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体育倉庫の裏にベンチがあるのは、必要とする誰かがいるからではない。ただ撤去されていないだけなのだ。
それでも十五年前の柯衣は、存在すら忘れられているであろうこの場所だけが唯一の居場所なのだと信じていた。それが錯覚であることに気が付くのは社会に出てからであったのだが、少なくとも当時はそう感じていたのだ。
木製の座面や背凭れは雨風に晒されたせいで黒ずんでおり、肘置きもところどころに錆が見える。
どうしてこんな場所にベンチがあるのかは知らないが、別の場所で使用していたものを廃棄するためにこちらに移し、そのまま忘れられたのだろうと思う。すぐそばでは広葉樹が風に揺られている。生い茂る青葉の隙間から溢れる日差しが、地面にまだら模様を作っていた。
ベンチに腰掛け、膝の上で弁当を広げる。二段になっている弁当箱の中を見ても何かを感じることはない。今朝、自分で詰めたものであるからだ。片方には白米、もう片方には筑前煮とひじきの煮物を入れてある。どちらも三日前に作ったものだ。
筑前煮の蓮根を、弁当用の短い箸で摘み上げた。スーパーで売られている筑前煮よりも具材が小さく切られているのは、家に要介護者がいたからだ。十年ほど前に腰を悪くして寝たきりとなった祖父に食べさせるために、小さく柔らかく調理しなければならなかった。
柯衣は和食以外を作ったことがない。できないのではなく、無駄になるからだ。
洋食などを作ろうものなら、蛮人の生み出したものなど食えるか、と皿をひっくり返す。それが柯衣の祖父であった。
戦後すぐに産まれたせいかは知らないが、祖父は古びた考えを引き摺っていたのだ。
柯衣が体調を崩せば女みたいに貧相な身体をしているからだと怒鳴りつけ、それに怯えて涙を流せば男が泣くとは何事かと食器を投げつけられる。投げられたどんぶりで額を切ったこともあった。流れた血が畳を汚し、それがまた祖父の怒りを買った。
母が柯衣を庇ったことは、ただの一度もなかったように思う。柯衣が幼いうちに、祖父に嫌気が差した母は家に帰らなくなったからだ。
同時に、母親が帰らないのはお前がみっともないせいだと詰られる内容が増えた。ときおり母が買ってくる菓子パンやインスタント食品で食い繋いではいたが、そんなもので祖父が納得をするはずもなかった。売女がどこをほっつき歩いているんだと顔を合わせるたびに言われていたことを記憶している。
それでも施設に入れる金もなく、かといって放置して死んでしまったら責任を問われるのだろう。母は、柯衣に祖父の世話をするように言いつけた。柯衣がまだ七歳の頃の話だ。
平均身長よりもずっと背の低かった柯衣には台所は高く、包丁の扱いもわからない。買い出しだけは母親が行っていたが、それも小汚い格好をした柯衣が外に出ることで、虐待を疑われてしまうことを危惧していただけである。
そうして柯衣は何度も指を切りつけながら、生きていくために料理を覚えたのだ。
自分でトイレにも行けない祖父は介護用のおむつを履いており、それを交換をするのも当然のことながら柯衣であった。自宅にいるときならよかったが、学校に通い始めてからは交換できるのが帰宅してからとなった。
噛み合わせの良くない玄関扉を開いた瞬間、異臭が鼻を突く。掃除もろくにできていないせいで埃や黴、溜まった生ゴミに混じって排泄物の匂いまで漂ってくるのだ。嗅覚はすぐに麻痺するが、そのせいで服や身体に染み込んで臭いに鈍くなる。それは風呂に入っても完全には取れることはなかった。
擦り切れた服を着て常に異臭を放っている柯衣がクラスメイトからいじめを受けるのにそう時間はかからなかった。何度か担任から家庭事情について訊かれたような気もする。
あまり覚えていないのは、その後に何かが変わったわけでもないからだ。
誰の目から見てもまともな家庭環境ではなかったが、救い出してくれる手はついぞとして現れなかった。
祖父の、軽度であった痴呆症も次第に悪化していった。
家に帰れば汚物を顔面に塗りたくりながら、黙ってこちらを睨みつけているのだ。見かねた母が、ベッドの柵にベルトやビニールの紐で祖父を縛りつけ、そして以前にも増して家には帰らなくなっていった。
拘束されたまま尚も顔だけをこちらに向け、咥内に溜まった涎で泡を作りながら放つ言葉は意味をなさなかったが、柯衣を諸悪の根源だと認識しているらしい。そんな日々が十年近く続き、次第に柯衣自身、全てが自分のせいであるのだと信じるようになっていった。
そして去年の冬、祖父は死んだ。
ある日学校から帰ると、すでに冷たくなっていたのだ。土気色の顔は明らかに生者のものではなく、それでもまだ、見開かれた両の目がぎょろりとこちらを睨みつけていた。苦悶の表情を浮かべながら死んでいた祖父を見ても、すでに柯衣は何も感じなくなっていた。
祖父の死体を前に柯衣の頭にあったものはといえば、ただ今日の夕飯をどうするのか、それだけであった。
数日後に母親が帰宅し、大人たちの間でどういった責任の追求があったのかは知らないが、彼女は保護責任を果たさなかったとして逮捕されたそうだ。
まだ未成年である柯衣は施設に入る直前で、母親の姉の家に引き取られることになった。これ以上身内の恥を晒したくはなかったのだろう。引き取られたと行っても、叔母の家で暮らすことにはならなかった。柯衣と同い年の子どもがいるそうで、間違いが起こってはならないと元いたアパートに一人で暮らすことになったからだ。
祖父が死んですぐに引き払ったのだが借り手がつかなかったようで、幾分か安く借り直すことができた。心理的瑕疵物件ということになるらしい。大家としては住人から死者と逮捕者の両方を出した家ということで、当然のことながらいい顔はされていない。借り直す際に、一度でも問題を起こせば即時退去してもらうと言い含められた、当然の要求だと思う。
グラウンドではすでに昼食を終えた生徒たちが騒いでいるが、この場に来る者はいないだろう。
筑前煮を硬いくせに水っぽい白米に乗せてかき込んだ。まだ時間はあるが咀嚼するのが億劫でならないのだ。できることなら、食事すらしたくはなかった。
昼間であっても木や倉庫の影になっており、風の通りも悪いせいで地面は常に湿っている。土で汚れたスニーカーをぼんやりと眺めながら、自動化されたかのように、淡々と運ばれてくる食べ物を何十本もの歯で噛み砕いては飲み込んでいく。
脳が不要と判断したのだろうか。遠くの騒めきも聞こえなくなっており、そのせいで近づく足音にも気が付かなかった。




