアが言った。


「セバスチャン様」


「何だ」


「あのとき——最初に声をかけてくれたのが、あなたで良かったです」


「私から声をかけたわけじゃ——」


「かけてくれました。ちゃんと目を見て話してくれました。それで、わたし、この学院が怖くなくなったんです」


 そうだったのか。

 あの図書館の日が——彼女にとって、そんな意味を持っていたとは。


「……私はただ、変わろうとしていただけだ」


「それが、全部です」とソフィアは言った。「変わろうとする人が、周りも変えていくんだと思います」


 レインが「……そういうことを、さらっと言うな」と言った。

 アルフレッドが小さく笑った。

 オズが「ソフィアさん、かっこいいです!」と言った。

 ジェイクが「旦那、顔赤いですよ」と言った。

 カイが静かに目を細めた。


✦ ✦ ✦


 夕暮れの中庭に、六人の笑い声が混じり合った。


 断罪は、来なかった。

 追放は、来なかった。


 代わりに——仲間が来た。友達が来た。家族のような人たちが来た。


 「悪役令息」として転生したはずが、気づいたら、この世界で一番大切な人たちに囲まれていた。


 ヒロインたちが——正確には、彼らが——僕を放してくれないまま。


 でも今は、それでいいと思う。


 いや——それが、嬉しい。


 セバスチャン・フォン・アシュバーグ、この日記の最終ページに記す。


 断罪回避計画:完全失敗。

 生きること:これ以上なく、成功している。


 ──1期・完──

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